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特別展 「大坂の陣と泉州・紀北~樫井合戦への道~」  歴史館いずみさの 

2015-10-24 | 街角の話し

歴史館いずみさののパンフレット
平成27年10月17日(土) ~ 平成27年11月29日(日)

平成27年度(2015年)、は慶長20年(1615)の大坂夏の陣・樫井合戦から400年にあたります。慶長19・20年(1614・1615)の大坂冬・夏の陣は、徳川幕府と豊臣家の最終決戦にして、戦国の天下統一の戦争のフィナーレを飾った戦いでした。
 大坂夏の陣の最初の激戦のひとつが、泉佐野市の南中樫井における樫井合戦です。慶長20年4月29日、豊臣軍の塙団右衛門(ばんだんえんもん)・岡部大学と、徳川軍の浅野長晟(ながあきら)軍が樫井で戦いました。
 戦いは豊臣軍が敗れ、塙団右衛門・淡輪六郎兵衛重政・坂田庄三郎らが討ち死にしました。この後、徳川軍は大坂城を攻め落とし豊臣家は滅びます。
 今回の特別展は平成9年度に続く樫井合戦の特別展の第2弾です。樫井合戦は1日で終わった合戦でしたが、現在の泉佐野だけでの合戦ではありません。泉州・紀北の広い地域を巻き込んだ戦争で、多くの人々が樫井合戦に関わりました。
 特別展では泉佐野市の外にも視野を広げて、泉州・紀北における大坂の陣を紹介し、樫井合戦に至る大きな歴史の展開をたどります。


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樫井合戦も名前は聞いたことがあります。塙団右衛門(ばんだんえんもん)の名前も。
豊臣軍だったのですね。相手の徳川軍は? 気になりますね。
徳川軍の武将としては上田 重安(うえだ しげやす)、または上田 宗箇(うえだ そうこ)が有名らしい。武将・茶人・造園家。通称は佐太郎、剃髪後に宗箇と名乗る。
茶道の上田宗箇流の流祖で、茶人・造園家として現在も残る業績を残した。また武将としても数々の戦で一番槍の功を立てた。

姻戚であった紀州藩主・浅野幸長の家臣となることで1万石を与えられ、徳川家康の許しも得て、還俗する。和歌山で浅野家に仕えている間に和歌山城西の丸庭園、粉河寺庭園を作庭している。大坂の陣にも徳川方として出陣し、敵方の大将の1人である塙 団右衛門(ばん だんえもん)の首級を挙げるなど戦功を立て将軍徳川秀忠および大御所家康から激賞された。元和5年(1619年)、浅野氏が和歌山藩から安芸広島藩に移封されると重安は佐伯郡小方村(現大竹市小方)に1万2,000石を与えられたため、江戸にも滞在したが国許にも下った。

以後は、茶道と造園を趣味として生活を送り、浅野家の別邸縮景園を作庭した他、請われて名古屋城二の丸庭園の作庭も担当した。



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泉の森ホールの隣にあります
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