Wilhelm-Wilhelm Mk2

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日本の無線機も爆発?

2024-09-19 | Weblog
レバノンでのポケベル爆発事件。これまでの情報では、台湾の会社の製造ライセンスをもつ欧州の工場(ハンガリー?)で、イスラエル工作員(モサド)が爆弾あるいはバッテリーが爆発するように細工してヒズボラに流されたようだ。ヒズボラが発注したものなので、基本的にヒズボラ要員しか使わないから標的はかなり絞れる。さらには、関係者のあぶり出しにもなる(イラン大使も被ばくしたとか)。どこか1線を越えている気もするが、無差別に数百人が吹き飛ぶ爆弾よりはましなのか?しかし、ここまでやると停戦や講和なんて夢の話だな。
最新の情報では、日本の会社の無線機も爆発したらしい(ロイター)。もしそうならば、日本政府は断固として声明を出すべきだ。

ツクツクボウシ

2024-09-11 | Weblog
暑すぎなのか、豪雨頻発のためか、ツクツクボウシの声を聞かずに9月半ばになりつつある。晩夏の寂寥感が好きなのにな。季節感が狂う。

再開したが、いまだどうなるのか分からない旧ザク(1/100)。ガンダムで最もミニマムなデザインのMS。だからこそフォルムが全てといえる。エポパテがあるので、なんとでも修正できるという過信から、切り刻みまくってここに至る。今年こそは完成できるか?




Psychopathの見分け方(オレ流)

2024-09-10 | Weblog
PsychopathはBOOWYの最後のアルバムでもあります。
ここ5年くらい、仕事の場でPsychopathと戦っていたので、サイコについて一定の知識と対応力がつきました。今話題になっている某知事の姿や発言には既視感ありまくりです。
培ったORE流のPsychoを見抜く点は以下の通り。

その1:誤りを絶対に認めない。逃げられない場合でも論点ずらしを行う。
その2:責任転嫁がうまい。「あなたの誤解です」を多用する。
その3:平気で嘘をつく。話の半分くらいが嘘の場合もある。
その4:妙に身ぎれい。
その5:自分を大きくみせることに執心。肩書の更新がやたら早い。
その6:利益誘導型。自分に得にならないことはやらない。一見やっているようでも、相手に貸しをつくっている。
その7:けち。倹約ではなく吝嗇。

このタイプは、一見「出来る人」感を放出するので、心の優しい人や崇拝型の人は罠に陥りやすいのですが、いったん絶対的な証拠で「嘘つき」がばれると信用はがた落ちになります。しかし絶対に誤りを認めないので処理は大変です。

東大の推薦試験合格には、共通試験で8割以上が必要らしい

2024-09-06 | Weblog
本日18歳を迎える悠仁さんを「東大に推薦で入れるな」との署名活動があったそうな。こういう活動が起きるということだけで、象徴天皇は失格なんだよな。王族というのはね「尊敬されることが仕事」なのだよ。
東大の推薦入学の受験要項には、「「大学入学共通試験」を受けること、入学後に円滑に授業についていくために、おおむね8割以上が必要」と書いてある。理系の受験科目は、国語、英語、数学、理科2、社会+情報で1000点満点。自分のときは情報はなくて800点満点だったはずで、センター9割越えが安全圏、8割だとまあ2次で頑張って受かる人もいるね・・という感じだったかな。なんにせよ東大は理系にも国語社会を課すので、全教科で8割取るというのは、きちんと実力がないと至難だと思う。

レインボー下地 中止

2024-09-03 | Weblog
レインボー下地(正式には新MAX塗りというらしい)を試してみたが、私の腕の問題だろうけども、その効果が感じられなかったので、ダンバインの塗装にはやめておこうと思います。下地が微妙に透ける程度に塗るというのがポイントかな。完全なドライブラシでやるとか、シャバシャバで塗り重ねるとか…でも下地に選ぶ色は大事ということはわかりました。これをベースに別の方法を模索してます。








ビアレス

2024-09-02 | Weblog
ダンバインはまだ完成してませんが、時間があるときに次を仮組みしておこうかと…夏も終わりだし。積み上がったプラモデルを眺めて、次を選ぶときのムフフ感こそがプラモ作りの楽しさの肝とも言えます。
色々迷った挙げ句、自分の心に正直になって虎の子の「ビアレス」を選びましたよ。ビアレスは40年前の放映時からお気に入りのオーラバトラーで、HGキットもプラモ造りを再開してすぐに手に入れたのだけど、ネットの評判によると、このビアレス(赤バンダイ)はABS樹脂の関節がバキバキ折れるとのことで、改めてABSを使わない改訂版(青バンダイ)を購入して寝かせていました(なのでもう一箱あります)。大事だからと言って、後回しにしていると、いつまでも作らないので、ここで一気に放出です。

素組みでこのレベルですよ(袖のアーマーと鉤爪は取りつけてません)。あまりの完璧さに、現時点で手を入れるところが見当たりません。このキットを開発したバンダイの人、凄腕だなあ。実はペンディングしていた旧ザク(旧キット)も再開しており、改造作業はそちらの方で十分に満腹になるので、キットのよさをそのまま出せるビアレスの選択は正解だっと思います(この感想が続いてほしい)。ただし、同じHGキットのレプラカーンは、仮組ノ段階から大変苦労したので、その轍を踏まぬよう、障害となるラバーパーツは最初から省き、パーツはすぐにばらせるように、ユルユルにしてます。関節の筋肉の表現は、パテかリード線でなんとかします。
これだけ大きなコンバーター背負っても、綺麗に自立します。両篭手にマウントされた斧(オーラトマホーク)がいいですね。

参考:同じHGキットのレプラカーン(肩と首辺り、及び腰回り、足首周りをいじりました)。レプラカーンとビアレスは中盤の強敵ですが、デザインの方向性が似ていると思う(デザインは出渕氏?wikiによると、出渕氏のラフを湖川氏が改修してまとめたものらしい。湖川氏が関わっているのか、納得です)。完成したら並べたいですね。




東海の城探訪 岡崎城(最終)

2024-09-01 | Weblog
東海の城探訪 岡崎城

西尾から岡崎に戻り、愛知環状鉄道で二駅乗り、中岡崎駅から徒歩で10分ほど。岡崎城の天守閣(復元)は大きいので、遠くからでも目立つ。
岡崎城は、家康の祖父清康の頃から松平家の居城であり、家康もここで生まれた。家康が幼少の頃、岡崎城は今川氏に接収されたが、桶狭間の後に家康が三河に復帰してからは家康の居城となる。家康が浜松城に移ると、嫡男の信康が城主となった(のちに切腹)。秀吉時代には田中吉政が入るが、江戸時代は譜代大名が城主を務め、本田氏のときに明治を迎える。廃城令のために建築物は取り壊されたが、古写真は複数残っている。昭和になって天守が復元された。

田中吉政の天守は地震で倒壊したが、その後、江戸時代の初期に本田氏が建てた天守閣が明治まで残った。現在の復元天守はそれをもとにしている。天守は3層3階で付櫓が接合する。大きな入母屋破風が堂々として大変見事な天守閣である。

正面の全景を写せるポイントが城内にないのが残念だった。
公園内に能舞台がある。

大手門も復元されている。
小さな隅櫓も復元されている。

取り壊し前の写真。これをみると復元天守はかなり正確に作られているのがわかる。

城郭模型。戦前にはもっと精緻なものがあったようだ。

本丸に龍神神社という神社が家康の時代からあるだが、現在はそれが拡大して大きな社屋や式場が本丸に立ち並び、折角の天守や付櫓を隠してしまっている。これには大変興を削がれた。また、昨年の大河のせいで、歴史的ではない置物も多数園内に散見された。由緒ある大きな城であるのに、安っぽい観光地化は非常に残念だ。






東海の城探訪 西尾城

2024-08-30 | Weblog
東海の城探訪(4)西尾城

豊橋から東海道線で30分ほどで岡崎に到着。岡崎駅前から路線バスにて西尾へむかう。バスの所要時間は40分程度。西尾は宇治に次ぐ抹茶の産地で、三河の小京都と呼ばれる由緒ある城下町。現在の町並みからも、どことなく品と落ち着きが漂う。駅から徒歩で直進して10分ほどで城址公園に到着する。
西尾城は室町時代は西条城と呼ぼれ、吉良氏の居城だった。東に東条城もあり、こちらも吉良氏の分家が治めていた。戦国時代、吉良氏は同じ足利流で格としては下になる今川氏や、三河を平定した松平氏に押されながらも、長らく西尾一帯を領地にしていた。西尾城が戦国織豊の城郭となったのは、家康から配された酒井氏、続いて秀吉によって配された田中吉政の時代だったらしい。江戸時代になると、多くの譜代大名が入れ代わりで西尾を治め、最後は大給松平氏(おぎゅうまつだいら)が藩主を務めて明治を迎えた。残念ながら、維新で廃城となり、建物は解体されてしまったが、20世紀末から復元が進んでいる。


復元された二之丸丑寅櫓。駐車場にぽつんとあるがうしろに塀が続き、奥に天守台がある。

復元された鍮石門。鍮は真鍮の意味らしい。扉のどこかに真鍮が使われていたとか。


復元された本丸丑寅櫓。全層が下見黒板張りで私の好みのデザイン。各自治体には、このような櫓や天守を復元してほしいのですよ。


櫓内は見学可能(無料)


木造復元です。


青い空と緑に映えて見事な丑寅櫓。


近衛邸。もともと西尾にあったものではなく、京都より移築したもの。奥に少し変わった茶室がある。抹茶の産地、西尾のお茶が飲めます。


庭も綺麗に手入れされ、奥に櫓も見える。


冷製抹茶をいただく。客は私一人だったため、かなり長く建物と風景を堪能できた。


天守は本丸ではなく二之丸にあった。すでに天守台が再建され整地されている。いつの日か天守も復元される?




中之丸に資料館も併設。すごい情報量なのに無料。


三河は鎌倉時代から足利の領地で、西尾周辺から吉良氏、今川氏、一色氏といった足利一門が生まれた。足利氏は承久の乱で源氏大将を努め、その功労として三河守となるのだが、宗家の足利義氏は関東に留まり、庶長子の長氏が三河に配された。その子孫から吉良氏などが生まれた。建武の時代、足利尊氏は楠木正成の討伐のため上京の途中、立ち寄った三河にて吉良、今川などの各分家を集めて協議し、北条に反旗を翻すことにするのだった(個人的に、太平記で一番盛り上がるところです)。吉良氏は長く西尾を治め、忠臣蔵では悪役の吉良上野介も西尾では名君として慕われている。本丸内に足利義氏が源氏の宝刀「髭切丸」を納めたという御剣八幡宮が残されている。このあたりが足利の領地であったことが伺える。


城のすぐ近くにある「尚古荘」も観覧できる(無料)。昭和初期の米豪商が、城の東丸を改造して庭園としたものらしい。時間の都合で建物の中には入らなかったが、庭を拝見させてもらった。文化の香りが濃い町でした。また来たい。





東海の城探訪 吉田城

2024-08-30 | Weblog
浜松から東海道線で30分ほどで豊橋に到着。吉田城が目当て。吉田城は、東海道五十三次にも河岸に建つ風光明媚な城として度々登場する、知る人ぞ知る名城。3時を回っていたので路面電車に飛び乗り、豊橋公園を目指したのだが、鉄櫓の閉館までに間に合わず、櫓は外からの見学となった。

吉田城はもともと今川系の城で、今川の三河方面への最前線基地であった。家康による三河統治時代には、酒井忠次が城主となり武田の侵攻に供えた。のちに池田輝政(姫路城を築城)が入場したが、今の縄張りが完成したのは江戸時代の譜代大名の頃らしい。松平氏が城主のときに明治を迎えるが、火災で多くの建造物が焼失した。

公園の入口から直進すると本丸に行き当たる。本丸の石垣は結構残されており、今でも発掘調査が進んでいる。



吉田城に天守はなかったようで、天守の役割をした鉄櫓だけが模擬復元されている。本丸に関しては詳細な絵が残っており、古写真も存在する。


なかなか立派な復元櫓だが、絵のような全層下見黒板張りにしてほしかったかな。




城の前を流れる豊川。東海道五十三次のように川の対岸から城を眺めたかったが、体力と時間の関係で断念。


川岸の遊歩道から鉄櫓を見上げる。




公園の隣に建つ豊橋市公会堂。大正時代に建てられたスパニッシュコロニアルスタイルの建物。ガラス張りの建築よりも落ち着く。留学先を思い出させたのはスタイルのためか。


公園の近所に建つ豊橋ハリストス教会。こちらも大正時代の建築。意外に小さく、探すのに手間がかかった。




東海の城探訪 浜松城

2024-08-29 | Weblog
掛川から東海道線で30 分。浜松で下車するのは30年ぶりくらいか?若い頃の記憶はすごいもので、駅ナカとか駅前とかに見覚えがある。
浜松城へは駅から徒歩でもいけるのだが、酷暑なので巡回バスを利用。数分後に公園の前でおろしてくれる。
城趾は大きな公園となっている。


模擬復元された門


本物の天守台。野面積みの代表としてよく紹介される。浜松城といえば、家康の若い頃の居城だが、その頃の浜松城は石垣はなく土塁だったという。浜松城を織豊城郭(石垣、高層の天守、多数の櫓)に発展させたのは、家康の関東移封後に入城した堀尾氏である。この天守台も堀尾氏が築いたものと言われる。


コンクリート製の模擬天守。堀尾氏の築いた天守は江戸初期には失われたようで、資料は残っていない。この模擬天守は昭和に作られたものだが、予算の関係からか、天守台全面を使わず、こじんまりとした3層にまとめられている。少しもったいない。懸魚や金物がやたら光っていると思ったら、昨年の大河ドラマに合わせて磨いたらしい。残念だが、尚更安っぽくしてしまっている。



天守台から突出した八幡台。小天守か櫓かがあったのだろうか?

天守台の井戸




堀尾氏は浜松から松江に転封し、今も残る松江城(国宝)を築いた。このことから、浜松城の天守は松江城に似ていたのでは?との推測もある。下のジオラマはそれを再現したものである。望楼型の4層5階の黒下見板張り天守。しぶすぎる。折角、本物の天守台なのだから、最新の考証と技術で天守を新しく作り直して欲しいと思う。やはりお金が問題か?


鰻を食べました。




東海の城探訪 掛川城

2024-08-28 | Weblog
東海の城探訪をしてきた。

①掛川城

新幹線からも見える掛川城。今川氏の重要な拠点として活躍後、山内一豊が入場して近世城郭とした。江戸時代は譜代が城主を務め、最後は太田道灌の系列の太田氏が治めた。天守は1850年頃の地震で倒壊したが、20世紀末に木造で復元(想像)された。山内一豊は掛川から土佐に移り、高知城を築城した。その際、天守は掛川に似せたそうなので、復元にあたっては高知城の天守を参考にしたそうだ。江戸時代の絵図面も参考にされた。(こういう考証に基づく再建は夢がある)。二の丸御殿も地震で倒壊したが再建され現存している。日本の現存4御殿の一つ。御殿から眺める天守は実にいい。

晴天のため大汗をかきながらの観覧となった。
券売所から眺める天守。ここから登城する。







木造階段はきちんと急勾配


天守から二の丸御殿を見下ろす。

石垣の崩壊を記録した絵。江戸時代の天守の姿を知るための貴重な資料

二の丸御殿から眺める天守。お殿様もこうやって見上げたのだろうか。


城主(太田氏、松平氏)の鎧。杉良太郎氏の所有だったもので、2つが同じ城の城主のものだと知り、保存も兼ねて寄贈されたとのこと。







竹の丸に残された財閥の和館から眺めた天守。


再建された大手門。本丸からは少し離れた町中にある。城の門としてはかなり大きい方だが復元だろうか?寺の山門って感じ。こういう建造物が日常の通りにある町って、いいね。




ダンバインHGサフ終了

2024-08-26 | Weblog
微修正しながらやっとサフを吹き終えました。
胴体ががっしりして、ロボットらしくなったかな。これから楽しい塗装ですが、自分のなかでは叩き塗りがブームなので、レインボー下地に挑戦しようかと思います。ファレホはマジックリンで簡単にはがせるので冒険しやすいです。


参考:キット(バンダイHPの紹介ページより)。胸部の装甲(ミラー)が前面に張り付いているだけなのがわかる。肩が剥きだしになっており、ロボット兵器としてありえない設計になっている。


参考にした湖川氏(ダンバインのキャラデザイン担当。)の挿絵。上手い!






谷津嘉章氏

2024-08-21 | Weblog
谷津嘉章氏の最近の動画をみた。何年か前に糖尿病で片足を義足にしたとのニュースを見たが、元気そうだった。谷津嘉章が対談形式で喋るのは初めて見た。
谷津嘉章氏はレスリングオリンピック代表で、後にプロレスラーとして活躍したアスリートだが、鶴田天龍藤波長州の少し下の世代のため、トップオブトップとはなれず、いくつかの団体を渡り歩いた。特に長州の新団体に2回も参加し(二回とも崩壊)長州のわがまままに振り回され、団体運営の難しさで辛酸をなめた。総合格闘技に挑戦したこともあった。
視聴した動画は、新日の事業部長でプロレスの裏側をすべて取り仕切ってきた永島氏との対談。プロレスの裏の総帥として名を馳せた永島氏も80を過ぎ、谷津氏は70の手前。「長州は金がすべてだよ」と突き放す永島氏(永島氏は猪木長州を振り回し、そして振り回された人)に、谷津氏はそれを認めながらも現在の長州のタレントとしての活躍を認め、自分が若かったから長州の暴走を止められれなかった、そろそろノーサイドにして死ぬ前に思い出話にしてもいいのではないか?と話していた。
人の人格形成とはその人の人生の中の事件をどう内面で処理したかで決まると思うのだが、谷津氏のような年の取り方は羨ましいと思った。

谷津嘉章全盛時の試合

鶴田天龍vs長州谷津
オリンピック選手3名に大相撲前頭1名という豪華な顔ぶれ。身体も大きく全員黒タイツで見応え抜群。昭和プロレス全盛期の名勝負。天龍のパワーボムに谷津が轟沈かと思ったら、カットに入った長州が天龍にバックドロップ。そして谷津のジャーマンをロープを掴んで耐える天龍に、長州がエプロンを走ってリキラリアット炸裂(こういう試合センスは長州の見せ所)。ついに谷津がジャーマン発射。大柄の天龍がくの字になる見事なブリッジでスリーカウント。





鶴田・天竜vs長州・谷津

ダンバインHGバランス確認

2024-08-17 | Weblog
ダンバインHG(新規造形)の改修を続けていましたが、目処が立ったので、ここでバランスの確認。関節が折れやすいとの情報があるので、ボールジョイントにはワセリンを塗って慎重に差し入れしました。最近のバンダイらしい「高稼働な関節and塗分け」で、素組でも楽しめるキットですが、その分設定画と大きくかけ離れており、角度によっては内側(裏側)が見えてしまうので、エポパテであちこち改修しました。胸部パネルの延長、襟の延長、肩アーマーの追加、腰部の延長と埋め、コンバーターを怪しいヒンジではなくアルミ線で直接背面に接続など・・。すらっとしたモデル体型なので、ロボットというよりも変身ヒーローのような感じですが、自分的にバランスは納得したので、このまま進めて彩色しようと思います。

フワ不破

2024-08-11 | Weblog
私は前々から彼女が嫌いで番組に登場するとテレビを消していた。彼女には本能的に「無教養」さ「無礼」さ、加えて人として「ずるさ」「あざとさ」を感じるからだ。無礼なふるまいをしても大物にすり寄ってさえいれば、かばってもらえるという計算高さがテレビを通してでも伝わる。なので今回の事件は何も驚かないのだが、変なことに一回りして中傷する側を責めるターンになってきた。

そもそもだが、

こういう人間を表に出すマスメディアが悪い。

それにつきる。マスコミは、公共の電波にはきちんと視聴に耐えるそれなりの人間を選ぶという基本的な責任を果たしていないからこうなる。視聴者が望んでいると言って、犬猫のケンカや見世物小屋の真似ばかりしているから、こんなバカバカしいことが話題になるのだ。