ストレスの怖さを身に沁みて感じ始めている。
・2年ぶりに楽器を調整した。調整といっても職人さんがコンコンガコンとしただけだが、恐ろしいほどに弾きやすくなった。本番前にやるべきだった。
・国葬:あれだけ騒いだのにあっという間に終わった。そんなものだ。誰であれ葬式は残された人間のエゴでやるものだ。やるならやるで、ただやったというアリバイだけでなく、実りあるものにしてほしかった。
・崇拝:会ったこともない他人を崇拝するのはバカげてる。お前もWilhelmたちを崇拝しているじゃないか?と言われるかもしれないが、好きなだけで崇拝はしていない。Furtwanglerなんて、日ごろの行動にはちょっとアレなところが沢山あったし、最晩年は見事なまでに「老害」となっていた。しかしFurtwanglerの音楽は文句なく素晴らしいし、特に戦時中はユダヤ人を救うなど社会的にも人間的にも善行を多々行った。だからといって、その人の存在をまるで神であるかのように崇拝し、残した文言や小話を聖書化して、それに従ったりそれを後ろ盾に自分のフィールドに結界を貼るのは、今流行りの「カルト宗教」と同じである。いつ何時、誰に対しても「批判精神」を忘れてはいけない。「批判精神を忘れるべからず」ORE教に加えよう。
・スマホは本当にバカ生産マシーンだな・・・と読書をするとつくづく思う。
・奇書「柳生石舟斎」を斜め読みした。柳生武芸帖の続編であり完結編であった。最後の闘いの主役が柳生ではなく、柳生の最大の敵である山田浮月斎(疋田陰流)であったのが痺れた。前編「柳生武芸帖」も浮月斎の会話シーンから始まったので、後編の「柳生石舟斎」も浮月斎で締めたのだろう。相手は「柳生石舟斎」で初登場し、宮家であることから柳生一族も手を出せなかった鳴門古典太という剣豪。柳生十兵衛さえも攻めあぐねた難敵を山田浮月斎は「人はこうやって斬るものだ」と陰流の秘剣で一蹴するのだった。そして読み通してみて、この「柳生石舟斎」が長らく世に刊行できなかった理由もよくわかった。端的に言えば、被差別層の人々が物語の主軸となっているためである。作者の主張は、日本伝来の技と術は被差別の人々によって作られたものであり、それを上級階層が搾取して自分たちの文化に仕立て上げたにすぎず日本文化の源流は被差別の人々にあるというものである。柳生一族は石舟斎の代からそのような被差別の人々の指導的存在であり、剣術も忍術も刀も武具も、そして数多の剣豪も全てそこが出自であるとという内容だ。カムイ伝に似ているなと感じた(作られた時代背景もあるのだろう)。いまだにアンタッチャブル的な話だが、真実はそこにあるのだろう・・と直感的に感じた。時間をかけてゆっくり読み、日本人としてじっくり考えていきたい。
・2年ぶりに楽器を調整した。調整といっても職人さんがコンコンガコンとしただけだが、恐ろしいほどに弾きやすくなった。本番前にやるべきだった。
・国葬:あれだけ騒いだのにあっという間に終わった。そんなものだ。誰であれ葬式は残された人間のエゴでやるものだ。やるならやるで、ただやったというアリバイだけでなく、実りあるものにしてほしかった。
・崇拝:会ったこともない他人を崇拝するのはバカげてる。お前もWilhelmたちを崇拝しているじゃないか?と言われるかもしれないが、好きなだけで崇拝はしていない。Furtwanglerなんて、日ごろの行動にはちょっとアレなところが沢山あったし、最晩年は見事なまでに「老害」となっていた。しかしFurtwanglerの音楽は文句なく素晴らしいし、特に戦時中はユダヤ人を救うなど社会的にも人間的にも善行を多々行った。だからといって、その人の存在をまるで神であるかのように崇拝し、残した文言や小話を聖書化して、それに従ったりそれを後ろ盾に自分のフィールドに結界を貼るのは、今流行りの「カルト宗教」と同じである。いつ何時、誰に対しても「批判精神」を忘れてはいけない。「批判精神を忘れるべからず」ORE教に加えよう。
・スマホは本当にバカ生産マシーンだな・・・と読書をするとつくづく思う。
・奇書「柳生石舟斎」を斜め読みした。柳生武芸帖の続編であり完結編であった。最後の闘いの主役が柳生ではなく、柳生の最大の敵である山田浮月斎(疋田陰流)であったのが痺れた。前編「柳生武芸帖」も浮月斎の会話シーンから始まったので、後編の「柳生石舟斎」も浮月斎で締めたのだろう。相手は「柳生石舟斎」で初登場し、宮家であることから柳生一族も手を出せなかった鳴門古典太という剣豪。柳生十兵衛さえも攻めあぐねた難敵を山田浮月斎は「人はこうやって斬るものだ」と陰流の秘剣で一蹴するのだった。そして読み通してみて、この「柳生石舟斎」が長らく世に刊行できなかった理由もよくわかった。端的に言えば、被差別層の人々が物語の主軸となっているためである。作者の主張は、日本伝来の技と術は被差別の人々によって作られたものであり、それを上級階層が搾取して自分たちの文化に仕立て上げたにすぎず日本文化の源流は被差別の人々にあるというものである。柳生一族は石舟斎の代からそのような被差別の人々の指導的存在であり、剣術も忍術も刀も武具も、そして数多の剣豪も全てそこが出自であるとという内容だ。カムイ伝に似ているなと感じた(作られた時代背景もあるのだろう)。いまだにアンタッチャブル的な話だが、真実はそこにあるのだろう・・と直感的に感じた。時間をかけてゆっくり読み、日本人としてじっくり考えていきたい。