昨年からペースを増して攻城している。
大垣城。40年ぶりか。関ケ原では西軍の集結地となった城。江戸時代の天守は戦前まで現存し国宝に指定されていた。空襲で焼失したが、戦後すぐにコンクリで外観復元された。2011年には窓のデザインを「国宝時代」に正確に戻したとのこと。外見は昔のままで、中は近代建築というスタイル。悪くない。関ケ原合戦の屏風絵には、花頭窓を備えた三層の華麗な望楼型天守が描かれている。城内にはそれを再現したジオラマが展示されていた。
富山城。富山城は江戸時代初期に廃城になったので天守は空想上の産物である。それでも城があると町がしまる。
篠山城。丹波攻略の帰り際に、なんとか時間を捻出して寄ることができた。大御殿が復元されている。立派な石垣や大きい堀など、縄張りから江戸時代におけるこの城の重要性が窺い知れた。
福知山城。長年憧れていた城である。丹後攻略の2番手。天守は明治に解体されたが、昭和に入って数少ない資料をもとにコンクリで復元された。近年、天守閣の古写真が発見され、復元の正確性が確かめられた。四面全て違う顔をもつ複雑に変形した望楼型天守が、戦国から織豊時代の自由な気風を偲ばせる。安土城に似せたとの逸話もある。残念なのは、これだけの城なのに城に関する詳しい資料が売られていなかったこと。地元の研究者や自治体が編纂した地域限定の資料を手に入れるのが好きなもので。
竹田城。丹後攻略の1番手。「天空の城」「日本のマチュピチュ」なぞと呼称される山城。インドアの私にこの城は縁がないと思っていたが、思わぬところでチャンスが到来したので、必死にくらいついてきた。駅の裏から入る山道を、一人でぜーぜー言いながら汗だくで登った。山頂からのすばらしい眺望を堪能しながら、ここに建物があったときは、どういう風景だったのかしらと想像を膨らませた。
大洲城。櫓は現存だが、天守は明治時代に解体されため、2004年に木造で忠実に復元された(なので子供時代に必携してた城百科には載っていなかった)。木造復元天守の成功例といえる。私の躰には大洲あたりの血も流れているらしい。そういう想いも含めて、一級河川の肱川の川岸にそびえる秀麗な城を眺めていた。大洲の町も小京都風で風情があった。
宇和島城。藤堂高虎が縄張りをし、明治維新でも活躍した伊達宇和島藩の居城である。12の現存天守のうちのひとつである。天守は小ぶりに見えるが、実はどっしりとしていて体積がある。天守は山頂に建てられているので下からもよく見える。城郭全体が残っていたらさぞ立派であったろう。あいにく雨降りだったが、よりその渋さを堪能できた。
松山城:私の好きな城の筆頭である(熊本城と同率1位)。この城も40年ぶりか。前回来たときからさらに櫓が増設されており、より立派になっていた。小高い山の頂きに石垣による縄張りをつくり、そこに門と櫓を多数配置、中心の天守は連立型であり、その壁は黒の下見板張…と私の趣味をこれでもかと刺激してくる。山の麓の二の丸も発掘されて整備されていた(建物はない)。夜はホテルの部屋からライトアップされた天守群を堪能できた。松山はいい街。
大垣城。40年ぶりか。関ケ原では西軍の集結地となった城。江戸時代の天守は戦前まで現存し国宝に指定されていた。空襲で焼失したが、戦後すぐにコンクリで外観復元された。2011年には窓のデザインを「国宝時代」に正確に戻したとのこと。外見は昔のままで、中は近代建築というスタイル。悪くない。関ケ原合戦の屏風絵には、花頭窓を備えた三層の華麗な望楼型天守が描かれている。城内にはそれを再現したジオラマが展示されていた。
富山城。富山城は江戸時代初期に廃城になったので天守は空想上の産物である。それでも城があると町がしまる。
篠山城。丹波攻略の帰り際に、なんとか時間を捻出して寄ることができた。大御殿が復元されている。立派な石垣や大きい堀など、縄張りから江戸時代におけるこの城の重要性が窺い知れた。
福知山城。長年憧れていた城である。丹後攻略の2番手。天守は明治に解体されたが、昭和に入って数少ない資料をもとにコンクリで復元された。近年、天守閣の古写真が発見され、復元の正確性が確かめられた。四面全て違う顔をもつ複雑に変形した望楼型天守が、戦国から織豊時代の自由な気風を偲ばせる。安土城に似せたとの逸話もある。残念なのは、これだけの城なのに城に関する詳しい資料が売られていなかったこと。地元の研究者や自治体が編纂した地域限定の資料を手に入れるのが好きなもので。
竹田城。丹後攻略の1番手。「天空の城」「日本のマチュピチュ」なぞと呼称される山城。インドアの私にこの城は縁がないと思っていたが、思わぬところでチャンスが到来したので、必死にくらいついてきた。駅の裏から入る山道を、一人でぜーぜー言いながら汗だくで登った。山頂からのすばらしい眺望を堪能しながら、ここに建物があったときは、どういう風景だったのかしらと想像を膨らませた。
大洲城。櫓は現存だが、天守は明治時代に解体されため、2004年に木造で忠実に復元された(なので子供時代に必携してた城百科には載っていなかった)。木造復元天守の成功例といえる。私の躰には大洲あたりの血も流れているらしい。そういう想いも含めて、一級河川の肱川の川岸にそびえる秀麗な城を眺めていた。大洲の町も小京都風で風情があった。
宇和島城。藤堂高虎が縄張りをし、明治維新でも活躍した伊達宇和島藩の居城である。12の現存天守のうちのひとつである。天守は小ぶりに見えるが、実はどっしりとしていて体積がある。天守は山頂に建てられているので下からもよく見える。城郭全体が残っていたらさぞ立派であったろう。あいにく雨降りだったが、よりその渋さを堪能できた。
松山城:私の好きな城の筆頭である(熊本城と同率1位)。この城も40年ぶりか。前回来たときからさらに櫓が増設されており、より立派になっていた。小高い山の頂きに石垣による縄張りをつくり、そこに門と櫓を多数配置、中心の天守は連立型であり、その壁は黒の下見板張…と私の趣味をこれでもかと刺激してくる。山の麓の二の丸も発掘されて整備されていた(建物はない)。夜はホテルの部屋からライトアップされた天守群を堪能できた。松山はいい街。