新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

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安田義定ゆかりの牧ノ荘を辿る!⑨小田野城の馬場に義定供養の「正法山法眼寺」があった!19-05

2019-05-01 | 山梨、往古の歴史と伝説!

安田義定ゆかりの牧ノ荘を辿ると、ここにも歴史ロマンが

あった! 今号は、記念すべき「令和元年」の5月号だが・・・、

小田野山城の「馬場」にあった「正法山法眼寺」を紹介します。


小田野山城は「馬場」から臨むと如何にも山城に相応しい山容だ!

※牧丘・西保の「馬場」。現在も安田義定ゆかりの「馬場」の地名が残る。

安田義定は元服して牧ノ荘を領有した時、先に”牧”に「馬場」を構築し、

高いレベルの駿馬を訓練して・・・、献上馬を養育したと見ている。

そして、小田野山城を築城した時、”牧”育成の軍馬の乗馬訓練場として

更に進化させ、小田野城と西御所を守護する集落として強化されたと見る。 


小田野から見た「馬場」の里は、安田義定が集落を構築した古郷!

写真中央ラインの鼓川に沿って樹林で囲まれている台地が「馬場」である。

写真中央ライン上右側に見える緑濃い竹藪の辺りに「法眼寺」があった!

現在は、山梨県道(窪平~塩平線)の常盤橋で交差し、甲州市勝沼から

山梨市、笛吹市の甲府盆地東~北斜面の果樹地帯を結ぶ広域農道が開通、

通称フルーツライン山梨は道幅も広く信号も少ないので快適なドライブ道。

甲州勝沼から山梨フルーツパークへの果樹観光ルートとして人気である。

但し、広域農道でもあるので心してドライブを楽しんでほしいもの・・・。



「馬場」=(ばんば)とは・・・、

地名「馬場」の由来は、安田義定が小田野山城を築城して西御所

を中心に牧ノ荘のインフラを形成する集落に、「馬場」は上記

写真の通り、まさに小田野山城の正面に位置した要にあった。

 ※「馬場」は、もともとは古代日本で兵の騎射会の会場を意味

していた。

注)中世~近世でも城下町には必ずと言って良いくらい武家地

には「馬場」があり、城下に存在する武士が乗馬訓練を行って

いたことなど、武家社会のインフラの先端を伝えるものではない

と推論は膨らむ。

安田義定は、牧ノ荘の”牧”を基調にしたインフラ整備(国造り)

を解析してみると要害小田野山城と城下の西御所を中心に・・・、

戦略的にインフラの配置をしていることが考察できる。

そのインフラ構築の重要な戦略には、神社、仏教信仰に造詣の深

安田義定は、小田野山城築城にあたり、守護寺として東城戸・

小田野「妙高山普門寺」、西城戸・在華に「旧蹟西源寺」を

創建し、鬼門の備えとして現在の倉科の位置に「往観山無量院」

を開基している。且つ、周辺の集落造りに神社が勧請されている。


小田野山城が最も急峻に映える「馬場」に「正法山法眼寺」

があった!甲斐国志によると、この寺は安田氏の臣下が安田義定

死後供養のために興したものと伝わり、開基は空性院覚浄円居士。

 近世、西保の「長松山西源寺」の末寺となり「西源寺の隠居寺」

 も称した。


  現在の法眼寺跡。西源寺兼帯で小さなお堂を建て縁の仏等が祀られる!

 


法眼寺跡境内には、往時を偲ぶ石仏が残る!


「シリーズ⑥長松山西源寺の在華にあった旧蹟西源寺は安田義定

西城戸の守護寺として創建した」とブログ2月号で紹介しています。

バックナンバーでご覧下さい。

「新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見」 https://blog.goo.ne.jp/yssoho/

春の美しい桜咲く境内の様子を追記掲載します!

西源寺の春は美しい!参道から見上げる山門は荘厳の世界へ導く!


荘厳の本堂は・・・、先祖への念仏と祈りが聞こえる。


鐘楼堂を兼ねる山門からは、今でも心の鐘の音を里人に届けている!