Wilhelm-Wilhelm Mk2

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Кин-дза-дза! (Kin-dza-dza! 不思議惑星キン・ザ・ザ)

2024-02-27 | Weblog
20代後半にリマスター版をユーロスペースで観て衝撃を受けたソ連のSF映画(1986の作品)。先日アマプラで鑑賞。設定が非常に細かく、本当にこういった異星があるかと錯覚してしまう出来だ。伏線が多いので何度観ても新しい気づきがある。どこかカート・ヴォネガットの世界観を思い出させる。ソ連の映画であるが、グルジア(当時はソ連の構成国。今はジョージアと呼ばれる)が焦点である。

本映画の主役機「ペペラッツ」。これはかなりオンボロのタイプで、綺麗な卵型の保安官専用機などいくつもバリエーションがある。燃料の「ルツ」は水から生成される。舞台となるプリュク星では、あらゆる水は海の水までルツにと変換されてしまっている。そのためプリュクには水がなく、砂漠化している。水はルツから再変換して少量ずつ得ているので高価。ルツとは「水素」のことだろうか?


観客のSF耐性を試す驚愕のシーン。ペペラッツから現れた2人組の異星人は大道芸人だった。彼らは弱いテレパシーが使えるので、大脳皮質から読み取って地球人の言葉(ロシア語、グルジア語)を話すことができる。


この映画の肝となる「クー」のお辞儀。プリュク星の支配層はチャトル人であり、被支配層のパッツ人はチャトル人に「クー」のお辞儀をしなくてはならない。ここでは主人公マシコフの要請で、チャトル人のウエフがお辞儀の仕方を教えている。「もう一度」「ゆっくり」と何度もさせられて笑えるシーン。


主人公のマシコフ(おじさん)。建築技師であり、妻とドラ息子とアパートで暮らしている(当時の一般的なソ連の技術者の生活レベルがわかる)。登場しないが母親は病院で療養中。妻の頼みでパンとマカロニを買いに行った際、キンザザ星雲にテレポートしてしまう。異星にテレポートしても、いち早く事態を悟る(と同時に自分に言い聞かせる高度な嘘も思いつく)など論理的思考に長けている。ヘビースモーカーでマッチを持ち歩いていたことが事態を好転させる(マッチはプリュクでは宝石並みに高価)。技師なので器用。ペペラッツに車輪を付けたり、完全に壊れたバイオリンを直したりする。異星から久しぶりに自宅に電話した際、妻に「(入院している)母親には会ってきたか?」「工事現場の鍵は床にあると部下に伝えろ」と話すなど、現実主義な面が強い(この辺も皮肉なのか)。共産圏らしい発言やニヒルな台詞も多いが、浮浪者の異星人にやさしく接したり、拘留された大道芸人達を見捨てられず地球への帰還を断ったり、若いゲデバンだけを地球に返そうとするなど、非常に人間味が深い。権力に反抗する気骨もあ、戦闘力?も高い(かかと落としをみせる)。演じたのはロシアを代表する俳優のスタニスラフ・リュブシン氏(存命)。見た目も仕草も実にカッコいい人。


大道芸人の一人であるウエフ。チャトル人で威張り屋。自己中心的で貪欲だが、どこか憎めない性格である。ウエフの出身はハヌード星だが、プリュクに「目ざわり」と滅ぼされてしまった。その際に相棒のビーと共に2人だけが生き残ったそうだ。ハヌード星はパッツ人の星だったので、チャトル人ウエフはハヌードでは被支配層だったのだろうか。もしかするとハヌード星にはパッツとやチャトルの間には区別も差別もなかったのかもしれない。終盤に「俺の母親はグルジア人だ!」という台詞がある。ここは大変に意味深だ(本作の最大の謎)。ウエフは強いショックを受けると口が麻痺する癖がある。その際には、相棒のビーに薬を入れてもらう。ウエフを演じたのは、ソ連を代表するコメディアン俳優のエフゲニー・レオノフ氏である。


飛べなくなったペペラッツの燃料費を賄うために、主人公たちも大道芸人となる。マシコフの発案によって稚拙なバイオリンとロシアの怪しい歌詞による即興演奏だが、芸術がないプリュクでは、これでも大喝采をうける。プリュクの決まりとして、パッツ人が演奏する際は檻に入らなければならない(地球人もパッツ人とみなされる)。一方で、チャトル人のウエフは外でよい(調子に乗って参加するが、マシコフに音痴!と怒られる。後に調子を合わせて歌っている)。右端のグルジア人学生、ゲデバンが握っているのは、押し込むと「ガシャー・ウー」と鳴る「伴奏器」である。パッツ人のビーがは使うパーカションである。ちなみに、背後の風船は「死者の最後の息」であり、この星における墓標である。






大きな赤い風船は気球でも飛行船でもなく、プリュクの支配者であるPJ様の「最後の息=墓標」。墓といってもPJ様は存命で非常に元気である。ピラミッドや古墳といった権力者の巨大な墓を揶揄したものと思える。膨らましているのは、地下で働くパッツ人の労働者たちである。


いよいよ末世だ~(眠狂四郎)

2024-02-25 | Weblog
眠狂四郎を初めて読んだのが高校生あたり、雷蔵の狂四郎を見たのが20歳(雷蔵祭にて)。留学中に初めてDVDボックスが限定発売されたので、アメリカまで取り寄せた(部屋までUPSが届けてくれたのを覚えている)。このDVDはいまだ現役であり(画質もかなりよい)、このDVDを通して雷蔵の狂四郎を定期的に観ている。最近は3作目の「円月斬り」を鑑賞した。市川雷蔵がまだ健康的な頃で、ビジュアル的にはシリーズ中一番格好いい作品だと思う。あまり評判のよくない雷蔵の殺陣(腰が定まらない)も、この作品では無双に感じられる剣捌きだ。大写しで連続的なチャンバラをさせない演出とカメラワークのせいか。監督の安田公義は、シリーズ後半で最も猟奇的と言われる名作「人肌蜘蛛」を監督した。脇役では、貧乏暮しに甘んじる剣客の寄居勘兵衛が印象に残る。もちろん伊達三郎さんも重要な敵役で出ています(花札を手裏剣に使う悪党。雷蔵の愛人の元旦那)。雷蔵の眠狂四郎シリーズのなかで私が好きなのは、「勝負」「円月斬り」「炎情剣」「女地獄」「人肌蜘蛛」かな。


最近調べたこと読んだこと徒然

2024-02-18 | Weblog
ますます忙しくなってきたが、逆にやりたいことは明確になり、趣味事にはできるだけ手を出すようにしている。

・ヨハネ受難曲:バッハコレギウムJで聞く。ヨハネの生演奏は今回が初めてだが、聞いたのは滅多にやらないという第2稿だった。興味深いことに第2稿の冒頭は、マタイの前半の終曲とはぼ同じだった(調整は違う)。ヨハネは何度もバッハ自身が手を入れたので、色々な稿があるらしい。演奏は満足だったが、相変わらずオペラシティは酷い造りだ。

・平良文:将門の叔父にあたる豪族。良文の嫡男の嫁が将門の娘であり、その子孫から千葉氏、上総氏、三浦氏などが出て坂東平氏の一族となった。つまり平良文は千葉県の祖ともいえる存在である。この良文は当初は将門に理解を示していたが、最終的には敵側に回ったなどとも言われている。平良文は鎮守府将軍を務めるなどして桓武平氏の中でも大きな勢力だったのに、将門研究の筆頭文献である「将門記」には殆ど出てこない。将門記の作者は不明だが、将門や坂東の描写が細かく書かれ、かつ教養ある文体なので、将門記の成立には良文が関与したのでは?という説があるようだ。ありえるかも。源平より200年も前の関東を、騎馬武者が駆け回っていたことを想像するとワクワクが止まらない。

・最近は蝦夷に注目している。大和朝廷は大陸由来の征服民族で、蝦夷は日本列島の土着の民族・・でいいのか?今の日本人はそれらの混合型である、でいいのか?