和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

作家と編集者と

2023-09-30 | 本棚並べ
井波律子著「書物の愉しみ」(岩波書店・2019年)。
この書評集で紹介されている
堀田百合子著「ただの文士 堀田善衛のこと」(岩波書店・2018年)が
気になって古本で注文。それが届く。

さっそくパラパラめくっていたら、編集者と作家のことが
気になりました。

父・堀田善衛の内輪話に
『 作品の善し悪しは、編集者の善し悪しで半分決まる 大事だ 』(p197)
とあるのでした。

宮崎駿さんが訪ねてきたことに触れて、堀田善衛氏は娘にいっています。

『宮崎さんは『方丈記私記』が好きらしい。エライ人だ。・・』(p189)

本のはじめの方に、『方丈記私記』と編集者のことが出てきておりました。
最後にそこを引用しておくことに。

「1970年7月、筑摩書房の総合雑誌『展望』に『方丈記私記』の
 執筆を開始。翌年4月号までの連載でした。・・

 当時の、父の担当編集者、岸宣夫氏に執筆時の話を伺いました。
 当初、『方丈記私記』は連載もなく、単行本になる予定なども
 なかったのです。・・・・

 PR用の予告も出た。しかし、父(堀田)は書かない。
 では、『展望』に連載して、仕上がったら・・・と提案され、
 父は、それなら出来るかもしれないということで、連載が開始されたのでした。
 
 岸さんは、数年前に『展望』編集部に配属されたとき、
 誰が堀田善衛の担当をするかということになり、
 即座に手を挙げたそうです。・・・・

 以来、父が亡くなるまでの30年、父は担当編集者は
 岸さんでなくては駄目だと言い、営業部に異動しても、
 教科書部に異動しても、筑摩書房での父の仕事はほとんど岸さんが担当。
 単行本も、二度の全集も、岸さんが編集作業をしてくださったのです。」
                        ( p70~71 )

この次のページに『方丈記私記』のはじまりが引用されておりました。

「 私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、
  われわれの古典の一つである鴨長明『方丈記』の鑑賞でも、
  また、解釈、でもない。それは、私の、経験なのだ。

 『方丈記私記』は、この一文で書き始められたのでした。
 連載は、原稿が滞ることもなく、淡々と進められていったそうです。

 が、一度だけ――70年11月、父は第四回A・A作家会議ニューデリー大会
 に出席するため出かけなければならない。
 翌日がその出発日というときに、
『 岸さん、原稿が間に合わない。今日は手伝ってくれ 』
 と言われたそうです。

 岸さんは父の指示した岩波の日本古典文学大系『方丈記』からの
 引用文を書き写し、父に渡す。父はそれに続けて原稿を書く。

 そして岸さんは、次に引用文を書き写す。その繰り返しで、
 深夜に原稿は出来上がったそうです。
 わが家に泊まり込んで、父の仕事の手伝いを
 してくださった編集者は、岸さんただ一人です。

 後日談があります。・・・
 『 岸さん、あんな装丁の本はイヤだ 』・・次に、
 『 岸さん、10章分それぞれの章のタイトルを考えてください 』
 だそうです。・・・

 岸さん、編集者になって初めて作った単行本です。
 そしてこの『方丈記私記』は71年11月第25回毎日出版文化賞
 を受賞したのでした。よかったです。
 父にとってではなく、岸さんにとって、です。

 その後、ちくま文庫に入った『 方丈記私記 』は、
『 インドで考えたこと 』に続く父のロングセラーです。・・・
 後に、父は『方丈記私記』の生原稿を製本し、
 岸さんにプレゼントしました(現在、神奈川近代文学館所蔵)。」(~p73)
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満月の夜のこと。

2023-09-29 | 詩歌
本棚から武石彰夫著「仏教讃歌集」(佼成出版社・平成16年)を
とり出したので、この機会に本に登場する『月』をさがしてみる。

最後の方に成道和讃(じょうどうわさん)がありました。
「ブッダ誕生」とあります。

「『成道和讃』は、康和2年(1100)法隆寺で書写されたようである。
 今残るのはその一部だが、きわめて貴重な和讃である。・・」(p216)

「・・・・宗教的体験(縁起の瞑想)により、夜を過ごし
 明星が現れた時、仏陀となった。これを成道という。

 この和讃のなかの四句が切り出されて『梁塵秘抄』法文歌にある。

   寂滅道場音無くて 伽耶山(がやさん)に月隠れ
    中夜の寂(しず)かなりしにぞ 初めて正覚(しょうがく)成り給え

 これは、釈尊成道を歌った劇的場面である。
 『寂滅道場』は、釈尊が成道した場所。
 王舎城の西南方尼連禅河のほとりの菩提樹の下。仏陀伽耶(ぶっだがや)。

 『伽耶山』は、仏陀伽耶近くの丘。
 『正覚』は、正しい仏のさとり。

 この歌謡は、『音無く』『寂か』とする音の感覚、
 『中夜』とする時の感覚、
 『伽耶山に月隠れ』とする視覚の感覚のなかに、
 
 釈尊成道を描き出した宗教讃歌の佳作である。・・・

 しかも、現実の場所はインドであり、紀元前525年頃、
 満月の夜のこととするが、季節のうつろい豊かな日本の
 国土でのできごとをイメージさせ、
 『法華経』「寿量(じゅりょう)品」に説く
 久遠常住不滅の仏を予想させるものがある。

 釈尊成道を歌った法文歌に、

  弾多落迦山(だんだらかせん)の月の光(かげ)
    さやかに照らせば隈(くま)も無し
  
  仏性真如(ぶっしょうしんにょ)の清よければ
     いよいよ光ぞ輝ける

  もある。・・・・     」(p216~217)


はい。この本の和讃から『月』をピックアップさせてゆくと、
『白隠禅師坐禅和讃』(p45)・『梁塵秘抄』(p53・p55)
『西国三十三ケ所観音霊場御詠歌』(p70・p71・p75)
『行基菩薩和讃』(p129)・『教化(きょうけ)と訓伽陀(くんかだ)』 
などさまざまに登場しております。

はい。中秋の頃に『月』をさがしてページをめくる楽しみ。

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わずか梢(こずえ)に散りのこる。

2023-09-28 | 詩歌
松永伍一著「子守唄の人生」(中公新書)をとりだしたら、読まずに次は、
武石彰夫著「仏教讃歌集」(佼成出版社・平成16年)を本棚からとりだす。

そのはじめには、こんな箇所がありました。

「仏教が日本人の精神に受容されるとともに、
 日本語の讃歌として讃嘆、和讃が生まれ、
 法会の歌謡として教化(きょうけ)、訓伽陀(くんかだ)が生まれて、
 仏教は完全に日本人の心の奥に育っていったのである。

 とくに和讃は、広く民衆信仰のなかに下降し、芸能にも影響を与え、
 また、念仏讃や民謡とも交わりながら、国内各地に広まった・・

 だが残念なことには、広く一般の方々にとって、これらの
 仏教讃歌は縁遠く、また気軽に読める本も見当たらない。・・」(p2)

はい。この本、まさに気軽に読める本になっておりました。
はい。普段は読まない癖して、本棚にあると安心する一冊。

ということで、今日は「無常和讃」を引用してみることに。

 「  紅顔(こうがん)往きて還えらねば
    衰老(すいろう)来たりて且(かつ)さらず 」

という印象深いフレーズがあるのでした。
全文を引用してみることに。

「 凡そ諸行は無常にて
  これ生滅の法とかや
  万法ともにあとなきは
  水に映せば影にして
  
  紅顔往きて還えらねば
  衰老来たりて且さらず
  鏡をてらし眺むれば
  知らぬ翁の影なれや

  面にたたむなみの紋
  腰におびたるあづさ弓
  頭の雪や眉の霜
  
  四季の転変身に移り
  眼に春の霞たち
  耳には秋の蝉のこえ
  
  身の一重なる皮衣
  夏の日にまし黒みつつ
  肌はかじけ冬の夜の
  さむき嵐や荒屋(あばらや)の   
  筋骨あれてあさましき

  行くもかえるも千鳥足
  鳩の杖にし助けられ
  老曾(おいそ)の森の老いぬれば
  若きはうときいつしかに
  兒(ちご)に帰りておのずから
  智慧の鏡もくもりつつ
  もとの姿もいづち行き
  盛りの色はうつろひて 
  わずか梢に散りのこる
  花の嵐を待つ命
  徒(あだ)なる老の隠れ家を
  とやせんかくと計(はか)らうは
  雪の仏のいとなみの
  やがてはかなき例(たとえ)なり
  さりとて罪の器とは
  知らで愛するこの身にも
  仏の種は備へつと
  説ける御法の花の枝に
  結ぶ誓ぞたのもしき          」(p34~37)


はい。このあとに武石氏の鑑賞がのっているので、
私みたいな素人にもわかりやすい。
鑑賞の後半を引用しておくことに。

「紅顔(元気な少年の顔)から衰老へ、
 いつのまにかやってくる老いの浪、
 その姿をあざやかに述べる。

『 腰におびたるあづさ弓 』は、腰のまがった姿のたとえ、
 四季の移り変わりを老いの身になぞらえている。

『 鳩の杖 』は、むかし宮廷から老臣に慰労のために贈った。
 頭の部分に鳩の飾りをつけた老人用の杖、
 鳩は飲食のときむせないといわれ、老人の健康を祈る意味がある。

『 老曾(おいそ)の森 』は、滋賀県蒲生郡安土(あづち)町にある
 奥石(おいそ)神社の森。ほととぎすの名所。
 古社。歌枕。ここは、『老い』を導き出すためのもの。

『 雪の仏 』は、はかなく消えるもののたとえ。
『 徒然草 』(百六十六段)に、
『 世の中で、それぞれに精出してやっている事を見ると
  春の日に雪仏をこしらえて、その雪仏のために、
  金銀珠玉のかざりを骨おってほどこし、それを納める
  お堂を建てようとするのとよく似ている 』とある。

 末尾五句は重い。
 罪を背負ったわが身にも『仏の種』(仏となるための種子、仏性)はある。
 『維摩(ゆいま)経』には、煩悩の他にさとりはないから、
 あらゆる間違った見解や煩悩こそが仏種であると説く。・・・  」(p39)

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ねえんねえんねえんよ。

2023-09-26 | 詩歌
松永伍一著「子守唄の人生」(中公新書・昭和51年)の
最後の方をひらくと、四国地方の子守唄が引用してありました。

「 一つ、 ひとえにだいじは後生なり、
      つねづね念仏わするなよ
         ねえんねえんねえんよ。

  二つ、 ふたたびあわれぬ今日の日を、
      空しく暮らすは愚かなり
         ねえんねえんねえんよ。

  三つ、 みだい大事とおもうなら、
      守にあわれをかけさんせ
         ねえんねえんねえんよ。

  四つ、 善きも悪しきもうち捨てて、
      仏のお慈悲に取りすがれ
         ねえんねえんねえんよ。

  五つ、 いつまでこの世におるものぞ、
      命はまぼろし露の花
         ねえんねえんねえんよ。

  六つ、 無間地獄へ堕つる身を、
      そのまま救うは弥陀如来
         ねえんねえんねえんよ。

  七つ、 奈落に沈むに邪(よこしま)で、
      もらせたまわぬ御誓願
         ねえんねえんねえんよ。

  八つ、 山ほど金銀ある人も、
      死出の旅路はただひとり
         ねえんねえんねえんよ。

  九つ、 心すなおに本願を、
      頼めばそのまま仏なり
         ねえんねえんねえんよ。

  十で、 尊き教えの念仏は、
      つとめよ称えよ信ずべし
         ねえんねえんねえんよ。

  これは浄土真宗の念仏の発想を下敷きにした唄である。・・ 」
                        ( p199~200 )


はい。松永伍一のこの新書。
いまだに、読んでいないのですが気になります。  
というか、気になるけれど、まだ読んでいない。                               
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ウマシ国ゾ、秋津島、大和国ハ。

2023-09-25 | 詩歌
月刊「Hanada」11月号届く。
平川祐弘氏の連載『詩を読んで史を語る』から
この箇所を引用。


「湿潤地帯では生物は黴のように自然発生的に自生する。
 ・・・・
 『古事記』原文にはその生々しさが語感から伝わるので、

 『 次に国稚(わか)く浮きし脂の如くして、
   くらげなす漂へる時、葦牙(あしかび)の如く
   萌え騰(あが)る物によりて成れる神の名は、
   宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢの)神 』

  という一節に、私は一篇の詩を感じる。
  葦の芽の出るのを神格化した名前そのものの発音が面白い。
  
  その妙趣が英訳文では、意味だけが蒸留装置で汲み取られた
  かのように伝わるが、印象が希薄で味気ない。
  詩的感動も水っぽくなってしまった。

  蝉が殻から抜け出す場面に出くわしてじっと見つめた
  子供のときの記憶があるが、それと同じような驚きが、

  ウマシ・アシカビ・ヒコヂの神に出くわして感じられる。

  竹林の中である朝、筍が生えていた、驚いて見つめる、
  そんな感じが日本語で朗読すると追体験される。

  ウマシは、心、耳、目、口に感じてはなはだ好し、の語で、
  旨い、美味い、とも重なる。Pleasant以上にウマシは聴覚、
  視覚、觸覺、味覚など五官のほとんどすべてに好ましく訴える。

  『 ウマシ国ゾ、秋津島、大和国ハ 』と『万葉集』でも
  用いられるウマシでもあるからだ。

  『 ウマシ・アシカビ・ヒコヂの神 』と聞いただけでは
  詩情をまだ感じなかった読者も、

  『 ウマシ国ゾ、秋津島、大和国ハ 』と聞けば、
  この七五七の短い日本語に詩情を覚えるのではあるまいか。 」
                          ( p325~326 )

  
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しかるに今。

2023-09-24 | 本棚並べ
いつかは読もうと、そう思って
「往生要集」上下巻を、ワイド版岩波文庫で買ってありました。
はい。まるっきり、読まずに本棚にあります。

伊藤唯真著「阿弥陀 未知へのやすらぎ」(佼成出版社・昭和54年)
を読んだのをきっかけに、『往生要集』をひらこうとするのですが、
現代語訳がないと、私には手におえないのでした。

こういう場合、
伊藤唯真氏の本に引用されている『往生要集』の数行(p117)を、
本文にあたってひらいてみることにして、その近辺を読んでみることに。
うん。全然読まないより、まあいいか。

「・・・今もし勤修(ごんしゅ)せずは未来もまた然るべし。
 かくの如く

 無量生死の中に、人身(にんじん)を得ること甚だ難(かた)し。
 たとひ人身を得とも、諸根(しょこん)を具することまた難し。
 たとひ所根を具すとも、仏教に遇ふことまた難し。
 たとひ仏教に遇ふとも、信心を生ずることまた難し。

 ・・・・・・

 しかるに今、たまたまこれ等の縁を具せり。
 当(まさ)に知るべし、苦海を離れて浄土に往生すべきは、
 ただ今生(こんじょう)のみにあることを。

 しかるに我等、頭に霜雪(そうせつ)を戴き、心俗塵に染みて、
 一生は尽くといへども希望(けもう)は尽きず。

 ・・・・・     

 ・・・速かに出要の路に随へ。
 宝の山に入りて手を空しくして帰ることなかれ。」
             ( p74~75「往生要集」上巻・岩波文庫 )


はい。引用もチンプンカンプンの箇所は端折っております。
私の今はここまで、今度『往生要集』をひらくときは、
またこの箇所を読んでみることにして、
とりあえず、いつものことながら、本棚へもどします。
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カルチャーの語源。

2023-09-23 | 書評欄拝見
カルチャーの語源は『耕す』だと教わったことがありました。

井波律子著「書物の愉しみ」(岩波書店・2019年)を
パラパラとめくっていたら
堀田百合子著「ただの文士 父、堀田善衛のこと」(岩浪書店)の
書評がのっていました。
そこから引用。

「堀田善衛は『 原稿を書くということは、
 原稿用紙の升目に一文字ずつ田植えをしているようなものだ 』
 と言いながら、深夜、トントン、トントントンと万年筆の
 音を響かせて、ひたすら原稿を書き綴っていたという。

 そんな父の姿を幼いころから見てきた著者が、
 ときにユーモアをまじえつつ描く素顔の堀田善衛は、
 著者自身『 文句言いでもなく、気難しいわけでもなく、
 コツさえつかめば扱いやすい家庭人です 』と、

 娘ならではの率直さで述べているように、
 迫力あふれる著作とはうらはらに、ノホホンとした風情があり
 ・・・   」(p515)

うん。それならと古本で安くなっていそうなので注文することに。
ちなみに、この書評で井波律子さんは、もう一度『田植え』を出してきます。

「 いかなる大作、大長編も、田植えをするように
  一字一字、原稿用紙を埋めてゆく日々の積み重ね
  からしか生まれない。

  本書の著者は、いつどこにいても、倦まずたゆまず、
  原稿用紙に向かいつづけた父、堀田善衛の姿を・・・
  ・・・思いをこめて記している。 」(p517)


はい。この頃、ブログ更新を怠っているせいか、
こういう言葉に、つい目が止まります。

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願いごとを祝い事にして

2023-09-19 | 古典
伊藤唯真著「未知へのやすらぎ〈阿弥陀〉」(佼成出版社・昭和54年)。
そこに「迎講」と題する箇所があり、何だか私には印象深い箇所でした。

「今昔物語集」「沙石集」「述懐抄」などから引用されているのですが、
ここには、「沙石集」からの引用箇所をとりあげてみます。

「・・この上人は、世間の人が正月はじめに
 願いごとを祝い事にしている習いに従って、
 大晦日の夜、使っている小法師に書状をもたせ、

 『 明日元旦に門をたたいて物申せ、
   自分がどこからきたかを問うから、

   極楽よりきた、阿弥陀仏のお使だ、
   阿弥陀からの文があるといって、
   この書状をわたしに与えよ   』

 といいつけて仏堂へ遣った。
 さて元日となり、教えたとおり
 小法師に仏堂から来させ、門をたたかせ、
 しめしあわせたとおり問答した。

 上人は裸足で飛び出て、小法師がさし出す書状を頂戴し読んだ。
 それには

   娑婆世界ハ衆苦充満ノ国也、
   ハヤク厭離シテ、念仏修善勤行シテ、
   我国ニ来ルベシ、我聖衆ト共ニ来迎スベシ

 と書かれ、上人は涙を流しつつ、これを読んだのであった。
 かくすること毎年であったという。

 さて『沙石集』は、この元旦の奇特な行為に感心した国司が、
 迎講を修したいという上人の願いを聞き、
 仏菩薩の装束を整えさせ、かくて『聖衆来迎ノ儀式年久ク』、上人は
『思ノ如ク臨終モ、誠ニ聖衆ノ来迎ニ預テ、目出ク往生ノ本意ヲトゲ』た
 と述べている。

 そして、これが丹後国の迎講のはじまりであり、
 天の橋立で始めたとも伝えていると書いている。 」(p195~196)
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太陽はまんべんなく

2023-09-18 | 詩歌
整理ダンスの上に申し訳程度の神棚があり。
そして二階には仏壇。

神棚はほぼそのまま。仏壇はたまに水をかえます。
ああ、そういえばと、今朝、水をかえました。

こういうとき、思い浮かぶ詩があります。


    この太陽   竹中郁

  何万何億というお年寄りの筈だが
  なんと おたっしゃ
  なんと 御陽気

  いつも格式ばらずに
  縁側から ずかずかと部屋へ通って
  投げだすように坐られる

  太陽はまんべんなく
  どこの家へも上りこんで
  たくまぬお口ぶりの世間ばなし

  話のあいま あいま
  ちょいちょい口をつけられるかして
  お帰りのあと
  番茶々碗の中はかわいている


ちなみに、この詩は1968年発行の
「詩集そのほか」の中にあります。

  

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愛読された「往生要集」

2023-09-16 | 古典
鴨長明の方丈の家に置かれたとある「往生要集」を
いつか読んでみたいとは思っておりました。

はい。思うだけで、読まない(笑)。
あれ、これは絶好の道案内になるのじゃないか。
という本がありました。
伊藤唯真著「日本人の信仰阿弥陀 未知へのやすらぎ」
(佼成出版社・昭和54年)。はい。古本で500円でした。

第四章にでてきました。『往生要集』

「『往生要集』全三巻は・・・十章からなり、
 各章はさらに幾つかの節に分かれている。

 そのうち、人びとの心を捉えて離さなかったのは、
 鮮やかな対比をなして接しあう『厭離穢土(おんりえど)』と
 『欣求浄土(ごんぐじょうど)』の二章であった。

 仏教を感覚的に受容しがちな当代の人士に
 最も影響の大きかった部分である。  」(p117)

「『往生要集』の真価はこの二章にのみ存するのではないが、
 純粋に教学的な箇所よりも、多くの人びとが影響を受けたのは
 感覚的に理解しやすい右の二章にあったことは確かである。

 そしてまた、人びとは称名念仏が往生の行として
 優位性をもっていることを教えられたのである。

 この書は、経論の要文を抄出、合糅してつくられているが、
 それらをリライトした源信の文章は鮮烈優美であり、
 所論の展開も卓越しているので、
 それ自体一個のすぐれた文学作品たるの観がある。

 『往生要集』が僧俗を問わず愛読され、その出現が
 王朝の人士の心奥に強い願生浄土の信仰を植えつける
 大きな機縁となったのも当然であった。   」(p120)


「・・・『栄花物語』には、『往生要集』の文をそのまま、
 あるいは取捨按配して利用した箇所が多い。
 『かの往生要集の文を思出づ』ともあって・・・  」(p125)

このあとの第五章は空也が登場しておりました。
そんなこんなで、『往生要集』が何だか身近に思えてきます。
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夏の思い出

2023-09-12 | 詩歌
今日届いた古本に、
堀口すみれ子著「父の形見草 堀口大學と私」(文化出版局・1991年)
がありました。はい。200円なり。
写真は佐藤裕。白くて四隅が黄ばんだカバーをはがすと、
そこには、まばゆい写真の表紙がありました。
はい。それだけで私は満腹。ページのところどころに
宝物のように、ひそませた写真をめくり。それで満足。

あれ。堀口大學の詩もとろこどころにおさまっています。
一篇の詩を引用しておくことに。

         夏の思い出  堀口大學

   貝がらに、海の響が残るように、
   私の耳の奥に、彼女(ひと)の声が残って、
   アドヴァンテージと叫び、
   ジュース、アゲインと呼ぶ。

   十六ミリに、過ぎた日の仕草が残るように、
   私の目の奥に、その夏の身振りが残って、
   ヨットのように傾いた、白いあなたが見え、
   行き来するボールが見える。

   貝がらの海の響のように、
   十六ミリの過ぎた日の仕草のように、
   私の耳に、その夏の声が残り、
   私の瞳に、その夏の身振りが残る。      ( p99 )
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扇谷大明神。

2023-09-11 | 思いつき
櫻井秀勲著「戦後名編集者列伝」( 編(あむ)書房・2008年 )。
ちょっと気になった箇所が思い浮かんだのでひらいてみる。
目次をみると、第一回が池島信平ではじまり、第三十回まで。
その第七回は扇谷正造でした。そこに、こんな箇所がありました。

「・・・・一時間もやると、最低でも十本は面白いプランが出てきたものだ。
 まさに扇谷大明神だった。

 扇谷正造は話すうちに、次第に興奮してくるタイプだった。
 火のような魂をもっているといわれたが、けんかっぱやいのである。

 だがこのタイプは、成功する率がかなり高い。 」(p72)


う~ん。『扇谷大明神』というネーミングは、
これは著者櫻井氏が考えたのかなあ。

ちなみに、この第七回のはじまりの箇所も引用しておきたくなります。

「『週刊誌の鬼』といえば、扇谷正造(おおぎやしょうぞう)を指す。
 なにしろ『週刊朝日』の編集長を引き受けたときの部数は
 わずか十万部で、返品率25パーセントという惨状だった。

 これを朝日の幹部は『なんとか三十五万部まで上げてくれ』
 と扇谷に頼んだ。そこまでいけば黒字になる。

 ところが扇谷は八年のうちになんと、百三十八万部という、
 週刊誌で日本初の大記録を打ちたてたのである。

 鬼というより、天才というほうが正しいだろう。  」(p66)
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ただ一文、一句なりとも。

2023-09-10 | 古典
鴨長明「発心集」下巻(角川ソフィア文庫)をはじめて読んだのですが、
一読忘れがたい言葉になるのだろうなあ、そう感じる箇所がありました。

「全ての意味を理解し、一文毎に解釈せよといわれているのでもない。
 理解力が乏しく学がなくても卑下すべきでない。

 世間には師はたくさんいるので、長い年月お仕えせねば
 教えてもらえないという難しさもあるとは思えない。

 受持・読経・読誦・解説(げせつ)・書写の五種の
 修行法はそれぞれあるわけで、その中からで、
 好みに従って選べば良いのだ。

 もしも一偈一句であっても御縁を結び申し上げるというのであれば、
 それはやはり行い易い修行ではないか。

 ただ、習って読もうとしなければ、読経するまでには到らない。

 一偈一句を唱え申し上げるだけの人は信心が少なくて、
 仏説を疑い、見聞くところは深くとも、修行はわずか、
 ときっと、人目を恥じるに違いない。
 しかし、これはとても愚かなことだ。

 たった一文・一句であっても、
 渇いた時に水を飲むように、
 巡り会い難く聞き難い経だと思い、
 法華経と縁を結び奉るべきなのである。 」(p239~240 現代語訳)

とりあえず、この箇所を原文はどうなっているかと
ページをめくってみることに。

「・・文々解釈(もんもんげしゃく)せよとも説かず。
 鈍根無智なりとも卑下すべからず。

 世に師多ければ、千歳仕ふる煩ひもあるまじ。
 五種の行まちまちなり。

 行も好みにしたがひて、もしくは一喝、一句なりとも、
 縁を結び奉らんことは、さすがに易行(いぎょう)ぞかし。

 されど、習ひ読まねば、読までぞある。

 一偈を持(たも)ち奉る人は、これすなはち、信心は少なくて
 仏説を疑ひ、見聞は深くて微小の行と、人目を恥づるなるべし。
 これ、極めて愚かなることなり。

 ただ一文、一句なりとも、飢ゑたるに水を飲むが如く、
 遇(あ)ひがたく聞きがたき思ひをなして、縁を結び奉るべし。 」(p74)


ちなみに、p62にはこんな箇所もあるのでした。

「所行は宿執(しゅくじふ)によりて進む。
 みづからつとめて、執して、他の行そしるべからず。

 一華一香(いつけいつかう)、一文一句、
 みな西方に廻向せば、同じく往生の業(ごう)となるべし。

 水は溝をたづねて流る。さらに、草の露、木の汁を嫌ふことなし。
 善は心にしたがひて趣く。いづれの行か、広大の願海に入らざらんや。」
                          ( p62 )
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春日の神の後ろ姿。

2023-09-09 | 古典
はい。とりあえず鴨長明著「発心集」下巻の現代語訳を読みました。
一日数ページなので、時間ばかりかかりました。
うん。読みかえしてはいないのですが、上巻より下巻のほうが
私には楽しく味わえた気分です。

とりあえずは、一箇所引用。
『夢の中でそのお姿を拝すること度々』という箇所。

「永朝僧都は春日の社にいつも参籠していたが、
 神の感応があらたかで、夢の中でそのお姿を拝することが度々になった。

 しかし、後ろ姿ばかり見て、向かい合って下さることがないので、
 不本意で不思議に思い、特別思いを籠めてお祈り申し上げた。

 その時、夢の中で
 『 お前が恨むのはもっともだ。
   ただ、いとおしいと思うものの、
   全く私に後世のことを願わないので、
   お前と向かい合って見ることはできないのだ 』
 とおっしゃると見えた。

 末世の者たちの能力に合わせて、
 仮りに神として姿を現していらっしゃるが、本来のところでは
 衆生を教え導こうとのお志から発していることなので、
 現世のことばかりお祈り申し上げるのが、
 春日の神には不本意に思われたにちがいない。  」(p297)


まったくもって、現世の言葉ばかりを拾い集めようと期待し、
この『発心集』をめくってた私には手痛い指摘となりました。
下巻になって、ようやく私は見当違に気づかされたのでした。
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空也と源信。それに鴨長明。

2023-09-07 | 本棚並べ
鴨長明『方丈記』の方丈の部屋に
「・・阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢菩薩の絵像をかけ、
 前には『法華経』を置いている。・・・

 黒い皮籠を、三つ置いてある。すなわち、その中には
 和歌、管絃、『往生要集』などの書物をいれてある。・・・」
          ( p163 ちくま学芸文庫「方丈記」浅見和彦訳 )

ここに『法華経』があるのですが、どちらも読んでもいない癖して
私が気になっていたのは『往生要集』でした。

さてっと、角川ソフィア文庫の鴨長明「発心集」下巻に
その『往生要集』に関係する箇所があるので引用してみます。

 恵心僧都が空也上人にお目にかかったこと (現代語訳p231~232)

「恵心(えしん)僧都源信が、かつて空也上人に
 お目にかかろうと訪ねて来られたことがあった。

 空也上人は高齢で徳が高く、とてもただ人には思われない。
 大変貴く見えたので、恵心僧都は来世のことを申し上げ、

『わたくしは極楽を願う心が深うございます。往生を遂げられるでしょうか』
 とお尋ねになると、

『わたくしは無智無学な者でございます。
 どうしてそのようなことが判断できましょう。・・・・
 ・・・・・・・・
 知恵や立派な行いを積んでいなくても、
 穢れた現世をうとみ、浄土を願う気持ちが強ければ、
 どうして極楽往生を遂げられないことがありましょうか。』

 と、空也上人はおっしゃった。恵心僧都はこれを聞き

『まさに究極の道理です』と言って涙を流し、
 掌を合わせて帰依なさった。

 その後、僧都が往生要集を撰述なさった際、
 この時のことを思い、
 厭離穢土(えんりえど)・欣求浄土(ごんぐじょうど)を重んじて、
 大文第一、第二の主題となさったのだ。」


この次に
「同じ空也上人が衣を脱いで松尾大明神に奉ったこと」
というのが出てきております。その最後の方も引用。

「・・・そもそも天慶(てんぎょう)以前には、
 日本で念仏の行はまれだったが、この空也上人の勧めで、
 人々は皆、こぞって念仏を申すようになった。

 いつも阿弥陀仏を称えて歩いていらっしゃるので、
 世間の人は上人を『阿弥陀聖』と言った。
 またある時には町中に住んでいろいろな仏事を勧進なさるので、
 『市(いち)の聖』とも申し上げた。

 おおよそにおいて、橋のないところに橋を架け、
 井戸がなく水不足の里には井戸をお堀りになった。
 上人は我が国の念仏の祖師と申すべき方である。

 すなわち法華経と念仏とを極楽の行業として、
 極楽往生を遂げられたことが、書物に見えている。 」(p234)


うん。鴨長明著『発心集』を読んだら、
つぎ、『往生要集』を読めますように。

そうそう。新刊で佐藤雄基著「御成敗式目」
(中公新書・2023年7月25日発行)がありました。

もう40年以上前にイザヤ・ベンダサンを読んでいたとき、
関連で御成敗式目を読んでみたくなったことがありました。
はい。そう思っただけ、それ以来ずっと忘れておりました。

あれを読みたいなどと思ってもすぐ数十年たってしまいます(笑)。
『読みたい本』が、どれだけ長いスパンを必要とするのか?
こんなのは馬齢を重ねた者しか味わえない苦みでしょうか。





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