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コピペ論文を書かせない為の工夫

2010-11-18 15:47:35 | 日記
11月5日にコピペ論文のことを書いたが、日経パソコンにとてもいいことが書いてあった。今、コピペは、小中学生にも広がっているという。極めて遺憾なことだが、情報化時代の落し子でもあり、これが欠点でもある。これは最初から予測が出来たことであるので、本当は今の大人がもっと真剣に考えておかなければならなかったことでもある。
日経パソコンの記事では、論文を書かせるテーマにも言及している。即ち、コピペでも書けるような論文のテーマを出すこと自体問題があると。その通りである。何も見ないで書かせるのならともかく、自由に文献やパソコンを見ることが出来るという条件の下で、単純なテーマを出すのが間違っている。学校の宿題の有り方にも言及している。自分の考えを書かせたり、二つのものを比較させたり、と幾らでも工夫すればいいのである。
問題は教えるほうの先生が全く工夫しないで、昔ながらの問題の出し方をしているからコピペで出来てしまうのである。読書感想文などは、全く意味をなしていないのではないか。コピペで色々な感想文がパソコンでは出てくる。読書をする暇が取れない受験生に読書感想文を求めれば、必然的にコピペに走ってしまう。
文章を書く技術は、書く事に慣れればそれほど苦痛になるものではない。しかし、論理的に、ある字数で纏めるとなると簡単ではない。このブログでも自由に適当に書いているからかけるのだが、テーマを与えられ、字数を制限され、細かいことを調べながら書くとなると難しくなる。また、テーマの中で、根拠を調べるとなると結構手間隙が掛る。
論文を書くテクニックを取得するには相当の訓練をしなければならない。特に、研究論文は、プロの先生から習わなければ一般人が簡単に書くことはとても難しい。最近、専門分野の論文でもコピペが沢山あるという。しかし、書いた人に専門家が面接をしてみれば本当は解ると言う。幾ら紙に書いたものでも、コピペで書いたものには本当の意味は解らない。それが専門家の領域になればなるほど面接をすれば化けの皮が剥がれるのである。実験をしないで恰も実験をしたかの如く書いても専門家は見抜くことが出来るという。
学校の先生方に言いたい。コピペの責任の一端は先生のテーマの出し方に問題があるということ。工夫をしないで出すのは手抜きをしているからである。
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