新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

13) 乾徳山恵林寺 境内「精進料理・一休庵」

2011-02-25 | 山梨、郷土食と温かいもてなし!

初春の”恵林寺・一休庵”に、なにげない”温かいもてなし”があった!

甲州市塩山に、武田信玄の菩提寺「乾徳山恵林寺」があります

・・・開山夢想国師の名園、江戸幕府老中柳沢吉保公の墓所などもあり、特に宝物館には、武田家ゆかりの文化財等が数多く残されています。”桜の恵林寺”とも言われ・・・、四季折々の魅力もあって、訪れる人々は多いところです。

・・特に、第1・3土曜日と第2日曜日の座禅会は、静かな時間が好きな方にはお薦めです。「諸縁を放下し、万事を休息す」といわれ、せっかくなら、座禅体験にあわせて訪ねられると・・・、リフレッシュの旅で心豊かになります。

近くして・・・、奈良・京都の古寺の旅に、劣らない雰囲気がここにはあります!

無料なのが・・・、また気をそそりますネ。

詳しくはこちらから・・・、http://www.erinji.jp/newpagezazen.html

山梨県甲州市塩山小屋敷2289 ◎JR中央本線塩山駅下車バス10分恵林寺前下車

                     ◎中央自動車道「勝沼IC」より10.8km約20分

Photo_2Photo

乾徳山恵林寺

・1330年

二階堂貞藤創建

・開山は夢想国師

・信玄ゆかりの「不動明王」や江戸幕府の老中「柳沢吉保の墓所」などもあり、拝観をするだけで、気持ちが洗われる名刹です!

恵林寺山門

・「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」

・織田、徳川軍の焼き討ちにあった時、快川国師が「・・・心頭滅却すれば、火も自ずから涼し」と唱えて、百余人の僧と火に呑まれた山門の碑で、参詣の時は、ぜひ山門を見逃さないようにして欲しいです!”歴史の刻み”を痛感しますよ。

恵林寺に関する詳細は:http://www.erinji.jp/でご覧ください。

その恵林寺境台に、「精進料理・一休庵」があります。

Photo_3 「精進料理 一休庵」

”門前のそば”の気軽さで食事に立ち寄れる本格的な精進料理屋さんと紹介しておきましょう。

Photo_6

心和む

炬燵の

座卓

・冬は、今でも、”暖かい炬燵での料理のもてなし”

簡単な紹介は:①甲州市の観光 http://www.koshu-kankou.jp/member/tour/19an.html 

②地域の「牧丘タクシー」HP http://www.makiokataxi.com/sub2_2_3_ikkyuan.htm

名物”ほうとう”、”そば”、”おざら(ざるうどん)”などは、精進料理の板場の心意気が伝わり、”けっこう、つやがあって美味しい”です!

・本格精進料理のメニューは、「ikkyuan_shojinryori.pdf」をダウンロード で紹介します。

・何しろ、冬は、お客様が寒い外の空気にさらされて来られるので、少しでも暖かくして、お迎えしたいと・・・、今でも、店内では、昔ながらの炭火の火鉢と炬燵の座卓で、料理が食べられるのです。

何と・・・、心まで温まる接遇ですね!?電気ガスの冷暖房機が普通の世で、わざわざ、希少な炭を調達し、火鉢で炭火を熾すのは、とても手間がかかり、今では、扱いも大変なのですが、「それでも、お客様が喜んで頂けるならば・・・」と、昔ながらの暖をとって”もてなしてくれる”店主の心意気が嬉しいですね!

・今でも、炭火を熾して・・・、温めてお迎えしようとする”その心使い”は本物です!

Photo_4

冬でも東京と比べて気温はそれほどの差はないが、都会では珍しい炭火の火鉢が暖かい!美しい炭火の色が心を癒やしてくれます。

Photo_5

・暖かい座布団を敷いた昔ながらの”縁台”とテーブルも、お客様は結構、くつろいでいます。

・筆者も、ちょくちょく自転車で”そば”を食べに寄りますが、今では気に行った指定席ができています。自転車で訪ねる客は珍しいこともあって、”今日も自転車ですか?”と言って、”ALLWAY”の心で、迎えてもらえます。一休庵の八木さん(奥さん)や星河さんや皆さんは、皆、明るく、ほどほどの何気ない気配りで、接遇してくれて、とても気に入っています。

・皆さんはとても”シャイ”なので、無理にお願いして、下の一枚だけ撮らせてもらいました。

優しいもてなしが良くわかるでしょう!?

今回は、贅沢に、能舞台であった板敷の間の炬燵で、”名物ほうとう”を食べました!

Photo_7心の籠った暖かいもてなし

名物「精進ほうとう」Photo_8

「一休庵」は、恵林寺境内の縁で精進料理が主流ですが、”そば”、”うどん”、”ほうとう”も、精進料理の板場の腕をふるって、とても良いセンス(食感)で食べさせてくれます。

・精進で作る”ほうとう”は、一切肉類は使わないので、秘伝の味噌味に、七種の野菜と、味の決め手になる”栗カボチャ”を特にこだわって煮込んでいるようです。また地元野菜もそのまま煮込んで野菜の味を引き出す工夫と煮加減が特徴のようです。旬の七種野菜を煮込んだ具だくさんの”ほうとう”です。

筆者も、元気で自転車を漕げるうちは、時々、一休庵の蕎麦やおざらを食べに行きたいと思っています。東京から友人が訪ねてくると、案内するうちの一軒を紹介しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

付録ですが・・・

”ほうとう” 山梨を訪ねれば、どこへ行っても”ほうとう”で・・・、珍しくもありません。

ほうとう”は、昔ながらの庶民の日常食(郷土料理)なのです。

・東京の友達は、ほとんどの者が、”ほうとう”は食べたことがありますが、”それほど美味しい、美味しい”と言う人はあまりいないのだということを、ブログ”富士吉田のうどん”でも触れました。

私は、「美味しいと思えば、心が籠っていて美味しいし・・・」、こんなもんだと思えばこんなもの」とよく言います。

しかし、”ほうとう”は何? と知ってもらうと、味わいが変わります!?

ほうとう”は、ウイキペディアによると、山梨県(甲斐国)を中心として作られる郷土料理。2007年農水省の「農山漁村の郷土料理百選」に一つに選ばれている。

・小麦粉を練り、ザックリと切った麺を野菜とともに味噌仕立ての汁で煮込んだ料理の一種。

・一部地域では、小麦粉以外の穀物も使う場合もあり、”すいとん”のような小塊も見られ、必ずしもうどん状の長い形であるとは限らない。

・富士北麓では、ほうとうと同一の粉食文化をもつ「吉田のうどん」がある。

・呼称は、”ほうとう”が一般的だが、「おほうとう」、「ニコミ」「ニゴミ」(郡内の一部)「ノシコミ(ノシイレ)」(河内地方)と呼ぶ場合もある。

注)甲州弁で「ごんぱち」という木製のこね鉢で水分を加えた小麦粉を素手で練り、生地をのし棒で伸ばして、おり重ねて幅広に切り刻む。うどんと異なり、生地にグルテンの生成による麺のコシは求められず、生地を寝かせることは少ない。

また、塩も練り込まず、湯引きで塩分を抜く手間がなく、生麺の状態から煮込むところに特徴がある。

・汁はみそ仕立て、だし汁は煮干しでとるのが一般的だが、その中でも特に具のカボチャの煮崩して溶かしたのが美味とされるので、カボチャの味にはこだわっている。

・具は、野菜が中心になり、夏には、ネギ、玉ねぎ、ジャガイモ、冬はカボチャや里いも、ニンジン、白菜、シイタケ、シメジなどのキノコ類を入れる。豚肉、鶏肉を入れる場合もある。

・家庭では、大鍋で作ることが多いので、余ったほうとうは、翌日の食卓にでることもあって、沸かし返しによって、とろみがでて味も熟れてくるので、好む人が多い。

ほうとうの歴史

山梨県内では、南アルプス市の二本柳遺跡から戦国時代の石臼が出土しており、考古学的には中世後期(1160年平氏政権以後、戦国時代末期までを言い南北朝時代境に以後が後期)に、「ほうとう」の起源にあたる麺類が食べられたと考えられている。従って、信玄の時代に普及したとする説はうなずける。しかし、甲斐国は山間地が多いため、稲作に恵まれなかったので、農民は五穀、特に小麦粉などの粉食が主食であったと言われているので、信玄の時代よりもっと昔から”すいとん”や”だんご”汁など、”うどん状でない”食べ方や”他の具を何でも入れた雑煮”などで食べられていたのであろうと思われる。

甲斐国では、近世、養蚕の普及により桑畑化が進み、裏作での麦栽培が一般化したことで、粉食体系が発達したものと言われている。

・また、農地といえども山間地が多く、稲作に適さないため、特に郡内地方では、溶岩台地で水利に恵まれず、富士山の流水を引いた水掛麦が栽培されたことなどで、「吉田うどん」や「ほうとう」などの粉食料理が根付いたようです。

・広く伝わる説としては、奈良時代の漢字辞書「楊氏漢語抄」に「餺飥(ハクタク、ハウタウ)」として登場するので、ハウタウの音便が語源とされている。”うどん”と同じく中国伝来の料理の流れをくむものと云われている。

・山梨県の郷土民族研究の立場では、江戸時代中期の甲府勤番士日誌「裏見寒話」において、穀物の粉を「ハタキモノ」と呼び、作業を「ハタク」と呼ぶことから、ほうとうの語源は、「ハタク」あるいは「ハタキモノ」が料理名に転用されたのが妥当と言う説もあるが・・・、説得力はないようです。・・・学者にまかせておきましょう。

・「宝刀」、「放蕩」など語源説もあるが、これらは、山梨県において歴史的資源を活かした観光業の発展過程で生まれたものが多く、信憑性はないようだ。

武田信玄が、稲作が難しい甲斐国で、粉食料理を奨励したとか、信玄の陣中食として普及したなど、いろいろな話が伝わる。時は、川中島の合戦(天文22年1553年~永禄7年1564年)の陣中とか、永禄12年12月10日(1569年)北条軍と三増峠での激戦の帰路、2万の大軍に甲州街道の農民が野菜、小麦粉、肉類などを雑煮として供したのがほうとうの起源といわれ、その後、改良を繰り返して現在のほうとうになった(甲州ほうとう研究会)等説があるが、なるほどと思うことがあれば、そんなことを想いながら食べることで、(美味しいというより)”味わい”が増すのではないでしょうか!?か!

郷土食(料理)は、全国、何処でも、”美味しい”と言うより、”味わい”があるという言葉が似合うと思いませんか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


12)えんざん桃源郷の”ひな飾りと桃の花まつり”は・・・・・・・・、熱い郷土愛のまつり!

2011-02-22 | 山梨、里山の郷土愛!

甲州市えんざん桃源郷に・・・、”桃の花”が咲く春!

重要文化財「甘草屋敷」の”ひな飾りと桃の花まつり”!

甲州市えんざん桃源郷 第9回「ひな飾りと桃の花まつり」は、平成23年2月11日(祝)~4月18日(月)まで開催されています。祭りの案内は、こちらから複写できます。enzantougenkyohinakazarimomonohanamaturi.pdf」をダウンロード

”えんざん桃源郷ひな飾りと桃の花まつり”は、今年で第9回を数える。最近は首都圏を始め遠来のお客様に知られるようになって、”まつり期間中は、何と5万人ものお客様が訪れる評判の高い”ひな飾りと桃の花まつり”になっています。

郷土を愛する皆さんの”厚い人情が篭もる「雛」飾り”です!

この地に住んで人々の歴史の育みを知ることで、始めて分かったことがあります。それは、この甘草屋敷(かんぞうやしき)の”ひな飾り”が、あちこちにあるような、ただ、昔の”古いひな人形を集めて展示”するだけのひな祭りとは違い、それは、郷土を愛するボランティアの人々のあつい思いが集って、”将来へつなげる歴史を刻み続ける素晴らしいドラマ”があることです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

せっかく”塩山のひな飾り”を訪ねて頂くなら、先ず、えんざん桃源郷のことも少々紹介しておきます!

※本題の”ひな飾り”の写真と記事は、後半に掲載しています。※急ぐ方はスクロールして下さい。

Photo 甲州えんざん桃源郷に、桃の花が咲き始めました!

・2月初め、全国に大雪の降った寒い日、甲州えんざん桃源郷には、もう、早咲きの桃が咲き始めました!

・ひな飾りの準備をしている「甘草屋敷}に持ち込まれた初咲きの桃の花は、鮮やかなホワイトピンクの色が、明るい春の到来を告げています。

・この花は、温室栽培の桃の花ですが、塩山桃源郷といわれる里山に拡がる一面の桃畑には、桃の蕾が膨らみ始めています。”桃の花が咲くと、塩山の春”です!

塩山桃源郷は、富士山と南アルプスが同時に望める山梨随一の絶景スポットなのです

Photo_2Photo_3

塩山桃源郷から望む富士山!

・青空だと、御坂山塊の後ろに真白な富士山が覗いて見えます。

塩山桃源郷から眺める南アルプス方面のパノラマ風景!

登山が趣味の筆者は、眺望の良い住まいで、毎日、美しい山々を眺めて楽しんでいますが・・・、我が家の東西南北から一度に”七座の日本百名山”が見えると言って喜んでも、漠然とこの美しい山々を毎日見ている地元の人々は、山々の名前も知らない人が多いので、もったいないことです。もちろん、富士山や南アルプスは知っていますから、安心して下さい。

注)この写真は昨年4月上旬撮影のものです。プロの写真や実際の眺望は、もっと色彩が鮮やかです。素人写真で、ご容赦下さい!

・桃源郷へ上ると、眼前に塩山のシンボル塩の山がぽっかり浮かび、石和方面に大蔵経寺山から帯那山への稜線が手前にあって、その先に鳳凰三山(薬師岳、観音岳、地蔵岳)が覗いて見える。さらにその奥には、白根三山(日本で標高第2位の北岳、間ノ岳、農鳥岳)が堂々と連なる。幼稚に喜べば・・・、日本で一番高い富士山(3776m)、第2位の北岳(3193m)が、同じ個所で同時に見えるところは、山梨県の中でも少々高い山に登らないと見られません。ついでですが、甲州市には、3月頃ザゼン草が咲く小倉山(バス停から約30分で登れる展望の絶景の山)などもあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

山梨県には、”四大桃源郷”があります!

①甲州市塩山の”えんざん桃源郷”・・・・・・・

②笛吹市東八代の”一宮桃源郷” ※南アルプスと八ケ岳方面の遠望が美しい

③韮崎市の”新府桃源郷” ※武田勝頼ゆかりの新府の里は、武田家先祖の”武田の荘”も近い

④南アルプス市の”白根桃源郷” ※南アルプスを背に、富士山の遠望が美しい。

・・と、4ケ所の美しい桃源郷があります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

”えんざん桃源郷”・・・、

①首都圏からJR中央本線か中央高速道で山梨県に入る場合は、最も近くて便利なところにある桃源郷です。起点の甘草屋敷まで、車だと高速勝沼ICから約15分(無料駐車場完備)、電車だとJR塩山駅から、わずか徒歩1分のところです。

②JR塩山駅構内、甲州市観光案内所(TEL0553-33-5958)で案内とガイドマップがもらえます。見どころいっぱいで、美しい景色のウォーキングコースです。

③美しい富士山と南アルプスが同時に望めるのは、塩山桃源郷だけです。

※特に、桃の花が咲く頃は、真白い雪化粧の富士山や南アルプスのパノラマ展望が美しい!

快晴の日は、”咲き乱れるピンクの桃の花”と”澄んだ青い空”と”真白い雪化粧の山々”のコントラストが、他では見られない美しい絶景です。訪れた人々の歓声が聞こえてきます!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

”ひな飾りと桃の花まつり”

甘草屋敷の”ひな飾り”は3300点”煌びやかで、とても綺麗です!

甘草屋敷の”ひな飾りと桃の花まつり”は、甲州市が譲り受けた重要文化財「旧高野家住宅”甘草屋敷」が甲州市の玄関口塩山駅前にあることで、遠来のお客様の”迎賓館”として、何か”温かいもてなし”ができないかと考え・・・、郷土を愛する皆さんの熱意で生みだされたものが”ひな飾りと桃の花まつり”なのだそうです。

①館長の広瀬さん達が中心になって、地域の旧家で保存されていた「亨保雛」や「五楽人」など古雛の展示協力を得たことをきっかけに、一つ一つ収集して、これだけのひな壇を組めるようになったものだそうです。また、見事なつるし雛飾りは、紗耶加人形家元の志村とみ先生の指導もあり、地元のボランティアのご婦人達とともに、甲州独自に編み出した和紙人形細工で、”つるし飾り”は毎年10月頃から、約30人のボランティアの皆さんが、夜なべ仕事で半年もかけて、これだけのつるし飾りが来上がったものなのです。地域の人々の智慧と労力が結集して、これだけの華やかで楽しいひな飾りになっているのです。話を伺って感動です!

古雛壇に飾る江戸時代の”お内裏さま”の中でも、”享保雛”は貴重な逸品です。

②「なぜ貴重な逸品か?」 ちょっとだけ、その理由を知るために、歴史を紐解いてみます。

ひな飾りや雛祭りの歴史など詳しくはウイキペディア百科事典などを参考に作成したダイジェストPDFレポートをご覧ください・・・「hinamaturi_no_rekishi.pdf」をダウンロード 

雛祭り”は、女の子の健やかな成長と幸せを祈る”上巳(じょうし・じょうみ)の節句”に行う行事として、今でも続いている五節句の一つです。”桃の節句”とも呼ばれています。

・唐の国から伝わり、大和時代後期、文武天皇御代、大宝元年(701年)、”上巳の節会”として宮中の公式行事として採用されたのが始まりだそうです。

・平安時代になって、京の貴族社会で”雛あそび”(当初は遊びごと)として流行り、古来中国で上巳の日に、川で身を清め不浄を祓う習慣(上巳の祓い)があったものが日本にも伝わって、厄除け祈願を込め、生涯の災厄を紙人形に身代わりさせて、川や水辺に流す儀式(流し雛)と結びついて普及し、江戸時代になって全国に広まったそうです。

・天正年間以降、江戸時代になって、「ひな遊び」が「ひな祭り」へと変わっていきました。

・江戸時代初期、「立ち雛」や座った形の「座り雛(寛永雛といわれ男女一対の内裏雛を飾るだけのもの)」が作られてから、身分の高い武家子女の嫁入り道具の一つに数えられるようになったことで、次第に華美になり、贅沢になっていった。

・その後、人形は精巧さを増し、十二単を着せた「元禄雛」や大型の「享保雛」が作られたが、これらは豪勢な金箔張りの屏風の前に、内裏人形を並べる立派なものであった。

「享保雛」は、時代ドラマ「暴れん坊将軍」で有名な八代将軍吉宗の時代、江戸庶民の雛祭りにも”倹約令”が下り、一時的に、贅沢で大型のひな人形が禁止される時代があってその頃作られたものは数センチの小雛に代わったため、大きな享保雛はほとんど残されていないのです。そのため、貴重な逸品となっているものなのです。

・江戸時代後期には、「有職雛」と呼ばれる宮中の雅な装束を正確に再現した人形が現れ、さらに今日に繋がる「古近雛」が作られて、従者人形や五人囃子など華やかに壇飾りをするようになって、現在に至っています。

※”千羽鶴”ならぬ”千吊雛(せんちょうびな)”とでも名付けたいような2300個の幸せの祈りがこもった”つるし雛”飾りは見事です。※ひと組の輪に吊るされている雛は1輪49ケのモデルが中央につるされ、甘草屋敷の標準つるし飾りは、1輪7本の紐に、各5ケ、計35ケの寄数で、30組が雛壇の周りに飾られている。館内や巽蔵など甘草屋敷全体で、何と2300ケの祈りを込めた手作りの雛人形がつるされているのです。注)縁起のため吊るしという漢字は使わない。

※その他、塩山熊野神社で、奇祭として伝承されている”ほうこうじ”人形が珍しい。11人の男が白装束をまとい、その装束には、1体310ケ、合計3300ケの”ほうこうじ(注)”を縫い付け踊る祭りだが、その”ほうこうじ”を女の人がもぎ取ると、子宝に恵まれるという”幸せづくり”の人形も展示されています。

注)”ほうこうじ”は飛騨高山の”さるぼぼ”(猿っ子人形)に似ているが、這い這いする赤ちゃんの姿をした”這い子人形”で、色柄も異なり、祭りの男装束に飾る甲州独特の人形になっています。

③甘草屋敷の他、恵林寺「武田信玄公宝物館」、協賛展示として、ドライブイン信玄館、滝本院、JR塩山駅、勝沼ぶどうの丘、道の駅「甲斐大和」など、甲州市広域観光ポイントで、”ひな飾”りが見られます。

④えんざん桃源郷では、”ひな飾りと桃の花まつり”と言って、単なる雛まつりではなく、甲州市の春を堪能できる観光スポットに、ひな飾りを展示して、花いっぱい、春いっぱいの楽しみが満載で、遠来の観光客のも皆さんを”もてなす”まつりなのです。

山梨の桃源郷でも、”ひな祭りと桃源郷の桃の花まつり”が同時に楽しめるのは、ここだけです!

このような物語が、甘草屋敷のひな飾りの評判を盛り上げているのです!

幸せの祈りを込めた”ひな飾り”は、一つ一つ手作りをしたボランティアのご婦人の皆さん(約30人)の情熱を感じるばかりでなく、甘草屋敷の来訪客をもてなすボランティアガイドの皆さん(約30人)の暖かい人情ガイドとの連携に感動して、評判があちこちに伝わっているのだと思います。

ひな飾りが鮮やかで綺麗だと云うだけではなく、来訪の皆さんは、子供の頃を思い出したり、孫娘のことを思ったり・・・、ささやかな幸せの祈りが伝わって来るようだと思い思いに感動されています。

何か穏やかで、温かい気持ちを思い出す雰囲気が、評判を呼んでいるのだと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

”郷土を愛する優しいお母さん達”が厚い思いを込めて・・・、

JR塩山駅北口で下車すると、特急の停車する駅前では考えられないような”時代をタイムスリップしたような”武田信玄像”と”甘草屋敷”が眼前に現れます。

PhotoPhoto_2JR塩山駅前・北口

・武田信玄像

・重要文化財旧高野家住宅

「ひな飾り」の館はここ

・”武田信玄”のことは有名ですが、何故、信玄像が塩山駅前にあるのかというと・・・、武田信玄の廟所「乾徳山恵林寺」がこの塩山にあるのです。信玄や武田家のゆかりがあちこちに残こされていることで”町の歴史の象徴”としているのです。”甲州の鎌倉とも言われています。

薬草の花咲く歴史の公園 重要文化財 旧高野家住宅 「甘草屋敷」

・旧高野家は、”八代将軍吉宗”の頃、亨保5年(1720年)幕府の採薬使、丹羽正伯が当家の甘草を見分した際、幕府御用に取り立てられて、江戸小石川の幕府薬草園(暴れん坊将軍でも馴染みの小石川療養所の薬草園?)へ上納していた名家。平成5年より、重要文化財高野家住宅を甲州市(旧塩山市)が寄附を受けたことで、文化財建造物として、保存事業、公園整備などを行っているため、極めて見事に保存されています。

・古民家建築の旧高野家屋敷も見どころがたくさんあります。※この建物は19世紀初頭の建築と云われています。

①茅葺(現在は茅葺型銅板葺)切妻出窓屋根様式(中央に二段の突き上げ屋根)の実用的で美しい建築デザイン。甲州独特の古民家建築です。特に、屋根を支える棟持柱大黒柱)は、これに梁を重ねて渡した間に見せ抜き通して、漆喰塗りとした妻壁の構造は、優れた美観を形成しています。

②屋敷は、4932.07㎡あって、江戸末期から明治初頭にかけての屋敷構えがそのまま残されています。母屋はもちろん、巽蔵(たつみくら)、馬屋、東門、文庫蔵、小屋の5棟、附けたりとして、地味棚、裏門、座敷門の3棟が重要文化財の追加指定を受け、名称も旧高野家住宅とされています。幕府御用の甘草など薬草を栽培した歴史で有名で「甘草屋敷」ともいわれています。

重要文化財の建物だけでも一見の価値があるが・・・、単なる史蹟めぐりだけではありません。季節毎に催される魅力のイベントは、地域のボランティアの人たちが集まって、情熱のほとばしる素晴らしい運営がなされています!

甘草屋敷は、郷土史を知りつくし、郷土を愛することでは最たる一人である”館長の広瀬国光さん”ならではの情熱と先達魂だと思いますが・・・、他とは違い、この重要文化財は、地域の人々の生き甲斐にも密着して、観光ボランティア活動の皆さんの本拠地にもなっています。広瀬館長自らが先頭に立って、ボランティアの皆さんとの協働による手作りのイベント等が活発に行われて、見事に活かされているのが、凄いですね。注)11月号甘草屋敷の枯露柿体験で紹介。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ひな飾りの準備”に勤しむボランティアの皆さん・・・!

Photo_2 地域の振興に先頭に立って働いておられる甘草屋敷館長の広瀬国光さん!

・郷土を愛し、郷土史のことを知り尽くしている方で、筆者がいろいろと教えを乞う頼りになる人です。

・広瀬さんの青年のような情熱は、見習うところが大です。

・お孫さん達は、お寺の絵を描いたりして、美術展で入選をするような血筋を残しておられるようで・・・、感心します。

約30人のひな飾りを作って頂いた地域の主婦の皆さんと一緒に、準備作業に勤しむ姿には、頭が下がります。

・雛飾りが終わって段取りができると、いよいよオープンです。このシーンでも、ボランティアガイドの皆さん約30人の人たちが交代で、来訪のお客様のご案内と”もてなし”を分かりやすいお話で説明をして頂いています。せっかく訪ねたなら”広瀬館長さんやボランティアガイドさんのお話を伺えば、より楽しいですよ!

・筆者は、皆さんの作業を写真を撮らせてもらいながら、じっと見ているだけですが・・・、穏やかな館長さんの人柄は、笑顔で働きをしながら、主婦の皆さんの意見を良く聞き、飾り準備を上手にまとめておられる姿には感心しました。誰にでも、できるものではありませえん。素晴らしい人がこの町にもおられますね!

Photo_3つるし雛の飾り付け準備をしている主婦の皆さん。

・甲州市塩山下塩後で、紗耶加人形家元として和紙人形づくりの師匠をしておられる志村とみさんを中心に、甲州市の約30人のボランティアの主婦の皆さんが、毎年、10月から半年くらいかけて、つるし雛は制作しておられます。

・来訪のお客様に喜んで頂こうと、配置や飾り付けには、とても熱意が籠って、真剣な眼差しです!

Photo

座敷に飾られていく様子

・段々と楽しみが増して行きます!

Photo_4 今年の新作デザイン

暖簾になった、新作”つるし雛”

・丁度、真中に写っているのが、ひな飾りづくりを指導しておられる志村とみ先生。

ほんとうは、この”ひな飾り暖簾”を手で触って、身の災いを除け、幸せ祈願の雛人形を開いて奥の間へ入って頂きたかったのですが、繊細な紙細工のため、大勢の来訪客を考慮して、触れない高さに位置を上げました。玄関へ入って、奥の間の方を見ると、鮮やかなインパクトがある新作”ひな暖簾”です。

この”ひな飾り暖簾”は、筆者も気に入りました!

可愛い女の子の部屋や雛段のある部屋の入口に、この”ひな飾り暖簾”が掛っていると、細工を手で触って、邪気をうつし、心を清めて子供と向かい合えと言われているような願いを感じます!ひな人形をくぐるアイデアがとても良いですね!家庭でも「流し雛」の謂れに似たような儀式の祭りにも使えますね!?

”紗耶加人形”は、甲州市塩山下塩後の紗耶加人形家元「志村とみ」先生が考案されたもので、35年周年になるそうです。和紙の人形づくりを始めた時、初めての人形に付けた名前でもあり、好きな言葉”さわやか”な人生を願うイメージを”紗耶加”という漢字で表現して名付けたものだそうです。色紙や短冊に、和紙で作った人形や背景を張って作る作品が主流で、住まいでもスペースを取らず飾れること、多彩な模様がある和紙を使って、気軽にできる楽しさもあることで、奥が深い繊細な和紙づくりの人形は、全国的に人気が広まっているようです。志村先生は、東京浅草橋でも教室を開催されていたことがあって、あちこちで活躍中です。

注)甘草屋敷では、樋口一葉の部屋に「紗耶加人形展」を開催中です。一見の価値がありますよ!

Photo_3甲州市のひな飾り準備に集う熱いご婦人達!

”紗耶加人形家元の志村とみ先生”を中心に、ひな人形づくりを行っている約30名のボランティアの皆さん

残念ながら、作業中に急にお願いして写真を撮らせて頂いたので、全員をご紹介することができませんでした。目立たないところでも一所懸命、郷土のためにボランティアをされているご婦人の皆さん、ほんとうにありがとうございます。

・雛飾りの準備作業を拝見していたら、「来訪のお客様に、喜んで見てもらいたい!」と思いを込めて飾り付けをされている皆さんは、

真剣そのもので、凄い情熱を感じました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

甘草屋敷の”見事なひな飾り”を一部ご紹介します!

Photo_16Photo_5 ひな人形づくり

・体験教室の風景

・峡東CATVの取材をうける志村とみ先生と体験教室の生徒さん

・「百聞に一見にしかず」で、この写真では、魅力の全てを表現できません。

多くのブログは、素晴らしい展示写真を主体にブログなどで紹介されていますが、このブログでは、先に甲州市塩山桃源郷の素晴らしさ、塩山の町の印象、そして、郷土を愛する大勢のボランティアの皆さんの活動があって、活き活きしている人々の姿を、先に、つたない文で、紹介しています。読んで頂くのは、大変ですが、歴史は、このような人々の営みで育まれていくので、後々の記録にでもなればという思いで、記事を書いています。あしからず!

Photo_6

Photo_8

Photo_7

Photo_9Photo_10

Photo_13Photo_14Photo_11

Photo_12Photo_15

・上段左はモデル49ケ飾り。

・上、中段、奥の間を中心に見事な約650点の雛壇と2300点のつるし雛かざり

・中段左が享保雛

・中段中央、一番手前が”文化年間の五楽人”

・下段左が甲州独特の「ほうこうじ」祭りの人形装束

・下段中央は、売店にある甲州市大和の珍しい「うらじろまんじゅう」、「枯露柿」など郷土の味覚。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


11)酒折②山梨学院大学のキャンパスを歩いてみると・・・・・・モダンなモニュメントの美術館のようです

2011-02-15 | 山梨、観光ガイドにない見どころ!

酒折に来たら・・・、「山梨学院大学」を訪ねて見るのも楽しい!

大学は若者たちの学び舎で、観光客がぶらっと立ち寄るには、おこがましいのですが・・・、

正門のアーチ型”蒼穹の門(そうきゅうのもん)”は、現役の学生でなくても、”初心に帰って”フレッシュな気持ちで・・・、門をくぐらせてもらえば、その瞬間から青春気分を蘇らせてくれます!

”来る人は拒まず、去る人は追わず”の精神で、とても、門戸(心)のオープンな大学の正門です。

守衛さんには「ご苦労さまです!」と、会釈をすると、笑顔が返ってくると思いますよ!※日曜日は諸施設が休みなので、月~土曜日のお昼頃のプランをお薦めします。

Photo 山梨学院大学の「蒼穹の門」

・アーチ型正門は、造形家 黒瀬渉行氏作で、蒼穹とは”青空”を意味し、無限に広がる青空を仰いで、人間性を陶冶するという願いが込められているそうです。

・ここが、山梨学院大学キャンパス美術館※注)の入り口となります。

※注)筆者がキャンパスのイメージで付けた勝手な呼び名です。大学には断りもなく、バーチャルな世界の話として、ご容認下さい。それほど一見の価値があるということを言っているのですから・・・。じっくりと芸術観賞の時間を!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キャンパスの中央プラザに、”FM KOFU”のサテライトスタジオがあって、ビックリしました!先進的ですね!

・正面にある高層のスマートなレンガタイルのビルには、いきなり、”FM KOFU”のサテライトスタジオがあります。もしかしたら、ライブ放送を見られるかもしれませんよ!?このビルの広報版には、校内の広報や南アルプスなど遠望の景色が紹介がされています。

Photo_2 FM KOFU

サテライトスタジオ

・全国的にも、ラジオ放送のサテライトスタジオが大学の中にあるのは、とてもユニークです。

・今年で、開局15周年になるそうです。頑張っていますね!http://www.fm-kofu.co.jp

・”FM甲府”のスタッフの皆さんのあつい思いを伺ってみると・・・、

地域コミュニティーの再生や活性化をテーマに、”元気づくり”、”夢づくり”などの心を豊かにするサポートが主な活動目標で、地域密着型のコミュニティ放送局を目指しているそうです。

※山梨県はフルーツ農園などが多く、農家の作業中にはラジオ放送は欠かせない情報源です

・地域を愛する人々が育むイベント・行事や地場産業の新情報、ライブな観光情報などを全国に発信しています。

・番組は、バンフォーレ甲府(今年からサッカー一部リーグで活躍)の実況中継、キャンパス情報、生涯学習、子育て、カレッジスポーツなど、多彩に、地元情報を発信しています。

・サテライトスタジオのライブ放送中に伺えると・・・、楽しさ倍増ですよ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キャンパスは、文化財やモニュメントの美術館

・YGUのキャンパスは、中央の広場(プラザ)を中心に、建築やシンボルモニュメント「智慧の樹」や彫刻が配置されているので、事前に、文化財オリジナルモニュメントの詳細と配置図は、HPを開いて、コピーして持参し、自身で静かに見学するのも一般客のマナーだと思うので、よしなに・・・!

http://www.ygu.jp/monument/      または、http://www.ygu.ac.jp/campusmap/

注)もし、事前に電話で了解が得ることができると、現地に伺って、便利なポケット版CAMPUS GUIDE がもらえるかもしれまえん。注)配布は保証なし。このガイドブックには、施設や作品の位置が分かりやすくマップになっていて、大学のグランドマップには、今回お薦めのルートがマップに載っています。本当は、甲府市の観光ガイドマップで、これくらい親切な酒折マップを加えてもらえれば、酒折も、もっと人気のウォーキングコースになるのですが・・・!?注)観光施設ではないので、問い合わせは配慮してあげて下さい。

問合せ先:学校法人山梨学院大学 法人本部パブリシティーセンター TEL055-224-1640 

”智慧の樹” 注)写真と解説はYGUリンクでご覧ください。

・プラザ中央の”智慧の樹”は大作で、YGUHPモニュメント解説では、制作者は、造形家 黒瀬渉行氏。40周年記念館の前庭(プラザ)に設置されていて、「人間に内在する未知の可能性が大きく成長し、社会に向かって力強く智慧を発し、幾年もの歳月とともに粘り強く大地に根を下ろしていく様を表現したものです」と説明されています。

予め、YGYリンクで、各文化財やモニュメントの解説を読んでおくと、尚、感慨深くご覧になれますよ。ひとつひとつのモニュメントには、それぞれ忘れていた青春時代のリフレッシュな思いが蘇ってくることでしょう!

見逃して欲しくないので・・・、一点だけつたない素人写真で紹介をしておきます。

Photo_3正義の神様像(YGUHPの解説による)

・山梨学院大学では、1963年、9号館の新築と創立18周年を記念し、この正義神を大学の指導精神と理念の象徴として円鍔勝三氏に制作を依頼したもの。その後、この像と同じものが、最高裁判所ロビーにも設置されたほどの有名な「正義の女神像」です。

・もともと、アメリカ連邦最高裁判所のシンボルでもあり、各国の裁判所のシンボルにもなっている「正義の女神像」なのだそうです。

YGUキャンパスのモニュメントや芸術品には、次のようなものがあります

・銅像 古屋眞一郎学長像、古屋喜代子学長胸像など7体

・彫刻 智慧の樹、学びの芽、躍動&出航、アルテアとベガ、など21点

・絵画写真 高坐山から黎明の富士山、ランデックスのお花畑とシャモニー針峰群など著名な山岳写真家の白籏史朗氏の作品や、古屋真知子氏の日展入選作品染色絵画「夢から」など8点

他、記念碑なども多数あって、広いキャンパスに、これらの作品が点在、配置されているので、事前に作品情報と配置図を調べておけば、十分に堪能できますよ。

一般の観光用見学パンフレットやガイドはありませんので、ご注意ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

YGUキャンパスは、欧米に負けないモダンなキャンパス環境です!

・山梨学院大学は、ビル群に囲まれた都心の大学では考えられないくらい、広々としたキャンパスに明るくモダンな建築と広場と緑とモニュメントが、心地よく配置されていて、校内を歩いてみるだけでも楽しいところです!

もちろん、入館料はとられません。一般の人も利用できる学生食堂や、一休みできるラウンジなどもあるので、ついでに紹介をしておきます。駅前周辺より、よほど校内の方が、気がきいた施設があって、便利です。

Photo_4Photo_5Photo_6  

写真は、YGUHPより複写 左)学生食堂カフェテリア・プルニアンブルー、中央)学生ラウンジ”Y” 右)コンビニ

歩き疲れたら・・・、休憩によし・・・、学生食堂でのランチも、たまには・・・、お薦めです!

何よりも若い学生さんたち活き活きした笑顔を見ながらのランチも、けっこういいものですね!カジュアルはもちろん、ウォーキングスタイルでも遠慮がいらないので、酒折ウォーキングでは、YGUの学生食堂でランチプランを立てるのも意外に愉しいかもしれませんネ!?

筆者も教授に友人がいて、時々ご馳走になりますが、メニューも豊富で、気軽な雰囲気が良いですよ!

・学生食堂はエームサービス(株)の運営で、栄養面を考えながら、楽しい食事ができるよう愛情をこめて料理を提供しているそうで、山梨学院大学BLOGで、メニューやイベントメニューも紹介しています。

伺ったら、一般客も利用しても良いそうですから・・・。

おまけに・・・。こんな施設サービスまでありますよ!

Photo_7 ヤック鍼灸整骨院(古屋記念館内)

・学生が気軽に利用できるスポーツトレーナー、鍼灸マッサージ師、柔道整復師が常駐し、専門的なトレーニング指導やアスレチックリハビリテーション、肩こりや腰痛などのケアもしているそうです。山梨学院大学には、トップクラスのアスリートやスポーツ選手がたくさんいるのもうなずけますネ!

酒折をウォーキングして、歩き疲れても、ここまで来れば安心ですネ。万が一の時は、歩き疲れや筋肉痛くらいはすぐ直るでしょう!?但し、日曜日はお休みなので注意。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さらに、周辺情報はいっぱいありますが・・・!

このエリアには、お薦めグルメとして、ここから歩いて約20分の処に、評判の地産地消食材いっぱいで、人気、盛況の旬菜厨房「奈のは」がありますが、別途、ご紹介します。

菜厨房「菜のは」の案内は、http://www.seisyun.co.jp/nanoha/index.html

・酒折ウォーキングの疲労回復は、帰りに石和温泉に立ち寄ることが一番効果的です!

★日帰り温泉は、隣の石和温泉に立ち寄ると、旅館の温泉があちこち楽しめます!

石和温泉旅館組合のHP http://www.isawaonsen.or.jp/search/main05-1.html

★「石和駅前観光案内所」に立ち寄ってもらえれば、親切に案内してもらえますよ!

但し9~17時の間ですが・・・。この案内所の皆さんは、郷土を愛し、本当によく勉強しておられて、親切に案内をして頂けますよ!けっこう来客が多いので、タイミングよろしく・・・。

必要なら、電話も教えておきましょう!TEL0552-31-5500

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 


11)”酒折”・・・、昔々「甲斐九筋」はここから始まった!

2011-02-11 | 山梨、魅力の里山歩き!

酒折!? JR酒折駅は、何処にあるかご存知ですか?

Photo 今は、この山梨学院大学が目印!

・箱根駅伝などでお馴染みの「山梨学院大学」があるところが、”酒折”です。

山梨県甲府市酒折・・・

・今、山梨を代表する「山梨学院大学」が、この酒折のシンボルとなっています。

・大学校内は、後ほど、時間があれば、訪ねてみたいところです・・・!

・JR中央本線下りで、山梨県(上野原が県境)に入ると、電車は山間を走り、車窓は四季折々の景色を楽しませてくれます。

笹子トンネルを抜けると、間もなく武田家終焉の地となっている”甲斐大和駅”を経て、”勝沼ぶどう郷駅”に到着します。この勝沼ぶどう郷駅まで来ると、急に、広大で美しい甲府盆地と南アルプスの遠望が開けます。

ここが筆者の暮す”甲州”なのです。車窓には、里山いっぱいに広がる葡萄園や桃の花畑が美しい景色を楽しませてくれます。

そして石和温泉を過ぎると、左側車窓に初めての高層ビル塔屋「山梨学院大学」が見えます。山梨の中心地「甲府市の東玄関口」になります。そこが「JR酒折駅」です

参考)JR中央本線は、東京駅を起点に、新宿、八王子、上野原、大月、塩山、石和温泉、酒折、甲府、韮崎、小淵沢、下諏訪、塩尻中津川を経て名古屋まで結ばれています。

路線総延長424.6kmで、塩尻を境に、東京寄りを中央東線、名古屋寄りを中央西線とも呼んでいます。ちなみに中央線とは、都内通勤用電車区間を指して電車名として呼ばれているようです。

今の中央本線は、江戸時代より、江戸(東京)から甲州街道を経て、信州下諏訪で中山道と結ぶ尾張(名古屋)までの旧街道の筋にあって、現在もあちこちに旧街道の面影が残されているところです。

現在は、東京・新宿や八王子周辺の中央沿線からは特に便利で、”途中下車の旅が好きな人”には、最近人気の”沿線旅スポット”がたくさんあります!

中央本線の主要駅を”途中下車の旅”で、気まぐれに歩いて見ると、今までにない魅力の旅が楽しめますよ!

今回は、「JR酒折駅」に下車、”北山野道の板垣ノ里”の「酒折宮」など近くの見どころを歩いてみました。

このブログでは、北山野道の板垣の里(教育委員会推奨)コースではなく、JR酒折駅⇒酒折宮⇒奥村不老園⇒シャトー酒折⇒山梨学院大学⇒JR酒折駅への”途中下車のぶらり旅コース”を紹介します。※食事時間を含めて約3~4時間あれば十分のコースです。※山梨学院大学のキャンパスモニュメントを見学後、学生食堂でのランチをお薦めプランにしました。たまには変わったプランも良いですよ!

注)”北山野道の板垣の里”は、甲府市が、山すそ文化を訪ねる”歴史と自然豊かな里山歩き”のウォーキングコース”として紹介している名称です。

板垣の里を歩くコースは、スポット写真で紹介されていますので、甲府駅まで歩いてみて下さい。http://minowakurando.eco.coocan.jp/contents-31.html

板垣の里は、高倉川と大円川が形成した小扇状地の一帯で、酒折宮から金手(かねんて)の能成寺に至るこの里山コースは、仏教文化のメッカとも言われるくらい古寺名刹が残されています。戦国時代以後は、府中(甲府)への東玄関として重要な役割を果たしていたところ今回はこの一部、酒折宮周辺のみを紹介します。※詳しくは、甲府市の北山野道ガイドをご覧下さい。

・「酒折駅」で下車したら、まず駅前の詳細で分かりやすい近郊案内図を確かめましょう!

PhotoPhoto_3

酒折駅前

・JR酒折駅近郊案内図のスポット抜粋版です。

・酒折連歌の道も示してあります。

注)ハイキングスタイルなら、酒折宮・・・不老園・・・・連歌の道・・・・シャトー酒折へと絶景の丘越えをされると良いですね。不老園から・・・連歌の碑・・・古天神・・・月見山・・・伴部山(巴山)の連歌の道を休みながら約1時間くらい歩くとシャトー酒折まで行けます。但し、不老園より上は、危険ではありませんが、山道になりますので、ハイキングの心得で歩かれることをお薦めします。マップはクリックすると拡大して見れます。

※酒折宮、不老園を見たら、甲府北バイパスの側道を山梨市方面へ少し歩けば、シャトー酒折が左上に見えます。楽な方が良い人は、この道をお薦めです。但し、車にご注意ください。

上右写真は酒折駅南北自由通路(地下通路)の明るいコルトンサイン案内の一部です

※酒折宮、玉諸神社、山梨学院など周辺の見どころが写真で紹介されています。

薄暗いトンネル通路が多いのですが・・・、とてもモダンで明るい地下トンネルです。さすがに”山梨学院大学の街”で、良いセンスですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「酒折宮」  昔むかし・・・甲斐国の起源となった!?

Photo_4 酒折宮(さかおりみや 又は さかおりのみや)

・山梨県甲府市酒折にある由緒ある神社。

・創建は不明。

・日本武尊を祭神とする

・「古事記」「日本書記」に記載されている”日本武尊の行宮(かりみや)である酒折宮”を起源としています

注)日本武尊の酒折宮の行宮(かりみや)を起源とすれば、景行天皇40年(110年)を創建とする説もうなずけます。

日本武尊が東征の帰路、酒折の地に立ち寄って営んだ行宮に因むものとされ、行在中に塩海足尼を召して”甲斐国造”に任じて、火打ち袋を授け、「行く末はここに鎮座しよう」と宣下したことで、塩海足尼がその火打ち袋を神体とする社殿を造営して創祀したと伝えられています。(ウイキペディアによる) 

                       

Photo_5 酒折宮跡碑

・景行天皇40年(110年)10月、景行天皇は皇子日本武尊に蝦夷征伐を命じられ、陸奥国で戦わずして蝦夷を平定して、帰路、新治(茨城・真壁郡筑波)、甲斐国酒折宮、信濃国を経て、尾張国へ戻ったと云われている。

・110年、酒折行在中、日本武尊が「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と家臣らに歌いかけたところ、家臣に答えるものがおらず、身分の低い焚き火番が、「日々(かが)並(なべ)て夜には九夜(ここのよ)、日には十日を」と答歌。

・日本武尊がこの老人の機知に感歎したと伝えを載せ、「古事記」には、彼を東国造に任命したと記載されているそうです。

後年、この二人で一首の和歌を詠んだという伝説が、後世に”連歌発祥の地”とされた由縁になっているそうです。

もと山の中腹の古天神に鎮座していたものを現在地に移した伝わるが、酒折行宮の比定地には異説もあるようで、明治初年には村社に列した神社です。

・歴史学者が、時には庶民のロマンを冷やすこともある一例かもしれませんネ。

酒折宮」は、”甲斐九筋”の起点にあった!※国交省河川国道事務所HPより

・近世、甲斐国は、”九筋二領”の地域と領域の単位で区分されていて、”九筋”は甲府盆地から国中地域における区分で、栗原筋、万力筋、大石和筋、小石和筋、北山筋、逸見筋、武川筋、西郡筋を指します。二領は南部の河内領と東部の郡内領を意味したようです。

・甲斐国の人々は、急峻な地形を克服して道を拓き、九筋を街道で結ぶことで、暮らしと豊かな文化をこの山国に育んできたが、今は、その古道は役割を終えて、近代的な道路に生まれ変わって、産業や経済、観光などに大きな生活文化をもたらしています

甲斐国志(江戸時代後期編纂巻ノ一)によると、「本州九筋ヨリ他州へ達する道路九条アリ、皆路首ヲ酒折ニ起ス」と書かれていて・・・、

「甲斐国より他国へ通じている路は九筋あり、みな酒折宮を起点にしている」九条(くすじ)の道であり、甲斐九筋にあたる古道の総称です。

甲斐九筋は、①河内路(駿州往還)、②右左口筋(中道)、③若彦路、④鎌倉街道(御坂路)、⑤萩原口(青梅街道)、⑥雁坂口(秩父往還)、⑦穂坂路、⑧大門嶺口(棒道)、⑨逸見口(信州往還)で、主要な街道が他にもあったが、あえて「九筋」と呼ぶようになったのは、江戸時代の行政区分の呼び方「九筋二領」の影響が考えられています。

その他主街道に、⑩甲州街道、⑪東河内路、⑫西郡路、⑬佐久往還もあって、特に甲州街道は、近世江戸時代以後、江戸(東京)を結ぶ幹線道路として、今も主脈になっています。

何故、「酒折宮」が九筋の起点になったのかは明らかではありませんが・・・?

推測すると、武田家の隆盛の時代に、武田家累代は、本拠地を平塩庄から逸見庄へ移し、武田庄を経て、室町時代以後、武田家は、石和地域(川田館など)から甲府(躑躅ケ崎館)へ本拠を置いたことで、甲府周辺は”国中”とも言われ、国府の中心地として発展した歴史がある。その時代に必然的に中心拠点とするには、日本武尊の行宮たる「酒折宮」が”国を拓く”、”道を拓く”由緒ある拠点としてもっとも相応しい位置にあったと思われることです。

当時の甲斐国を知ると、周辺国との同盟をもって交易・交流を盛んにし、併せて領地拡大を図るための戦略的軍用道路としても、九筋を網羅している意味は大きい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

山梨には珍しい・・・!? 酒折の梅園・・・、”不老園”

梅が咲き始める2~3月が見ごろです!

梅の花色が彩る「不老園」は、富士山と御坂山塊を臨む絶景の展望地でもあります。

PhotoPhoto_2里山に不老園と咲き始めた梅の花

・酒折駅を降りて、小高い山の方を見ると不老園はすぐそこにあります。

・酒折宮のすぐ山上が「不老園」です。

・「不老園」は、明治30年、呉服商の7代目奥村正右衛門が別荘として開園したものだそうです。

・奥村翁が生涯をかけて全国から、紅梅、小梅、夫婦梅、ブンゴ梅、緋の袴、南紅梅、大盃梅、日月しだれ、紅梅しだれ、冬至梅、紅千鳥などを集め、20数種約3200本も多彩に楽しめる見事な梅園です。

昭和40年財団法人「奥村不老園」になって現在も一般の人に開放して楽しませてくれています。

Photo_5 お勧めは・・・「不老園」展望台からの眺望

・詳しくは、不老園HPをご覧下さい。

晴れた日は、こんなパノラマ風景が眺められます。

http://www.furouen.jp/contents/guidance.html

首都圏では、水戸の梅林、曽我の梅林、熱海の梅林、修善寺の梅林などや、南紀和歌山などが良く知られています。梅は春一番の花として、いずれも海に面している暖かい地方のイメージが強いですが、この山梨に、素晴らしい梅園があることは、再発見ですね!

・梅の花は、もちろん何処でも見ることはできますが、この梅園から見る景色の素晴らしさは、他に類がありません。展望台から見る富士山や南アルプスはの展望は絶景です!

一度、不老園の展望台に上って見て下さい。お勧めです!

・総面積は約5万平方㍍、花梅の他、桜、南天、つつじ、もみじ、牡丹等も四季折々に楽しめます!

・但し、梅園保全のため、入園料500円 子供200円はカンパが必要です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「シャトー酒折」・・・、こんなモダンな”シャトーワイナリー”があります!

酒折駅を降りたところで、北山の方向を見渡すと・・・、とても気になる”モダンな建物”があります。そこが、”シャトー酒折”です。

※地元でも知らない人は、「何か公共の施設・・・!?」だと言う人もいましたが・・・。

Photo_2 シャトー酒折

・シャトー酒折は、甲府市酒折の里山にあります。

・このワイナリーは、明治初期に山の斜面を開拓して作られた古い段々畑を開発して、その斜面に抱かれるようなシャトーの名に相応しいような4階建てのワイナリーを1991年6月に完成し、オープンしたそうです。(HPより)

・駅周辺から見上げると、「シャトー」の風格をもつ建築デザインですね!

Photo_3シャトー酒折正面玄関のステンドグラス絵

・「日本武尊伝説」にある焚き火を焚く老翁との連歌の情景を絵に表現したもので、とてもシャトー酒折に相応しいステンドグラスです。一見の価値があります。

このモダンなシャトーでは、特に、地元の歴史、風土や伝統を大切に育んでおられる心意気が、至るところに見られます。嬉しいですね!

・その精神は、ワインラベルや売店商品にも、活かされています!

ワイナリー&ショップ見学・・・、

Photo_4Photo_5ワインショップが広くて、お洒落!

・シャトー酒折は、

甲府盆地の北東斜面にあることから、”月の光”が特に大きく綺麗に見えるところだそうです。美しい月の光が輝くシャトーワイナリーに因んで、「月の城」がオリジナル銘柄になっているそうです。

・「月の城 甲州 辛口」 甲州種100%の辛口の白ワイン720ml は、値段も1,200円と家庭の晩酌にも手頃で、印象では、和食にとても合いそうなワインのようです。

詳しくは、http://www.sakaoriwine.com

筆者が勝手に、「シャトー酒折」の魅力ポイントを特記紹介しておきます。

①ショップのお嬢さんが、とても適切な案内と、さわやかな接遇で、とても好印象でした。

②ワイン工場の製造設備は、創業20年の新しさだけではなく、選りすぐった最新設備で、とても清潔感のある工場です。案内がなくても見学できる、とても気分の良い見学コースでした。工場の写真は省略します。詳しくはHPで紹介されています。

Photo_6Photo_7Photo_8                        

③モダンな経営センスのワイナリーだが、・・・よく見ると、伝統も大切にしておられます。

・特に、なんと50年も熟成を経た「昭和37年仕込み梅酒」が目を引きます。不老園との縁かと思えば、東京青梅の大川はなさんが漢方を取り入れた薬用酒を製造したのが始まりで、その事業と精神を引き継いだのが、現在の”こだわりの梅酒”だそうです。今でも青梅の梅にこだわって仕込みを行っているそうです。他にも、奥村不老園で栽培の梅を仕込んだ「甲州最小梅酒」「長期熟成梅酒」など、”こだわりの梅酒造り”にも取り組んでおられます。

・また、オリジナル焼きお菓子「ワイン紅梅」は、筆者のお勧めです!※勝手に宣伝していますが・・・、8枚入り650円で、お土産にも手軽です。

※山梨の名菓「紅梅焼き」に、シャトー勝沼のワインを砂糖と絡めてコーティングした「ワイン紅梅」は、とても味わいがある洋菓子風焼き和菓子と言っておきましょう。年配者にも好まれそうです。

・2月~3月は桃の節句にちなんで、従業員のお嬢さん達が、手作りでひな人形の可愛いワイン包装祇を折って、包んでくれます!とても嬉しい心のこもったもてなしですね!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・                                                    

11)続編②で、酒折ウォークの後、山梨学院大学の学生食堂でのランチをお薦めしていますが、キャンパス美術館とも言えるほど、夢のあるモニュメントや彫刻などが多彩に配置されていて、”山梨学院大学の楽しいキャンパス観光”のことをもう少々紹介したいと思っています。

帰路の立ち寄り湯は、石和温泉がお薦めです!

石和温泉では、温泉旅館がどこでも日帰り入浴をさせてくれます。

石和温泉旅館組合のHPは、http://www.isawaonsen.or.jp/search/main05-1.html

お薦めグルメは、酒折から歩いて20分ほどで、旬菜厨房「奈のは」がありますが、詳しくは、また、カテゴリー「山梨の魅力グルメ」で後日ご紹介します。お急ぎの方は・・・、

旬菜厨房「奈のは」のHP、http://www.seisyun.co.jp/nanoha/index.html をご覧ください。

後日、「山梨の葡萄」のカテゴリーで詳しく紹介する予定ですが、「甲斐路」などを開発した葡萄づくりのプロ「植原葡萄研究所」もこの酒折エリアにあります!

植原葡萄研究所のHP http://www.uehara-grape.jp/top.html

※観光農園ではありませんが、食べたことがない新品種のお求めは、ここがお薦めです!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・