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一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

羊の皮を被った人権派という人たち

2017-07-22 05:14:18 | 日記

世の中には人権派と言われている人たちが沢山いる。この人たちは表面的にはいつもにこにこしていて何も知らない人は本当に人権を重んじる人だと勘違いしている。従って、何も知らないで選挙ではこういう人たちに投票してしまうのだ。何故羊の皮を被って善良な市民を誤魔化そうとするのか。若しも、本当に信念を持っている人なら羊の皮を被る必要はないはずだ。善良な市民を引き入れようとするための詐欺行為なのだ。

国会議員の中にも人権派という言葉を使っている議員がいる。大体、似権派議員を何故このように呼ぶようになってしまったのか。そこには様々な策略がある。一つは、選挙民を欺くことで票が獲得できる。綺麗ごとだけを並べて、宣伝活動をする。二つ目は、選挙民を殺すための甘い言葉を持っている。その言葉を使えば何も知らない選挙民は投票してしまうのだ。その言葉とは「皆さんのために」という言葉だ。

人権派弁護士という人もいる。何が人権はなのか、という事を考えると、極めて明快だ。その一つが死刑制度である。この制度を擁護することで人権派弁護士という肩書が手に入る。海外では死刑制度を廃止した国も多くある。人権派弁護士は死刑廃止を必ず訴える。
死刑制度は問題点だけが一人で歩いてしまい、基本的な考え方が消されることもある。死刑制度の必要性は日本人ならすぐわかるのだが、極悪な殺人犯罪の被害に合わない弁護士が死刑制度に反対をすることが殆どだ。

この問題は被害者にならなくても、色々と調べればすぐわかることもある。殺人という極悪非道な犯罪を犯しても犯罪者の命を国が永遠に保証する、という矛盾が生じる。何故国が犯罪者の命を保証しなければならないのか、という事を考えたら死刑制度の必要性が出てくるはずだ。殺された人の命は一体どうなるのか。それこそ浮かばれないだろう。あの世に行っても犯罪を犯した人の命を国がしっかりと保証することを知ったら嘆き悲しむだろう。

人権派と言われている人たちは、何故か、本当の人権を守る人ではないように思える。大体自分から人権派を名乗ること自体おかしい。多くの人から「この人は人権を重んじる人だ」と言われることが必要だろう。自分から名乗るようでは人権派でも何でもない。人権派を単なる宣伝材料にしているに過ぎない。まあ、この言葉に誤魔化されないようにしっかりと見据えることだ。


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