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韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

現代車と三菱

2008年09月23日 |   〇政治・経済

日本の三菱自動車が、10月から三菱ブランドの車を韓国で
販売することになった。

過去、韓国の自動車産業の発展に大きく寄与した三菱自動車の
韓国進出であるだけに、韓国メディアでも少なからず関心を
集めていた。


△三菱ランサーエボリューション(ゴーニュース)

「ヲタク」が目を通した関連報道だけに限っても、その論調は
好意的なものから極端な酷評までと、実に幅広かった。

ここではその中間的な(?)東亜日報の記事を翻訳練習してみる。

なお、例によって紙面の都合で韓国語原文の引用は省いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

■현대차와 미쓰비시…
現代自動車と三菱・・・
(東亜日報 9月23日)

・현대차와 미쓰비시 ‘고운정 - 미운정’
・現代自動車と三菱、愛憎相半ばする関係とは

過去の一時期、現代自動車に技術を供与し「師匠」の役割を
担った日本の三菱自動車
が22日、韓国市場に進出した。

両者が公式に技術提携を発表したのは1981年11月のことだが、
実質的な協力関係は韓国初の国産大衆車「ポニー」が開発された
1970年代初めにまでさかのぼる。

フォードの技術協力で1967年に会社を設立した現代自動車は、
フォードの「コニータ」や「マークV」、「グラナダ」などの製造図面と
部品を持ち込み乗用車を生産した。ところが、小型車の開発をめぐり
フォードとの協力関係にきしみが生じ、現代自動車は独自モデルの
開発に取り組むことになった。しかし、適当な技術提携相手を
見つけることができなかった。

幸運にも最後に話を持ちかけた三菱が小型車開発に手を貸すことを
約束してくれ、車体やエンジン、ギアの生産技術を提供してくれた
のだ。その結果、1976年1月にポニーを発売することができた。
三菱の助けがなかったらポニーも生まれていなかったかもしれない

三菱の技術供与は当時の久保富夫社長が大の韓国びいきだった
おかげで実現したとの説もある。彼は「私は百済人の末裔だ」と
語り、初めて現代の蔚山工場を訪問した際には、百済の古都、
扶余を旅行させてくれるよう頼んだと言う。

その後、両社は本格的な協力関係を結んだ。最初は現代自動車が
三菱自動車から技術を供与される立場だったが、対等な協力関係を
経て、後には優越的な協力関係にまで発展
して行くことになった。

1986年に発売された現代「グレンジャー」は三菱「デボネア」で
あったし、「エラントラ」や「ソナタ」などに搭載されたエンジンは
三菱のものであった。また、現代モービスの前身である現代精工の
「ギャラッパー」は三菱「パジェロ」、同じく「サンタモ」は三菱
「シャリオ」だった。

三菱の伝統的な大型セダンだったデボネアは、日本では「三菱の
重役しか乗らない車」と揶揄されるほど人気がなかったが、
韓国ではヒットモデルとなった。同車の後続車種である「エクス」は、
両社が対等な関係で分業生産したモデルだ。

「エクス」の開発以降、現代自動車は三菱と協力する必要性を
感じなくなり、現在の協力関係は非常に希薄なものとなっている。
一方、20年前には比較にもならなかった両社の格が、現在は
完全に逆転
している。現代自動車は世界5位の大メーカーに
躍進したが、三菱は10位内にも入っていない

今や、三菱は大宇自動車販売が設立した子会社を通じて韓国に
進出し、今後、現代自動車と競争を繰り広げて行くことになった

国家であれ企業であれ、永遠の同志もいなければ永遠の敵も
いないのだ。

(終わり)


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