和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

回復力。

2018-11-27 | 地域
雑誌を引っ張りだしてくる。

Voiceの11月号と12月号。
どちらにも、災害をテーマにした箇所がある。
11月号は、特集「災害から生き延びる」。
12月号は、特別対談「防災教育だけでは命を救えない」。

うん。月刊雑誌でこういうのを載せてくれるとありがたい(笑)。

11月号の地震学者ルーシー・ジョーンズさんへの
取材は、教えられる。
たとえば、
「時に河川は洪水を起こして、アメリカでは地震と同じくらいの
数の人も亡くなっています。だからといって、河川から離れて
人は生きていけません。」

「長期的な進化への欲求を満たすには、耐震構造
がしっかりしたビルをつくって備えるほうが、
地震が起きてから逃げようと考えるよりも、
よほど効果的です。」(p127)

うん。田舎でも耐震構造がしっかりしたビルが
近くにありさえすれば(笑)。


インタビュアーが質問します
「東日本大震災から学ぶべき教訓は何ですか」。

これに答えて
「 二つあります。一つは
ある日本の看護師から聞いたことです。
『科学者たちのいうことをできるだけ聞いて
理解しようとすることは重要だが、最終的に
決断するのは自分である』ということです。
科学者も人間であり、100%信用するのは間違っている。
『Take ownership of your own situation.
 (自分自身が置かれた状況を把握して受け入れる)』
ということです。」(p128) 


「もう一つの教訓は何でしょうか。」との質問に
「世界中が学ぶべき教訓は、
どれだけ電気システムの回復力が重要であるかです。
停電が起こす事態については、ここ
ロサンゼルスでもずいぶん話されてきました。・・・」


最後のページには、こうあります。

「われわれが最終的に必要としている『真の解決策』とは、
予知が必要ない、回復力のある社会です。」(p129)


う~ん。回復力なんですね。
ちなみに、このインタビューの題名は
「地震対策は『予知』よりも『回復力』」。
最初の方にこうあります。

「われわれ地震学者は、
地震予知を通して社会貢献ができると考えていました。
ところが、それは不可能な課題であることが
数十年かけて徐々にわかってきた。
そのため、現在ではいかにして地震と共生すべきか、
という方向にギアチェンジをしています。」(p124)

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日下公人の言い続けてきたこと。

2018-11-25 | 道しるべ
日下公人著「『発想』の極意」(徳間書店)。

うん。今回は、ここを引用。

「私は、文化が自然に身に付いている日本人は
『庶民』だと思っています。文化程度の非常に高かった
江戸時代三百年を生きてきた日本の庶民は、
生まれながらにして文化を身につけているからです。
したがって、日本の庶民こそ文化人である、
と言い続けてきました。
ここで、庶民の生活態度をまとめておきましょう。

(一) ものごとを合理的に考え、けっして僥倖を当てにしない。
(二) 一つのことに拘泥せず、融通無碍なところがある。
(三) 前向きで経済的な生活を好む。
(四) 長いものに巻かれやすいが、時として辛辣な見方もする。

・・・・」(p114)

うん。私はこれだけで、もう満腹(笑)。
ボーッとしてしまいます。
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葬儀参列。

2018-11-22 | 地域
昨日は日中晴天。
夫婦で葬儀参列。

午前10時15分のはじまりで、
40分ほど前にゆくと、
もう大勢の方が来ておられる。
奥さんに挨拶して、
あとは待つことに。


真言宗でした。
お経本が配られ、後半は、
お坊さんの声にあわせて、
読経させていただく。

90歳でした。
ちょうど、葬儀当日が次の誕生日ということで、
お棺の蓋を閉じるまえに、親族の方々が囲んで、
ハッピーバースデイを歌うなど、心温まる葬儀でした。


火葬への霊柩車をお見送りし、帰って来る。


追記。
今日になって、これを書いてると、
自分の時は、とあらためて思う。
家族葬ぐらいしてくれるだろうか。
ひょっとすると、それもないか。
うん。そんなこと思い描けない、
能天気(笑)。


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書くに価する人。

2018-11-17 | 本棚並べ
古本で
大谷晃一著「ある出版人の肖像」を購入。
題名右上には、小文字で「矢部良策と創元社」。
発行は創元社で[私家本]とあります。


あとがきには
「・・・創元社の社史を書いてほしい。
こういう要請を受けたのは、61年の暮れであった。
私の伝記文学の一つの作品として矢部良策を書くのならば、
と答えた。創元社側の謙遜にもかかわらず、
良策は書くに価する人である。そうでなければ、
私は書くつもりはなかった。これが、叶えられた。・・・」
(p319)

とあります。
パラパラと真ん中辺から読み始める。
うん。創元社の出版本が社史の流れの中に
ちりばめられていて、まるで川に紅葉が散って
つぎつぎに流れてくるような華やかさがあります。
その流れとともに、出版社の浮沈が語られてゆく。
はい。抵抗なくスムーズに本文の流れにのれました。


う~ん。
これだけじゃ何を言っているのかも
分からないでしょうね(笑)。
「道は開ける」という章から、
昭和29年の箇所を引用

「7月2日、第四回債権者委員会で一応の再建案を決めた。
支払手形を一年間すえ置いたうえ二カ年で全額を償還する、
債権者から取締役五人と監査役二人を出して
創元社側の取締役を二人とするなどである。
『四千万円の債務を負って創元社はもう解散一歩前まで来ている。
創元社はもうつぶれるかも知れない、十中八九』
やめたばかりで、まだ社内にいる永井利彦は日記にこう記す。

5日、ついに不渡手形を出した。最悪の段階である。
在庫の本を東京神田の八木書店へ捨て売りしようとした。
が、東京の創元社が『それは困る』といい、
本を担保にして借金した。これが流れると、ぞっき本になる。
社の信用はつぶれてしまう。
7日の債権者会議を9日の延期した。
ところが、翌6日に倒産したのは東京の創元社である。
負債は二億円に達した。業務を広げただけ、額が大きい。
『このばかが。売れている。売れていると言って俺をだましやがったな。
金銭に情熱のない人間は商売なんかするなッ』
小林秀雄は激怒し、小林茂や秋山孝男らを難詰する。
東京創元社はここで解散した。
代表取締役だった良策は、名実ともに東京での地歩がなくなる。
大正14年の創業とともに東京支店を出してから、二十九年がたつ。」
(p263~264)

はい。それでは、
興味のある方は、読んでのお楽しみ(笑)。
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感受力の基礎訓練。

2018-11-08 | 詩歌
与田準一著「詩と童話について」(すばる書房)が
古本で1円+送料347円=348円。

はい。購入しました。
函入です。線引きありとありましたので、
それでも、1円なら気になりません(笑)。
ということで、注文。届いてから確認すると、
最初のほんの数ページのところ二行だけ
赤いサインペンで線がひいてある。
それだけ。あとは、きれい。
どうも、
数頁読み、それっきりになっていた。
というような、きれいな古本でした。

ああ、いつか私が購入した本が
古本として出たら、そんなきれいな本が
どれだけあるだろうかと、
身につまされる想いが先にきました。


さてっと(笑)。
この本に、「教育としての詩」という章がありました。
そのはじまりは小学四年生の詩をとりあげての
AとBとの対話形式で書かれておりました。

その引用された詩はというと

     雪

 詩を書いていると
 雪が降ってきた
 えんぴつの字がこくなった


この詩についてAさんが質問します。

「この、小学校の四年生の子どもが、『詩』と、
いっているのは、どんなものでしょう。
わたしには、ちょっと、すなおに受けとれないものが、
ありますが・・・・。」

こうして、対談形式の5頁ほどの文(p170~174)が
気になりました。

はい。きりんの詩「雪」です。


「全日本児童詩集1950」(尾崎書房、1950年発行)
「自選 井上靖詩集」(旺文社文庫)
「井上靖 わが一期一会」(毎日新聞社)

と、この3冊が、わたしに思い浮かびます。

1冊目「全日本児童詩集1950」は、
最初の頁に、責任編集者の名前がズラリと並んでおりました。

川端康成・林芙美子・與田準一・丸山薫・村野四郎
梅木三郎・阪本越郎・久米井東・井上靖・安西冬衛
小野十三郎・竹中郁・坂本遼・足立巻一

あらあら、このなかに、与田準一の名前もあった。

この本の「さしえ」も名前が並んでいます。

小磯良平・吉原治良・井上覚造・川西英・須田剋太
山崎隆夫・前田藤四郎・田川勤次・池島勘治郎
沢野井信夫・津高和一・早川良雄

お目当ての詩「雪」はp58にありました。
次の頁には、版画でしょうか、二色刷りの絵。
それは真ん中に窓に向かって黒く塗りつぶされた
少年が右手に鉛筆を持っている絵です。
背景のガラス窓がぼんやりと楕円に青く描かれています。
ちょうど黒いシルエットの少年の頭の箇所に
窓ガラスの枠の桟がクロスしているようです。
硝子戸の桟(さん)の部分は白くぬかれて、
こちらからだと、少年が向くさきに、
十字架が置かれているようにも見えます。
硝子には外の青さが染まっています。
その青さのなかに点々と白。雪の白。

まあ、そんな感じの絵ですが、
どなたが描いたものか、署名なし。


つぎは「井上靖詩集」の詩集「運河」に
入っている詩。

   雪

  --雪が降つて来た。
  --鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌
 でみつけた詩だ。雪が降って来ると、私はいつ
 もこの詩のことを思い出す。ああ、いま、小学
 校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の
 字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはち
 ょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。勤勉、真摯、
 調和、そんなものともどこかで関係を持っている。


はい。ちょっと行分けが間違ってしまいましたが、
ご勘弁ください(笑)。


つぎに、「井上靖 わが一期一会」から、
そこに、「『きりん』のこと」(p64~70)。
そこを、ちょっと引用。


「『雪』という詩になると、大人はもう敵わない。
雪が降ってくると、実際に鉛筆の字はこくなって
感じられるであろうと思う。大人では感じられないことを、
少年は少年だけが持つ鋭い感性によって感じとっている
のである。

私はこれらの少年、少女の詩から、文章を書く上に、
いろいろ教えられている。それぞれが、大人の詩人たちでさえ
及ばないようなものを持っているからである。しかし、
こうした詩を読むことによって得た一番大きい貰いものは、
小学校時代の子供たちが、例外なく鋭い感性を持ち、
それを虫が触角でも振り回すように振り回して生きている
ということを知ったことであった。」(p70)



さてっと、もどって与田準一「詩と童話について」
から、引き続きの引用をしてみます。

途中からです。

A わかりました。すると、教師は、『詩を書かせる』
という手段、方法で、子どもの感じる力を、きたえる
というわけですね。

B 子どもは、いつも、ものごとに、感じているのでしょうが、
『書くこと』で、そういう感受力が、ハッキリする。ひきだされる、
きたえられる、伸ばされる、方向づけられるわけです。
それは、そして、教師のうけ持たされた仕事ですし、
また、『教育の甲斐』というものでしょう。

A すると、その、感受力という力を、詩を書くことで、
はたらかせているうちに、神経質な子になったり、ものごとを、
しじゅう、受けとめるだけの、なんといいますか、
考えは深くはあるが、からだの弱い子になりませんか。

  ・・・・・・・・・・

B ・・・・感じたことを、書きあらわすということは、
また、『考える』人間としての、準備運動とも、いえましょう。
このごろでは、なにかにつけて、『批評』することが活発に
おこなわれていますが、ものごとを感受するということを
ヌキにして、批評は、できないはずです。
まず、対象について感受する能力があってこそ、
その対象の、よしあしを、批評することが、できるわでしょう。
このごろの批評には、この、感受力の基礎訓練を怠たっているくせに、
いっぱしの批評をやっているつもりの批評が、なきにしもあらずです。
それらは、案外、批評の型に、すぎないようです。
(p172~173)



う~ん。前の持ち主は、ここまで読まずに、
この本は古本になってしまっていたのだろうなあ。
そんなことを思いながら線をひいています。


コメント (2)
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