一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

カタカナ語の氾濫、異常じゃないか

2020-12-04 09:02:30 | 日記
最近、というかここ数年、カタカナ語が氾濫している。いや、氾濫しすぎているような気もするが、小生だけだろうか。要は、すべての日本語を横文字にする社会になってしまっている。何処に行っても横文字だらけ。ここまで来るともはや異常としか言えないだろうか。外資系企業ならある程度仕方がないが、純然たる日本企業が横文字だらけの文章を公然と発表している。それも一社や二社ではない。多くの日本の企業が横文字を羅列している様は、異常としか言えない。企業のトップが発表するものが横文字を並べ立てている姿は発表している人が自分で本当に理解をしているのか聞いてみたい。

横文字を並べている企業が特に多いのは情報関係、医療関係だ。勿論、外資系の企業は横文字がやたらに多くて、文章の中で日本語の方が少ないのではないか、と思ってしまう。本来なら、日本語に存在する単語でも敢えて横文字にしている傾向も目立つ。横文字即ちカタカナ語にした方が聞えがいいのだろうか、それとも日本人に理解してもらわない方がいいと思っているのか。カタカナ語がここまで氾濫してくると、若しかして、話している人は日本語が解らないのではないか、と疑ってしまう。日本語は日本文化や社会を伝える立派な言語でもある。それを敢えてカタカナ語にしていること自体問題なのだ。

勿論、英語は世界共通語であることは理解しているが、自国の言語を蔑ろにすることは問題である。日本人に向かって発表するものに関してはできる限り日本語で行うべきだ。日本のどこかの企業が、社内では英語を使うことをしているというが、本当に日本語を使う必要がないのだろうか。日本人の意思疎通が英語で本当にできるのだろうか。ここは日本である。日本人が生つるしている社会である。小生は日本人なので英語で意思疎通を図ることは殆ど全くできない。現在、カタカナ語が氾濫していることは日本社会にとっていいことなのだろうか。50年後。100年後の社会は分からないが、日本語を真面に使えない日本人が多くなったら、日本社会、日本文化はどうなるのだろうか。

勿論、日本語に訳すことができない、或は訳すことが困難な言葉も多くある。そういう言葉は当然、原語で表すことがいいと考える。その昔、外国から色々なものが日本に入ってきたとき、日本人は努力して多くの翻訳語を考え、それを世の中に浸透させてきた。先人たちは多くの努力をして日本語に翻訳した言葉が、現在そのまま日本語になってたものも多くある。外国語を強制的に日本語にする必要はないと思うが、あまりにもカタカナ語が氾濫しているので、この文章を書いてみた。
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