新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

甲斐国最古の甲府御岳「金桜神社」に金の成る木「鬱金の桜」が咲く!17-05

2017-05-03 | 山梨、往古の歴史と伝説!

金峰山々頂の本宮「蔵王権現」は古代甲斐国最古の神社と伝わる!

甲府御嶽の里宮「御嶽山・金桜神社」に、御神木「鬱金の桜」が咲いた!

金桜神社の大輪の鬱金の桜は「金の成る木の金桜」として崇められる


金桜神社に咲く満開の御神木「鬱金の桜」 ※2017年5月5日YS撮影


今号は「金の成る木の金桜」として崇められる満開の「鬱金の桜」、

古代甲斐国の歴史を辿る御嶽山金桜神社と新緑の美しい昇仙峡を訪ねる!


金桜神社の境内に咲く「鬱金の桜」と「八重桜」。見頃はゴールデンウイーク頃!


 「金桜神社」の由緒・・・

社伝によると創祠2000年と云う古い歴史をもつ当社が約1500年前、

雄略天皇10年(466年)、神勅により金峰山本宮よりこの御嶽の里に

遷祠されてより、神仏習合時代に入り役行者小角が「金を以て神と為し、

桜を以て霊と為す」と唱え「金桜神社」社名の起源となったと伝わる。 

金桜神社の御神木「鬱金の桜」は「金の成る木の金桜」として崇めれている。

詳しくは、御嶽山金桜神社HPで・・・http://kanazakura-shrin.webnode.jp/


荘厳な金桜神社の赤い大鳥居!        参道は266段の石段を登る!

拝殿 ※拝殿の奥に本殿(神殿)       拝殿奥の本殿(神殿)


甲斐国社記・寺記によると・・・、注)以下は筆者のつたない読み下し文

「金桜神社」は御嶽山「甲斐国総社金桜神社蔵王大権現」は式内社にて、

「国鎮社」とも称し、国の北境金峰山(往古は金丸山と云う、甲州中に金丸氏在は

この山を採り三石の紋を用い、下の御像石を取る)の山頂に高さ25間橫18間

(約32×45m)の巨石あり像形は亀の如く奇石にして、神代の往古少彦名命が

鎮座され御像石(現在は五丈石(岩)と云う)と唱えられる。


この金峰山頂上の御像石(五丈岩)のところに本宮(奥宮)が祀られている。


五丈岩を仰ぐ金峰山頂上(標高2595m)五丈岩に祀られる奥宮・本宮 

右写真に写る筆者の頭後に赤い鳥居、五丈岩の右側岩中部に石祠が祀られる。

注)この写真は本宮(奥宮)の調査写真ではなく、筆者が便利な大弛峠から登頂した時の記念写真を応用。


第12代景行天皇10年(西暦110年)日本武尊東征の帰路、相模国より信濃国

へ辿る道にこの金峰山へ登攀され・・・、御像石の下に社殿を建立され・・・、

時の国造塩海宿弥へ素鳴尊大巳貴命を合わせ祀るように命じられ・・・、

之が当社本宮の草創となると伝わる。

第21代の雄略天皇10年(西暦466年)、神勅により御岳山(現甲府御嶽=

=往古は神岳)へ社殿が建立され、本宮三注神を遷座して祀り「里宮」と号した。

之が今の御岳山本社である。

中宮は、日本武尊・・・(中略)・・・を奉斎祀「御嶽山地主神」と称する。

・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第29代の欽明天皇元年(540年)再建、・・・現在まで永々と営まれている!

社記・寺記本文はさらに深く濃く・・・続くが、本ブログでは以下省略します。


まさにゴールデンウイークに相応しい「鬱金の桜」は拝殿の左奥に咲いている!

金桜神社の由緒ある御神木「鬱金の桜」は拝殿に向かって左側へ回ったところ!


「鬱金(うこん)の桜」は・・・ ※境内鬱金の桜の解説版による

「御神木鬱金の桜・・・創祀二千年と云う古い歴史をもつ当神社が里宮として、

約千五百年前に此の御岳の里に祀られてより神仏習合時代に入り役行者小角の

「以金為神、以桜為霊」と云う託宣より「金の成る木の金桜」として崇められた

と云う。景行天皇の御代、日本武尊が植えられた桜をも謂(云)う。

注)景行天皇は第12代、景行天皇40年は西暦110年、日本武尊伝説はこの頃だが後世に創作された伝説と云う。

YS記「雄略天皇の命で甲斐国覇権・統治に派遣された物部氏と日下部氏一族の研究」では雄略天皇の御代を論議中。

「うこん」とは、上古の昔より皇(みかど)のお召しものの色とされ、この染料

となる植物よりこの名がつけられたものと考えられる。・・・中略・・・境内の

この神木は6~7代目とも云われ、4月下旬~5月上旬にかけて、淡い黄金味を

びた大輪の花をつける。

この季節、この桜を拝み水晶の守りをうけると一生涯金運に恵まれ厄難解除の

ご神徳をもうけられるものと全国各地からの参拝者で賑わっております。

※金桜神社 宮司窪坂豊臣氏記


今号では、「鬱金の桜」を観るためゴールデンウイークに参拝したことも重なるが、

金桜神社には大勢の参拝者と観光客が訪れていた。注)人を避けて写真を撮るのに少々の苦労・・・。

特に昇仙峡、荒川ダムが近いので、美しい新緑の渓谷歩きなどの観光目的が多いが・・・、

近年、家族連ればかりではなく若いカップルの参詣者が増えているのにはビックリ!

かつて、秋の紅葉の昇仙峡へ行った時も、正月の初詣でも大勢の参拝者が訪れていたことを思い出すが。YS記 


御神木「鬱金の桜」を仰ぎ見ると天高く伸びているが、添え木も痛々しい。

写真右:境内のヤマ桜もひっそりと美しい!

筆者は、八重桜や鬱金の桜は東京時代にも高尾の多摩森林科学園や神代植物園で

観たことはあるが、この金桜神社の鬱金の桜ほど”貫録”の桜樹を観たことはない。

御利益がありそうだ!久し振りにある感動を覚えた!流石、由緒あるご神木だ!


 境内の富士山遥拝所から望む富士山は、往時の山岳信仰を想像させる!


金桜神社境内の富士山遥拝所から望む富士山はこのように美しく気高い!


「夫婦木神社」は夫婦和合の神様!※金桜神社の直ぐ前に参詣客が賑あう!

 金桜神社前に「夫婦木神社」赤い鳥居が参道  夫婦木神社石段


 夫婦木神社:御祭神はイザナギ、イザナミ大神。 

夫婦木の由来:樹種栃(とち)は樹齢1000年以上、古来和合繁栄、特に縁結び、

子授けに霊験あらたかな神として信仰され、多くの伝説をもつ。

世界の奇木、霊木と云われる夫婦木は、甲府市北山の下黒平(しもくろべら)に

あり、周囲10m余、外形の入口は女性の象徴を示し、内部は空洞にて上部から

長さ5m、周囲2mに近い男性の象徴が目を見張るばかりに垂れ下がっている。

男女が参詣して祈れば必ず結ばれ、子宝の欲しい夫婦が揃って祈願すれば必ず授かる。

霊験あらたかな結びの御霊木です。注)写真省略 参道の写真も人を避けている。

武田信玄公以来、今日まで、和合、生産、繁栄、結びの神として崇められている。

なるほど、こんな山奥の神社に、子宝に恵まれた若夫婦がお礼詣でをしたり、若い

カップルが多かったのは頷ける。※神社夫婦木の由来に筆者記加筆 


山梨の観光は、富士五湖、清里もイイが新緑・紅葉は「昇仙峡」が人気!

久し振りに「昇仙峡」を歩いて観た・・・!

 昇仙峡仙娥滝は人気パワースポット    昇仙峡のシンボル「覚円峰」 

写真左:「仙娥滝」は、富士川水系の荒川上流にあり、地元では御岳川とも云う。

この滝は、地殻変動による断層によって出来た滝で落差は約30mある。

写真右:「覚円峰」は日本一の渓谷美・・・!

昇仙峡の主峰「覚円峰」は、その昔、沢庵禅師の弟子僧侶覚円が、畳が数畳敷ける

広さの頂上で修行したことが、その名の由来です。

「覚円峰」は花崗岩が風化水食をうけてできたもので、急峻で直立約180m。

国の特別名勝にも指定されている御岳昇仙峡は、紅葉の名所として有名だが、春の

新緑も気候的にベター、奥へ足を伸ばして金桜神社の鬱金の桜を愛でるのも良い!


 新緑の美しい昇仙峡「御岳川散策路」  人気ハイクコース「五百羅漢」へ


「昇仙峡」・・・

江戸後期、天明2年(1782年)荒川上流の猪狩村(甲府市猪狩町)の名主

長田森右衛門が下帯那村へ新道開発を立案したが実現しないまま終わった。

その後、天保4年(1833年)同じ猪狩村の百姓代である長田園右衛門と

甥勇右衛門が再び御岳新道の開発を立案、甲府勤番士や甲府城下の商人から

寄付金を募り、工費は園右衛門が立替え、無尽で賄われたと云う。※ウイキペディア

その甲斐あってこの昇仙峡は開かれたが、長田園右衛門自信は私財を投げ打って

完成したと云われるが御岳新道は天保14年(1843年)に完成したと云われ

約10年の歳月を要したことになる。

その御岳新道が後に昇仙峡の散策遊歩道になっているので、長田園右衛門の往時

の労苦を偲びながら渓谷歩きをするとより感慨深いものがある。

筆者も何回か訪れているが、昇仙峡散策路は観光用に開かれたものだと思っていた。

何故なら、嘗て、勝沼ぶどうの起源と発展の歴史をブログ取材した時、東京の問屋

を招待してぶどう園を観てもらった後、昇仙峡へ接待案内することが定番コースで

あったこともあり、その時代に手前の甲府湯村温泉で宿泊でもてなした話もあった。

明治末期、東京・新宿から甲府まで中央線が開通した時代より多いに繁栄したらしい。

しかし、今回具に学んで見ると、昇仙峡も御岳の奥地に住む人達の生活交通路として

開かれたものだと知ると、昇仙峡の石門などもただ驚いてばかりではおられない。

以前、大分の「青の洞門」で聞いた地元の人々の願いと労苦を思い出すばかりである。


昇仙峡散策は・・・、慣れてくると、散策は朝早く渓谷を歩くのが良い!

甲府駅前より山梨交通バス便がお薦めです!

そして昇仙峡滝上下車(900円)、渓谷を歩いて下ると約1時間10分、

天神森のバス停がある長瀞橋へ下れます。軽いウオーキングに適した距離。 


 その場合、昼のグルメは・・・、

天神森の老舗御岳そばの本格派「菅原屋」がお勧めです!

「菅原屋」は、施設・料理(手打ちそば)・サービスも一番安心です。

そば打ち道場もやっています。詳しくは、HPで事前確認して下さい。

注)現在、恐らく旧店舗地は建て替え中か!?

  そば打ち道場の建物で営業中のようです。

筆者は、久し振りに菅原屋のご主人と奥さまにお目にかかって、そばを馳走になってから

バスで甲府駅へ帰ろうと思いましたが、5月5日は午後2時半頃には終了していたので遠慮。

声をかけずに帰りましたが、また近いうちに、美味しいそばを食べに伺えると良いが・・・。

 筆者お薦めの手打ちそば処「菅原屋」     「旧菅原屋」は工事中!? 

 詳しくは昇仙峡菅原屋HP        http://www.terra.dti.ne.jp/~sugahara/

昇仙峡菅原屋-you Tube   https://youtube.com/watch?v=ttsHDE_uv8s


 流石、ゴールデンウイークはバス便も往復超満員、往路約50分復路約40分。

でも前述の通り、昇仙峡はバス便がベターです。何故なら、せっかく昇仙峡を訪ねる

なら、昇仙峡滝上から渓谷を約1時間10分歩いて下る散策路が5月は新緑が美しい!

昇仙峡滝上には、昇仙峡ロープウエイがあり、弥三郎岳に登って大展望をしたり、

影絵の森美術館を楽しんだり、売店やカフェー、そば・ほうとう等の食堂などが並び、

流石に観光客で賑わっている。しかし、滝上辺りだけで帰るのは・・・もったいない!

現代はどこでもマイカーの観光客が多いので、昇仙峡滝上で駐車した後、昇仙峡ロープ

ウエイで往復、売店やせいぜい仙娥滝を観て折り返す人が多く・・・仕方ないのか!?

昇仙峡散策路(約4.2km歩行時間標準1時間5分)を歩く人が少ないのは何故!?

但し、筆者のように欲張って昇仙峡滝上から金桜神社を参拝し、その後昇仙峡を散策

しようなどグルメ計画も含めて散策するには、結構歩くことを覚悟して計画を立てる

必要がある。そのためには、日頃より運動して身体を鍛えておくことも大事だと思える。

注)今回の散策は、いつも登る弥三郎岳の大展望堪能とロープウエイ往復時間は足りなかったので、次回の楽しみに!

また、山梨に移住して以来、散策する時は何時・何処でも昼食できるように「おにぎり」持参が便利だと思っている。

滝上~金桜神社間は2.5km徒歩では約35分かかるが、マイカーでは5分で行ける。

最近は昇仙峡渓谷オムニバスも運行されているので、時間を合わせれば円滑に歩ける。

注)復路はオムニバスで金桜神社前~滝上まで@300円、僅か3分だった。

今度、昇仙峡散策へ行くときは、散策を楽々にするために計画の作り方を工夫したい。

いずれにしても、筆者は、せっかく昇仙峡へ行かれるなら、やはり渓谷沿いの散策路

を歩くことをお薦めしたい。そして五百羅漢コース等大自然の奥深さを体験すると良い。

どうやら、筆者はアウトドア派なので、楽しみ方が、手前勝手になってきたようです。

しかし、今回もし歩かなかったら、江戸時代後期に長田園右衛門たちの苦労によって

開かれた御岳新道が現在楽しませてもらっている昇仙峡の散策路になっているとは・・・

数回昇仙峡へ行ったことがあっても、知らないままであったかも知れない・・・と。


平日は長瀞橋馬車発着点を起点にグリーンライン昇仙峡バス停下まで、

上り一方通行、土日祭日は車両通行止めになるので、マイカーの他・JR甲府駅より

バス・歩行行程を組み合わせて金桜神社と昇仙峡散策の悠々プランを立てるのもお薦め!


 

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日蓮上人の身延山久遠寺、樹齢400年のシダレ桜が咲く!17-04

2017-04-01 | 山梨、里山の美しい四季!

日蓮上人が開山した甲斐の身延山久遠寺に見事に咲く大シダレ桜!

鎌倉時代、文永11年(1274)、日蓮上人が甲斐国波木井(はきい)のの地頭(領主)

南部実長(さねなが)の招聘により開いた身延山久遠寺・・・。

大伽藍の象徴として、祖師堂の前に、春には樹齢400年超のしだれ桜が満開を迎える!

注)筆者が以前に撮影した満開の素人写真ですが、今年の開花状況は行かれる方は情報を再確認して下さい。

4月上旬、身延山久遠寺祖師堂前に樹齢400年を越えるシダレ桜が満開を迎える!

身延山頂を見上げる塔頭・宿坊には、爛漫の桜が乱れる!

身延山「塔頭・宿坊が軒を連ねる」西谷の里にはヤマ桜も咲く!


甲斐(山梨県)には、往古の歴史とともに咲き乱れる桜の花がある!

今号(4月号)は「甲斐・身延山久遠寺の桜風景」を紹介します!


山梨県内の桜の名所としては、筆者のお薦めは何カ所かあるが、今号では未だ

紹介していない「身延山久遠寺のシダレ桜」と春爛漫の大伽藍周辺を紹介します。

注)文中の久遠寺に関する解説は、ウイキペディア、久遠寺HPなどを参照抜粋している。


日蓮上人開山の「身延山久遠寺」は花見だけではもったいない! 

身延山西谷の桜風景は、荘厳の世界に包まれた宿坊を見守る!


 「身延山久遠寺」は、日蓮上人が開山した「日蓮宗総本山」

文永11年(1274)、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭南部六郎実長

(波木井実長(じつなが)が佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招聘。

日蓮は西谷の地に草庵を構え、法華経の読誦(どくしょう)広宣流布及び弟子

信徒の教化育成、更には日本に迫る蒙古軍の退散、国土安堵を祈念したと云う。

弘安4年(1281)日蓮により十間四面の大坊が整備され、創建年とされる。

日蓮によって名付けられた「身延山妙法華院久遠寺」を正式名としている。


身延山久遠寺の総門から荘厳の地へ三門を潜る瞬間に荘厳の境地へ入る


身延山久遠寺の三門と本堂を一文字に結ぶ287段の石段は、キツいが登る人も多い!


 

※三門は「空、夢相、無願」の三解脱を表す。

石段を登り切ると覚りの喜びが生ずると云われ、一度はチャレンジしたい!

結構、一段、一段は高いので、高齢者には手すりの利用をお薦め!


二十六世日暹(にっせん)上人が、寛永八年(1632)に、佐渡の仁蔵の

発願によって完成したもので高さ104m。

身延山久遠寺の三門と本堂を一文字に結ぶ287段の石段は、南無妙法蓮華経に

準えて7区画に分かれています。その中で、菩提梯は、覚りに至る梯(きざはし)

のことで、この石段を登り切れば涅槃の本堂に至ることができることから、覚り

の喜びが生ずることを意味すると云う。※現地解説版より


身延山五重塔(平成25年5月落慶)祖師堂前のシダレ桜は樹齢400年超


身延山久遠寺へは三門を潜り右へ進み写真左の甘露門から入ると仏殿の前


 ヒッソリと咲くヤマ桜も美しい!桜の花も色とりどりで自然に融和している!


 西谷のヤマ桜や宿坊は自然界に溶け込んだ爛漫の桜群がある!見事だ!

 


西谷の宿坊の里は、爛漫の桜と同時に花桃の競演が見られる!


西谷は「草庵跡、御廟所」の静寂が保たれる荘厳の地!

 

日蓮上人が身延へ招聘された時の草庵跡(左)とその奥に御廟所(右)がある!


西谷の里と呼びたい荘厳の地は久遠寺を訪ねる人も意外に見過ごしている!


身延山久遠寺へ行くなら奥之院思親閣と頂上の展望を楽しみたい!  

身延山(標高1153m)山頂には奥之院思親閣があり眺望は素晴らしい!


 奥の院思親閣、現在はロープウエイで片道7分で登れる!

そうすれば、頂上駅の展望台で上の写真のように富士山と富士川の眺望が広がる。

もちろん、往古の日蓮は、西谷の草庵から高座石、洗足652m願萬稲荷を登り、

千本杉、感井坊を経て標高962m、1051mの尾根筋を経て奥の院へ登った

と云う。筆者は歩いて登ったことがないので・・・、一度はチャレンジしたい。


 身延山山頂から望む大パノラマは一寸した登山気分の大展望! ?


身延山山頂の標高1,153mの向こうに見える山は、手前が日本一人口が

少ない早川町の集落と富士見山(1640m)。その向こうに冠雪が見えるのが、

白根三山(農鳥岳3026m、間ノ岳3189m、北岳3193m)。

展望は静岡側から笊ケ岳(2629m)、荒川三山(中岳3083m、悪沢岳

3141m、千枚岳2879m)、塩見岳3047m、白根三山、鳳凰三山

(地蔵ケ岳2764m、観音岳2840m、薬師ケ岳2780m)、赤岳2899m、茅ケ岳

1704mなど、南アルプスや八ケ岳が覗き、パノラマ大展望が望める。

身延山久遠寺が桜が咲く頃には冠雪がまぶしく、眺望は一年中で最も美しい!

山々の案内版は頂上に鳥瞰図が掲示してあり、一般の人でも分かりやすい。

まさに、楽々に高山へ登ったパノラマ眺望が楽しめる!


日蓮聖人追考之遺蹟と云われる奥之院思親閣の仁王門


 

奥之院思親閣には大考殿、開基堂、育恩殿などが構えられ・・・、

仁王門を入ると常護堂、鐘楼、祖師堂などがあり、歴史観を楽しめる。


奥之院思親閣は、久遠寺裏山身延山山頂にあり、往古、日蓮は望郷の念おさえ

がたく、折に触れては身延山の頂上へ登り、故郷房州(千葉)安房勝浦の両親

を思い回向した場所で古来は東孝閣とも呼ばれ現在では親を思うお堂思親閣

と呼ばれている。


日蓮没後、加賀前田利家側室寿福院の外護により、堂宇が建立された。

育恩の祖師とも呼ばれる日蓮上人像、六老僧像 、参十番神、常護稲荷大菩薩、

草分稲荷大菩薩、子安八幡大菩薩を祀っている。


三門の前に身延山観光案内処※新宿直行高速バスも運行されて便利! 


 

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梅の花が咲く!酒折、不老園と甲斐善光寺を歩く!17-03

2017-03-01 | 山梨、魅力の里山歩き!

梅の花が咲く・・・!北山野道、不老園と甲斐善光寺の散策!

甲斐路の春は、2月、酒折「不老園」から、梅の花が咲き、春を告げる・・・!

甲斐(山梨県)の北山野道は、JR中央本線の沿線「酒折」下車徒歩9分。

そこに「不老園」がある。そこにも北山野道の魅力がある・・・!

今号は、その魅力の北山野道に梅の花が咲いたので、梅の名所「不老園」

と甲斐善光寺、そして「かいてらす」を紹介します。


不老園を尋ねたら、その足で「甲斐善光寺」を訪ねる・・・!

甲斐善光寺の境内にも梅の花がヒッソリと咲いていた! 

威風堂々の甲斐善光寺・金堂の東側に咲く梅の花!


梅の名所「不老園」は、2月下旬、梅の花が満開を迎えていた!

不老園の満開の梅の花 靑空に映える梅の花・・・!


 不老園の梅」は、一番早い黄色の蝋梅から始まり約20数種が咲き乱れる!


梅の花もこんなに多彩に咲くと、鮮やかな花見の気分・・・、春を迎える!

見頃は、2月~3月下旬・・・開園は9:00~17:00。注)雨天閉園


 「不老園」は、明治30年、甲府市内に住む呉服商の七代目奥村正右衛門が

別荘として開園したもので、北海道を除く全国を行脚して、特に北九州から紅梅、

小梅、夫婦梅、ブンゴ梅などを持ち帰っては、この園に植え付けたと云う。

山を切り崩し、谷を活かし、池を造り、その周辺に梅と桜、牡丹、南天、赤松、

ツツジなどを彩植して、庭造りの専念することおよそ30数年。

晩年は自然を友として送り、大正13年に86才で生涯を閉じた。

その後、園は、5人の子息によって受け継がれたが、恒久的な維持を図るために、

昭和40年に財団法人「奥村不老園」となった。※公式パンフレット不老園のおいたちより。 


詳しくは・・・、一般財団法人「奥村不老園」   http://www.furouen.jp/


甲斐「定額山浄智院善光寺」は・・・、

あの武田信玄が、川中島合戦に備えて信濃より甲斐に遷した歴史的遺産! 

 武田信玄が開基した「甲斐善光寺」は、今も往時の豪壮な七堂伽藍の様相を伝える!


甲斐善光寺 「定額山浄智院善光寺」 

JR酒折駅から徒歩15分。※梅の名所「不老園」より徒歩で約7分。

開基武田信玄が川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)

ご本尊善光寺如来像をはじめ、諸物寺宝類を奉遷したことに始まります。

板垣の郷は、善光寺建立の大檀那本田善光公埋葬の地と伝えられ、善光寺如来因縁

の故地に開山大本願鏡空上人以下、一山ことごとくお迎えいたしました。

その後、武田氏滅亡により、ご本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々といたしましたが、

慶長3年(1598)信濃に帰座なさいました。

甲府では、新たに前立仏をご本尊と定め、現在に至っております。

江戸時代には、本坊3院15庵を有する大寺院として浄土宗甲州触頭(ふれかしら)

を勤め、徳川家位牌所にもなっておりました。

詳しくは、公式HP 甲斐善光寺 http://www.kai-zenkoji.or.jp/


 豪壮な七堂伽藍は、一度焼失いたしましたが、再建され、東日本最大級の伽藍として

広く知られております。

重要文化財5件、県指定文化財4件、市指定文化材8件をはじめとする文化材の宝庫

として著名で、その一部は宝物館で公開されている。※甲斐善光寺公式パンフより


 甲斐善光寺金堂:寛政八年(1796年)再建。右写真奥宝物館。

 


甲斐善光寺は、山梨県甲府市善光寺にある浄土宗の寺院。山号は定額山。

正式名称は、定額山浄智院善光寺と称する。長野県長野市にある善光寺と区分

するため甲斐善光寺と呼ばれることが多く、甲州善光寺、甲府善光寺とも呼ぶ。

甲斐百八霊場の1番にある。

注)善光寺は、信州善光寺、甲斐善光寺、関善光寺、元善光寺、善光寺東海別院、

  岐阜善光寺の六名刹がある。七年に一度のご開帳は、平成21年春に行われ、

  筆者は訪れているが、六善光寺が同時ご開帳をする習わしは有名!

・文化財は、本堂、山門、銅像阿弥陀三尊像他(重要文化財)、

・絹本著色浄土曼荼羅図(県指定文化財)など見どころあり。

詳しくは、ウイキペディア(Wikipedia)フリー百科事典「甲斐善光寺」を検索!

おすすめの「Wikipedia・甲斐善光寺」は、以下のカテゴリーで解説されています。

①立地と地理的・歴史的景観

②甲斐善光寺の創建と展開 第三次川中島の戦いと信濃善光寺

③甲斐善光寺の創建

 上杉景虎は第3次川中島の戦い終結後、信濃善光寺・大御堂本尊の善光寺如来や

 寺宝を越後へ持ち帰り、永禄初年頃には直江津(新潟県上越市)に如来堂を建設。

 これにより、直江津は信濃から居住者が移転し、町場として発展している。

 尚、本尊像は旭山城へ籠城した栗田氏により非難されていたとも考えられている。

 これに対し、武田信玄は弘治3年2月15日、信濃善光寺本尊の阿弥陀如来像や

 寺宝を甲斐国甲府へ移転させ、善光寺別当栗田氏らも甲府へ転居した。

 武田信玄(晴信)は信濃善光寺本尊を善光寺如来を信濃佐久郡弥津に遷すと、

 三年後の永禄元年に甲斐へ持ち帰っている。「塩山向嶽庵小年代記」永禄元年

 (1558年)条によれば、永禄元年(1558年)9月15日に善光寺如来は

 甲斐に到着し、甲斐領民は狂喜したと云う。「王代記」では、同年9月25日に

 到着したとし、同年10月3日から板垣郷で普請が開始されたことを記している。

 永禄元年の甲斐善光寺創建には、信濃善光寺の三七世住職・鏡空上人が本願主と

 なっている。同年には栗田永寿も甲斐板垣郷に移住し、大下条(甲斐市大下条)に

 在国領を与えられ永禄8年までに死去している。その後も元亀元年に至るまで、

 造営は続いたと云う。・・・このように具体的に解説が記されている。

④近世の甲斐善光寺

 天正10年(1582)3月には織田・徳川連合軍による甲斐・武田征伐が

 行われ、武田勝頼は滅亡する。・・・

「甲陽軍艦」等によれば、甲斐善光寺では勝頼従兄弟の葛山信貞、郡内領主・

 小山田信茂(織田・徳川連合軍の甲斐征伐により追い詰められた武田勝頼一族は

 郡内・大月の岩殿城(城主小山田信茂)へ避難を目指していたが、甲斐大和にて、

 小山田信茂の裏切りを知り、甲斐大和の田野に逃避をして自刃している。

 注)甲斐大和田野には、後に徳川家康が武田勝頼の菩提を手厚く葬り、「景徳院」を建立されている。

 武田氏滅亡後、その小山田信茂は、信長の嫡男織田信忠により、甲斐善光寺にて

 処刑されている。注)小山田信茂の墓は、甲斐善光寺には供養されず、往時の

 寺領地ではあるが、現在、甲斐善光寺北側のバイパスを越え、道なりに奥くまった

 葡萄畑の中にあり、民家の敷地内にあるため、事前に詳しく調べて行かないと

 見つけることはできない。注)インターネット検索では、写真も掲載している人

 もいるので、筆者は省略します。

 小山田信茂は、郡内地方では名領主であるが、甲斐では武田氏の伝承評価が主流

 であるので、特に裏切り者扱いと云うことであろうか。歴史のわびしさを感じる。

 注)小山田信茂の詰城「岩殿城址」を取材したブログバックナンバー

 「33)山梨・大月、桜満開の岩殿城址と名勝猿橋のドラマ探訪!」

  http://blog.goo.ne.jp/yssoho/e/727c0be5566c2c4a770e37bf5ab7b3f2


⑤善光寺町の形成 

⑥伽藍

⑦文化財 重要文化財 山梨県指定有形文化財 甲府市指定文化財

⑧燈籠仏

⑨美術における甲斐善光寺

⑩交通アクセス など知りたいことが、より詳しく解説されている。

事前に、この程度の予備知識を持って甲斐善光寺を訪ねると楽しみは尽きない。

更に、事前のお尋ねは、TEL055-233-7570 

E-mail: staff@kai-zenkoji.or.jp


  甲斐善光寺の境内は広く、荘厳! 善光寺木造阿弥陀三尊像(重要文化財)  

 


阿弥陀三尊像:保存庫左右(木造阿弥陀如来及び両脇侍像)

重要文化財=明治39年9月6日指定。保存庫内左右に対置された二組六体。

いずれもうち刳のある檜材寄せ木造りの漆箔像で、藤原中・末期の造顕と推定。

平安時代の半𠀋六阿弥陀三尊像二組が重要文化財に指定されているが、そのうち

一組は宝物館で公開している。木造は典型的な藤原仏の構造を有し、定期様式

の秀作として著名なものです。※甲斐善光寺公式ガイドより。


 善光寺銅鐘 (山梨県有形文化財)工芸)

本銅鐘は、正和2年(1313)に補鋳されたことが銘によってわかる。

治承3年(1179)、文永4年(1267)の善光寺火災により、その都度

修復されている。鐘の周囲に、八葉複弁(蓮の花)を刻んだ撞座があり、

鐘乳は総計100個つくられている。

・・・鎌倉時代の風格を表しており、美術的価値も高い。

尚、本鐘は、武田信玄により信濃善光寺より、本尊その他と共に移されたもの。

総高200cm。口径135.2cm。

山梨県・甲府市教育委員会 境内掲示解説による。


「かいてらす」山梨県地域産業センターは、甲斐善光寺のすぐ隣り!

「かいてらす」:2月24~26日は「春の山梨県地場産業まつり 」 

場所は、山梨県甲府市東光寺3-13-25 善光寺から徒歩1分。

詳しくは、http://www.kaiterasu.jp 

Email: info@kaiterasu.jp


 酒折に・・・、北山野道に梅が咲く頃、2月24日~26日・・・、

「かいてらす」では、山梨県地場産業まつりと称する物産フェアを開いている。

山梨の地場物産が多彩に展示され、土産物や珍しい特産品が安く買える。

注)但し、多少の食べ物は調達できるが、昼食は、事前に近隣のレストラン情報

を調べて行った方がベターです。


酒折に来たら、北山野道散策が面白い!

北山野道には、中世甲斐国「武田氏時代の足跡」があちこちに残り、

特に、武田信虎、信玄の代で築いた甲府五山は、時間があったら、

ぜひ、歩いて見て下さい。

ブログバックナンバー42)2013年2月号、「甲府五山は、

自然と歴史文化を偲ぶ「北山野道」に!」で紹介しています。

注)一部、OCNからGooブログへ引越のため容量不足で削除されて

いますがご容赦下さい。

http://blog.goo.ne.jp/yssoho/e/b152193b1c5d1d9ab9c361c5f0266d6f


 

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山梨市牧丘・城古寺に建つ二階堂道蘊と足利尊氏の石塔二基~続編~!2017-02

2017-02-04 | 山梨、往古の歴史と伝説!

牧丘・城古寺に建つ「二階堂道蘊と足利尊氏」の宝篋印塔二基!

鎌倉幕府の二階堂道蘊と室町幕府を興した足利尊氏の宝篋印塔が何故並んでいるのか!?

また、牧丘・城古寺に、何故、敵対した武将の供養塔があるのか・・・!?

地元「牧丘タクシー」の親切で、現在窪平・替地にある「常牧山浄居寺」を尋ねて見た。

それは、・・・あの七朝帝師”夢窓国師”が結ぶ由縁があったようだ!

城古寺宝篋印塔二基・・・葡萄畑の中に、ひっそりと中世の歴史を刻む! 

ブログ2016年12月号で、この牧丘・城古寺にひっそりと建つ「宝篋印塔二基」に

ついて教えを乞いたいと発信しましたが、残念ながら応答もなく年を越しました。

年明けに、この地域では抜群の情報通である「牧丘タクシー」社長を通じて、何方か

心当たりを探して頂いたところ、現在、牧丘窪平にある常牧山浄居寺の前住職しか

ないだろうということで紹介して頂き、念願の教えを乞うて来ました。

今号は、その学習と解説をもって興味がある方へのダイジェスト報告と情報開示します。 


 牧丘タクシー」の情報通は、「牧丘タクシーのホームページ」を見ればわかります。

 山梨県の観光情報、地域情報発信サイトにて季節の新鮮な情報提供をされています。

 特に、山梨県の峡東地域(甲州市、山梨市、笛吹市域)のことなら、頼りになります。

 これほどUP・TO・DATEな情報はありません。

 最近、かなりアクセス利用者も増えて、人気度も上がっています。

 ぜひ一度「牧丘タクシー」で峡東を案内してもらって見て下さい。但し、情報通の

 運転手さんをお願いするには、予め観光タクシーの予約をしておいた方がベターです。

 きっと、「山梨の魅力再発見の旅」が楽しめますョ。

 「牧丘タクシーHP」・・・http://www.makiokataxi.com

 JR中央本線「塩山駅」下車。※首都圏からは電車の日帰り旅も可能です。

 塩山駅に「牧丘タクシー」は待機していますが、観光の場合は念のため予約を!


牧丘・城古寺宝篋印塔二基は、あの夢窓国師が結んだ由縁であった!

牧丘・城古寺の宝篋印塔は、二階堂道蘊と足利尊氏が葡萄畑の中に並んで建つ!

注)この辺りはあの夢窓国師が開山した常牧山浄居寺の南端境内跡と云われる!?

  牧丘の地名として、字名「城古寺」、小字名は「石塔」として伝えられている。


 山梨市教育委員会指定有形文化財、城古寺宝篋印塔は、ぶどう畑の中に二基

建つが、解説版の通り一基は二階堂道蘊、一基は足利尊氏の供養塔と伝えられる。

筆者は、2016年に現地宝篋印塔を踏査して、ブログ12月号で紹介した。

牧丘の地に、何故、あの二階堂道蘊と足利尊氏が並んで供養されるのか・・・!?

武田信玄の菩提寺「乾徳山恵林寺」開基の二階堂道蘊は往古の牧荘領主として

認知されて、地元では有名であるが・・・、

注)旧「牧ノ荘」領主は、甲斐源氏安田義定の時代より、二階堂道蘊、武田氏の千野館を築いた第11代信成

  ・12代信春以降の時代へと引き継がれている。

  補足)戦国時代に本拠を甲府躑躅ケ崎舘を遷した武田累代の信虎・信玄時代は、対武蔵、相模の北条等に

  備えて、要害山城と結んで通称「秩父裏街道」と呼ぶ軍用道を中牧に通じ、城古寺城を要衝としている。

しかし、室町将軍・足利尊氏は、何故、牧丘に由縁があるのかは不詳である。

山梨市にも問い合わせをしたが不詳とのことで、本ブログにて詳しく教えを乞いた

いと問い合わせたところ、応答者もなく、続けて文献資料の検索を続けたところ、

山梨流の定番ではあるが、「甲斐国志」と「牧丘町誌」を深読みし直してみると

ともに、改めて牧丘で唯一由縁があると思われる窪平にある常牧山浄居寺の前住職

にお伺いをしてみた訳です。

ご丁寧に、当寺の由緒書を頂戴し、その中に記される旧蹟浄居寺と今も供養される

宝篋印塔について、有り難く説明を受けることができました。

それら再検証の結果、自習NOTEとして次のように記すことにしました。


常牧山浄居寺 往古は臨済宗、現在は甲府・曹洞宗大泉寺末

常牧山浄居寺 山門と本堂   ※現在の所在地は、山梨市牧丘窪平字替地


 寺伝による浄居寺略史を解析すると、常牧山浄居寺は・・・、

第93代後伏見天皇の御代(永仁6年~平安3年、1298~1301年)、

正安年中(1299年~1301年)、元の寧一禅師(※一山一寧)が、

旧城古寺村へ錫(しゃく)を転じ草庵を結び、草創となすも、後に第94代

後二条天皇の御代(※正安3年~徳治3年、1285~1308年)に夢窓国師

が甲斐路行脚の砌り・・・当所(窪平)に錫を留め、金山の西隅に地を卜(居住)

し、草庵を結び、自らを浄居庵と名付け、いつか二階堂四良右衛門道蘊の帰依する

処となり、寧一禅師の由縁の地に一宇を建立し、寺領百二十貫を授与し、国師を

勧して開祖と仰ぎ、常牧山浄居寺と号す。

時に嘉元3(寅戌)1305年8月18日なり、夢窓31歳の時。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

従って、この寺伝の如くに深読みすると・・・「常牧山浄居寺」は・・・、

嘉元3年(1305年)創建、本開山は夢窓国師、開基は二階堂道蘊なるが、

実は、甲斐国志 巻之七十四 仏事部第二「常牧山浄居寺」窪平村によると、

曹洞宗大泉寺の末、除地三畝歩 開山は一山一寧禅師(正安元年化す謚(おくりな)を

妙茲弘済国師の号を賜う)、その後、夢窓国師住す・・・と記す。

※YS注記:牧丘町誌などは、開山を夢窓国師とし、一山一寧を勧請開山としている。

筆者も「夢窓年譜」を解析して見たが、牧丘町誌の解析に考えを惹かれるも、寺伝も重視したいもの。

足利家の興立七堂伽藍、三方下馬禁制等ありしとなん。

旧浄居寺村にあり、天正中築城に因って、本村(窪平)へ移し、替地を賜う。

今にその地を替地と名付く。

戦争の世再、興なり難く、逸見筋浅尾新田に移す、当寺は旧跡たれば、元和中、

陽山宗広再建して、当宗となれり。本尊は正観音、恵心の作と云う。

仏殿に、一寧(開山一山一寧)並びに夢窓(礎石)の宝塔、足利尊氏の牌子あり。

法名:浄居国清寺殿仁山妙義大禅定門としている。

(※足利尊氏は)按に京都にては「等持院」、鎌倉にては「長寿寺」と号す。

豆州名古屋に天長山浄居国清福寿万年禅寺と云う寺あり。

畠山国清の寺なり。関東五山の下十刹の上と云う格式なり。

尊氏将軍を国清寺とは云うべからず。

足利尊氏並びに二階堂信濃守の石塔と言い伝うるあり。

般若経写本二巻、地蔵尊 経蔵の本尊なり、胎内仏弘法作と云う。

また、牧丘町誌でも同じことが解説されているが、浄居寺前住に伺うと、

その法名は、当寺で手向けたものであるとしている・・・と。


二階堂道蘊と足利尊氏は、夢窓国師の縁で並んで供養されている!

従って、本題の二階堂道蘊と足利尊氏が並んで供養されている理由は・・・、

浄居寺では、寺歴上、足利家によって七堂伽藍を造営賜ったこともあるし、

開基を二人として、「城古寺石塔にある二階堂道蘊と足利尊氏の宝篋印塔二基」

を毎年、4月28日に法要を営んでいると云う。

筆者は、あの夢窓国師に帰依した二階堂道蘊と足利尊氏の二人を開基として、

法供養を修する常牧山浄居寺の希少な精神は、永劫に伝えられるべきと思う。


 

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甲斐・一宮浅間神社の初詣は初日の出とともに!2017-01-01

2017-01-03 | 甲斐国山梨の初詣

甲斐・笛吹市の一宮浅間神社の賑あう初詣と楽しみ処~2017元旦!

一宮(いちみや)と言う人もいるが、歴史的由緒では甲斐国の一宮(いちのみや)と呼ぶ!

今号は甲州・重川サイクリングコースで初詣に行った一宮浅間神社と楽しみ処を紹介します。

甲斐国一宮浅間神社への往路、塩山重川サイクリングロードで元旦初日の出を仰ぐ!

富士山の”ご来光”は別格だが、甲府盆地の東端に安堵する新甲州人お気に入りの居住地

好きな風景の一つ・・・、甲府盆地では往古より京の都に学んで・・・”東山”と呼ぶ、

東の山峰から’日の出”が昇る!注)素人写真ですが、自然体で迎えた元旦の日の出です!

”東山”は恩若峰(982.6m)から牛奥を経て鬢櫛川(びんぐしがわ)を結ぶ筋と甲斐

大和の源治郎山(1476.6m)、大滝山(1368m)、棚横手山(1306m)、

、通称甲州高尾山(ピークは1160m)と呼ばれる宮宕山(剣ケ峰)1091.9m、

柏尾山(739m)と柏尾山大善寺を結ぶ山筋が甲斐国東端の二重の要衝として、

古代より甲斐国東端の要衝」して数々の歴史を言い伝えている荘厳な山筋である。

注)この東山に、密かに古代山岳信仰の歴史を伝えるまさに荘厳な”大滝不動尊”もある。


浅間神社一の鳥居~参道から望む冠雪の南アルプス、甲斐国象徴の大パノラマ!

 

鎮守の森の中に遷座された一宮浅間神社は、壮大なパノラマ風景が広がる処・・・! 

右端に映る尾根は石和の大蔵経寺山々麓、その向こうに薄雪の甲斐駒ケ岳、その左に

南アルプス鳳凰三山(地蔵ケ岳、薬師岳、観音岳)、その奥に冠雪の白根三山

(北岳、間ノ岳、農鳥岳)が連なる。左端奥に冠雪の荒川三山や赤石が広がり奥深い。


一宮浅間神社 一ノ鳥居(第一宮の扁額がかかる) 二ノ鳥居と随身門


平成29年 丁酉(ひのととり) 浅間神社の初詣のしおりにより・・・

浅間神社の由緒と神さま  

浅間神社は富士山の噴火を鎮めるため、山宮神社(やまみやじんじゃ)より、木花開耶姫命

(このはなさくやひめのみこと)をお迎えし、建てられた神社です。

木花開耶姫命は桜の花が咲いているようにたいへん美しく、別命を桜大刀自命

(さくらおおとじのみこと)と言われ、その心にも美徳を持った神様です。

古来より、山火鎮護、農業、酒造の守護神、婚姻、子授け、安産に御神徳があり、

近年では、会社事業の繁栄、縁結び、恋愛の成就にも御利益のある神様と崇敬され

ています。・・・とある通り、筆者もお気に入りの神社の一つです。


筆者の初詣はどの神様にも「健康第一家内安全」と「笑門来福」の誓願をしています。

お陰様で、日頃より健康管理に注意して、つつがなく過ごせているものと思いますが、

お礼参りも兼ねています。健康管理の一貫で、夫婦ともにまだ元気だけはあることで

、東京から移住する時、馴染みの自転車屋さんに進められ、山梨は、上り下りの多い

(平坦な道が少ない)ところなので軽快な自転車に買い換えて来たのが正解でした!

日常交通手段として、軽スポーツ車(タウンスポーツ車)で快適に往来をしています。

もっぱら散輪(さんりん)と称して、散歩方々、健康サイクリングを楽しんでいます。

最近は、甲府盆地の範囲内は(塩山~富士川町、甲府、石和辺りは地図なしで走れる

ようになり)、殆ど自転車サイクリングで往来しています。

運動になるし、いつまで乗れるか?・・・チャレンジです!早や高齢00才ですから。

初詣も、もちろん運動を兼ねて自転車サイクリングで行って来ました。

注)甲州市塩山から重川に沿ってサイクリングロードが通じている。

山梨鴨居寺橋を渡り~田草川橋~山梨市中村~上栗原交差点~矢作橋~相興交差点~

浅間神社~国道20号線沿い(歩道が広く歩行者がいないので走りやすい)を下り、

鷺堂の里の駅いちのみや~一宮町竹原田は満願寺橫を通る下り道があって走りやすい。

坪井橋~坪井工業団地に「目的の桔梗屋本社工場」がある。

そこから帰路は、様々なアレンジで、車も人もいないのどかな里道を走るのが楽しい!

※ぶらぶら散輪の場合は、時間を気にせず走ります。

敬老タイムでは、下り1時間の場合、上り1時間20分を見て走ると楽々です。

石和へ買い物に行く場合も、笛吹市石和の市役所前迄のサイクリングロードは快適です。

注)首都圏と違って殆ど自転車に出会うことはありません。たまに自転車と会うことが

ありますが、マナー(交通ルール)が徹底されていないので、かえって要注意・・・!


 初詣参拝の行列は、午前10時頃から昼頃には二ノ鳥居を越える!

 

浅間神社 拝殿(市文化財)      行列の参詣者

現拝殿は、江戸時代、寛文12年(1672年)造営。

桁行7間、梁間3間の一重入母屋造、破風向拝付で銅版葺・・・と解説がある。


一宮浅間神社は、「延喜式神名帳」で名神大社に列格する「甲斐国八代郡浅間神社」

の論社の一社であるとされる。

社伝では、垂仁天皇8年(BC22年)正月に神山の麓(現摂社山宮神社)創建され、

貞観7年(865年)旧暦12月9日に現在地に遷座したと云う。

平安時代末期より甲斐国一宮とされたとしている。

神道では、神に日本酒を「御神酒」として奉納するが、一宮浅間神社では、戦後、

昭和40年(1965年)から山梨県で産出されたワインを御神酒として奉納されている。

浅間神社は近隣のワイナリー等の隆盛によって支えられて、社が良く整備されている。


塩山~重川サイクリングロード~鴨居寺橋~浅間神社初詣の後は・・・、

里の駅いちのみや」笛吹市一宮町東原 鷺堂交差点側へ

「里の駅いちみや」

注)殆どの山梨県特産品のお土産が調達できる道の駅ならぬ「里の駅いちのみや」

お正月イベントでは来店客へ信玄餅の「おしるこ」無料サービスを馳走になった。

シーズン通常は、この広い駐車場もほぼ満車状態になる人気店です。

詳しくは・・・、http://www.satonoeki.com/


桔梗信玄餅の桔梗屋本社工場

桔梗屋本社工場の正月イベントは大人気!

筆者もお気に入りの一つのお店です。

桔梗屋の本社工場は、いつも観光バスやマイカー観光客で賑わっています!

特に、桔梗屋信玄餅製造ラインの見学など工場行程とは云え、信玄餅は包装も

手際よく「人の手」によってなされている様子は感動ものです。

筆者は桔梗屋黒密ときな粉を買って、つきたて餅を調達、信玄餅風の美味しい

甘味茶菓子を楽しんでいます。2/1ショップのアウトレット商品も楽しい!

詳しくは、http://www.kikyouya.co.jp/enjoy/more4/


 

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