和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「今週の本棚」名作選。

2012-05-31 | 本棚並べ
丸谷才一・池澤夏樹編「愉快な本と立派な本」(毎日新聞社)を買いました。脇に「毎日新聞『今週の本棚』20年名作選 1992~1997」とあります。全3巻で順次刊行の第一巻目と帯にあります。定価は3500円(税別)。迷いましたが買いました(笑)。
うん。それなりに、毎週切り抜いて死蔵していまにいたります。

さてっと、内容はと、めくってみると、
年末恒例の「書評者が選ぶ『この一冊』」(すぐに「この3冊」と変わっております)は、きちんと毎年分を載せてあります。それから、毎回の書評から、さらに選んだ書評。それと「私の選んだ文庫・ベスト3」のちに「この人・この3冊」が和田誠の絵入りで載っております(この本の装丁も和田誠)。
本の巻頭に丸谷才一氏の「三ページの書評欄の二十年」という文が9ページ。

うん。とりあえず本棚へ(笑)。
そんなんじゃ、古本になってから買えばよいじゃないか?
と自問してみます。でも「今週の本棚」のファンとしては、
第一巻目は、買うことにいたしました。
パラパラとめくれば、すべてといっていいほど
読んでいない本。私にとっては、本の海の広さを、波打ち際で思い浮かべる一冊。砂浜できれいな貝殻をさがしだすように、この書評本の中から一冊、私の愛読書となれば、それこそ喜び。
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5W1Hを判断する。

2012-05-30 | 地域
5W1Hといえば、
【 誰が、何を、いつ、どこで、なぜ、どのように 】ですね。

猪瀬直樹著「決断する力」(PHPビジネス新書)の、最初の方の、p23にその言葉がでてきて印象深いのでした。時は、2011年3月11日。
以下、5W1Hという言葉が出てくるまでを紹介します。


「震災当日、巨大な津波に飲み込まれた気仙沼市はその後、猛烈な火災に見舞われた。」

「そのとき、気仙沼市マザーズホーム園長の内海直子さんは同市の中央公民館にいた。そこには400人が取り残されて孤立していた。唯一通じた連絡手段が携帯メールだった。『火の海 ダメかも がんばる』と打ったメールは、イギリス在住の長男・直仁さんに届いた。インターネットだから距離は関係ない。県境も国境も関係ない。イギリスにいた直仁さんはツイッターに書き込んだ。

  『拡散お願いします!』
  障害児童施設の園長である私の母が、
  その子供たち10数人と一緒に、
  避難先の宮城県気仙沼市中央公民館の3階に
  まだ取り残されています。
  下階も外は津波で浸水し、
  地上からは近寄れない模様。
  もし空からの救助が可能であれば、
  子供達だけでも助けてあげられませんでしょうか。


またたく間にリツイートの輪が広がった。
たまたまそれを見つけた東京在住の鈴木修一さんが
僕宛にツイートした。
日付が変わった午前0時すぎのこと。
僕のツイッターのアカウント宛には都内の交通機関の現状や被災地の現地からの情報が何百何千と届いていたから、目を光らせていた。一読して、この文章の真実味が伝わった。そのときは、みんな混乱していたからデマも多かった。しかし、この文章は5W1Hがしっかりしているから、おそらく間違いないと判断できる。すぐに東京消防庁の防災部長を呼んだ。・・・避難先の公民館のすぐ隣は火の海だということは映像を見ていれば想像がつく。」


そう、作家・猪瀬直樹氏は2007年6月に東京副知事に任命されているのでした。

以下は状況説明となっておりました。せっかくですから、そちらも引用をつづけます。

「こういう状況では、避難者は119番に電話をかけるのがふつうだ。119番にかけると、地元の消防に電話がつながる。ところが、地震などの災害時には、電話回線の混雑を避けるための発信規制によって、緊急通報用の電話番号もつながりにくくなることがある。さらに、今回は地元の消防署そのものが被災していて壊滅状態にあった。仮に電話がつながったとしても、人がいない。当然、東京消防庁にも地元からの出動要請は来ていない。気仙沼の消防署員が何人も行方不明になっているような状況で、彼らが中央公民館に人が取り残されていることを把握しているとは思えなかった。彼ら自身、被災しているし、残った人も救難活動で手一杯だろう。
そのため、東京で判断して、前例はないけどすぐに行ってほしいと防災部長に提案した。防災部長は緊張した表情で、やらなければいけませんね、と応じてくれた。・・・ヘリならば東京から一時間半である。・・・」(p24~25)

こうした臨機応変の前例のない対応は、いろいろと続きます。そのなかの一つとして、
東京消防庁のハイパーレスキュー隊が、3月12日夕方に福島第一原発に向かうのでした。

「ところが、常磐自動車道のいわき中央インター付近まで行ったところで、総務省消防庁(国の機関)から『来なくていい』という連絡が入った。やむなく東京消防の隊員はいったん引き返すこととなった。」(p30~31)

以後の経緯は、この新書を読んで反芻してよい箇所となっております。
わかりやすく貴重な記録として光明を見る思いで読ませていただきました。
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会場は凍てついた。

2012-05-29 | 短文紹介
5月29日の朝刊には、菅直人の写真が掲載されています。
国会事故調聴取での登場。
産経新聞の見出しは「菅氏なお責任転嫁」。
産経の一面では、阿比留瑠比氏の署名記事。
その最後のほうに、こうありました。

「・・・昨年1月の施政方針演説では『私自らベトナムの首相に働きかけた結果、原発施設の海外進出が初めて実現します』と原発ビジネスに胸を張った。・・・そして28日の事故調では、世界に向かって『脱原発』を呼び掛けた。・・自らの過ちを認めようとしない人ほど、たびたび間違いを犯すという。菅氏はそれを身をもって証明している。」

3面に「国会事故調 浮かぶ菅氏独走」の最後にこうありました。

「昨年3月15日早朝、菅氏が東電本店に乗り込むと、『撤退したら東電はつぶれる』などと社員に向かって怒鳴り散らした。海江田氏も『初めて菅氏の発言を聞く方は違和感を覚えて当然だと思う』と証言した。だが、菅氏はその叱責さえ認めようとしなかった。・・・さらに『夫婦げんかより小さな声でしゃべったつもりだが、叱ったつもりではない』。ジョークで笑いを取ろうと思ったようだが、会場は凍てついた。」

う~ん。こういう時に
猪瀬直樹著「決断する力」(PHPビジネス新書)を読み、
明快で、すっきりとした気分になりました。
読んで気持ちを立て直すことができました。
ありがたい一冊。
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『~が』の誘惑。

2012-05-28 | 短文紹介
藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)をパラパラと読み返していたら、清水幾太郎著「論文の書き方」(岩波新書)を読み直したくなります。

藤原氏の文に「構成がしっかりした、よく練られた文章には接続詞は少ないものです。」(p53)とあり、「ほとんどの接続詞は機械的に削ってしまっても問題ありません。注意が必要なのは逆接の『しかし』『ところが』『~が』でしょうか。」(p54)
そして、削る例文を示しておりました。
「よく見かけるのが、逆説になっていない『~が』です。
『前回のレポートをじっくり読みましたが、興味深い内容です。』
この『~が』は、単純に時系列で文をつなげているだけで、本来なら不要です。次のように書くのはどうでしょう。『前回のレポートをじっくり読みました。興味深い内容です』これで意味は通じます。最近、違和感を抱くのは、逆説になっていない『でも』『逆に』です。・・・」(p54)このあとの会話の実例(「全然」)などは、興味深いのですが(笑)、このくらいにして
そういえば、と思い浮かぶのは、清水幾太郎著「論文の書き方」の第三章は「『が』を警戒しよう」という題名をつけていたのでした。
そこに、
「前に見たように、『が』は極めて便利な接続助詞なのであって、これを頻繁に使えば、誰でもあまり苦労せずに文章が書けるからである。眼の前の様子も自分の気持も、これを、分析したり、また、分析された諸要素間に具体的関係を設定したりせずに、ただ眼に入るもの、心に浮かぶものを便利な『が』で繋いで行けば、それなりに滑かな表現が生れるもので、無規定的直接性の本質であるチグハグも曖昧も表面に出ずに、いかにも筋道の通っているような文章が書けるものである。なまじ、一歩踏み込んで、分析をやったり、『のに』や『ので』という関係を発見乃至設定しようとなると、苦しみが増すばかりでシドロモドロになることが多い。踏み込まない方が、文章は楽に書ける。それだけに、『が』の誘惑は常に私たちから離れないのである。」(p56~57)


うん。せっかく「論文の書き方」をひらいたので、
第一章「短文から始めよう」から、こんな箇所を引用しておきます。

「・・・かなり堅い書物を選んで、それを丹念に読み、それから、短い紙数でその紹介を書くという方法は、広く初歩の人々に勧めることが出来ると信じている。既に述べた通り、第一に、この表現という迂路を通ることによって、私たちは本当に書物を読み、その内容を自分の精神に刻みつけることが出来るからである。そして、第二に、短文という苦しい狭い場所へ自分を押し込めることによって、文章を書くという仕事の基礎的作業を学び取ることが出来るからである。・・・要するに、文章の修業は、書物という相手のある短文から始めた方がよい、というのが私の考えである。・・・それから、自由な長さではなく、五枚とか、十枚とかいう程度の短文であるということ、この二つが大切である。」(p9)


藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」と
清水幾太郎著「論文の書き方」とを
読み比べると、いろいろと
類似点と、現在の時点での差異とが面白く、
うんうん、と頷きながら楽しめるのでした。
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司馬さんと石原千秋。

2012-05-27 | 短文紹介
産経新聞の関厚夫著「次代への名言」が、今は「司馬さん、遼(はるか)なり」編をとりあげて連載中なのでした。5月27日で26回目。ときどき、読んでいるのですが、今度まとめて読んでみたくなります。
さて、同じ5月27日産経新聞の読書欄に「時評文芸」を石原千秋氏が月一回の連載をしているのでした。司馬遼太郎と石原千秋。と2人が並ぶと、思い浮かんだのが、最近読み直した松本健一氏の文でした。中公文庫の「司馬遼太郎の跫音」。
そこの最初の方に、松本健一氏の文が掲載されておりました。
司馬遼太郎は1996年(平成8年)2月12日73歳で亡くなって、この「司馬遼太郎の跫音」は、その追悼特集なのでした。では、松本氏のその文から、すこし引用していきます。

「それはともかく、司馬の生前に文芸雑誌でかれを特集したものは、たしかにほとんどなかったのである。のみならず、かれの死後も、文芸雑誌で追悼号はもちろん、追悼特集をつくったところはない。・・・・こういった扱いは、純文学とか文壇というような世界では、司馬遼太郎が文学者としてはあまり評価されてこなかった実態を物語っているのではないか。そういえば、東大をはじめとする気鋭の若手文学研究者たちを集めた『漱石研究』№6(1996年5月20日刊)には、大学の文学研究者たちの司馬遼太郎に対する低い評価をうかがわせる、次のような言葉があった。」(文庫p60~61)

このあとに、引用されているのが、石原千秋氏の文でした。
まあ、興味ある方は、一読をおすすめして、ここでの引用は省きます。

石原氏は、司馬サンの講演「漱石の悲しみ」をとりあげていたのですが、その講演について、松本氏は、以下のようにすくいあげておられるので、それは引用しておきます。


「しかし、これが司馬さんの校閲をへていない講演の記録であると考えると、語り口の巧みさ、なめらかさは、やはり尋常のものでない。」(p64)

「そこに、この司馬流の語り口のうまさと関係するのだが、司馬さんが漱石そのものを、あるいは漱石の文章の特徴を語っている部分は、全体の三分の一ぐらいにしかならないのである。あとは、漱石を同時代の空気、同時代人、同時代の文章のなかに置く、という方法をとっている。出てくる人物にしても、泉鏡花、徳富蘇峰、ラフカディオ・ハーン、坪内逍遥、長谷川如是閑、二葉亭四迷、丘浅次郎、正岡子規、高浜虚子、寺田寅彦・・・。それらの人物の経歴や文章のくせを、一々説き来り説き去るのである。これは、じつは司馬さんの小説の書きかたと同じなのである。・・・純文学を研究している大学の文学研究者には、そういったことがまったく見えていないのである。」(~p66)


それにしても、連載「次代への名言」の「司馬さん、遼なり」編は、今度まとめて読んでみることにします。
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新聞連載を楽しむ。

2012-05-26 | 短文紹介
古新聞をもらってきました(笑)。
日経新聞の日曜日に連載されている山折哲雄の「危機と日本人」。
いつもは、1ページごと手でビリビリとやぶっておしまいにしているのですが、
山折氏の連載は、ちゃんとハサミで切り抜いて、スクラップブックに綴じております。
5月20日までで、12回目となりました。別に読まなくても、畠中光享の挿画を並べて見るだけでも楽しめる。楽しみついでに文でも読もうかという気になる新聞連載。
うん。カラフルなの、気持も明るくなります。一回一回の本文にあわせて描かれていて、そちらの興味もかきたてられるのでした。
ちなみに、連載がおわって単行本になれば、文章だけになって、何とも味気ない。というのはいつものパターン。そう、絵本を楽しみしていたら、文章だけになってしまったような連載が終わってからの、つまらなさ。
そういえば、山折哲雄氏は以前にも日経新聞で連載をされていたなあ。
その時は、切り抜きをしてなかったのですが、やはり楽しみでした。
連載の11回目には、山本周五郎の「樅ノ木は残った」をとりあげておりました。
そこに「この小説は昭和29年7月から翌30年4月まで、さらに昭和31年3月から同9月までの二度にわたって『日本経済新聞』紙上に連載され、あらたに350枚を加筆して完成をみた労作である。」とありました。そうなんだ。
連載12回目は吉田松陰が登場して挿画も松陰の坐像となっております。座った畳のグリーンが心地よく目にはいります。その12回目のなかで井伊直弼の『茶湯一会集』をとりあげているのでした。
とりあえず、そこから少し引用。

「茶の湯がはてれば、挨拶を交わして、客は露地を去っていく。ともに席を立った亭主はその客を見送っていく。そのまま門外に立ち、客の姿がみえなくなるまで静かに見送る。客の姿が視界を去ったあと、亭主はふたたびもとの茶席にもどる。潜り戸はそのまま、障子も立てない。もとの姿のままにしておく。にじり口を抜けて、茶席の炉の前にひとり着座する。直弼はそれを『炉前に独座する』と書いているのである。『独座』という言葉が深くひびく。勁(つよ)い言葉だ。・・・・ただ独りで茶を点(た)てて飲む。直弼はそれを、こんどは『独服』であるといっている。これこそまさに一期一会がきわまる境地だといっている。・・・・井伊直弼はもしかすると、反対派によって暗殺されることをすでに予感していたのかもしれない。」

うん。最近は、この連載を楽しみに、
古新聞をもらってくるのでした。
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よどみに浮かぶうたかた。

2012-05-25 | 短文紹介
藤原正彦著「遥かなるケンブリッジ」(新潮社)を
読んでいたら、あれ、方丈記?
という箇所がありました。

それは最後の第12章「イギリスとイギリス人」に出てきます。
とりあえず、その前に第11章のおわりの箇所を引用。

「イギリス・ユーモアは、つらい時にこそ光を放つ。現実から一歩だけ退き、永遠の光の中でそれを見直すことで笑いを誘う。イギリス・ユーモアの根底には無常感がある。リチャードの生き方が分かったような気がした。イギリス人が少し分かったような気がした。」


さて、では第12章のこの箇所を引用。

「ユーモアの複雑多岐な形を貫いて、一つ共通することは、『いったん自らを状況の外へ置く』という姿勢である。『対象にのめりこまず距離を置く』という余裕がユーモアの源である。真のユーモアは単なる滑稽感覚とは異なる。人生の不条理や悲哀を鋭く嗅ぎとりながらも、それを『よどみに浮かぶ泡(うたかた)』と突き放し、笑いとばすことで、陰気な悲観主義に沈むのを斥けようというのである。それは究極的には無常感に通じる。」

なんとも、イギリス・ユーモアを語るのに、さらりと、
『よどみに浮かぶ泡(うたかた)』
という文句を引用してしまう言語感覚。
これも、無常感に通低する連想なのでしょうか?
随所に、そういう言語感覚を味わえる
イギリス留学の数学者と、そのご家族の冒険。
として私は読みました。
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『層』に顔はありません。

2012-05-24 | 本棚並べ
藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)は、簡潔ながら、印象に残ります。この題名を見たときに、すぐ思い浮かんだのは、本は最初から読まなくてもいい、ということでした(笑)。まあ、そういったお気楽な気持で後ろから読み始め、わかりやすい言葉つかいに感銘を覚えました。

最近は、本を読むのは、手元に読み返すための本を選ぶためじゃないのかなあと思うようになりました。この本を読んで、本棚からとりだしてきたのは、

清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)
板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書)
板坂元著「続考える技術・書く技術」(講談社現代新書)

この3冊をめくると、
あれ、今まで私は何を読んでいたのだろう?
読み飛ばしていた箇所に気づいたりします。
たとえば、「続考える技術・書く技術」の最初の方に
方丈記が登場しておりました。

「いつか教室で『方丈記』を教えていたら、学生の一人が『先生、この感じは現代に似てますね』と発言した。なるほどいわれてみると、鴨長明は考えられるかぎりの悲観的材料を並べたてている。とにかく、この世界は破滅に向って、ひたむきにつっ走っている、といった感じは、奇妙に現代人の感覚に似ている。・・・」(p17~18)

ちなみに、「続考える技術・書く技術」は1977年9月第一刷。

2012年の現代の感覚にも似てる。
ということは、鴨長明は普遍的な日本人の感覚を書きとめていたの?

それは別として、
「文は一行目から書かなくていい」の最初の方に
こうありました。

「一人を納得させられる文章というのは、結果的にほかの人の心まで動かしてしまうものです。幅広く賛同を得ようとして丸くなってしまった文章より、けっきょくは多くの支持を集められるでしょう。
特定の人を想定することが大事なのは、小説やエッセイも同じです。おおまかな読者層をイメージしている書き手は多いかもしれませんが、『層』に顔はありません。具体的な顔を思い浮かべて、この人はこれでおもしろがってくれるだろうか、涙してくれるだろうかと考えながら書くほうが、文章にも緊張感が出ます。・・・『いつかどこかで誰かが認めてくれる』では文章はうまくなりません。」(p30~31)

「『層』には顔はありません。」といえば、
宮崎駿が造形したカオナシを思い浮かべたりします。
ブログと「『層』には顔はありません」と、
そういえば、BK1がなくなり、
辻和人さんの書き込みが読めなくと残念なのが、
こういうことを書いている原因かもしれません(笑)。

さて、藤原智美さんの本では、先の方には、こうもありました。

「『みんながこういっているから乗っかっておこう』『こう書いておけばみんな共感するだろう』という落としどころが先にある文章は、そこに当てはめるようにして言葉を探すから、借り物のにおいが漂って説得力を失うのではないでしょうか。」(p93)

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文章術の王道です。

2012-05-23 | 短文紹介
BK1の書評で知った
藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)を読みました。
読みやすく、分かりやすい。
あまり分かりやすいと、つい、つい読んだ後に読み返さずに、
つぎの本へと興味が移ってしまうのですが、
あらためて、というか、温めておきたい一冊です。

とりあえず、
この本文の最後の言葉を引用しておきます。

「書くということは、心の動きに引っかかったピースを、すくいあげて言葉にする行為だといってもいいでしょう。・・・・『伝わる』文章を書くことの秘訣を一つにまとめるとすると、それは日々の心の動きをないがしろにせず、自分の内面に目をとめて、それを言葉として残しておくこと以外にないのです。まわりくどい方法のようですが、これが文章術の王道です。案外、簡単なことではありませんか?」(p185)
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新刊買い。

2012-05-22 | 本棚並べ
梯久美子著「TOKYO初夜ものがたり」(角川書店)
副題として「11人が語った上京初日の出来事」とあります。

最初は、リリー・フランキー氏へのインタビュー。
その最後にこうありました。
「ご飯屋さんのおばあさんが『これ持っていきなさい』って言ってくれたりとか、町歩いても知ってる人ばかりになると、ここにいていいんだろうかと思ってしまう。根無し草根性が抜けないんです。根が張り出すと居心地が悪くなる。東京には長くいすぎました。パン一個買うにも緊張した、上京直後のころの感覚に、近いうちにもう一回戻したいと思っているんです。」(p28)

うん。あとの10人へのインタビューを読むのがたのしみ。
あわせて買った本を、以下に

曽野綾子著「朝はアフリカの歓び」(文藝春秋)
ドナルド・キーン(聞き手・小池政行)「戦場のエロイカ・シンフォニー」(藤原書店)
林真理子著「あの日のそのあと 風雲録」(文藝春秋)
伊藤守著「ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか」(平凡社新書)
藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)
KAWADE道の手帖「鶴見俊輔」
KAWADE道の手帖「親鸞」


うん。とりあえず、段ボール箱に、題名が見えるように並べます。
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一遍上人からの眺望。

2012-05-21 | 短文紹介
うん。最初は東日本大震災についての本を読み始めた際でした。
ドナルド・キーン氏が

「・・自分の専門である日本文学の中に一体どれほど災害を記録した文学、小説があったかを調べてみる。すると長い歴史の中で、『方丈記』しかないと思えるほど、とても少ないのだ。これは不思議な発見だった。・・・悲惨で恐ろしい出来事は文学の題材に相応しくないと考えられたのかも知れない。」(2012年1月1日・朝日新聞文化欄)

こう、あったのでした。
うん、そうだなあと思いながら
その悲惨で恐ろしい流れは、宗教へと流れこんでいるのじゃないか、
などと思っておりました。

さてっと、
一遍上人について読んでいると、その歴史的な眺望がひらけた気がしています。
司馬遼太郎著「以下、無用のことながら」(文藝春秋。文春文庫)に
談話筆記ということで「浄土 日本的思想の鍵」という文が掲載されておりまして、そこに、
「・・・観阿弥(1333~84)、世阿弥(1363~1442)は、正式に言うと観阿弥陀仏、世阿弥陀仏ですが、時宗の人だったのです。なぜ彼等が時宗の徒であるかというと、これは日本の浄土思想と社会秩序の問題ですが、彼等は非僧非俗であり、阿弥陀仏という名をつけただけで、無階級の人間になれるのです。すばらしいことだと思います。無階級のことを方外(ほうがい)と言い、そういう人を方外の人といいました。方外の人になれば、将軍と同座して、お能の話とかできるということになるのです。
室町時代の将軍は、銀閣をつくった東山(足利)義政(1436~90)もそうでしたが、義政はお庭をよく造りました。その庭師はほとんど、阿弥が付いていました。あれは将軍と対等というか同じ場所で、石をどうしますかとか話さなければならない。それには阿弥を付けて方外の人にならないと、お大名でもできないのに、将軍と対等に作庭について意見を交換することはできません。義政は自室に『和光同塵』という扁額をかかげていたといわれます。【 仏の前では自分をふくめて衆生はみな平等 】という仏教語です。・・・」(単行本p226)

余談になりますが、「以下、無用のことながら」には
「浄土 日本的思想の鍵」のつぎに「蓮如と三河」があり、
そのつぎにコロンビア大学のドナルド・キーン日本文化研究センターで講演したとされる「日本仏教小論 伝来から親鸞まで」が載っております。

世阿弥については
中央公論2011年7月号に
ドナルド・キーン氏の「日本国籍取得決断の記」という3ページほどの文があり、コロンビア大学での最後の授業にもふれられておりました。
すこしそこを引用してみます。

「今季の私のクラスでは能楽の謡曲を読む授業が予定され、11人の学生が登録していた。中国経済の台頭によって、海外の大学では日本に対する感心がすっかり衰えたと日本の人々が言う時もあるが、11人という数は昨年の二倍にあたるし、学生の質も極めて高く、日本に対する関心が薄れていないのは歴然としていた。取り上げる謡曲は『船弁慶』『班女』『熊野(ゆや)』『野宮』『松風』である。この五つの謡曲の中で、比較的、簡単なのは『船弁慶』だが、残り四作は荘厳たる詩句の数々であり、それらを理解し、翻訳するのは学生にとって極めて難しい課題であるが、それでも脱落する者はいなかった。学生たちは授業に際して、長時間の学習を積んだに違いない。」(p189)

うん。世阿弥の謡曲も、一遍の時宗のひろがりのなかで読めば、ひろびろとした背景が理解を助けてくれそうです。一遍から世阿弥への眺望がひらけてきた気がします。

最後に
「司馬遼太郎が考えたこと 15」(新潮社)に「懐しさ」というドナルド・キーンさんについての文がありまして、そこからの引用。

「キーンさんは、若いころ、世阿弥の謡曲『松風』を読んだ。『日本文学のなかへ』によると、『「松風」を文学として最高のものと信じている』と言い、さらに『こんなことを書けば奇異に感じる人もいるだろうが』として、『私は日本の詩歌で最高のものは、和歌でもなく、連歌、俳句、新体詩でもなく、謡曲だと思っている。謡曲は、日本語の機能を存分に発揮した詩である。そして謡曲二百何十番の中で『松風』はもっとも優れている。私はよむたびに感激する。私ひとりがそう思うのではない。コロンビア大学で教え始めてから少なくとも七回か八回、学生とともに『松風』を読んだが、感激しない学生は、いままでに一人もいない。異口同音に『日本語を習っておいて、よかった』と言う。実際、どんなに上手に翻訳しても、『松風』のよさを十分に伝えることは、おそらく不可能であろう。・・・・』文学を読むというのは、精神のもっとも深い場所での体験である。日本語世界で、『松風』をこのようにして体験した人が幾人いるだろうか。」(平成4年4月)
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未読本の楽しみ。

2012-05-20 | 短文紹介
藤原正彦著「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス」(新潮社)を昨日から今日にかけて読みました。読もうと思った時に、家の本棚から抜き出す嬉しさ。
なんのことはない、ただ、いままで未読だっただけなんですが(笑)。

さてっと、
司馬遼太郎さんが、この本のどこいらあたりで、
「飛びあがるほどおどろいた」のだろうか?
藤原正彦という数学者が、新田次郎の息子かもしれないと、
どこらあたりで、そう思ったのか。
まあ、そんな興味もありました。
たぶんここだろうなあ、という箇所がありました。

それは第六章。
次男が学校でなぐられた際の、夫婦の会話に
こんな箇所がありました。

「そもそもけしからん。
藤原家はこう見えても、諏訪高島藩の武士だ。
イギリスのガキになめられてたまるか。・・・・」(単行本p103)

「私の父が子供の頃に、
父の祖父から教わったという、
藤原家伝来の戦法である。・・・」(p106)

うん。ちょうど本の半ば頃になります。
まあ、それはそうと、この本、文章もそうですが、
読んでよかった。
こういうのが、読まれずに本棚で寝ていたなんてね。

そして、本の半ばまで読みすすんできた、司馬さんはすかさず
最後の著者紹介を確認したのでしょうね。

「藤原正彦 1943年生まれ。作家・新田次郎と藤原ていの次男・・・」

うん。昨日のブログの引用を、
あらためて、読み直してみます。
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な、な、そうだろう。

2012-05-19 | 他生の縁
私は小説を読まない。うん。めったに読まない。
テレビのドラマは見てる癖にね(笑)。

さてっと、雑誌「新潮45」6月号が昨日出ておりました。
そこの特集「誕生100年・今こそ読みたい新田次郎」が
気になりました(新田次郎の小説は読んだことがない癖して)。

その特集は3人の方が書いておりました。
それを読んでいたら、
司馬遼太郎のエッセイが思い浮かんできます。

まあ、(小説を読まない)私の連想ですから、
気ままなものです。

司馬遼太郎が亡くなる前年のエッセイに
「本の話 ―― 新田次郎氏のことども」があります。
これは、「以下、無用のことながら」にも、
「司馬遼太郎が考えたこと 15」にも掲載されてます。

司馬さんのそれは、こうはじまっております。

「もう古い話で・・・・私が三十代だった昭和三十一、二年のころである。私は大阪の新聞社にいて、文化部のしごとをしていた。その新聞社は、『大阪新聞』という夕刊紙もあわせて発行していた。その連載小説のお守りも、私の仕事の一つだった。・・・ただ一度だけ・・たまたま自分の案が通って、東京へ出張したことがある。なんだか晴れやかな気分だった。」

こうして、気象庁の課長さん藤原寛人(新田次郎)を尋ねて、連載小説をお願いする司馬さんなのですが、見事に断られるいきさつを書かれたエッセイなのでした。

「その後、二十余年、お会いする機会もないまま、亡くなられた。その間、私は読者でありつづけたから、べつにお会いする必要もなかった。」

こうして、エッセイは主題にふれていくのでした。

「去年のことである。枕頭で本を読んでいるうちに、飛びあがるほどおどろいた。著者である数学者が・・・ともかくも、上質な文章が吸盤のように当方の気分に付着してきて眠ることをわすれるうちに、この本の著者の藤原正彦氏が・・・とふとおもったのである。あわてて本の前後を繰るうちに、やはり新田次郎氏の息であることがわかった。・・・この偶会のよろこびは、世にながくいることの余禄の一つである。同時に、本のありがたさの一つでもある。・・・」


ここに、司馬さんは「上質な文章が吸盤のように当方の気分に付着してきて眠ることをわすれる・・」とあるのでした。当然のように、新田次郎の息の藤原正彦著『遥かなるケンブリッジ』を読んでいない私(笑)。ですから、それが、どのような文なのかも、気にもせずに、忘れておりました。

ということで、「新潮45」6月号なのですが、
そこに、藤原正彦氏の文がある。
そこを、引用。


「・・文章まで似ているとよく言われる。父は完成した小説をまず編集者に読んでもらい感想をもらってから二度目の推敲に入ったが、エッセイの方は私に第一読者の役を頼んでいた。長い年月、父のエッセイを精読しては批評するという仕事をしていたから、自然に文章の回し方やリズムが父に似てきたのだろう。処女作の『若き数学者のアメリカ』を読んだ数学者の友達に、『オヤジさんに書いてもらったんだろう。な、な、そうだろう、な』と言われた。『いや、自分で書いた』と口を尖らせたら、『もうそんなに頑張らなくてもいいから。そろそろ白状しちゃえよ』と言われた。」(p154)


うん。司馬さんが、連載をたのみにうかがった頃だろうなあ、その頃の様子を正彦氏は書いております。最後に、そこも。

「父の作家生活の前半は気象庁との二足のわらじで、目の回るような忙しさだった。どちらでも恥ずかしくない仕事をするため、余暇というものは皆無に等しかった。趣味やスポーツに費す時間もほとんど持ち得なかった。役所から帰宅すると、夕食後にくつろぐこともせず、直ちに書斎に向かった。どてら姿で書斎のある二階への階段を上りながら、『戦いだ、戦いだ』とつぶやいていた。風邪で三十八度の熱がある時でもそうした。そんな時、家族の者は押し黙ったままそれぞれの持場に散って行った。・・」(p154)
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こんにちただいま。

2012-05-18 | 前書・後書。
坂村真民著「一遍上人語録 捨て果てて」(大蔵出版)を、
いちおう読み終わる。表紙をあけると、そこに墨の跡も鮮やかに「こんにちただいま 真民」という揮毫がされておりました。そのままに、額にでもいれたくなります。

うん。他の宗派とちがい、一遍を語る方々は、宗教の鎧を身につけていない分、なんともわかりやすく身近に感じます。ありがたい。ここからなら、私も浄土教を読むきっかけがつかめる。なんとも、ありがたい。

さて、坂村真民氏の「おわりに」で、こう指摘なさっております。

「一遍上人を日本開教の祖師の最後の人として称揚されたのは、柳宗悦さんである。・・・一遍上人を語るとき何かと浮かんでくるのが、その著『南無阿弥陀仏』である。わたしはこの本によって縁を結んだのではないが、この本は、一遍上人を宗門以外の人に知らせてくれた大きな力を持っている名著である。柳さんは民芸の発見者であり、発掘者であり、創始者なのであって、その眼は広く深く鋭く、しかも愛に満ちていた。」(p224)

うん。柳宗悦著「南無阿弥陀仏」を読んでつぎに
坂村真民著「一遍上人語録 捨て果てて」を読めたのは、よかった。

さてっと、真民氏の「おわりに」には、つぎに、こうもありました。

「作家であり、美術評論家であり、詩人である栗田勇氏の『一遍上人』は是非読んでいただきたいと思う。」(p226)

はい、わかりました。つぎに読んでみます。だいぶまえに
文庫本で購入して、未読のままになっています。


昨日は、注文してあった古本が届く

臨川書店(千代田区神田駿河台)
中村幸彦著「宗因独吟 俳諧百韻評釈」(富士見書房)
古本値2100円+着払いとして630円=2730円なり

ここは、着払いにて送ってくるようです。
とりあえず、「はじめに」をぱらりと読み、
関連本が数冊並ぶ本棚へとおいてみる。
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ふむふむ。

2012-05-17 | 本棚並べ
柳田国男著「俳諧評釈」(定本柳田国男集第17巻)を、すこし齧りはじめたところ。
ああ、そういうことなのかと合点しながら、すこしだけ読みすすむ。線が引いてあるので、途中まで読んだ形跡があるのですが、すっかり忘れて、はじめて読むのと同じ。

そういえば、向井敏著「文章読本」(文藝春秋)に、
安東次男について指摘がありました。

「深読みが過ぎるという反論もきっとあるとは思うが、じつをいえば、考証の及ばない領域にあえて身を挺して、思いきって深読みしてみせるところが、安藤次男の連句解釈の面目であり、楽しさでもある。」(第十章・起承転結のすすめ)

はじめての俳諧を読む、私のようなものが最初から「深読み」を読み始められるわけがないと、これも合点する納得のひと言。最初から安東次男の著作を読もうとするのが間違いのもとだと、挫折にも原因があることに気づきました。先達の大切さを思います。

あとは、
坂村真民著「一遍上人語録 捨て果てて」(大蔵出版)を、読み始めたところです。

つまみ食いでなく、
ていねいに咀嚼するように、
どちらも、読みたくなる本です。
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