梅の花が咲く・・・!北山野道、不老園と甲斐善光寺の散策!
甲斐路の春は、2月、酒折「不老園」から、梅の花が咲き、春を告げる・・・!
甲斐(山梨県)の北山野道は、JR中央本線の沿線「酒折」下車徒歩9分。
そこに「不老園」がある。そこにも北山野道の魅力がある・・・!
今号は、その魅力の北山野道に梅の花が咲いたので、梅の名所「不老園」
と甲斐善光寺、そして「かいてらす」を紹介します。
不老園を尋ねたら、その足で「甲斐善光寺」を訪ねる・・・!
甲斐善光寺の境内にも梅の花がヒッソリと咲いていた!
威風堂々の甲斐善光寺・金堂の東側に咲く梅の花!
梅の名所「不老園」は、2月下旬、梅の花が満開を迎えていた!
不老園の満開の梅の花 靑空に映える梅の花・・・!
「不老園の梅」は、一番早い黄色の蝋梅から始まり約20数種が咲き乱れる!
梅の花もこんなに多彩に咲くと、鮮やかな花見の気分・・・、春を迎える!
見頃は、2月~3月下旬・・・開園は9:00~17:00。注)雨天閉園
「不老園」は、明治30年、甲府市内に住む呉服商の七代目奥村正右衛門が
別荘として開園したもので、北海道を除く全国を行脚して、特に北九州から紅梅、
小梅、夫婦梅、ブンゴ梅などを持ち帰っては、この園に植え付けたと云う。
山を切り崩し、谷を活かし、池を造り、その周辺に梅と桜、牡丹、南天、赤松、
ツツジなどを彩植して、庭造りの専念することおよそ30数年。
晩年は自然を友として送り、大正13年に86才で生涯を閉じた。
その後、園は、5人の子息によって受け継がれたが、恒久的な維持を図るために、
昭和40年に財団法人「奥村不老園」となった。※公式パンフレット不老園のおいたちより。
詳しくは・・・、一般財団法人「奥村不老園」 http://www.furouen.jp/
甲斐「定額山浄智院善光寺」は・・・、
あの武田信玄が、川中島合戦に備えて信濃より甲斐に遷した歴史的遺産!
武田信玄が開基した「甲斐善光寺」は、今も往時の豪壮な七堂伽藍の様相を伝える!
甲斐善光寺 「定額山浄智院善光寺」
JR酒折駅から徒歩15分。※梅の名所「不老園」より徒歩で約7分。
開基武田信玄が川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)
ご本尊善光寺如来像をはじめ、諸物寺宝類を奉遷したことに始まります。
板垣の郷は、善光寺建立の大檀那本田善光公埋葬の地と伝えられ、善光寺如来因縁
の故地に開山大本願鏡空上人以下、一山ことごとくお迎えいたしました。
その後、武田氏滅亡により、ご本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々といたしましたが、
慶長3年(1598)信濃に帰座なさいました。
甲府では、新たに前立仏をご本尊と定め、現在に至っております。
江戸時代には、本坊3院15庵を有する大寺院として浄土宗甲州触頭(ふれかしら)
を勤め、徳川家位牌所にもなっておりました。
詳しくは、公式HP 甲斐善光寺 http://www.kai-zenkoji.or.jp/
豪壮な七堂伽藍は、一度焼失いたしましたが、再建され、東日本最大級の伽藍として
広く知られております。
重要文化財5件、県指定文化財4件、市指定文化材8件をはじめとする文化材の宝庫
として著名で、その一部は宝物館で公開されている。※甲斐善光寺公式パンフより
甲斐善光寺金堂:寛政八年(1796年)再建。右写真奥宝物館。
甲斐善光寺は、山梨県甲府市善光寺にある浄土宗の寺院。山号は定額山。
正式名称は、定額山浄智院善光寺と称する。長野県長野市にある善光寺と区分
するため甲斐善光寺と呼ばれることが多く、甲州善光寺、甲府善光寺とも呼ぶ。
甲斐百八霊場の1番にある。
注)善光寺は、信州善光寺、甲斐善光寺、関善光寺、元善光寺、善光寺東海別院、
岐阜善光寺の六名刹がある。七年に一度のご開帳は、平成21年春に行われ、
筆者は訪れているが、六善光寺が同時ご開帳をする習わしは有名!
・文化財は、本堂、山門、銅像阿弥陀三尊像他(重要文化財)、
・絹本著色浄土曼荼羅図(県指定文化財)など見どころあり。
詳しくは、ウイキペディア(Wikipedia)フリー百科事典「甲斐善光寺」を検索!
おすすめの「Wikipedia・甲斐善光寺」は、以下のカテゴリーで解説されています。
①立地と地理的・歴史的景観
②甲斐善光寺の創建と展開 第三次川中島の戦いと信濃善光寺
③甲斐善光寺の創建
上杉景虎は第3次川中島の戦い終結後、信濃善光寺・大御堂本尊の善光寺如来や
寺宝を越後へ持ち帰り、永禄初年頃には直江津(新潟県上越市)に如来堂を建設。
これにより、直江津は信濃から居住者が移転し、町場として発展している。
尚、本尊像は旭山城へ籠城した栗田氏により非難されていたとも考えられている。
これに対し、武田信玄は弘治3年2月15日、信濃善光寺本尊の阿弥陀如来像や
寺宝を甲斐国甲府へ移転させ、善光寺別当栗田氏らも甲府へ転居した。
武田信玄(晴信)は信濃善光寺本尊を善光寺如来を信濃佐久郡弥津に遷すと、
三年後の永禄元年に甲斐へ持ち帰っている。「塩山向嶽庵小年代記」永禄元年
(1558年)条によれば、永禄元年(1558年)9月15日に善光寺如来は
甲斐に到着し、甲斐領民は狂喜したと云う。「王代記」では、同年9月25日に
到着したとし、同年10月3日から板垣郷で普請が開始されたことを記している。
永禄元年の甲斐善光寺創建には、信濃善光寺の三七世住職・鏡空上人が本願主と
なっている。同年には栗田永寿も甲斐板垣郷に移住し、大下条(甲斐市大下条)に
在国領を与えられ永禄8年までに死去している。その後も元亀元年に至るまで、
造営は続いたと云う。・・・このように具体的に解説が記されている。
④近世の甲斐善光寺
天正10年(1582)3月には織田・徳川連合軍による甲斐・武田征伐が
行われ、武田勝頼は滅亡する。・・・
「甲陽軍艦」等によれば、甲斐善光寺では勝頼従兄弟の葛山信貞、郡内領主・
小山田信茂(織田・徳川連合軍の甲斐征伐により追い詰められた武田勝頼一族は
郡内・大月の岩殿城(城主小山田信茂)へ避難を目指していたが、甲斐大和にて、
小山田信茂の裏切りを知り、甲斐大和の田野に逃避をして自刃している。
注)甲斐大和田野には、後に徳川家康が武田勝頼の菩提を手厚く葬り、「景徳院」を建立されている。
武田氏滅亡後、その小山田信茂は、信長の嫡男織田信忠により、甲斐善光寺にて
処刑されている。注)小山田信茂の墓は、甲斐善光寺には供養されず、往時の
寺領地ではあるが、現在、甲斐善光寺北側のバイパスを越え、道なりに奥くまった
葡萄畑の中にあり、民家の敷地内にあるため、事前に詳しく調べて行かないと
見つけることはできない。注)インターネット検索では、写真も掲載している人
もいるので、筆者は省略します。
小山田信茂は、郡内地方では名領主であるが、甲斐では武田氏の伝承評価が主流
であるので、特に裏切り者扱いと云うことであろうか。歴史のわびしさを感じる。
注)小山田信茂の詰城「岩殿城址」を取材したブログバックナンバー
「33)山梨・大月、桜満開の岩殿城址と名勝猿橋のドラマ探訪!」
http://blog.goo.ne.jp/yssoho/e/727c0be5566c2c4a770e37bf5ab7b3f2
⑤善光寺町の形成
⑥伽藍
⑦文化財 重要文化財 山梨県指定有形文化財 甲府市指定文化財
⑧燈籠仏
⑨美術における甲斐善光寺
⑩交通アクセス など知りたいことが、より詳しく解説されている。
事前に、この程度の予備知識を持って甲斐善光寺を訪ねると楽しみは尽きない。
更に、事前のお尋ねは、TEL055-233-7570
E-mail: staff@kai-zenkoji.or.jp
甲斐善光寺の境内は広く、荘厳! 善光寺木造阿弥陀三尊像(重要文化財)
阿弥陀三尊像:保存庫左右(木造阿弥陀如来及び両脇侍像)
重要文化財=明治39年9月6日指定。保存庫内左右に対置された二組六体。
いずれもうち刳のある檜材寄せ木造りの漆箔像で、藤原中・末期の造顕と推定。
平安時代の半𠀋六阿弥陀三尊像二組が重要文化財に指定されているが、そのうち
一組は宝物館で公開している。木造は典型的な藤原仏の構造を有し、定期様式
の秀作として著名なものです。※甲斐善光寺公式ガイドより。
善光寺銅鐘 (山梨県有形文化財)工芸)
本銅鐘は、正和2年(1313)に補鋳されたことが銘によってわかる。
治承3年(1179)、文永4年(1267)の善光寺火災により、その都度
修復されている。鐘の周囲に、八葉複弁(蓮の花)を刻んだ撞座があり、
鐘乳は総計100個つくられている。
・・・鎌倉時代の風格を表しており、美術的価値も高い。
尚、本鐘は、武田信玄により信濃善光寺より、本尊その他と共に移されたもの。
総高200cm。口径135.2cm。
山梨県・甲府市教育委員会 境内掲示解説による。
「かいてらす」山梨県地域産業センターは、甲斐善光寺のすぐ隣り!
「かいてらす」:2月24~26日は「春の山梨県地場産業まつり 」
場所は、山梨県甲府市東光寺3-13-25 善光寺から徒歩1分。
Email: info@kaiterasu.jp
酒折に・・・、北山野道に梅が咲く頃、2月24日~26日・・・、
「かいてらす」では、山梨県地場産業まつりと称する物産フェアを開いている。
山梨の地場物産が多彩に展示され、土産物や珍しい特産品が安く買える。
注)但し、多少の食べ物は調達できるが、昼食は、事前に近隣のレストラン情報
を調べて行った方がベターです。
酒折に来たら、北山野道散策が面白い!
北山野道には、中世甲斐国「武田氏時代の足跡」があちこちに残り、
特に、武田信虎、信玄の代で築いた甲府五山は、時間があったら、
ぜひ、歩いて見て下さい。
ブログバックナンバー42)2013年2月号、「甲府五山は、
自然と歴史文化を偲ぶ「北山野道」に!」で紹介しています。
注)一部、OCNからGooブログへ引越のため容量不足で削除されて
いますがご容赦下さい。
http://blog.goo.ne.jp/yssoho/e/b152193b1c5d1d9ab9c361c5f0266d6f