江戸時代まで八百万の神々と仏教の仏様が一体化した、神仏習合の時代だった。神宮のなかには神宮寺があった。しかし明治初年の神仏分離令で神宮寺は撤去された。久能山東照宮のなかにも神仏習合の跡が残っている。
五重塔の跡。神仏分離令により撤去される。
日枝神社。
日枝神社の中。徳川将軍の寄進した鎧の代わりに名前の入ったプレートが並んでいる。
日枝神社の由緒書き。ここは旧御本地堂で薬師如来を安置していたが、神仏分離令により仏像を拝して名称も改めたとある。今は大山咋命をご祭神にした日枝神社になっている。江戸時代はここは神宮寺だったということか。
博物館にあった昔の久能山の絵図。
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