新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

甲府「武田の杜」、深緑の山嶺に映えるアジサイ園!17-07

2017-07-03 | 山梨、里山の美しい四季!

山梨県は、都道府県別「健康寿命」で、日本一になった!

平成27年12月公表の都道府県別健康寿命統計データ(厚労省)

山梨県は病気予防や健康意識の高まりも要因だが・・、食育も盛んだ!

筆者は、その要因の一つに山梨県土の77.8%(全国第3位)を山岳

・森林で守られて、恵まれた環境も忘れてはならないと思う。

甲府盆地の風景は美しいばかりではない。加えて自然環境の恩恵に感謝

今号は、甲府市内、ベッドタウンのすぐ傍に大自然が守られ

ている自然豊かな「武田の杜」と「千代田湖」を紹介します。

閑静な住宅地の中心にある「千塚公園」から望む「武田の杜」片山!

写真の山嶺の山麓に、山宮町、羽黒町の環境の良い住宅地が開かれる。

甲府駅前から路線バスで約20分のところ。もし、東京なら考えられない住環境

にある。背景山嶺ピークは片山(大宮山)標高665.2m。

その右側(東)の「和田峠」を越えると下帯那町。そこに「千代田湖」

がある。 そしてその山並みに沿って西側一帯に「武田の杜」が広がる!


秩父多摩甲斐国立公園「千代田湖」付近の案内図

「千代田湖」は、正式名称は「丸山貯水地」。

名前のいわれは、旧西山梨郡千代田村大字帯那字丸山・針原にあるため

「丸山ため池」となったが、現在は「千代田湖」と呼ばれている。

かつて甲府市は上水道の水源を荒川に求めるにあたり、不足する下流

荒川沿岸の農業用水を補給するため上流帯那川の流れを集めて造られた。

溜池工事は、昭和8年~12年(1933~37)頃。

水面積26ヘクタール、水量145万立方メートル。水深13m。

山梨県甲府市の北西部にある湖。面積は約0.25平方キロメートル。

湖面標高は550m。

へら鮒釣りのメッカ「千代田湖」! 

湖畔沿いは一周2.5kmの舗装道路が整備され、リゾート環境があるところだが、

定住している人も多い。秩父多摩甲斐国立公園の最南部に位置している。 

また、湖畔に近い「和田峠」は甲府の夜景を眺める展望スポットで、

これから夏になると、夕涼みや夜景を眺めるカップルや家族で賑あう!


 「千代田湖」は、甲府の隠れ”リゾート”! 

千代田湖」は、甲府市街と昇仙峡の中間に位置することから、

交通の便も良く、甲府から車で約20分の距離なので、ボート遊び、

釣りなどの市民の憩いの場となっており、特に、”へら鮒”釣りには、

大人気スポット。月曜日にもかかわらず多くの釣り愛好家が楽しんで

いるのを見ると・・・、良く釣れるらしい!

特に、顔がゴッツい鮒は山梨らしく「信玄鮒」と呼ぶと聞く。

注)筆者も蓮花の多い場所に、1m近い鯉の死骸が浮いているのを見つけて

釣り人に聞いてみると、かつては、全長1m位の大鯉が釣れたと云う。

へら鮒も全長30~40cmくらいの大物が釣れるらしいので覚えておこう。


「千代田湖」ルートを利用する時は「武田の杜」も訪ねて見て下さい。

 「武田の杜」は健康の森とも云い・・・森林浴を楽しめる遊歩道も整備

されており、森林セラピー基地の散策が楽しめる!?

散策すると、気分爽快になり、健康促進になる観光のあり方もお薦めです!


「千代田湖」は、甲府駅北口、山梨交通バス6:51発

「上帯那」行に乗る!「千代田湖」へは約20分で行ける。

注)マイカーは問題ないが、最寄りバス便は「山宮循環バス」が便利。

しかし山宮の武田の杜入口下車で「武田の杜」へ行くには、少し山登り

の覚悟がいるので、早朝便に乗って「千代田湖」へ先に行くことにした。

ネット情報を見て6月20日(火)~7月2日(日)にあった

「武田の杜」・あじさいまつりの静かな翌日7月3日(月)に、

「武田の杜」・あじさい園を訪ねた!

早朝バス便に乗れたので、先に「千代田湖」の蓮の花を訪ねた。

「武田の杜」6月末~7月初め「樹林に映えるアジサイ園」が美しい!

「武田の杜」アジサイ園が目的だが、先に「千代田湖」の蓮の花を見る!


甲府駅北口山梨交通バス6:51発「上帯那」行で、通学生ら数人と乗った

バスに、観光客は二人だけ。7:10AM過ぎ、もう山嶺の「千代田湖」へ着。

第一印象は「長閑なリゾート地」のような環境だと思った・・・!

何と・・・、そこ甲府「千代田湖」は”へら鮒”釣りのメッカだった!

「千代田湖」は”へら鮒釣り!のメッカ!大きな鯉や鮒が釣れる! 

へら鮒釣りの人は、湖畔に車を置いてそれぞれがお気に入りの場所に

陣取っている。湖に浮かぶボート桟橋は二箇所あって、殆どが釣り人が、

湖面のスポットにボートを留めて何時間も釣りを楽しんでいる様子だ。

早朝にかかわらず約数十人は見える。


 釣り舟の桟橋は、朝早くから釣り人を待っているボートが整然と並ぶ!

 

朝早い人は、夜明けから釣りを楽しんでいるようです。釣り舟は事前確認要。

貸しボートは、2500円。5月~8月は、早朝5時頃から営業しているよう。

甲府市下帯那町1353 「千和」ネット検索でも釣り情報などが得られます。


 筆者のお薦めは、梅雨の合間なら「千代田湖」の蓮の花・・・!

6月下旬~7月初め「千代田湖」は、美しい蓮の花が咲く!

  

偶然だが、蓮の群生の中に小さな丸太が浮いていて、その上に休んでいる

のは、何と銭亀が二匹、仲むつまじい夫婦亀かも!


 真っ白い蓮の花が素朴で美しい!暫し、シャッターを楽しむ!


千代田湖の蓮の花

 


「武田の杜」は健康の森として、”甲府市民憩いの場”に・・・!!

「武田の杜」は昭和48年に設置。甲府駅より北西に約4kmの位置にある。

甲府市北部に国有林、県有林、私有林を合わせ、2500㌶の広大な森林だ。

千代田湖畔沿いの静かな車道を歩く(徒歩約30分)と間もなく「武田の杜」

入口へ至る。「武田の杜」豊かな自然に親しむ癒やしのスポット、健康の森。

富士山や南アルプスを背景に甲府盆地を一望できる美しい森林公園!

「武田の杜」には、森林学習展示館を始め、野鳥昆虫観察小屋、

ログキャビンキャンプ場など、自由広場を中心に「健康の森」として、

世界遺産富士山を望む森「森林セラピー基地」として認定されている。

詳しくは、http://y-zouen.jp/takeda/ 

武田の杜入口※車はこの道を進むと管理サービスセンター前に駐車場がある。

先ず最初に「武田の杜」サービスセンターを訪ねて、散策情報を伺うのが良い。

「武田の杜」サービスセンター(管理事務所)は、甲府市山宮町井山3371。

TEL055-251-8551 

「さくらまつり」は、2017年は、4月9日(土)~10日(日)

「あじさいまつりは、〃6月20日(土)~7月2日(日)でしたが、

2018年以降は、念のため再確認要。


「武田の杜」健康の森の散策路は、整備されて歩き易い自然散策路!


「あじさい園」はアジサイの群生がとても自然林に馴染んでいる!

 


自然林に馴染んだ「あじさい園」は、シャッターを押したくなる!


現在、あじさい群は約2000株になったそうで、種類も楽しめる!


大自然に融合した”あじさいの群生”と散策路の様子!


「片山(大宮山)」は標高665.2mの展望地。樹額に富士山!

案内資料によると、平成24年10月、天皇・皇后両陛下が県立「武田の杜」を

ご訪問。中核施設の「森林学習展示館」で「恩賜林100年の歩み特別展」を

ご覧の後、展望広場から甲府盆地を囲む恩賜林を一望されたとのこと。

上記写真左は、その記念に建てられた御行幸記念碑とのことで、

山頂まで軽舗装されていて、行幸の際に整備されたものらしい。歩き易い!

この展望広場は、「荒れた国土に緑の晴れ着を」をスローガンとして、

昭和天皇・香淳皇后の御行幸を仰ぎ、昭和25年に開催された「第1回全国植樹祭」

の会場となった甲府市片山恩賜林の山頂部にあたる。


梅雨空の中、出迎えてくれた”富士山”の勇姿・・・。元気をもらいました!


 山頂から望む甲斐駒ヶ岳     鳳凰三山のシルエットが望めた!

雲の中だが、シルエットは素晴らしい!次回は晴天を期待したい!

紅葉の季節に、また来たいな・・・!!


森林セラピー基地の石標  国際ソロプチミスト「山梨の森」木標

石標は山梨県立「武田の杜」保健休養林「健康の森」セラピー基地

注)森林セラピー基地は、リラックス効果が森林医学の面から実証され、

さらに関連施設などの自然・社会条件が一定の水準で整備されている地域

のことで、現在、全国では62の森が認定されています。

さらに森林セラピー基地には森林セラピーロード(散策路)が2本以上

必要だが、甲府「武田の杜」健康の森コースは4本のコースが設定されている。

①癒やしの小径 中の平コース 1.4km 初級 

②癒やしの小径 西の平コース 2.2km 初級

③五感の森コース 約2.3km 初級・中級

④外周コース   約5.0km 中級・健脚向き

その他歩道コースもあり、遊歩道は全長約20kmに及ぶ広大な森林エリアである。

木板サインは、国際ソロプチスト「山梨の森」と記されている。

山梨県の女性らは、時々、ここに集まって、”元気をもらっている”ものと想像する。

従って、筆者の歩いた感じでは、ロングウオーキングに向いたスニーカーか、

軽登山靴などを履いた方が歩き易いと思う。整備はされているが、

中高年は山道も歩くので、ストックなど用意されていると歩き易いと思います。

服装は、準登山スタイルがベターで、蜂や蚊対策などもあった方が無難です。

HPやパンフレットに書かれているので、ご自身で確かめて下さい。


「武田の杜」展望休憩室はデッキから望む南アルプスが素晴らしい!

注)梅雨の合間で台風前であったので、運良く稜線は見えたが、

天気の良い日にまた訪ねて見たいところ・・・!

※上記掲載写真の南アルプス(鳳凰三山)方面はここから。


 森林学習展示館は、山梨の森林・林業の様子が良く分かります。

静かな環境で見て回ると、久し振りに「勉強した」気分になった。

検索で諸資料あり。


附録写真だが、ここが自由広場でセラピー基地の拠点となっている。

写真右は、おにぐるみの実!樹木や植物に興味があれば、こんな写真も撮れる。

植物図鑑の宿題が増えます。ぜひ好きな方はデジカメを持参し散策して下さい。

バードウオーチングも面白そうです。この季節にウグイスの声も聞けましたョ。


「千代田湖」へのアクセスは甲府駅北口から山梨交通のバス便もある!


 「武田の杜」は、甲府駅より北西約4kmに位置する。

山嶺のピークは、片山(大宮山)は標高665.2m。

東京郊外で有名な高尾山より少し高いだけだが、車でも山上まで登れる。

従って、千代田湖から武田の杜へも舗装された車道を歩くが、武田の杜

に入ると、自然散策路が整備されていて、全長約22kmの整備された

遊歩道を歩くことができる。しかも、遊歩道には道標が31ケ所も設置

されていて、これほど安心できる山嶺の散策路は他には少ないであろう。

筆者も、東京調布在住時代、高尾山を奥庭の如く歩いたが、人混みで

迷うことはないが、もちろん、必要最低限の標識は整備されている。

今回、初めての散策路も歩いて見たが、分かりやすい道標で歩き易かった。


帰路は別の道を下り、甲府市山宮町のバス停「千代田湖入口」で、

山梨交通、山宮循環バス「甲府駅行」に乗るコースを取った。

山宮は循環バスが豊富にあるので便利。下りは、バス停まで約40分。

車道なので舗装道路の下りのために、少々ふくらはぎが疲れたが・・・、

下り道の中腹でベンチが置いてある「みはらし広場」に立ち寄って見た。

近づいた甲府市街地(目の前)に甲府富士屋ホテルや湯村温泉の宿が軒

を並べているので、帰り道に立ち寄り湯でして帰れば良かったのかも!

注)山宮町の高台の閑静で見晴らしの良さそうな住宅地を抜けると、

急に都会的住宅地に至るが、どちらが住みやすいやら、山腹の高台に

住んでいる高齢のご夫人が坂を登って来たので声をかけてみると・・・、

「若い頃は、見晴らしが良くて喜んだが、今は坂の上り下りが結構、

キツいですョ」と言っていた。


山梨県は「都道府県の森林面積割合」で全国第3位、

現在でも県土の77.8%が山岳・森林に守られている。

その守られた自然環境の中で、山梨県は健康寿命日本一

になったのではなかろうか・・・!?

改めて、近年、山梨県の居住人口が減少しているのは残念だが・・・、

首都圏などが都会化で段々と破壊されている国土を見るにつけ・・・、

特に、都会から山梨を選んで移住して来た者には、山梨県は良い処もたくさんあり、

恵まれた自然環境の中に暮らしていることを・・・改めて感謝したい。

お陰で、筆者もリタイアー後、山梨に移住して以来、夫婦とも少々高齢になった

ものの、風邪ひとつ引かなくなって、甲府盆地をサイクリングして楽しめるほど

元気に暮らせていることを感謝している!

山梨県に居住する皆さんも県土の良さを見直す機会を得たのではないだろうか!?

職場環境を除けば、東京では考えられない恵まれた居住環境です!


県土の自然環境を表すデータ「都道府県・森林面積の割合」を分析すると、

1位:高知県 83.4%  ランクA

2位:岐阜県 79.1% ランクA

3位:山梨県 77.8% ランクA 3474.01K㎡/県土4464.99K㎡

4位:島根県 5位:奈良県 6位:和歌山県が上位Aランクであるのみで、

首都圏は、

42位:神奈川県 39.0% 43位:東京都 35.9% 44位:埼玉県 

45位:千葉県 46位:茨城県 47位:大阪府 30.4%と下がり、

若い頃は憧れた都会は、現在は自然破壊が激しく、殆どが崩壊寸前である。

この山岳に囲まれ、森林が約78%も守られているお陰で、空気は清んでいて、

清涼な水は豊富にある。筆者もそれが気に入って山梨県に移住して良かったと思う。


平成25年「健康寿命」調査統計※厚労省が3年に1回調査。

自然環境だけでは「健康寿命」は向上しないようだが、念のため分析をしてみた。

平成25年「健康寿命」調査データ(厚労省)によると・・・、

男)第1位:山梨県72.52才 女)第1位:山梨県75.78才。

  第2位:沖縄県         第2位:静岡県

  第3位:静岡県         第3位:秋田県

と県別の環境分析では、第一は病気予防と健康対策の成果と思われるが、筆者は、

上記のように山岳と森林が保全され、森林の占める面積の割合が県土の77.8%

守られていて、自然環境が優れていることではないかと考える。

そのお陰で、清涼な水が豊富で、空気も新鮮に保たれている!

都会化する山梨県内の市街地も、今のうちから、自然環境保護について大切に

考え直す機会を与えられているものと考えます。まだ今からでも間に合うと思う!

それは、「武田の杜」のような広域の恩賜林をベースに、県有林、国有林、私有林

が環境保全されながら有効に活用されることが一番重要な役割ではないかと思われる。


 

 

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石和・大蔵経寺山南麓には、古代甲斐国の歴史ロマンが眠る!17-06

2017-06-01 | 山梨、往古の歴史と伝説!

JR石和温泉郷~大蔵経寺山南麓には、古代甲斐国の歴史ロマンが眠る!

山梨県の代表的な「石和温泉郷」、JR石和温泉駅の新駅舎が完成し、北口ができた。

その北口から歩いても約5分の近いところに、「甲斐の名刹松本山大蔵経寺」がある。

今号は、その松本山大蔵経寺に伝わる古代甲斐国の歴史ロマンを訪ねる!

JR「石和温泉駅」お洒落な新駅舎に開かれた「北口」より眼前に望む大蔵経寺山 !

今年春、半都会風だったJR石和温泉駅がこんなにお洒落な駅舎に生まれ変わりました。

明治36年(1903年)6月11日 国鉄中央線が甲府まで開通した時、「石和駅」として開始。

昭和年代に、石和温泉郷ブームを経て、平成5年(1993年)石和温泉駅に改称。

平成28年(2016年)新駅舎誕生とともに念願であった北口が開かれました。

筆者には、石和温泉郷は、昔、団体客の一人として会合と宴会をともにした想い出ばかりで、

石和の町をぶらぶらと歩いたことはなかった。

また、宴会・会合に呼ばれた石和温泉郷を自由に観光などをしたことはなかった!

筆者は東京から甲州に移住して以来、約8年経ちますが・・・、

今は、峡東から国中(甲府)、富士川辺りまでは自転車でも自由に散策できるようになって、

都会にいては触れることはできない”古代の歴史”に触れたり、特に果物栽培が盛んな山梨

では四季折々の美しい風景や珍しい山野草にも出会えます。

そして、何よりの喜びは、山梨を愛する人々が、先祖代々引き継いで往古より育んで来た町

の息吹を感じることができること・・・です!

今や日本は外国人訪日客が急激に増加し、2017年4月には2578900人/月も訪れました。

2016年は念願の2000万人を越え、2403万人。2020年には4000万人に倍増する!

2016年の山梨県観光入込客統計によれば、213万7741人、宿泊客142万5573人。

うち外国人客は12万8851人。まだ宿泊観光客の9%に過ぎないが、地元の人々の歓迎の

空気が充満すれば、首都東京から最も近い日本らしい里を残すところもあり、もっと、もっと

外国人客が大勢訪れるように期待ができると思います。”石和温泉郷”が、”笛吹の里”に

なった時には、自他共に認められる素晴らしい、”あるべき観光地”になると思っています。

国内・国外からの観光客も増加傾向にある昨今、JR東日本と笛吹市の英断によって、

JR中央線駅舎整備の一環で石和温泉郷駅の新駅舎が完成し、念願の北口が開けた。

まだ課題はあるが、これからは新北口によって”笛吹(石禾)の里”が期待される!


今号は「新甲州人」のお気に入りになった「石和温泉郷駅北口」の大蔵経寺山麓、

笛吹市石和・松本「大蔵経寺山々麓に眠る古代甲斐国の歴史ロマン探訪」の一部と

その拠点にある名刹「松本山大蔵経寺」の荘厳な静寂の中に癒やしの縁側から

眺める「自然と融合した美しい蓬莱庭園」を紹介します・・・!


大野桑戸橋から望む大蔵経寺山南麓には、古代甲斐国の歴史ロマンがいっぱい!

上記掲載の写真はそのままに、図説が困難なので、文章で山並みを解説します。

・大蔵経寺山山容は「石和」と甲斐国府のあった「春日居」を合併した「笛吹市」に属す

写真正面の左に笈型焼きの頂が「御室山」、尾根筋の緑濃い山頂が「大蔵経寺山」

 注)大蔵経寺山山頂は標高715.6m。御室山山頂の登山道のさらに上部にある。

・その笈型(送り火の形)が見える御室山山麓には、山梨の語源となった「山梨岡神社」

・御室山山頂(597m)には大蔵経寺に伝わる「旧蹟物部宮」の印に「石祠」が祀られる

・その側に奈良時代養老6年行基開基の現「松本山大蔵経寺」の草創の地「彌勒平」

と呼ばれる地があり、そこに大蔵経寺の旧蹟「彌勒実相院」が開かれた地と伝わる。

・さらに大蔵経寺山尾根道を進み三つ頭の先を右に進むと菩提山と呼ばれる嶺がある。

注)春日居ゴルフ場と「兜山」が目立ち、その兜山の中腹と記されるものもある。

その頂を源流にする日向沢と日影沢の合間に、同養老6年に行基開基と伝わる古刹

「菩提山長谷寺」へと通じる。往時は「彌勒実相院」と「菩提山長谷寺」は山腹に配置され

国府を防備できる立地に配置されたと云われ、同伝行基開基の「廃鎮目寺址」もしかり。

・更に、その東側に連なる四阿山には、古代より日本武尊を祀る「吾妻屋宮」がある。

これらの古刹寺院配置や山梨岡神社境内に配置されたと云う伝鎮目軍団等と云い、

この辺りは古代の甲斐国府(址)を中心にした戦略的配置を想像できるところでもある。

実際にそれぞれの現地に登って見ると・・・そんなことが想像に浮かんでくるのである。


JR石和温泉駅新駅舎1Fの「笛吹市石和温泉観光案内所」を訪ねよう!

今やITやスマホの事前情報も得て訪れた方が良いが・・・、

ピンポイントに地元を知り尽くした明るい案内嬢がUP TO DATEに

観光情報を教えてくれる!

観光案内所には観光MAPや周辺観光の情報まで全て集まっているので、

せっかく石和を訪れたなら、先に、詳細情報を得て楽しんで下さい。 


新装なったJR石和温泉郷駅1Fに「笛吹市石和温泉駅観光案内所」!

 

・JR石和温泉駅は2Fが開札口です。エスカレーターで1Fに下りたところにサインが

あり、その直ぐ左にガラス張りの明るい入口がある。

・そこに新装なった観光案内所があります。写真左はパンフコーナーと案内カウンター。 

2017年4月より笛吹市石和温泉観光案内所長にはより親切な案内を目指す女性所長

が赴任。もの知りで親切な案内嬢2人も”おられるので、これからも観光客は安心・・・!

注)この新装を機に、長年、笛吹市の観光振興に貢献された、特に笛吹内随一のもの知り

の上、話上手だった前所長山田氏はこれを機会に退任され、これからも観光協会の特別顧問

して笛吹市訪れる観光客のために役に立つ仕事をされるようですが、そろそろ”自由人”

として自らの人生を楽しんで頂きたいと思います。

山田氏は、特に武田家累代の研究や笛吹石和の歴史探訪は、山田氏の得意の分野なので、

筆者はこれからもいろいろとご教授を乞いたいと思っています。何卒、よろしく願います。

本ブログを通じて恐縮ですが「笛吹市の観光魅力スポットの数々の楽しめる情報を教えて

頂きありがとうございました。改めてお礼申し上げます。」

石和温泉観光案内所は従来は観光協会の運営だったが、新たに笛吹市観光物産連盟の運営

拡大され、地元産「ワイン」のテイステイングも楽しめる話題の案内所に生まれ変わった。 


 観光案内所にあるワインテイステイング自販機は人気のサービス!


ただの飲料自販機ではない!「テイステイングワイングラス」が用意

され、コイン2~300円で地元産ワイン銘柄が自販機で試飲できる。

山梨県産ワインは、2016年の「日本ワインコンクール」の6部門で、

最高賞を受賞。金賞は県内ワイナリーで15点も入賞したことはワイン

通なら殆ど周知のこと。石和観光の好印象の想い出になるでしょう!

笛吹市の観光情報は、http://www.fuefuki-kanko.jp でご覧下さい。 


 

  「大蔵経寺南麓に眠る古代甲斐国の歴史ロマンを辿る」をテーマに、

何度か「松本山大蔵経寺」の井上住職を訪ね、教えを乞いました。

そして、多くの寺伝と伝承や地元周辺に伝わる古代の歴史遺産等について

もお話を伺い、さらに踏査、考査し、推論したもののうち・・・、

特に「大蔵経寺境内に祀られる物部神社」や大蔵経寺の発祥地「彌勒平」

旧蹟のことなどを抜粋して簡単に紹介します。

もしこの中のテーマ課題のことで、既に研究された成果等で熟知されて

いる方には、もし本ブログを見て頂いて気になる点等ありましたら、

何卒、ご教授賜りたく。気になる点のコメントを賜れば幸いです。


古代より歴史ロマンを語り継ぐ甲斐の名刹「松本山大蔵経寺」

大蔵経寺山と大蔵経寺全景    右の仁王門を入ると庫裏(拝観受付玄関)


 「松本山大蔵経寺の略縁起(寺伝)」によると※甲斐国志・甲斐国社記寺記にも記載。

松本山大蔵経寺は、奈良時代養老6年(722年)に法相宗の行基菩薩を開祖と

して創建されたと伝えられている。往古は菩提山長谷寺の本坊で松本寺と呼ばれ

ており、山内にも物部神社を勧請し、大寺院であったようである。

応安年間(南北朝時代)足利三代将軍義満の麁子観道上人が中興開山として入山

するにあたり、足利義満が甲斐の武田信成に命じて七堂伽藍を建立させた。

この時より武田家祈願所になっている。

また、山の形が獅子が蹲踞(そんこ=横たわる)するのに似ているので靑獅子山

(せいししざん)と号し観道上人が大蔵経を五重塔に奉納したことに由来して、

寺名を松本寺から大蔵経寺に改めた。

・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

江戸時代に入ってから、徳川家康・秀忠公らによる当山護寺復興にあたり約30石

の所領が御朱印地として安堵され、寺門は興隆を見た。

・・・・・・・・・・・・・・・(省略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・

詳しくは、松本山大蔵経寺のHPでご覧下さい。

http://www.daizokyoji.org/info.html


 YS記:

天正年間に家康の甲斐国入国と大蔵経寺立ち寄りの縁で、徳川家康の庇護を受け、

江戸時代になって二代秀忠の代より代々、葵御紋の使用を許されて、現在も葵門

をはじめ寺紋に”葵の御紋”が継承されている名刹である。

第三十七世井上秀典住職と副住職(後継ぎ)も、勉強家で”もの知り”です。

いつも穏やかな笑顔で話され、寛容に教えを乞える”気さくな”和尚さんです。

最近、参拝客や拝観客へのもてなしなど、特に外国人観光客の来訪も増えて来た

ので、京都の名刹寺院のもてなし等も学んで大蔵経寺に相応しい”もてなし”を

考え中のようです。・・・楽しみです。

大蔵経寺を6月初旬に拝観したが、「蓬莱庭園」は”さつき”が満開で綺麗でした。

完成したばかりの庫裏の縁側(6cm厚の栗の椋材)に座って鑑賞して来ました。

※将来にでも・・・、この縁側でお茶など頂けるようになると嬉しいなと思いながら・・・。

美しい大蔵経寺山の自然を借景にした「蓬莱庭園の山水池には、大きな錦鯉が

ゆったりと泳いでいました」・・・、また、つかぬ間の癒やしを頂きました。

注)大蔵経寺本堂の縁側の改修工事は、まもなく完成するようです。

本堂の縁側が完成したら、また「蓬莱庭園」の違う風景を楽しみたいものです。

「蓬莱庭園の四季」を楽しんでもらうために、京都の名刹に負けないような縁側

できるものと・・・、とても期待をしています。

注)現在、拝観料@300円、庫裏の玄関で受け付けています!

庫裏の玄関に入った瞬間、「仏画寺」の標札が目に入る。とてもワクワクします!

本堂と庫裏全体は、まるで「現代仏画展」を見ているような楽しみと値打ちがある!

注)正直のところ素人が見た限りでは、数十点の仏画は大作ばかりです。

本堂は、大蔵経寺伝統の仏像、仏画、位牌なども拝観しやすくなりました。

但し、国宝や指定文化財などは一部は管理上、宝物殿に保管されているので・・・、

国宝等は適当な時期にご開帳をされることを検討されているようです・・・。


  「大蔵経寺へのアクセス」

 JR石和温泉駅北口下車、眼前に見える大蔵経寺山を目印に、徒歩で僅か5分。

 北口の直ぐ目の前に見えるお洒落な保育所「ISAWA DAIGO HOIKEN」の

 手前を左に折れ、道なりに数軒の住宅の間を抜けて右折する。

 その先の横断歩道(信号なし)を渡り左折、平等川の盆橋(ぼんばし)の右側

 を渡ると・・・、その橋から大蔵経寺山方面を見ると山麓に大蔵経寺の大きな

 本堂・庫裡の屋根が見える。

 その盆橋を渡って右折、pachincoABCの橫を真っ直ぐ進むと写真左のような

 大蔵経寺正面に到達する。比較的優しい道程です。

 正面「大蔵経寺」の門石を進むと写真左「庫裡」がある。その庫裡に受付がある。

 少しだけ時間をつくれば・・・、「静寂と荘厳の世界」を堪能できます。 


 山梨に移住して以来、まだハンドルネームの通り「新甲州人」なので、

未知のことばかりです。もし筆者のテーマ課題について研究成果をお持ち

の方や熟知の方がご覧になられていたら、気になる点をぜひご教授下さい。


 甲斐の名刹「松本山大蔵経寺」

松本山大蔵経寺は庫裡の玄関を入ると「静寂と荘厳の世界」・・・と表現しました!

・本堂との間に葵門(徳川家の葵の御紋が彫られる)から入る客殿の玄関がありますが、

 その中心から見る大蔵経寺の「蓬莱庭園」は、近代になって築庭されたものだが・・・、

 決して名園ぶらず「大蔵経寺山の自然を借景にしてまるで山水の境地を表している」

 大蔵経寺では、37世井上秀典住職により「蓬莱庭園」と名付けられたと云う。

 注)37世住職が「皆様に不老不死の境地をひとときでも感じて頂ければ」と命名・・・。


蓬莱(ほうらい)」とは、古代中国で東の海上にある仙人が住む仙境の一つ。

道教の流れを汲む神仙思想で説かれるもの。不老不死の仙人が住むと伝えられる


 「蓬莱庭園」の癒やし~庭園に注ぐ山水池には、錦鯉が活き活きしている!

 


  大蔵経寺境内の西に赤い鳥居が映える「甲斐・物部神社」


 「物部神社」は、境内に掲げる由緒版によると・・・

物部十社明神といい、物部氏の御先祖であるニギハヤヒノミコト、その子可美真手命

(ウマシマジノミコト)より十神をお祀りする神社です。

・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

往古は、山梨郷御室山に鎮座したが、後世この地に遷し祀る。

現在、御室山に旧蹟があり、最古の神社として伝えられている。と由緒解説がある。


 YS記自習NOTEでは、大蔵経寺山南麓に数々の謎解きを試みた。

その①の課題は、その御室山に旧蹟物部宮が祀られたのはいつ頃の時代か?

筆者は様々な説があることも考査したが・・・、

最終的には、雄略天皇の御代(5世紀中)ではないかと推論することにした。

物部神社由緒に贔屓目に最古の神社と記されるが如何に昔のことなのか?不詳!

注)有名な甲府の昇仙峡奥にある金桜神社とどちらが最古なのか?等々です。

金峰山奥宮は伝景行天皇御代日本武尊東征の登攀道と伝わる金峰山を国家鎮護

の霊地として国奴塩海宿へ命じ本宮創建。雄略天皇10年現御嶽山へ里宮を建立。

とある。現代では創作と云われる「ヤマトタケル伝説より、筆者は雄略天皇期

(説)が有力と見ている。

従って、最古を争うことではなく、甲斐物部神社の旧蹟物部宮は、同じく雄略期

が濃厚とみています。何故なら、雄略天皇の時代に日本国の統制が拡大され・・・、

周知の通り、往時、古代甲斐国は日本国の東端の国であったと云われるからです。

そうすると・・・若彦路の竹居にワカタケルの封地(ほうち)伝説も無視出来ない。

注)ワカタケルは後の雄略天皇であると比定されていることもあって、雄略天皇

自らが甲斐国に来たがどうかは疑問だが、雄略天皇の命で誰かが軍団を率いて甲斐

国へ入国したことと、その軍団こそ物部氏一族ではなかったのかと推論しています。

注)雄略天皇の時、物部目(不詳だが12代?)が「大連」に任命されている。

そうすると、雄略天皇に命じられた大連物部目氏は一族の誰かに命じて、東端の

甲斐国覇権・統治のために遣わしたのではないか・・・との論拠に至っています。  

②もし、物部氏一族が都から来たなら、どの道を越えて甲斐へ入国したのか?

 銚子塚古墳の発掘調査結果により、原秀三郎氏は右左口・中道越えで4世紀中

 には、都から甲斐国入りをしているのではないかと云う説を具体的に述べて

 おられるのが唯一専門家の公の論拠と見るが、もちろん異論を挟むものではない。

 しかし素人の筆者には若彦路の竹居に伝わる「ワカタケル伝説」が無視できない。

 往時、大和朝廷の雄略天皇が甲斐国を日本国東端の要衝とすべく大連物部目氏に

 命じて、甲斐国に入国したのは物部一族の軍団ではないかと考えている。

 その雄略天皇期に絞って見ると、5世紀中と云う見方も成立する。

③そして、この大蔵経寺境内あたりが、物部氏一族の最初の本拠地ではなかったのか

 と考えれば、物部氏一族の高祖ニギハヤヒがその背後の御室山山頂に守護神として

 祀られたと云うのは、なるほど御室山の旧蹟物部宮の話は頷ける”伝説”となる。

 そうすると、古代甲斐国の歴史はここから始まったと云う証しにもなるが・・・!?


 古代甲斐国に物部氏が居たと云う証しと云えるものは一件しか見当たらない。

特に今回のテーマ課題である甲斐物部神社と甲斐物部氏の所縁については・・・、

何故か特定された文献がない。一~二行あっても殆ど課題の解釈や意見が異なる。

甲斐物部氏については、定説化に至っていないらしい。

そこで素人の生涯学習の精神で調査・研究を始めたものの、常に足踏み状態を繰

り返すことになって多くの時間を費やしてしまったが、自由人の生涯学習なので、

謎が多いほど根気がわくことに押されて、ようやく、ある程度の私見(解明)を

まとめる時期に来たのです。

理論武装がまとまったら、しかるべき方にご教授を願いたいと思いつつ・・・、

甲州のキタリモン(よそ者)には、物部氏の詳しい研究者の方に辿り就く術がなく、

従って、上記①②③の謎(宿題)の解明要点だけを抜粋して記させて頂きます。

本編NOTEの記述は数十ページに及びますが、本ブログでは前述程度が精一杯です。

しかも、それは研究成果にはほど遠く、中間地点でのある程度到達した推論にしか

過ぎない点もあるかと思います。自由人の自習過程に免じてご笑談下さい。

専門家の方にはご無礼があるかもしれませんが、何とぞ、ご寛容とご容赦のほど

を伏してお願い申し上げます。先ずはお願いまで。


 御室山山頂の印の大岩に祀られる旧蹟物部宮の石祠・・・!


上記写真のところが、御室山山頂の旧蹟物部宮の目印となる大岩石です。

近年37世井上住職の代になって、累代伝承される場所が後世まで伝えられるよう

取りあえず、目印として小さな石祠を置いて祀ることにされたそうです。YS記


 大蔵経寺山南麓には、

その他、山梨岡神社、摂社吾妻屋宮、菩提山長谷寺、廃鎮目寺、甲斐国府址、

寺本廃寺址、金峰山山宮、金桜神社里宮などの他、山梨市に及んで日下部

の地と日下部氏のゆかりもどうやら雄略天皇の時代考証がベースにあって、

後に、奈良時代、特に養老年間の行基開基の寺院と「大僧正」時代の国策に

基づいた各地の戦略的寺院配置などもとても気になります。

古代甲斐国には、勝沼の「柏尾山大善寺」、塩山裂石の「裂石山雲峰寺」など

甲斐国全体の要衝の立地に行基開基の寺院があるのは、戦略的配置と思えて

なりません。

しかし、これらのYS記自習NOTEを本ブログで掲載するには、容量が足りません。

また、機会があれば、追々に教えを乞いたく思っています。よしなに・・・!


 

 

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甲斐国最古の甲府御岳「金桜神社」に金の成る木「鬱金の桜」が咲く!17-05

2017-05-03 | 山梨、往古の歴史と伝説!

金峰山々頂の本宮「蔵王権現」は古代甲斐国最古の神社と伝わる!

甲府御嶽の里宮「御嶽山・金桜神社」に、御神木「鬱金の桜」が咲いた!

金桜神社の大輪の鬱金の桜は「金の成る木の金桜」として崇められる


金桜神社に咲く満開の御神木「鬱金の桜」 ※2017年5月5日YS撮影


今号は「金の成る木の金桜」として崇められる満開の「鬱金の桜」、

古代甲斐国の歴史を辿る御嶽山金桜神社と新緑の美しい昇仙峡を訪ねる!


金桜神社の境内に咲く「鬱金の桜」と「八重桜」。見頃はゴールデンウイーク頃!


 「金桜神社」の由緒・・・

社伝によると創祠2000年と云う古い歴史をもつ当社が約1500年前、

雄略天皇10年(466年)、神勅により金峰山本宮よりこの御嶽の里に

遷祠されてより、神仏習合時代に入り役行者小角が「金を以て神と為し、

桜を以て霊と為す」と唱え「金桜神社」社名の起源となったと伝わる。 

金桜神社の御神木「鬱金の桜」は「金の成る木の金桜」として崇めれている。

詳しくは、御嶽山金桜神社HPで・・・http://kanazakura-shrin.webnode.jp/


荘厳な金桜神社の赤い大鳥居!        参道は266段の石段を登る!

拝殿 ※拝殿の奥に本殿(神殿)       拝殿奥の本殿(神殿)


甲斐国社記・寺記によると・・・、注)以下は筆者のつたない読み下し文

「金桜神社」は御嶽山「甲斐国総社金桜神社蔵王大権現」は式内社にて、

「国鎮社」とも称し、国の北境金峰山(往古は金丸山と云う、甲州中に金丸氏在は

この山を採り三石の紋を用い、下の御像石を取る)の山頂に高さ25間橫18間

(約32×45m)の巨石あり像形は亀の如く奇石にして、神代の往古少彦名命が

鎮座され御像石(現在は五丈石(岩)と云う)と唱えられる。


この金峰山頂上の御像石(五丈岩)のところに本宮(奥宮)が祀られている。


五丈岩を仰ぐ金峰山頂上(標高2595m)五丈岩に祀られる奥宮・本宮 

右写真に写る筆者の頭後に赤い鳥居、五丈岩の右側岩中部に石祠が祀られる。

注)この写真は本宮(奥宮)の調査写真ではなく、筆者が便利な大弛峠から登頂した時の記念写真を応用。


第12代景行天皇10年(西暦110年)日本武尊東征の帰路、相模国より信濃国

へ辿る道にこの金峰山へ登攀され・・・、御像石の下に社殿を建立され・・・、

時の国造塩海宿弥へ素鳴尊大巳貴命を合わせ祀るように命じられ・・・、

之が当社本宮の草創となると伝わる。

第21代の雄略天皇10年(西暦466年)、神勅により御岳山(現甲府御嶽=

=往古は神岳)へ社殿が建立され、本宮三注神を遷座して祀り「里宮」と号した。

之が今の御岳山本社である。

中宮は、日本武尊・・・(中略)・・・を奉斎祀「御嶽山地主神」と称する。

・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第29代の欽明天皇元年(540年)再建、・・・現在まで永々と営まれている!

社記・寺記本文はさらに深く濃く・・・続くが、本ブログでは以下省略します。


まさにゴールデンウイークに相応しい「鬱金の桜」は拝殿の左奥に咲いている!

金桜神社の由緒ある御神木「鬱金の桜」は拝殿に向かって左側へ回ったところ!


「鬱金(うこん)の桜」は・・・ ※境内鬱金の桜の解説版による

「御神木鬱金の桜・・・創祀二千年と云う古い歴史をもつ当神社が里宮として、

約千五百年前に此の御岳の里に祀られてより神仏習合時代に入り役行者小角の

「以金為神、以桜為霊」と云う託宣より「金の成る木の金桜」として崇められた

と云う。景行天皇の御代、日本武尊が植えられた桜をも謂(云)う。

注)景行天皇は第12代、景行天皇40年は西暦110年、日本武尊伝説はこの頃だが後世に創作された伝説と云う。

YS記「雄略天皇の命で甲斐国覇権・統治に派遣された物部氏と日下部氏一族の研究」では雄略天皇の御代を論議中。

「うこん」とは、上古の昔より皇(みかど)のお召しものの色とされ、この染料

となる植物よりこの名がつけられたものと考えられる。・・・中略・・・境内の

この神木は6~7代目とも云われ、4月下旬~5月上旬にかけて、淡い黄金味を

びた大輪の花をつける。

この季節、この桜を拝み水晶の守りをうけると一生涯金運に恵まれ厄難解除の

ご神徳をもうけられるものと全国各地からの参拝者で賑わっております。

※金桜神社 宮司窪坂豊臣氏記


今号では、「鬱金の桜」を観るためゴールデンウイークに参拝したことも重なるが、

金桜神社には大勢の参拝者と観光客が訪れていた。注)人を避けて写真を撮るのに少々の苦労・・・。

特に昇仙峡、荒川ダムが近いので、美しい新緑の渓谷歩きなどの観光目的が多いが・・・、

近年、家族連ればかりではなく若いカップルの参詣者が増えているのにはビックリ!

かつて、秋の紅葉の昇仙峡へ行った時も、正月の初詣でも大勢の参拝者が訪れていたことを思い出すが。YS記 


御神木「鬱金の桜」を仰ぎ見ると天高く伸びているが、添え木も痛々しい。

写真右:境内のヤマ桜もひっそりと美しい!

筆者は、八重桜や鬱金の桜は東京時代にも高尾の多摩森林科学園や神代植物園で

観たことはあるが、この金桜神社の鬱金の桜ほど”貫録”の桜樹を観たことはない。

御利益がありそうだ!久し振りにある感動を覚えた!流石、由緒あるご神木だ!


 境内の富士山遥拝所から望む富士山は、往時の山岳信仰を想像させる!


金桜神社境内の富士山遥拝所から望む富士山はこのように美しく気高い!


「夫婦木神社」は夫婦和合の神様!※金桜神社の直ぐ前に参詣客が賑あう!

 金桜神社前に「夫婦木神社」赤い鳥居が参道  夫婦木神社石段


 夫婦木神社:御祭神はイザナギ、イザナミ大神。 

夫婦木の由来:樹種栃(とち)は樹齢1000年以上、古来和合繁栄、特に縁結び、

子授けに霊験あらたかな神として信仰され、多くの伝説をもつ。

世界の奇木、霊木と云われる夫婦木は、甲府市北山の下黒平(しもくろべら)に

あり、周囲10m余、外形の入口は女性の象徴を示し、内部は空洞にて上部から

長さ5m、周囲2mに近い男性の象徴が目を見張るばかりに垂れ下がっている。

男女が参詣して祈れば必ず結ばれ、子宝の欲しい夫婦が揃って祈願すれば必ず授かる。

霊験あらたかな結びの御霊木です。注)写真省略 参道の写真も人を避けている。

武田信玄公以来、今日まで、和合、生産、繁栄、結びの神として崇められている。

なるほど、こんな山奥の神社に、子宝に恵まれた若夫婦がお礼詣でをしたり、若い

カップルが多かったのは頷ける。※神社夫婦木の由来に筆者記加筆 


山梨の観光は、富士五湖、清里もイイが新緑・紅葉は「昇仙峡」が人気!

久し振りに「昇仙峡」を歩いて観た・・・!

 昇仙峡仙娥滝は人気パワースポット    昇仙峡のシンボル「覚円峰」 

写真左:「仙娥滝」は、富士川水系の荒川上流にあり、地元では御岳川とも云う。

この滝は、地殻変動による断層によって出来た滝で落差は約30mある。

写真右:「覚円峰」は日本一の渓谷美・・・!

昇仙峡の主峰「覚円峰」は、その昔、沢庵禅師の弟子僧侶覚円が、畳が数畳敷ける

広さの頂上で修行したことが、その名の由来です。

「覚円峰」は花崗岩が風化水食をうけてできたもので、急峻で直立約180m。

国の特別名勝にも指定されている御岳昇仙峡は、紅葉の名所として有名だが、春の

新緑も気候的にベター、奥へ足を伸ばして金桜神社の鬱金の桜を愛でるのも良い!


 新緑の美しい昇仙峡「御岳川散策路」  人気ハイクコース「五百羅漢」へ


「昇仙峡」・・・

江戸後期、天明2年(1782年)荒川上流の猪狩村(甲府市猪狩町)の名主

長田森右衛門が下帯那村へ新道開発を立案したが実現しないまま終わった。

その後、天保4年(1833年)同じ猪狩村の百姓代である長田園右衛門と

甥勇右衛門が再び御岳新道の開発を立案、甲府勤番士や甲府城下の商人から

寄付金を募り、工費は園右衛門が立替え、無尽で賄われたと云う。※ウイキペディア

その甲斐あってこの昇仙峡は開かれたが、長田園右衛門自信は私財を投げ打って

完成したと云われるが御岳新道は天保14年(1843年)に完成したと云われ

約10年の歳月を要したことになる。

その御岳新道が後に昇仙峡の散策遊歩道になっているので、長田園右衛門の往時

の労苦を偲びながら渓谷歩きをするとより感慨深いものがある。

筆者も何回か訪れているが、昇仙峡散策路は観光用に開かれたものだと思っていた。

何故なら、嘗て、勝沼ぶどうの起源と発展の歴史をブログ取材した時、東京の問屋

を招待してぶどう園を観てもらった後、昇仙峡へ接待案内することが定番コースで

あったこともあり、その時代に手前の甲府湯村温泉で宿泊でもてなした話もあった。

明治末期、東京・新宿から甲府まで中央線が開通した時代より多いに繁栄したらしい。

しかし、今回具に学んで見ると、昇仙峡も御岳の奥地に住む人達の生活交通路として

開かれたものだと知ると、昇仙峡の石門などもただ驚いてばかりではおられない。

以前、大分の「青の洞門」で聞いた地元の人々の願いと労苦を思い出すばかりである。


昇仙峡散策は・・・、慣れてくると、散策は朝早く渓谷を歩くのが良い!

甲府駅前より山梨交通バス便がお薦めです!

そして昇仙峡滝上下車(900円)、渓谷を歩いて下ると約1時間10分、

天神森のバス停がある長瀞橋へ下れます。軽いウオーキングに適した距離。 


 その場合、昼のグルメは・・・、

天神森の老舗御岳そばの本格派「菅原屋」がお勧めです!

「菅原屋」は、施設・料理(手打ちそば)・サービスも一番安心です。

そば打ち道場もやっています。詳しくは、HPで事前確認して下さい。

注)現在、恐らく旧店舗地は建て替え中か!?

  そば打ち道場の建物で営業中のようです。

筆者は、久し振りに菅原屋のご主人と奥さまにお目にかかって、そばを馳走になってから

バスで甲府駅へ帰ろうと思いましたが、5月5日は午後2時半頃には終了していたので遠慮。

声をかけずに帰りましたが、また近いうちに、美味しいそばを食べに伺えると良いが・・・。

 筆者お薦めの手打ちそば処「菅原屋」     「旧菅原屋」は工事中!? 

 詳しくは昇仙峡菅原屋HP        http://www.terra.dti.ne.jp/~sugahara/

昇仙峡菅原屋-you Tube   https://youtube.com/watch?v=ttsHDE_uv8s


 流石、ゴールデンウイークはバス便も往復超満員、往路約50分復路約40分。

でも前述の通り、昇仙峡はバス便がベターです。何故なら、せっかく昇仙峡を訪ねる

なら、昇仙峡滝上から渓谷を約1時間10分歩いて下る散策路が5月は新緑が美しい!

昇仙峡滝上には、昇仙峡ロープウエイがあり、弥三郎岳に登って大展望をしたり、

影絵の森美術館を楽しんだり、売店やカフェー、そば・ほうとう等の食堂などが並び、

流石に観光客で賑わっている。しかし、滝上辺りだけで帰るのは・・・もったいない!

現代はどこでもマイカーの観光客が多いので、昇仙峡滝上で駐車した後、昇仙峡ロープ

ウエイで往復、売店やせいぜい仙娥滝を観て折り返す人が多く・・・仕方ないのか!?

昇仙峡散策路(約4.2km歩行時間標準1時間5分)を歩く人が少ないのは何故!?

但し、筆者のように欲張って昇仙峡滝上から金桜神社を参拝し、その後昇仙峡を散策

しようなどグルメ計画も含めて散策するには、結構歩くことを覚悟して計画を立てる

必要がある。そのためには、日頃より運動して身体を鍛えておくことも大事だと思える。

注)今回の散策は、いつも登る弥三郎岳の大展望堪能とロープウエイ往復時間は足りなかったので、次回の楽しみに!

また、山梨に移住して以来、散策する時は何時・何処でも昼食できるように「おにぎり」持参が便利だと思っている。

滝上~金桜神社間は2.5km徒歩では約35分かかるが、マイカーでは5分で行ける。

最近は昇仙峡渓谷オムニバスも運行されているので、時間を合わせれば円滑に歩ける。

注)復路はオムニバスで金桜神社前~滝上まで@300円、僅か3分だった。

今度、昇仙峡散策へ行くときは、散策を楽々にするために計画の作り方を工夫したい。

いずれにしても、筆者は、せっかく昇仙峡へ行かれるなら、やはり渓谷沿いの散策路

を歩くことをお薦めしたい。そして五百羅漢コース等大自然の奥深さを体験すると良い。

どうやら、筆者はアウトドア派なので、楽しみ方が、手前勝手になってきたようです。

しかし、今回もし歩かなかったら、江戸時代後期に長田園右衛門たちの苦労によって

開かれた御岳新道が現在楽しませてもらっている昇仙峡の散策路になっているとは・・・

数回昇仙峡へ行ったことがあっても、知らないままであったかも知れない・・・と。


平日は長瀞橋馬車発着点を起点にグリーンライン昇仙峡バス停下まで、

上り一方通行、土日祭日は車両通行止めになるので、マイカーの他・JR甲府駅より

バス・歩行行程を組み合わせて金桜神社と昇仙峡散策の悠々プランを立てるのもお薦め!


 

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日蓮上人の身延山久遠寺、樹齢400年のシダレ桜が咲く!17-04

2017-04-01 | 山梨、里山の美しい四季!

日蓮上人が開山した甲斐の身延山久遠寺に見事に咲く大シダレ桜!

鎌倉時代、文永11年(1274)、日蓮上人が甲斐国波木井(はきい)のの地頭(領主)

南部実長(さねなが)の招聘により開いた身延山久遠寺・・・。

大伽藍の象徴として、祖師堂の前に、春には樹齢400年超のしだれ桜が満開を迎える!

注)筆者が以前に撮影した満開の素人写真ですが、今年の開花状況は行かれる方は情報を再確認して下さい。

4月上旬、身延山久遠寺祖師堂前に樹齢400年を越えるシダレ桜が満開を迎える!

身延山頂を見上げる塔頭・宿坊には、爛漫の桜が乱れる!

身延山「塔頭・宿坊が軒を連ねる」西谷の里にはヤマ桜も咲く!


甲斐(山梨県)には、往古の歴史とともに咲き乱れる桜の花がある!

今号(4月号)は「甲斐・身延山久遠寺の桜風景」を紹介します!


山梨県内の桜の名所としては、筆者のお薦めは何カ所かあるが、今号では未だ

紹介していない「身延山久遠寺のシダレ桜」と春爛漫の大伽藍周辺を紹介します。

注)文中の久遠寺に関する解説は、ウイキペディア、久遠寺HPなどを参照抜粋している。


日蓮上人開山の「身延山久遠寺」は花見だけではもったいない! 

身延山西谷の桜風景は、荘厳の世界に包まれた宿坊を見守る!


 「身延山久遠寺」は、日蓮上人が開山した「日蓮宗総本山」

文永11年(1274)、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭南部六郎実長

(波木井実長(じつなが)が佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招聘。

日蓮は西谷の地に草庵を構え、法華経の読誦(どくしょう)広宣流布及び弟子

信徒の教化育成、更には日本に迫る蒙古軍の退散、国土安堵を祈念したと云う。

弘安4年(1281)日蓮により十間四面の大坊が整備され、創建年とされる。

日蓮によって名付けられた「身延山妙法華院久遠寺」を正式名としている。


身延山久遠寺の総門から荘厳の地へ三門を潜る瞬間に荘厳の境地へ入る


身延山久遠寺の三門と本堂を一文字に結ぶ287段の石段は、キツいが登る人も多い!


 

※三門は「空、夢相、無願」の三解脱を表す。

石段を登り切ると覚りの喜びが生ずると云われ、一度はチャレンジしたい!

結構、一段、一段は高いので、高齢者には手すりの利用をお薦め!


二十六世日暹(にっせん)上人が、寛永八年(1632)に、佐渡の仁蔵の

発願によって完成したもので高さ104m。

身延山久遠寺の三門と本堂を一文字に結ぶ287段の石段は、南無妙法蓮華経に

準えて7区画に分かれています。その中で、菩提梯は、覚りに至る梯(きざはし)

のことで、この石段を登り切れば涅槃の本堂に至ることができることから、覚り

の喜びが生ずることを意味すると云う。※現地解説版より


身延山五重塔(平成25年5月落慶)祖師堂前のシダレ桜は樹齢400年超


身延山久遠寺へは三門を潜り右へ進み写真左の甘露門から入ると仏殿の前


 ヒッソリと咲くヤマ桜も美しい!桜の花も色とりどりで自然に融和している!


 西谷のヤマ桜や宿坊は自然界に溶け込んだ爛漫の桜群がある!見事だ!

 


西谷の宿坊の里は、爛漫の桜と同時に花桃の競演が見られる!


西谷は「草庵跡、御廟所」の静寂が保たれる荘厳の地!

 

日蓮上人が身延へ招聘された時の草庵跡(左)とその奥に御廟所(右)がある!


西谷の里と呼びたい荘厳の地は久遠寺を訪ねる人も意外に見過ごしている!


身延山久遠寺へ行くなら奥之院思親閣と頂上の展望を楽しみたい!  

身延山(標高1153m)山頂には奥之院思親閣があり眺望は素晴らしい!


 奥の院思親閣、現在はロープウエイで片道7分で登れる!

そうすれば、頂上駅の展望台で上の写真のように富士山と富士川の眺望が広がる。

もちろん、往古の日蓮は、西谷の草庵から高座石、洗足652m願萬稲荷を登り、

千本杉、感井坊を経て標高962m、1051mの尾根筋を経て奥の院へ登った

と云う。筆者は歩いて登ったことがないので・・・、一度はチャレンジしたい。


 身延山山頂から望む大パノラマは一寸した登山気分の大展望! ?


身延山山頂の標高1,153mの向こうに見える山は、手前が日本一人口が

少ない早川町の集落と富士見山(1640m)。その向こうに冠雪が見えるのが、

白根三山(農鳥岳3026m、間ノ岳3189m、北岳3193m)。

展望は静岡側から笊ケ岳(2629m)、荒川三山(中岳3083m、悪沢岳

3141m、千枚岳2879m)、塩見岳3047m、白根三山、鳳凰三山

(地蔵ケ岳2764m、観音岳2840m、薬師ケ岳2780m)、赤岳2899m、茅ケ岳

1704mなど、南アルプスや八ケ岳が覗き、パノラマ大展望が望める。

身延山久遠寺が桜が咲く頃には冠雪がまぶしく、眺望は一年中で最も美しい!

山々の案内版は頂上に鳥瞰図が掲示してあり、一般の人でも分かりやすい。

まさに、楽々に高山へ登ったパノラマ眺望が楽しめる!


日蓮聖人追考之遺蹟と云われる奥之院思親閣の仁王門


 

奥之院思親閣には大考殿、開基堂、育恩殿などが構えられ・・・、

仁王門を入ると常護堂、鐘楼、祖師堂などがあり、歴史観を楽しめる。


奥之院思親閣は、久遠寺裏山身延山山頂にあり、往古、日蓮は望郷の念おさえ

がたく、折に触れては身延山の頂上へ登り、故郷房州(千葉)安房勝浦の両親

を思い回向した場所で古来は東孝閣とも呼ばれ現在では親を思うお堂思親閣

と呼ばれている。


日蓮没後、加賀前田利家側室寿福院の外護により、堂宇が建立された。

育恩の祖師とも呼ばれる日蓮上人像、六老僧像 、参十番神、常護稲荷大菩薩、

草分稲荷大菩薩、子安八幡大菩薩を祀っている。


三門の前に身延山観光案内処※新宿直行高速バスも運行されて便利! 


 

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梅の花が咲く!酒折、不老園と甲斐善光寺を歩く!17-03

2017-03-01 | 山梨、魅力の里山歩き!

梅の花が咲く・・・!北山野道、不老園と甲斐善光寺の散策!

甲斐路の春は、2月、酒折「不老園」から、梅の花が咲き、春を告げる・・・!

甲斐(山梨県)の北山野道は、JR中央本線の沿線「酒折」下車徒歩9分。

そこに「不老園」がある。そこにも北山野道の魅力がある・・・!

今号は、その魅力の北山野道に梅の花が咲いたので、梅の名所「不老園」

と甲斐善光寺、そして「かいてらす」を紹介します。


不老園を尋ねたら、その足で「甲斐善光寺」を訪ねる・・・!

甲斐善光寺の境内にも梅の花がヒッソリと咲いていた! 

威風堂々の甲斐善光寺・金堂の東側に咲く梅の花!


梅の名所「不老園」は、2月下旬、梅の花が満開を迎えていた!

不老園の満開の梅の花 靑空に映える梅の花・・・!


 不老園の梅」は、一番早い黄色の蝋梅から始まり約20数種が咲き乱れる!


梅の花もこんなに多彩に咲くと、鮮やかな花見の気分・・・、春を迎える!

見頃は、2月~3月下旬・・・開園は9:00~17:00。注)雨天閉園


 「不老園」は、明治30年、甲府市内に住む呉服商の七代目奥村正右衛門が

別荘として開園したもので、北海道を除く全国を行脚して、特に北九州から紅梅、

小梅、夫婦梅、ブンゴ梅などを持ち帰っては、この園に植え付けたと云う。

山を切り崩し、谷を活かし、池を造り、その周辺に梅と桜、牡丹、南天、赤松、

ツツジなどを彩植して、庭造りの専念することおよそ30数年。

晩年は自然を友として送り、大正13年に86才で生涯を閉じた。

その後、園は、5人の子息によって受け継がれたが、恒久的な維持を図るために、

昭和40年に財団法人「奥村不老園」となった。※公式パンフレット不老園のおいたちより。 


詳しくは・・・、一般財団法人「奥村不老園」   http://www.furouen.jp/


甲斐「定額山浄智院善光寺」は・・・、

あの武田信玄が、川中島合戦に備えて信濃より甲斐に遷した歴史的遺産! 

 武田信玄が開基した「甲斐善光寺」は、今も往時の豪壮な七堂伽藍の様相を伝える!


甲斐善光寺 「定額山浄智院善光寺」 

JR酒折駅から徒歩15分。※梅の名所「不老園」より徒歩で約7分。

開基武田信玄が川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)

ご本尊善光寺如来像をはじめ、諸物寺宝類を奉遷したことに始まります。

板垣の郷は、善光寺建立の大檀那本田善光公埋葬の地と伝えられ、善光寺如来因縁

の故地に開山大本願鏡空上人以下、一山ことごとくお迎えいたしました。

その後、武田氏滅亡により、ご本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々といたしましたが、

慶長3年(1598)信濃に帰座なさいました。

甲府では、新たに前立仏をご本尊と定め、現在に至っております。

江戸時代には、本坊3院15庵を有する大寺院として浄土宗甲州触頭(ふれかしら)

を勤め、徳川家位牌所にもなっておりました。

詳しくは、公式HP 甲斐善光寺 http://www.kai-zenkoji.or.jp/


 豪壮な七堂伽藍は、一度焼失いたしましたが、再建され、東日本最大級の伽藍として

広く知られております。

重要文化財5件、県指定文化財4件、市指定文化材8件をはじめとする文化材の宝庫

として著名で、その一部は宝物館で公開されている。※甲斐善光寺公式パンフより


 甲斐善光寺金堂:寛政八年(1796年)再建。右写真奥宝物館。

 


甲斐善光寺は、山梨県甲府市善光寺にある浄土宗の寺院。山号は定額山。

正式名称は、定額山浄智院善光寺と称する。長野県長野市にある善光寺と区分

するため甲斐善光寺と呼ばれることが多く、甲州善光寺、甲府善光寺とも呼ぶ。

甲斐百八霊場の1番にある。

注)善光寺は、信州善光寺、甲斐善光寺、関善光寺、元善光寺、善光寺東海別院、

  岐阜善光寺の六名刹がある。七年に一度のご開帳は、平成21年春に行われ、

  筆者は訪れているが、六善光寺が同時ご開帳をする習わしは有名!

・文化財は、本堂、山門、銅像阿弥陀三尊像他(重要文化財)、

・絹本著色浄土曼荼羅図(県指定文化財)など見どころあり。

詳しくは、ウイキペディア(Wikipedia)フリー百科事典「甲斐善光寺」を検索!

おすすめの「Wikipedia・甲斐善光寺」は、以下のカテゴリーで解説されています。

①立地と地理的・歴史的景観

②甲斐善光寺の創建と展開 第三次川中島の戦いと信濃善光寺

③甲斐善光寺の創建

 上杉景虎は第3次川中島の戦い終結後、信濃善光寺・大御堂本尊の善光寺如来や

 寺宝を越後へ持ち帰り、永禄初年頃には直江津(新潟県上越市)に如来堂を建設。

 これにより、直江津は信濃から居住者が移転し、町場として発展している。

 尚、本尊像は旭山城へ籠城した栗田氏により非難されていたとも考えられている。

 これに対し、武田信玄は弘治3年2月15日、信濃善光寺本尊の阿弥陀如来像や

 寺宝を甲斐国甲府へ移転させ、善光寺別当栗田氏らも甲府へ転居した。

 武田信玄(晴信)は信濃善光寺本尊を善光寺如来を信濃佐久郡弥津に遷すと、

 三年後の永禄元年に甲斐へ持ち帰っている。「塩山向嶽庵小年代記」永禄元年

 (1558年)条によれば、永禄元年(1558年)9月15日に善光寺如来は

 甲斐に到着し、甲斐領民は狂喜したと云う。「王代記」では、同年9月25日に

 到着したとし、同年10月3日から板垣郷で普請が開始されたことを記している。

 永禄元年の甲斐善光寺創建には、信濃善光寺の三七世住職・鏡空上人が本願主と

 なっている。同年には栗田永寿も甲斐板垣郷に移住し、大下条(甲斐市大下条)に

 在国領を与えられ永禄8年までに死去している。その後も元亀元年に至るまで、

 造営は続いたと云う。・・・このように具体的に解説が記されている。

④近世の甲斐善光寺

 天正10年(1582)3月には織田・徳川連合軍による甲斐・武田征伐が

 行われ、武田勝頼は滅亡する。・・・

「甲陽軍艦」等によれば、甲斐善光寺では勝頼従兄弟の葛山信貞、郡内領主・

 小山田信茂(織田・徳川連合軍の甲斐征伐により追い詰められた武田勝頼一族は

 郡内・大月の岩殿城(城主小山田信茂)へ避難を目指していたが、甲斐大和にて、

 小山田信茂の裏切りを知り、甲斐大和の田野に逃避をして自刃している。

 注)甲斐大和田野には、後に徳川家康が武田勝頼の菩提を手厚く葬り、「景徳院」を建立されている。

 武田氏滅亡後、その小山田信茂は、信長の嫡男織田信忠により、甲斐善光寺にて

 処刑されている。注)小山田信茂の墓は、甲斐善光寺には供養されず、往時の

 寺領地ではあるが、現在、甲斐善光寺北側のバイパスを越え、道なりに奥くまった

 葡萄畑の中にあり、民家の敷地内にあるため、事前に詳しく調べて行かないと

 見つけることはできない。注)インターネット検索では、写真も掲載している人

 もいるので、筆者は省略します。

 小山田信茂は、郡内地方では名領主であるが、甲斐では武田氏の伝承評価が主流

 であるので、特に裏切り者扱いと云うことであろうか。歴史のわびしさを感じる。

 注)小山田信茂の詰城「岩殿城址」を取材したブログバックナンバー

 「33)山梨・大月、桜満開の岩殿城址と名勝猿橋のドラマ探訪!」

  http://blog.goo.ne.jp/yssoho/e/727c0be5566c2c4a770e37bf5ab7b3f2


⑤善光寺町の形成 

⑥伽藍

⑦文化財 重要文化財 山梨県指定有形文化財 甲府市指定文化財

⑧燈籠仏

⑨美術における甲斐善光寺

⑩交通アクセス など知りたいことが、より詳しく解説されている。

事前に、この程度の予備知識を持って甲斐善光寺を訪ねると楽しみは尽きない。

更に、事前のお尋ねは、TEL055-233-7570 

E-mail: staff@kai-zenkoji.or.jp


  甲斐善光寺の境内は広く、荘厳! 善光寺木造阿弥陀三尊像(重要文化財)  

 


阿弥陀三尊像:保存庫左右(木造阿弥陀如来及び両脇侍像)

重要文化財=明治39年9月6日指定。保存庫内左右に対置された二組六体。

いずれもうち刳のある檜材寄せ木造りの漆箔像で、藤原中・末期の造顕と推定。

平安時代の半𠀋六阿弥陀三尊像二組が重要文化財に指定されているが、そのうち

一組は宝物館で公開している。木造は典型的な藤原仏の構造を有し、定期様式

の秀作として著名なものです。※甲斐善光寺公式ガイドより。


 善光寺銅鐘 (山梨県有形文化財)工芸)

本銅鐘は、正和2年(1313)に補鋳されたことが銘によってわかる。

治承3年(1179)、文永4年(1267)の善光寺火災により、その都度

修復されている。鐘の周囲に、八葉複弁(蓮の花)を刻んだ撞座があり、

鐘乳は総計100個つくられている。

・・・鎌倉時代の風格を表しており、美術的価値も高い。

尚、本鐘は、武田信玄により信濃善光寺より、本尊その他と共に移されたもの。

総高200cm。口径135.2cm。

山梨県・甲府市教育委員会 境内掲示解説による。


「かいてらす」山梨県地域産業センターは、甲斐善光寺のすぐ隣り!

「かいてらす」:2月24~26日は「春の山梨県地場産業まつり 」 

場所は、山梨県甲府市東光寺3-13-25 善光寺から徒歩1分。

詳しくは、http://www.kaiterasu.jp 

Email: info@kaiterasu.jp


 酒折に・・・、北山野道に梅が咲く頃、2月24日~26日・・・、

「かいてらす」では、山梨県地場産業まつりと称する物産フェアを開いている。

山梨の地場物産が多彩に展示され、土産物や珍しい特産品が安く買える。

注)但し、多少の食べ物は調達できるが、昼食は、事前に近隣のレストラン情報

を調べて行った方がベターです。


酒折に来たら、北山野道散策が面白い!

北山野道には、中世甲斐国「武田氏時代の足跡」があちこちに残り、

特に、武田信虎、信玄の代で築いた甲府五山は、時間があったら、

ぜひ、歩いて見て下さい。

ブログバックナンバー42)2013年2月号、「甲府五山は、

自然と歴史文化を偲ぶ「北山野道」に!」で紹介しています。

注)一部、OCNからGooブログへ引越のため容量不足で削除されて

いますがご容赦下さい。

http://blog.goo.ne.jp/yssoho/e/b152193b1c5d1d9ab9c361c5f0266d6f


 

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