平幹二朗さんがお亡くなりになりました。82歳でした。
急なことで非常に驚いております。つい先日まで大阪で舞台をお勤めだったとか、ご子息の岳大さんが「穏やかに眠っている」とコメントされており、苦しむこともなくあの世へ旅立たれたのでしょう。表現は不適切かもしれませんが、全老人の憧れ"ピンピンコロリ"だったのでしょうか。と書きつつ、平さんが"老人"って、合わないですね。
平さんの舞台ですが、チケットの半券の束を繰ったところ、初見は2006年の兵庫芸文センターの開場記念の「獅子を飼う」でした。案外遅かった"平デビュー"でした。お芝居の最初が文学座だったせいか、俳優座とか民藝とかの役者さんって見る機会がなかったんですよね。代表作と言われる「王女メディア」も「マクベス」も残念ながら見ていません。その後も数回しか拝見していません。
いちばん直近はTeam申の「男たちの棲家」で、リア王の声だけのご出演でした。声だけでしたが圧倒的な存在感で、出演の亀ちゃん、蔵之介さん、佐藤隆太さんを蹴散らしていらっしゃいました。その前は蜷川センセー演出の藤原竜也クンの「ハムレット」でクローディアスをお勤めでした。ほぼ裸で本水を使って「水ごり」の場面があって、何でそこまで!と思った覚えがあります。後は、愛之助さんと共演された「炎立つ」、内野聖陽さんとの「イリアス」です。いずれもブログを始めてからだったので、記事が残っていました。役に立つ?ブログです。
蜷川センセーの告別式で「僕らはまた、近いうちに再会する」という「タンゴ・冬の終わりに」の中の一節を捧げられたそうですが、既にあちらでは早速お稽古が始まっているのかもしれませんね。灰皿も飛んでる?
ご冥福をお祈りいたします。
急なことで非常に驚いております。つい先日まで大阪で舞台をお勤めだったとか、ご子息の岳大さんが「穏やかに眠っている」とコメントされており、苦しむこともなくあの世へ旅立たれたのでしょう。表現は不適切かもしれませんが、全老人の憧れ"ピンピンコロリ"だったのでしょうか。と書きつつ、平さんが"老人"って、合わないですね。
平さんの舞台ですが、チケットの半券の束を繰ったところ、初見は2006年の兵庫芸文センターの開場記念の「獅子を飼う」でした。案外遅かった"平デビュー"でした。お芝居の最初が文学座だったせいか、俳優座とか民藝とかの役者さんって見る機会がなかったんですよね。代表作と言われる「王女メディア」も「マクベス」も残念ながら見ていません。その後も数回しか拝見していません。
いちばん直近はTeam申の「男たちの棲家」で、リア王の声だけのご出演でした。声だけでしたが圧倒的な存在感で、出演の亀ちゃん、蔵之介さん、佐藤隆太さんを蹴散らしていらっしゃいました。その前は蜷川センセー演出の藤原竜也クンの「ハムレット」でクローディアスをお勤めでした。ほぼ裸で本水を使って「水ごり」の場面があって、何でそこまで!と思った覚えがあります。後は、愛之助さんと共演された「炎立つ」、内野聖陽さんとの「イリアス」です。いずれもブログを始めてからだったので、記事が残っていました。役に立つ?ブログです。
蜷川センセーの告別式で「僕らはまた、近いうちに再会する」という「タンゴ・冬の終わりに」の中の一節を捧げられたそうですが、既にあちらでは早速お稽古が始まっているのかもしれませんね。灰皿も飛んでる?
ご冥福をお祈りいたします。
舞台は「幹の会」というのを主宰されていて、一度見てみたかったです。残念です。
お名前を知ったのは、確か「三匹の侍」。平幹二朗さん、加藤剛さんと長門勇さんでした。古~い思い出です。
ご冥福をお祈りいたします。