和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

古本でも私には未読の新刊本。

2022-11-28 | 本棚並べ
古本でも、始めてひらく私にはいつでも新刊本。
それに古本なら安さが段ちがい。安さは気楽さ。
気楽さこそ読書のたのしみ。
たとえ、線がひいてあろうとも。シミで汚れていようとも。
いつでも僕には新刊本。惜しげなく読み捨てられる醍醐味。
いつのまにかその活字の断片がどこかとつながったりして。

ということで、明日になったらまた古本が届きます。
こうして書きこむと、古本を読む、たのしみが倍増。
楽しく買って楽しく読む。そして楽しさの御裾分け。
活字が活字を呼び僕にも伸びしろがあると思わせる。

はい。今朝思い浮かんだことをこうしてメモります。
今日がよい一日でありますように。

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老人国になることだし。

2022-11-27 | 前書・後書。
古本で200円。キケロ著「老年の豊かさについて」(法蔵館1999年)。
訳者は、八木誠一・八木綾子。

はい。題名にひかれて買った単行本です。
うん。読む読まないは別にして(笑)。
まず、「はしがき」のはじまりを引用。

「気がついたら老境に入っていた。
 気の早い友人はぼつぼつ旅立ち始め、
 からだの故障にいたっては、無いという人のほうが珍しい。

 かくいう私ども夫婦も、共に癌の経験者、
 いつまで二本足で歩いていられるか定かでない。

 よって人並みに働けるうちに、なにか老境にふさわしい
 仕事をしてみようかと思い立ったのが、
 キケロ『老年論』の翻訳である。

 わが国はやがて世界有数の老人国になることだし、
 老年もさまざまに論じられている状況だから、

 この分野での古典の訳も、本邦初訳というわけではないけれど、
 まんざら無駄ではあるまいと考えたわけで、
 幸い法蔵館が出版を受けてくれた。・・・   」


ちなみに、八木誠一氏は1932年生まれ。
八木綾子さんは1930年生まれ。
ちょうど、60歳代後半最後の頃の訳。

「あとがき」は、5行ほどで短い。
こちらも、最後の2行をカットして引用することに。

「ラテン文学は、ギリシャ文学とは違い、
 あまり青年向きではないように思われる。

 情熱と冒険というよりは、経験と常識の産物で、
 華麗ではないが滋味があり、
 年配の人の静かな共感を呼ぶのである。

 本書もそういう意味で現代に語りかけ、
 読者を人生についての省察に誘うだろう。・・・  」



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習うより慣れろ。

2022-11-25 | 本棚並べ
大村はま著「学習慣用語句辞典」(三省堂)は、
ちょっとかわっておりまして、ことばの説明は後回し。
言葉の使い方を、会話形式でもってそのニュアンスを
大切にしております。普段つかう教室での場面を舞台にして、
そこでの、言い回しに腐心した身近な一冊となっております。

うん。何を言っているのやら、これじゃ分かりづらいですね。

そんなことを思っていたら、古本で200円で手にしたのが、
秋田実著「日本語と笑い」(日本実業出版社・昭和51年)。

その「まえがき」には、こんな箇所がありました。

「・・徹頭徹尾、習うより慣れろ、それを言い通して来た。
 ・・お手本はわれわれの日常生活で、
 自分や周囲のつかっているふだんの言葉や言い廻しに注意する。
 その癖や習慣をつける、それが・・第一歩である。・・・」

うん。言葉の意味を習うよりも、ふだんの言葉や言い廻しに注意する。
さりげなくも、大村はまさんの「学習慣用語句辞典」の着眼点はそれ。

はい。ちなみに、この秋田実の本の「まえがき」の終りの方に
こんな箇所がありました。こちらも引用。

「この本の原稿を書いている間、いつも傍らに二才になる男子の孫が
 来ては邪魔していたが、私は、この孫が大きくなった時に読ませたい、
 孫に遺す一冊の本、そんな気持ちで書いて来た。・・・」

はい。こういう引用をしちゃえば、本文からも引用しないと不自然ですね。
第一章のはじまり『おじゃん』の全文を引用しておきます。

「ふだん何気なく使っている言葉の中には、
 ふだんは気がつかないが、その言葉のいわれや
 はじまりを考えると、面白い言葉が随分ある。

 例えば『おじゃん』という言葉がある。

 楽しみにしていた計画が何かの都合でお流れになった時とか、
 その他色々な場合に『おじゃんになった』と使われるが、

 あれは昔、今以上に火事を怖がった時代、
 火事が起こったことを知らす半鐘からの譬え言葉である。

 昔はどこの町内にも火の見櫓があり、火事が起こった時には
 半鐘を叩いたが、その叩く数で火事の遠い近いが分った。

町内が燃えている場合には早半鐘でジャンジャンジャンジャンと連打したし、
町内でなくても近い場合にはジャンジャンジャン、ジャンジャンジャンと
三つの半鐘で知らした。
そして火消が出て、消火に当り、完全に火が消えた時に
知らせる合図の鐘がジャンと一つなのである。ジャンで火事はおしまい。

ジャンに『お』を付けてオジャン、
皆にとって切実な火事の時の半鐘を譬えにした、当時の新語・モダン語、
面白い言葉として皆の間に流行っていったのである。 」( p10~11 )


こうしてはじまり、
『おじゃん』のあとは、「左利き」「とどのつまり」「揚句の果て」
「ケリをつける」「ぬれぎぬ」「道灌」とつづいてゆくのでした。


さて、秋田実のお孫さんは、ご健在なら、
今頃は46歳くらいでしょうか?


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本の読みたくなり方。

2022-11-24 | 書評欄拝見
新聞は見出ししか読まないし。
本は表紙に目次にあとがきに、
せいぜい書評と解説チェック。
ハウツウ本で育ってしまった、
ハウツウ本に足むけ寝れない。

そんな横着者にも、何か楽しみがあるはず。
本は楽しまなくちゃいけないとは丸谷才一。

『 僕はおもしろがって読むことだと思うんですね。
  おもしろがるというエネルギーがなければ、
  本は読めないし、読んでも身につかない。
  無理やり読んだって何の益にもならない。 』
  ( 丸谷才一著「思考のレッスン」そのレッスン3の最初のページ )

このレッスン3は「思考の準備」でした。
そのなかに「本をどう選ぶか」があります。

「 問題は『どういう本を読みたくなるか』
  というところにあるんじゃないでしょうか。

  要するに『本の読みたくなり方において賢明であれ』
  と言うしかない。  」 ( p113 単行本 )


寝て起きたら、この『思考のレッスン』が思い浮かびました。


夕刊フジ( 2022年11月19日〈18日発行〉 )にあった
新刊の鎌田浩毅氏の角川新書の紹介文。
インタビューのようです。その最後の方を引用。

―― 2035年プラスマイナス5年で南海トラフ巨大地震が起きる予測が

『 日本人の半数にあたる6000万人が被害を受け、
  被害規模は東日本大震災の10倍で、国も自治体も頼れません。

  だから自力で生き延びる方策を立て、今から準備する。
  自立と自律が大事。地球科学の知識を得て、
  人生の知恵と教養で乗り切ろう、という発想です。 』


いちばん最後の質問に、『体の知恵を駆使する』という言葉が出てくる。
そこも引用。

――今後は新しいテーマも

『 通産省地震調査所時代が第一の人生、
  次の京大教授が第二の人生。

  ここまで研究という頭脳の世界で
  学問に没頭しましたが、今度は
  体の知恵を駆使する身体論。

  野口晴哉が編み出した整体の勉強をずっとしていたので、
  地球生命とか身体の研究もしたい。
  
  地震予測、噴火予知には限界があり、
  危険が迫ったら逃げ出す動物的な身体能力も必要なんです。
  まだ研究は緒についたばかりですが・・・ 』

はい。これがインタビューの最後の箇所。
ここに、野口晴哉という名前が出てくる。

鎌田浩毅著『揺れる大地を賢く生きる 京大地球科学教授の最終講義』
をさっそく買ったのですが、まえがきだけ読んで、後でまたと本棚へ。

そうして、あたらしく野口晴哉の本をひらいてみたくなる。
まったく、横着者の王道を突き進んでゆくような開き直り。
 


 
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多くは知っている。

2022-11-21 | 地震
ちっとも読み返してないけれど、
本棚にはちゃんと置いておきたい一冊。

曽野綾子著「揺れる大地に立って」( 扶桑社・2011年9月 )。
副題に「東日本大震災の個人的記録」とあります。

はい。たまには思い出してひらくことに。

「今度の地震でも、比較的老年の人は
 ほとんど動揺を示さなかった。

 多くの人は、幸福も長続きはしないが、
 悲しいだけの時間も、また確実に
 過ぎて行く、と知っている。

 どん底の絶望の中にも、
 常に微かな光を見たからこそ、
 人は生き延びてきたのだという
 事実を体験しているのである。・・・」  ( p20 )

もう一箇所引用。

「 東日本大震災による困難に直面しながら、
  今日私が書くことは不謹慎だという人も
  あろうが、やはり書かねばならぬと感じている。
  ・・・・・

 〇 泣きわめくような、付和雷同型の人は、
   被災地にはほとんどいなかった。
   感情的になっても、ことは全く解決しないことを
   日本人の多くは知っている。

   風評に走らされた人は、むしろ
   被災地から離れた大都会に見られた。  」( p29~30 )


ふ~っ。私はこれを引用しただけで満腹。胸がいっぱいになります。
本棚にもどして、また折りがあればひらくことに。
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新刊「揺れる大地を賢く生きる」

2022-11-20 | 前書・後書。
夕刊フジのBOOK欄で紹介されてた
鎌田浩毅著「揺れる大地を賢く生きる」(角川新書)。

はい。この紹介文に惹かれまして、昨日アマゾン注文。
すると今日届く。ここは「はじめに」から引用します。

「たとえば、日本列島の活火山には噴火徴候があり、
 富士山も『噴火スタンバイ状態』にあるのです。

 そして南海トラフ巨大地震は2035年±5年のあいだに
 発生するだろう、との予測も出ています。」 ( p4 )


はい。『はじめに』だけ読む横着者の私ですが、
『はじめに』だけでも読み甲斐ある導入部です。
あと、この箇所を引用しておきます。

「東日本大震災に先駆けること7年前の2004年12月、
 インドネシアのスマトラ島沖で巨大地震が起きました。
 ・・・・
 報道されたテレビ映像で私の印象に強く残ったのは、
 和歌山県紀伊半島の海岸でサーフィンに興じている
 若者たちへのインタビューでした。
 あるテレビクルーが、サーファーに質問をしました。

 『津波が来たらどうしますか?』

 するとその若者はこう答えたのです。

 『サーフィンには自信があるから、津波に乗ってみたいです!』

 ・・・・・・・・
 次の『南海トラフ巨大地震』では東日本大震災の津波の高さを
 上回り、最大34mにもなると予想されています。さらに、
 たった50㎝の津波でも足をすくわれて溺死することがあるのです。

 そのため、津波が発生したと聞いたら、すぐに高台ににげなくてはいけません。

 サーファーの方もウケを狙っただけで、
 本気の発言ではなかったかもしれません。それでも、
 多くの人は津波の怖さを知らないのだな、と
 そのとき私は強く意識しました。

 それから7年足らずで起きた東日本大震災も同様でした。
 地震発生後に、津波が襲来するまで約30分、
 場所によっては1時間ほどありました。

 避難するための時間的余裕がなかったわけではありません。
 にもかかわらず、家や建物に残った人がいました。

 いったんは避難したのにもう大丈夫だと思い、
 引き返して亡くなった方もいます。
 津波の本当の恐ろしさが伝わっていなかったのでしょう。

 地球科学を専門とする研究者としては、
 本当に忸怩(じくじ)たる思いです。  」( p5~6 )

はい。これが「はじめに」の8ページの中にあります。

夕刊フジの本紹介も惹かれました。そうして、
本文の『はじめに』だけ読んでも惹かれます。

はい。いつも横着な、わたしの紹介はここまで。
そんな、横着者にも『はじめに』の個所だけで、
端的で行き届いた言葉に、感謝して反芻します。
とっさの際に鎌田浩毅氏のこの言葉をお守りに。


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夕刊フジの「増税不要」

2022-11-19 | 本棚並べ
夕刊フジ1月19日(18日発行)の一面。
大見出で「自民議員と接点」。小さく「中国【非公式警察】問題」。
こちらは、2面に記事とあります。
その下には「防衛費2% 増税不要」とあり、
江崎道朗氏の4回目の連載が、一面記事としてあります。

「民主党政権であった2011年度の一般会計税収は42.8兆円だったが、
 第二次安倍政権になると税収も急増し、18年度には60.4兆円になった。

 そして、22年度の税収総額は68兆3590億円と、3年連続で過去最大を
 更新する見通しだ。・・・・・・・・・・・・・・

 いま日本がすべきは、金融緩和を含むアベノミクスを引き継いで
 何としても景気を回復し・・・・・
 ・・『防衛費を増やすためには増税やむなし』などという、
 愛国心をくすぐる増税論には騙されないようにしたいものだ。

1面見出からひきついだ、
2面の「『現職議員』浮上の衝撃」は長谷川幸洋氏の文でした。
はじまりだけ引用。

「中国が、日本を含む世界各国に警察の拠点を設置していた問題は、
 世界で波紋を広げている。・・・」

本を最初から最後まで読めない私には、
夕刊フジは、読みやすいことこのうえない。
一面や二面をひらいて、あとは競馬関連の記事が多い誌面をとばします。
短くて要点を指摘されており、簡単に読める痛快さ。
今日の夕刊フジには、オマケもありました。BOOK欄に
鎌田浩毅氏の新刊が紹介されている(文・竹縄昌:写真・高島香里)
はい。講義姿の鎌田氏が写っております。
見出しだけを並べて置くことに。

「『富士山は噴火スタンバイ状態』京大人気No.1教授の卒業論文」
「未来に起こる激甚災害時代へ『教養』が必要自力で生き延びる方策と準備」

こうもあります。
「昨年、京都大学を定年退官した最終講義が1冊にまとまった。」

鎌田浩毅著『揺れる大地を賢く生きる 京大地球科学教授の最終講義』
      ( 角川新書・税込み1034円 )

うん。買っても読まないかもしれないけれど、気になります。
そういえばと、思い出して本棚からとりだしてきたのは、
曽野綾子著「揺れる大地に立って 東日本大震災の個人的記録」(扶桑社)。

いつか、もう一度ひらこうと思っていた一冊。
この機会に、あらためて取り出してきました。
はい。『揺れる大地』つながり。
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対話ではなく『対書』の時代。

2022-11-17 | 本棚並べ
注文古本の、ちくま新書が届く。
鳥飼玖美子・苅谷夏子・苅谷剛彦著「ことばの教育を問いなおす」。

まずはパラリと鳥飼さんの個所を開く。
「大村はまとの出会い」のはじまりは

「 『 ことばを育てることは こころを育てること、
    人を育てること、教育そのものである 』

  このことばを目にした時の衝撃はいまだに忘れられません。
  私が漠然と考えていたことが、文字になって小さな額の中に
  収められ・・記念文庫の入り口にそっと掲げられていた・・

  大村の教え子であった夏子さんによれば、
  大村はまは『あくまで実践に徹した人』で、
 『理論や制度に依る以前に、とても原初的な
  人間くさいやり方で人を育てた』とのことです。

  大学時代も『教育学』『教育心理学』『国語科指導法』
  などにあたる授業は履修しておらず、その稀有な実践は
  
  教育制度や抽象的な学問的理論とは離れたところにある、
  と言われています。・・・  」(p37~38)


また「大村はまの実践」という箇所では

「 大村はまが、ご自身の教育実践をあえて
  『大村方式』にまとめようとせず、一貫して
  『実践をもって提案する』教育者としての姿勢を
  貫かれたのは、清々しい生き方で立派だと共感します。 」(p84)


うん。何か読む気がしないのですが、
とりあえず、パラリとひらきました。
玖美子さんと夏子さんが各章ごとに交互に書いており、
二回苅谷剛彦さんが登場します。
はじまりは鳥飼玖美子さんでした。こうはじまっています。

「この本は、書きことばで対話している『対書』です。

 『対書』という用法は、NHKテレビ『英語会話』で活躍した
 小川邦彦さん(1998年に54歳で逝去)が、

 インターネットの普及を視野に
 『これからは対話ではなく対書の時代だ』と、
 鳥飼に語ったことに由来しています。・・・・  」
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Jアラートという名の『空襲警報』

2022-11-15 | 道しるべ
夕刊フジ11月15日の二面。
江崎道朗氏の連載1回目。
はじまりはというと、

「近いうちに戦争を仕掛けられるかもしれない。
 あるいは、戦争に巻き込まれることになるだろう。
 
 そう考えて日本政府は、その準備を始めた。

 9月22日、岸田文雄首相は官邸に、
 『国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議』
 を設置した。その趣旨には『有事』、つまり戦争を想定した
 『総合的な防衛体制の強化と経済財政の在り方』を
 検討することだと書いている。・・・・・・

 9月30日、岸田首相が出席した第1回会議では、
 『自衛隊だけでは国は守れない』という・・発言まで飛び出した。

 ・・・これらの発言を受けて浜田靖一防衛相はこう発言している。

 『これは、わが国への侵攻を防げるか防げないのか、
  国民を守れるのか守れないのかという問題であります。

  中途半端なものでは降りかかる火の粉を払うことはできません。
  ・・・われわれに残された時間は少ないと考えます。われわれは
  直ちに行動を起こし、5年以内に防衛力の抜本的強化を実現しな
  ければなりません。』

  今年に入って、北朝鮮のミサイル発射を受けて
  Jアラートという名の『空襲警報』が鳴り響くようになった。
  ・・・・

  限定的とはいえ、米国の機密情報を知り得る浜田氏が
  政府の公的な会合で、『われわれに残された時間は少ない』
  と述べたことを軽んじてはなるまい。  」


夕刊フジには、こういう文が情報として載っておりました。
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古本届く待ち時間。

2022-11-14 | 本棚並べ
つぎに、注文した古本は、ちくま新書で
「ことばの教育を問いなおす」(鳥飼久美子・苅谷夏子・苅谷剛彦)。
届くのは、16日~18日の間とあります。

うん。その古本が届くまでの、待ち時間で思い浮かぶこと。

大村はまの教室での話し合いを思っていたら、
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)を思いうかべておりました。

たとえば、大村はまさんがこう言っている箇所など、
「知的生産の技術」へと連想の補助線を引きたくなります。

大村】 国語では、この文章を読みなさいと言うことが多いでしょう。
   ・・・けれども、読んでいるとき読む力がぐっと伸びることを
   なんにもしてやらない。

   書きなさいとも言いますね。でも、書いているときに
   その人がいい書き手になるコツを教えない。

   先生は教えることをやめてしまった感じ。
   なにかをなさいという指導案だけは立派でも、

   ・・・教える人がいない。させる人だけ。だから
   学ぶ喜びを知ることができないんじゃないかしら。

          ( p142 「教えることの復権」ちくま新書 )

はい。こんな箇所や、それこそ技術という言葉が出てくる箇所もあります。

あと、平川祐弘氏のことも思い浮かびました。
うん。どちらも私が読んでいる範囲へと補助線を引くのでした。

さいわい、産経新聞の11月10日『正論』欄で平川氏が書いておられる。
忘れないうちに引用しておきます。

「・・・天安門事件の後、北京で教えたが・・・・・

 英語と中国語は主語・動詞・目的語の順が同じ、
 発音も似ている。だから、中国人の方が日本人より
 英語はよほど達者だ。・・・
 日本の大学語学教師より、中国の方がよく喋る。・・・・

 私は塾や予備校、家庭教師に頼らずにすんだが、
 塾の功能は学生からいろいろ聞かされた。
 わが国でも英語の教え方がよほど上手な人が
 塾にはいるらしく・・・・・

 大学紛争のせいで東大入試が中止になった昭和44年春、
 大学院だけは入試を行った。キャンパスは入試会場に
 使えない。それで予備校の代々木ゼミナールの建物を
 借りて筆記試験を実施した。

 台湾では予備校も名門校となると、制服制帽がある。
 中国や韓国では親の所得による教育格差が日本より深刻だ。

 塾や家庭教師の教育費負担が出生率低下にまで響いている。
 そこで中国当局は、学習塾の新規開設は不可とした。

 中国は社会保障制度がうまく機能しない。
 頼りになるのは肉親の助けだけだ。
 塾が閉鎖されれば、親は勤務先を早退してでも、
 子供の勉強を手伝おうとする。

 習近平は主席となるや、『中国夢』を語って・・
 ナショナリズムは高揚する。だがそれでも
 陰で子供たちは英語を習って、内心いつか
 アメリカへ行きたいと思っているに相違ない。


うん。注文した新書が届くのを待つ間。
はい。古本は何より届くまでが楽しみ。
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『エーっ』という考え方。

2022-11-13 | 本棚並べ
「教えることの復権」(大村はま。苅谷剛彦・夏子)ちくま新書。
はい。とりあえず、今日最後まで読みました。

大村はまさんの謦咳(けいがい)に接するつもりで
パラパラと読みはじめたので、他の人の箇所は
読まなくてもいいかなあ、などと思っていたのでした。

最後の第5章は苅谷剛彦さんが書いておりました。
大村はまさんの重要箇所を、掬い上げておられて、
ハッとするまとめになっておりました。

うん。それはそうとして、ここは、きっと
私に、忘れがたい細部になるだろうという
箇所を引用しておくことに。

夏子】 私が大村教室で学んだとことのなかで、
   ・・・忘れてならない部分は、話しことば、
   とくに話し合いについての基礎だと思います。・・

大村】 戦争の後、それまでの世の中のことを振り返ると
   呆然となってしまって・・・・・

   それで新制中学へ出て、新しい民主的な国になっていくために、
   きちんと役に立つ国語教育を本気でやっていこうと決めたのです。

   そのとき、大きな目標となるのが、話す力、
   話し合う力を育てることでした。・・・・・
   
   私自身も・・きちんとした話す力は持っていないと思いました。
   それで、会議の仕方なんていうのを、アメリカ人を講師とする
   講習会に行って習ったりもしたんですよ。

   そのときに習ったことですが、話すときにエーっといってしまう
   ことがあるでしょう、あれはことばではないと言うのね。

   ことばでないことを言うのは邪魔だと先生がまず言われた。
   でも、それは一種の癖みたいなものなのだから、
   やめなさいと言って直るものではないというのね。

   それで、エーっと言おうとするその瞬間を見きわめて、
   あっと思ったときにきれいな音のするベルをチーン。
   すると言いかけていたのが出てこない。言わずじまいになる。

   そういうふうにして直すんだと教えてくれた。
   この考え方は、エーっに限らず、
   のちに私はたいへん大事にするようになったけれども。
   その先生の教え方も、ユーモラスでとても楽しかった。

                   ( p68~69 )


はい。何だか、こういう細部が印象深く思い浮かんできます。
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この教室でいちばん大事なこと。

2022-11-12 | 本棚並べ
ちくま新書に「教えることの復権」があった。
大村はま・苅谷剛彦・夏子の3人でつくった一冊。

万事あきっぽい私ですから、序章と第一章をめくってみる。
序章は、まず苅谷夏子さんが書いておりました。

「大村単元学習・・授業は、それを知らない人に
 全体像を説明しようとしても、なかなかむずかしい。

 大村教室を巣立った生徒は、その後の人生で、
 自分の受けた国語教育がどう新しかったかを
 人に伝えようと試みたことが、多かれ少なかれ
 きっとあるだろう。

 ・・・どれだけ一生懸命言ってみても、
 肝心なことが伝わった気はしない。もどかしい気持ちを味わう・・

 多くの著書がある・・・でもそれらがあってもまだ、
 私などはあの教室が十分に紹介されたとは思えないのだ。 」(p26)

このあとに、大村さんと夏子さんの対談が続いておりました。
ちなみに、夏子さんは1956年生まれ。では対談から引用。

夏子】 たとえば思い出すのは教室の文房具のことです。
 私が小学生だった昭和30年代というのは高度経済成長が
 始まったばかりくらいです。貧乏くさい話ですが、その頃、
 学校で工作をするからリボンと箱を持ってきなさいなんて
 いうと、家にそんなに素敵なものなんかなかった。

 日常買うものはもっと粗末なものに入っていて、
 きれいなせっけんの箱なんてそれは大事に思って
 いたものです。まだそんな時代でした。

 ところが読書生活の記録をまとめたり
 学習記録をまとめたりするのに、先生が
 大きな箱いっぱいに色とりどりのリボンを
 買っておいてくださって、それで好きなのを
 選ばせてくれたんですよね。

大村】 そうよ、そうだった。

夏子】・・・それはきれいだった。
 『自分の学習記録をこんな色のリボンで留めたいって、
  そういうのがあるでしょう』っておっしゃっていた。

 このエピソードは、ちょっと聞くとただの甘ったるい
 少女趣味のように聞こえるのだけれど、先生の場合は、

 ほんの一ミリでも成果が上がるんだったら、その努力
 をしましょうというのが伝わってきたんですよね。

 多分そういう迫力が子どもに伝わって・・・・
 あの教室の緊張感というのは、数え切れないほど
 たくさんの小さなものからできていたんだなと思います。

 勉強のためにはなにものをも惜しまないという精神は、
 何かにつけて表れていて、たとえば一枚のカードに
 一項目書いたらもうほかのことを書くんじゃない
 というようなことを習って、それは驚いたものでした。
 それがあとの作業をほんとに左右するからと。

 でも隙間がうんとあいていたら、
 もったいないと思うじゃありませんか。
 
 そうしたら、勉強のためのこういうことを、
 もったいながるんじゃありませんておっしゃった。

大村】 カードというのは一枚に一つ書くから意味があるんです、
  なんて言ったわね。いっぱい書いたらノートになってしまうんだから。
  ほんとに、骨身もお金も時間も惜しまなかったわね。

夏子】 そういうものをけちけちしないで使えるのはうれしかった。
  一見他愛もない、ちょっと遊びの気分まで混じったようなかたちでも、
  この教室ではことばの力をつけることがいちばん大事なこと、
  というメッセージが伝えられた。お説教ではとてもありえない
  ような、明るい雰囲気の中で伝えられていたんですね。
                        ( ~p36 )


そういえば、京大カードが有名となる、
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)は
第一刷が1969年7月21日となっておりました。

この頃は、ちょうど苅谷夏子さんが13歳くらい、
中学校に入ったばかりの頃なんだなあ、なんて思い浮べます。
はい。その当時、読むのと、実践するのとではおおちがい。


うん。最後に、ここも引用しておくことに( p28 )。

大村】 ・・・・日本中にどこにでもあるというような、
   あたりまえの学校に奉職したいと思っていたんですよ。

  これから自分が一生懸命取り組んでいくことの成果、
  それはあたりまえの学校でやってこそ、
  たくさんの人についてきてもらえるのだ、と思った。

  ・・・・あたりまえの学校で仕事をして、
  それがほんとうに役に立たなきゃいけない。

  戦後、大変な決意をして中学に出たからには、
  それだけのことをやりたいと思ったんですよ。・・
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夕刊フジを一ケ月講読。

2022-11-10 | 産経新聞
ネットで、文化人放送局を拝見しております。
そうすると、『夕刊フジ』が気になっておりました。
そこでこの11月は一カ月間定期講読してみることに。

ちなみに、新書は、もちろん題名に魅かれて買うこともあり、
新書の小見出しが、スラスラと読めるかどうかの目当てです。
そういう新書読みの私にとって、新聞の見出しも大切になる。

どうも、何を言いたいのか分からない新聞の見出しよりも、
だからって、慰安婦問題や、沖縄サンゴのKY事件など、
どうみても間違っているのに、見出しが躍ると引き寄せられる。
一面でも、二面でも家庭欄でも、社会面でも川柳でも、声欄でも、
新聞のどこのページでも、売れない雑誌AERAの広告見出しでも、
新聞の紙面という紙面をつかうのはどこの新聞社だったでしょう。

いけない。いけない。夕刊フジでした。
11月10日の一面見出しは『防衛費2%増 見せかけ』とある。
うん。なかなか、全国紙では、とんと見かけない見出しです。
こういう見出しが、読みたかったんだ。
私は、これだけで満足してしまいます。
やっぱり活字で読むのは、違いますね。
『見せかけ』の防衛費は、一体何だい。
うん。新聞はこうじゃなくちゃ。

夕刊フジには、どうみてもハニートラップに対する、
免疫効果抜群のページもある。高橋洋一氏の連載も、
全国紙新聞一面コラムよりためになること請け合い。
虎ノ門ニュースが、見れなくなるのは悲しいけれど、
夕刊フジをカンフル剤しようと思う今日この頃です。




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『一隅を照らす』レッスン。

2022-11-08 | 本棚並べ
『大村はま』。この人をどう読んでゆけばよいのか?

思い浮かんだ言葉は『一隅を照らす』。
無理やり、全体を照らすわけじゃない。

とりあえず、古本で注文した
大村はま著「学習慣用語句辞典 普及版」三省堂。
なんとも黄ばみがはげしいのですが、それはそれ。
ちょっと、電車やバスの中でひらきたくなる一冊。

この「はじめに」から大村はまさんの言葉を引用。

「 ことばの勉強というと、このことばは、こういう意味と、
  別の少しやさしそうな日常的な、前から知っている
  ことばで言い換えようとします。

  しかし、それでは、ことばを使って生きていく人間の
  力にはならないのです。ことばは、生活場面のなかで、
  じかに出会って学ぶべきものです。

  いろいろの生活場面、いろいろな話題を取り上げていますが、
  どれもみな、実際の生活場面、事実から、材料をとりました。 」



うん。ここでは「はじめに」だけを引用してゆきます。

「ことばには、いくつかのことばがいっしょになると、
 その一つ一つのことばが、それぞれ持っている意味とは違った、
 別の意味を表してくるものがあります。・・・・・・・・

 特に勉強の機会がないと、『顔・ひろい・筆・たつ』という
 ことばをよく知っていても、この一まとまりのことばとしては
 わかりません。

 昔、なにかの場面で、ある人が、あの人にもこの人にも、
 親しそうに声をかけているようすを見て、
 だれかが、『顔がひろい』という言い方をしたのでしょう。

 それが、その場面のその人のことを言うのにぴったりした
 表現に思えた人があって、次に同じよう場面があったときに使い、
 それがまた人の共感を呼び、だんだん、広く、たびたび使われる
 ようになって、こういう意味が定まってきます。

 いつからとも、だれが作ったともなく、
 生活の中から慣用語句が生まれます。・・・・

 実際には、教訓があるといえばあるような、
 ないといえばないような、区別のつけにくいのがあります。
 ・・・・・

 この辞典の大きな特色は、中学生の話し合いの形で、実際の
 生活場面で使われているすがたで、生きたことばのまま、それぞれの
 慣用語句の意味と使い方とを身につけられるようにしたことです。

 これは、もともと、『国語教室通信』という、
 私の国語教室の週刊手作り新聞の一部分に連載したものです。

 『このごろの子どもは、ことばを知らない』となげくのを聞くとき、
 それが慣用語句である場合がかなり多く、
 教科書には、案外出ていないので、この『国語教室通信』の
 一部を使って、慣用語句に通じさせようとしました。   」


 「 巻末に、参考までに、説明をつけました。
   前の話し合いを読み、この説明を読み、また、
   もどって、前の話し合いを読んでくださったら、
   いっそうよくわかると思います。・・・     」


はい。この古本を手にして、こうして書いていると、
サン・テグジュペリ「星の王子さま」のセリフが思い浮かびました。

 『 うん、こんなのが、ぼく、ほしくてたまらなかったんだ。‥ 』
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読みかけの書物。

2022-11-07 | 本棚並べ
藤原正彦著「父の旅 私の旅」(新潮社)をひらいたので、
そこに登場する藤原光蔵のページを引用。
はじまりは

「私の曽祖父の藤原光蔵は、故郷の諏訪で・・引退してわずかばかりの
 田畑を耕していた。孫にあたる父(新田次郎)の話によると、

 この曽祖父は相当に厳格な人だったらしい。・・・・

 自らも向学心が強く、70歳を過ぎてから、
 大正時代にはまだ珍しかったラジオを製作したり、
 英語の勉強を始めたという。

 『これからの人間は英語が必要だ』と意気軒昂だったが、
 書物による勉強だけでは発音が分からなかったらしく、
 田舎中学生となった父(新田次郎)によく質問したという。

 その頃を思い出して父は、
 『鳥をビルド、本をボークと言うんだからイヤになったよ』
 と語ってはいたものの、
 その表情からは畏敬の念を見て取るのはやさしかった。

 私(藤原正彦)はずっと以前から、学ぶということは、
 ある目標に向かって阿修羅のように頑張ることだと思ってきた。
 ・・・・・・・・・・
 しかしそのような勉強は、青年と呼ばれる年齢を過ぎたいま考えると、
 学ぶということのほんの一側面だったような気もする。

 70歳を越えて始められた、曽祖父のような勉強・・・
 年齢や環境により生き方が変わるように、
 学び方も変わるのではないか、と思う。

 曽祖父の薫陶を受けた父は、67歳で突然にこの世を去るまで、
 飽くなき勉強を続けた。・・・・・敬愛した曽祖父のように、
 読みかけの書物を放り出したまま死んでいた。・・・・・ 」
                      ( p191~192)


いけませんね。こういう箇所を拾い読みすると、
古本購入へお墨付きをもらったようについ思う。
「読みかけの書物」といえば聞こえがいいけど、
私の場合は、最後まで通読できない書物ばかり。
なんだか凡人の誤読にお墨付きをもらったよう。
でも。まあいいか。
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