新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

甲斐源氏安田義定ゆかりの「牧ノ荘」を辿る⑫”牧”の要所に守護神を勧請し、鎮守集落を形成した!19-08

2019-08-01 | 山梨、往古の歴史と伝説!

安田義定は、往時、領有していた「牧ノ荘」の”牧”を守護するため、

現山梨市牧丘町に”西御所”を置き、要害”小田野山城”を築き、

その要所に守護寺(前号参照)を開基。そして”牧”を鎮護強化するため、

集落の中心に守護神を勧請し神社を造営。鎮守集落を形成していた。

その集落は・・・、今も「牧丘」に存続している!

YS記では殆ど留守の安田遠江守義定の留守居に、義高の子を養子

に安田西保三郎義安として”牧”の鎮護に当たらせていたと考察する。

今月号は、安田義定が集落形成の要にした伝勧請神社配置の概要

を解析し、各集落に勧請されたと云う神社の今の様子を紹介します!


安田義定が神社を勧請して鎮守集落を形成したとするマトリックス解析図!

 


牧丘には、今でも往時を偲ぶ安田義定の縁の神社が守られる!


義定は鎮守「若松八幡」を建立!小田野山城の真南に「馬場」集落を形成。


安田義定が勧請した(旧中牧村)馬場の「若松八幡社」。

由緒によると・・・、

「治承年間、従五位安田遠江守義定、小田野山に要害を築き、その地に

武術訓練のため馬場を設け、弓術訓練を為したる時、鎮座せし」と云う。

故に付近に「荒臺空穂入射場」等の名称あり。

以来、この地を「馬場」と称す。貞享年間、西保中村に祖岳(宗覚)神

として、安田義定公の霊を祀りたる社地あり・・・云々。

YS記:現在の若松八幡社は、馬場公民館の裏手にある.


旧中牧の法喩庵「天神社」・・・現在も西保下字法喩庵に鎮座。


上求寺旧記によれば、「安田義定公館の鬼門除けとして祈願せり」とあり。

祭神は菅原道眞公。人皆立身出世の守護神として仰げり。

YS記:天神社は西御所の鬼門除けに、法喩庵(城下)集落の鎮守として、安田

義定が勧請して配置したと云う。建久4年創建説もあるが、YS記推定では、

治承年間(1177~1181)以降に創建して、鎮守集落を形成したと見ている。

義定は帝に貢献し、従五位下遠江守に任ぜられたため、主領地が東海道を守護

する遠州(静岡浜松)になったことと、源平の合戦に参画したこともあって、甲斐

本領の”牧”を守護するために、小田野山城を築城時の治承年間に、要所に鎮守

集落を形成するために、城下には法喩庵を開基し、禅の法を説諭し、鎮守集落

形成強化したと考察している。 


鳥谷原の管神社(※安田義定の勧請)


牧丘西保中大字中村上、鳥谷原の⛩「管神社」!

鳥谷原集落の鎮守として、安田義定が勧請したと伝わる。現地解説版には、

「祭神は菅原道眞である。甲斐源氏安田義定が小田野山築城の守護神として

拝殿を創建。崇祀する。建久4年(1193)創立。寛永10年(1633)夏の大火

により社殿宝物鳥有に帰す。京都大仏師の彫刻せる神体を安置。権中納言藤原

顕考公の扁額の寄進あり・・・云々。鳥居1基、社地300坪。」と見える。

YS記:この神社は西城戸の鎮守集落形成のために勧請したものと考察できる。 


中牧の「若松八幡宮」・・・鎮座地は西保中村。

 

西保中村(現在の横道)に安田義定は寿永2年に勧請している。

まさに鎮守の備えを象徴している。祭神は大鷦鷯尊(オオキザキノミコト)。

ご神体は金弊御状1勺5寸。

社記の記録は「寿永元年2月20日安田義定の勧請にして、造営料黄金五板、

旗二旈御寄付あり」・・・と見える。義定卒後、その霊を配祀して「相覚神」と称す。

YS記:寿永元年は、源氏では治承6年(1186)を使用。

治承年間は安田義定の全盛期と見える。往時は治承・寿永の乱の最中で、

特に安田義定は、朝廷や鎌倉頼朝の側近として、超多忙であったと思われるが

造営料を負担し、義定勧請としたことは確かであろう。

※勧請した大鷦鷯尊(オオキザキノミコト)は、仁徳天皇を神化したもの。


 現牧丘町・・・膝立の「若松八幡宮」~(旧村社)山梨県神社庁~

鎮座地:牧丘町牧平1759 祭神:オオササギ尊、天照皇大神。

境内地:285坪。氏子戸数:30戸 (※山梨県神社庁)

由緒沿革:寿永2年(1183)8月、小田野山城主安田義定が従五位下に叙され、

遠江守に任ぜられた頃、御祭神を勧請し、社殿を造営して奉齋し、爾来崇敬殊の外

厚く、土民を愛撫し社領を献じて武運祈願所となす。

YS記:この地は、中世に跡部氏と武田氏が戦った赤芝の道であるが、小田野山城へ

通じる要衝の地であったことも分かる。

現在も膝立集落の一部の氏子に守られてはいるが・・・写真の様子に・・・。