そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

7月16日(土)面接からおうた文学会へ

2016年07月16日 | 公開

  午前中は勤務先で面接業務があり、仕方がないのでネクタイを締めて行った。面接官は全員がスーツかジャケットにネクタイ着用で、皆さんちゃんとしている。1人30分ほどの面接となったので、昼過ぎまでかかる。

  「Cafe GOTO」でケーキとエスプレッソをいただき、昼食代わりとする。そのまま山手線で五反田へ行って、法華大学へ。本日はおうた文学会の例会なのだ。法華大学、ずいぶん久しぶりに来たが、すっかり新しい建物になっていた。

  最初の研究発表者は、私が研究指導を担当するA君、5月になかむかし文学会の大会で発表をした続きの、固め打ちである。なかむかしで幸い好評が得られたから、アベレージを稼いでほしいところ。落ち着いて、時間通りに、きっちり発表が出来た。質疑応答も、伝授した方法を活かして、うまくやりおおせたと思う。ちと、マイクの音量が小さかったが、それも考えようによってはよかったかも。

  2人目の発表者の指導教授は、どなたなのだろう? いやはや、あなたは、いったい何のために、この研究をしておいでなのですか? 長明という人がここで行なっているパフォーマンスの意味が、そもそも分かっていないのでは?という、結構きつい質問をしてしまったが、私の意図はかってもらえなかったみたい。指導教授から、指導してもらっておくれ。こんなアホみたいにナイーブな発表するなんて・・・。

  3人目は、なかつよ文学会の大会で、私と一緒に研究発表された最高学府ご出身の先生で、ほほう、固め打ちなさるのは偉いものだなあと思いつつ拝聴したが、こりゃ教養科目を担当する教員がまま陥りやすい境地では?・・・と感じて、皮肉な質問を申し上げた。作品をものした当初と、それがテクストに編まれる時点とでは、違うんじゃないの?ということ。これまた、私の意図は伝わらなかったみたいだな。

(以上、私の弟子の発表がダントツ、一番よかったと言いたいのだが、しかしかかし、私は人を育てるのが、本当に下手くそである。いくら優秀なのを育てても、うまく就職させられない。ほんと、情けなくて、早く死にたいですわ・・・同僚教授に、選択定年により早く辞めるかもしれないと、今日、申し上げておいた。そうですか!と、嬉しそうな反応だったかな)

  委員会に出る。もたもたされては叶わんので、積極的に発言して、議事進行に協力?した。ほんとうは、こんな老人が出る幕はないのだがなあ。終了後、Y大学のF教授とランデブーのお約束あり。

  五反田方面に向かう。F教授となかなか連絡がとれず、付近で飲んでいたウチの院生どもと合流しようかと思っていた矢先、なんとなんと、大崎駅前に居るとのことで、山手線をひと駅乗る。みつばち大学のN教授と、六帖研究の泰斗Aさんとご一緒だった。

  さて、大崎駅前なんか知らんがなと、店を物色していると、料理人らしい格好をしたおじさんが、ここに入りなさい、日本酒あるよと招いてくれるところに入った。「豫園」という中華料理店。たしかに日本酒はあるが、まあ中華だからと、紹興酒のボトルをお願いして、3本空けた。何というか、場末感がたまらないお店でありました。

  Fさんは、いろいろあったけれども、治まってよかったと思う。ただし、持ちコマが多くて大変らしい。そんなことを言ったら私も、今期はコース内で一番持ちコマが多い。ロクな研究もしておらんから、せめて授業で貢献しなければと、殊勝な思いである。

  帰りはFさんと北行電車に乗り、東京の外れ近くのターミナル駅で別れた。同世代同士、しみじみしたお話ができて嬉しかった。あはれといふもさらなり。Fさんとは国文研の調査などでご一緒してきたが、お人柄慕わしく、大好きな研究者のお一人である。