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甲州・旧「松里」を辿る⑧「三日市場②」を歩く!20-09

2020-09-01 | 山梨、里山の美しい四季!

甲州「松里」村の中心にあった「三日市場」。現甲州市

塩山三日市場は、地名の由来となった「三日市場」が、

「恵林寺」創建後の鎌倉末期~室町初期と考えられ、

戦国期(武田時代)は、恵林寺領に属し、恵林寺門前

市場として開設されたであろうと云われている。

地名辞典243p塩山市の項。

今号は、旧「松里」村の中で、最も中心的な位置にあった

「三日市場」「第2編」として立寄りスポットを紹介します。


「三日市場」は「機山ワイナリー」を起点がベター・・・!

あとは、”歩いて観る”ことを・・・、お勧めします!

先ず、現「三日市場」の中心地にある①重要文化財「土屋家住宅」に立ち寄る!


重要文化財「土屋家」住宅は、明治初期、現土屋氏の曽祖父が建てたと云われ、

国土の歴史的景観に寄与しているとして、重要文化財に指定された建造物です!

現甲州市塩山三日市場3313-1にあり、往時は養蚕のために、二階屋根上に

突き上げ屋根の三階部分と、越屋根の四階部分を重ねる外観が特徴・・・!

中央に玄関。左前面側には10畳間を三室並べ、その北には中廊下を配す。

邸内には、母屋の裏手に米蔵、文庫蔵、切妻造二階建、桟瓦葺で桁行7.6m、

梁間3.6mの規模で、当初は小作米を納めていたが、昭和30年代からは、

一階をブランデー醸造に利用している。他邸内には麹蔵(桁行7.1m梁間3.0m)

切妻造、桟瓦葺の土蔵で、地域の大規模農家の営みを今日に伝える。

その他、裏門、座敷門や塀は質の高い近代民家の景観を形作っている。

以上のように甲州市文化財課で紹介。先ず、”一見の価値”があります。

現在は「機山ワイナリー」を営んでいて、観光客気軽に訪れることができる。

「三日市場」散策の”お薦めスポットの起点”です。


「三日市場」の「機山ワイナリー」は、起点に相応しい”お薦めスポット”です!


この広い屋敷へ入ると、右手に売店があり、ワインの試飲コーナーもある。

ここで、周辺観光スポットの情報収集も出来ます・・・!お薦めです・・・!


先ずは、②「恵林寺」の拝観と③「一休庵」でお茶休止を・・・、そして散策を・・・!


「三日市場」の”「秩父往還」古道の散策”と、お立ち寄りスポット紹介!


※④「岩波農園」は地元で有名なころ柿農家ですが、12月頃が”旬”なので省略。

山本勘助不動尊:※流石に”信玄公”ゆかりの地。”信玄”の軍師”山本勘助”を祀る。

不動尊の写真は省略しますが、現地解説版には写真入りで紹介。

※お薦めの散策路、第1小休止ポイント。

⑥「安田稲荷社」には、あの「安田義定」が祀ってある・・・!?


現「安田稲荷社」の境内は広さを感じる!静かな”荘厳さ”を感じるのも良い!


安田稲荷社」を訪ねると、広い境内を有す「稲荷社」であったことが想像できる!

「安田稲荷社」は、あの「安田遠江守従五位上源朝臣義定、所謂「安田義定」を

往時、「稲荷大明神」として祀ったものです。社地は往時、約1000坪あったと云う。

注)本ブログ18年9月号~2019年12月号まで、「安田義定」はシリーズで紹介した

ものです。詳しくは、バックナンバーをご覧下さい。


⑦「井尻堰」は現在も流々とした清流が流れる!堰の石積みは往古のもの・・・。


「井尻堰」は、本流「笛吹川」から取水し、今も流々と水を配している。

ここを通る古道が「秩父往還」の古道・・・。松里史蹟研究会の解説版によると、

「甲斐国志」にも記される別名「四ヶ村堰」と呼ばれ、上井尻、下井尻、塩後と、

現山梨市にも供給した貴重な水インフラ(田畑のみならず生活用水としても必須

堰(せき=地域用水のインフラ)であったという。

この堰は甲州市文化財課によると「条里制」にそったものであり、律令時代(7世紀)

には開設していた可能性もあると云われる。

注)古代の堰だとも云われ、筆者も好きな散策路の一つ!

今も流々と清流が流れて、心も洗われる・・・!


この堰の左側角地にある歴史由緒伝わる網野家住宅(網野新五左衛門屋敷は、

累代子孫が継承し現存)は、往古(武田時代)よりこの地域を治領した「武家屋敷」。


この旧家は現役で、「武士原」に立地して、歴史環境の豊かなところである。


現在の網野家は、塩山市誌によると、三日市場字武士原にある網野末彦氏の

宅地と畑などが往古の網野氏の屋敷址と推定され、形状はほぼ正方形の区画が 

認められ、屋敷内の北側には東西に長く、高さ約50cm、長さ約47mの土塁の痕跡

が残る。北側のこの土塁に接して、五輪塔、宝篋印塔群が十数基あり、墓地を形成

ていると記してあるが、当日は不在のため取材できず残念だが、ご容赦下さい。


塩山市誌に記される往古「網野新五左衛門屋敷」址は子孫により後継されている。

昭和58年から山梨県内で一斉実施された「中世城郭分布調査」によって証された

「三日市場」の旧家で、「甲斐国志」の「網野新右衛門」項に動向を記している。

初見は、永仁2年(1293年)の熊野神社棟札に「国主源之臣武田五郎信長代官

網野外記助宗明、同宗吉」と見えるようだ。

網野家所蔵の弘治元年(永禄11年)等の武田家印判状によれば、網野氏は”調衆”

と見え、「武士原之郷」に家1軒を免許されていて、武田氏滅亡後も天正10年12月

発行された徳川家印判状でも同様に認められているとのことで、「三日市場」が、

それほど重要な立地であった!と改めて教えられる!

現網野家の敷地がその屋敷址と推定され、外から井尻堰をみると、如何にも武家

屋敷址で「中世城郭分布調査」に列記されるに相応しい場所であると考察できる。

左岸の仏師原に立地しており、南側に「武士原塁址」、北側は「名刹恵林寺」の

小屋敷地域がある豊かな歴史環境にある、と記されている。


松尾山縁瑞寺」は、往古「松尾山常泉寺」の隠居寺であった証し・・・! ?


この「松尾山縁瑞寺(えんずいじ)」であるが、常泉寺と山号が同じであるのは珍しい。

伺って覧ると、実は現栗原住職の高祖が、往古、この寺を「常泉寺の隠居寺」にして

いた処であったことが解った。

甲斐国志3-239によると、除地1反3畝1歩。同じ真宗大谷派(浄土真宗東本願寺派)

「松尾山縁瑞寺」は、往古は真言宗で「飛龍山福蔵寺」。

開山の了恵は俗名を伊東左衛門祐晴。寺は500年以上前に創建されたと云う古刹。

創建は平安時代(寿永年間)、開山は釈了恵。 

慶長11年(1606年)5世了ぜい上人の時、現在地の乙川戸へ移転されたと云う。

江戸時代に火災で二度焼失、再建をしている。

注)親鸞聖人の掛け軸が保存されていると言う!?

本尊は阿弥陀如来。観音は空海作? 本尊の台座には肥前の刻銘や作者名記。


⑨浄土真宗西本願寺派「医王山正林寺」は、如何にも”お寺さん”を感じる古刹。


甲斐国志3-239 除地1反2畝25歩。

了鉄上人により建久元年(1190)山梨郡岩手村池澤と云う字地に天台宗の寺院

して建立。後に、光寂上人の化導で真宗に改宗。

慶長11年(1605)5世了誓上人により、現在地の栗原筋乙川戸へ移転。

寺地の字地が「正林」であり寺号に。近くの医王平の地名が山号となった。

寺記によると、「了鉄上人」は、藤原秀郷一族の藤原義信の子、俗名は佐藤継昌。

寿永3年(1184)屋島の戦いを以て、帰路、播州加茂の門徒寺で剃髪、出家して、

僧侶なり、この地で開山をしている。

本尊は阿弥陀如来。天和2年、嘉永6年の2度も庫裏、本堂を焼失。

安政2年(1853)に再建とある。三日市場2940にあり、現在も好寺環境を維持


「三日市場」は戦国期から栄えた郷である。枝郷に「乙川戸」があり、「町屋、

天王宿、大手先、下市場や武師原(現武士原)」などの小字がある。

地名の由来となった「市」の成立時期は、恵林寺創建後の鎌倉末期~室町初期

と思われ、同寺門前の市として開設されたのであろうと云われる。

注)詳細は不詳だが「九日市場」も「三日市場の恵林寺寄り」にあったらしい!?

当地は、のちの秩父往還などが交差する交通の要所で、また御嶽への登り口で

ある金峰山の「蔵王権現」(現牧丘町金桜神社)への入口にもあたり、参詣者など

の往来が頻繁であったことから繁栄したと思われる。

「三日市場」は戦国期、恵林寺領に属し、武田氏の陣屋や御蔵が置かれ、必要に

応じて「三日市場」で銭貨と交換されていたと云われる。※前号で「陣屋街道」に触れた。

従って、武田時代から、「三日市場」は栄え、主要な拠点であったことが伺える。

江戸時代になっても、そのまま引き継がれ、「三日市場」は、江戸幕府領とされ、

寛永10年(1633)には、徳美藩(十組屋敷)が置かれ、現在も「三日市場」の基点

になっている。(ブログ前号で紹介している!)

既に廃寺となっているが、往時は「恵林寺領域」であったこともあり、臨済宗恵林寺

の塔頭「精神庵」、「獅子吼庵」を始め、「浄土宗薬師庵」、「真言宗竜海寺」は今は

ない。10月号で紹介する「松尾山常泉寺」を始め、今号紹介の「真宗大谷派縁瑞寺」、

「浄土真宗本願寺派正林寺」は現存する。どの”お寺”も厳かな環境に佇む!


「浅間社」は、富士の安寧を望み、特に桜の季節は桜花が爛漫です!

「浅間社」は、創建、由緒が不詳だが、径50m程の塚「浅間塚」を神社とし、地域

住民の家内円満、安産、子安、水徳の神を守護し、郷土の平和を祈念している!

※写真は古いが見事な桜の季節を掲載している!※知見が見えず不詳。ご容赦!


白鬚神社は今も「三日市場」の氏神様(鎮守)として氏子に守護されている!


「白鬚神社」は、現在も三日市場の氏神様として氏子の方々が維持保存している。

現甲州市塩山三日市場2289。祭神は猿田彦命、天宇受女命、宮司日原史絵。

境内地193坪、氏子110戸。※山梨県神社庁広報に見える。由緒沿革は次の通り。

社記に曰く「人皇七十代後冷泉天皇の御代、天喜二年(1054)奥州の安倍頼時基子

貞任謀反の時、義家朝臣義光朝臣とともに、東国御通行の時、暗夜の教導の神

ありて、鈴を鳴らして導き給う。明旦に其所の松に白水干掛けり。康平5年(1062)

この所へ義光朝臣当社を給いしと曰伝う。その後、天正中恵林寺炎上の節、神殿

古書共に焼失致しぬ。御手洗の湯は眼疾湿疹、小療を治す。」とある。


「三日市場」は、往古の趣が豊かなので、寺号に続きます。「松尾山常泉寺」、

今もナウい「笛吹温泉坐忘」などを紹介する予定・・・!