結局今年は一度もプロオケを聞くことなく終わりました。オケだけでなく演奏会そのものも新年の1回のみ。残念!という気持ちは不思議なことは全くない。これが不思議。ひとつの区切りなんでしょうかね。ただし弾くほうは、もう勘弁してくれというぐらいに弾きました(弾かされました)。演奏会に足を運ばなかったのはこの影響もあるのかも。自分の合奏の発表会は年1、2回で十分です。そうでないと練習時間もとれないしし、曲への思い入れも深まりません。今年前半で4回も本番があったのだけど(キチガイ沙汰)、本番の状況を明確に思い出せるのは1曲だけ。他の演奏会は夢うつつというか、遠い過去の演奏会のようにしか思い出せません。どう弾いたとか、何があったのかとか、どう感動したのかとか、ピンボケにしか思い出せません。アマチュアのなのに記憶に残らないって、なんのためにやってるのかわからないですよね。よくないですね。
早朝の「クラシック倶楽部」だけは惰性ではあるけど毎日観てます。器楽ばかりですが、最近の演奏会をオムニバスに放送してくれるので(再放送も多いけど)なかなか飽きません。いい演奏会はブルーレイに焼き付けて保存しています(殿堂入り。まあ滅多にありませんが)。クラシックの情報は殆どこれだけです。N響アワーもなくなったのでオーケストラのテレビ鑑賞もなくなりました。今度のニューイヤーコンサートはメストか、観ないだろうな。あの無表情の木人君のどこがいいのだろうか?地元出身だから贔屓されているのかね・・。ドイツにおけるティーレマン崇拝のようなものか・・・なんだかクラシック全体が斜陽だなあ。
というわけで?、前にも書きましたが、最近BOOWYのライブ映像を借りては楽しんでます。ってBOOWYももう四半世紀前のバンドなのだが。やっぱり「カッコいい」ということは大切ですね。表面的で幼稚な判断基準のようですが、結局なんだかんだいってもこれが一番大切だと思います。もちろん見た目だけじゃなく。ベートーヴェンなんかも音楽的・哲学的・文学的に色々な褒め方があるんだろうけど、やっぱり曲そのものが「カッコいい」というのが最大ですよね。
早朝の「クラシック倶楽部」だけは惰性ではあるけど毎日観てます。器楽ばかりですが、最近の演奏会をオムニバスに放送してくれるので(再放送も多いけど)なかなか飽きません。いい演奏会はブルーレイに焼き付けて保存しています(殿堂入り。まあ滅多にありませんが)。クラシックの情報は殆どこれだけです。N響アワーもなくなったのでオーケストラのテレビ鑑賞もなくなりました。今度のニューイヤーコンサートはメストか、観ないだろうな。あの無表情の木人君のどこがいいのだろうか?地元出身だから贔屓されているのかね・・。ドイツにおけるティーレマン崇拝のようなものか・・・なんだかクラシック全体が斜陽だなあ。
というわけで?、前にも書きましたが、最近BOOWYのライブ映像を借りては楽しんでます。ってBOOWYももう四半世紀前のバンドなのだが。やっぱり「カッコいい」ということは大切ですね。表面的で幼稚な判断基準のようですが、結局なんだかんだいってもこれが一番大切だと思います。もちろん見た目だけじゃなく。ベートーヴェンなんかも音楽的・哲学的・文学的に色々な褒め方があるんだろうけど、やっぱり曲そのものが「カッコいい」というのが最大ですよね。