そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

4月11日(木)卒論ゼミと長い長い長い職員会議

2013年04月11日 | 校長は日々是口実

 午前中は卒論ゼミの初回。就活中の人はそちらを優先していただいて構わないと宣言し、来週までの課題を出す。研究文献検索のデータベースについて説明した。基本的な論文の書き方は、今年はアメリカ式?でやってみよう。

 早めに切り上げて、時間の許す諸君を引き連れ「Cafe GOTO」へ行く。配送するケーキに付ける「祝入学」ののし紙を、細字のサインペンでしたためておいでだったから、携帯していた筆ペンをお貸しする。

 東京駅へ移動。今日はまぐろづくしの寿司折を買って新幹線に乗り込む。16:00少し前から職員会議を始める。

 今日は長くかかるんだろうなあと覚悟していた。案の定だった。途中、小用で1度だけ抜け出したが、ずうっと議事進行役を続けなければならない。3時間半ぶっ通しでやっていると、疲れてだんだんくどくなったのだろう、会議が終わった途端、ある先生が詰めよってきて、教頭の言ったことを繰り返すな! お前のせいでこんなに時間がかかったんだぞ!と面罵された。この先生は普段、こちらからご挨拶してもまったく反応してくださらない。よほど私のことがお嫌いなんだろうね。出雲国の出身で気の小さな私(笑)は、こういうことが結構ショックなんだが、あちら様には思うツボなのかもしれませんなあ。反撃してくる懼れのない大学教授を大声で面罵できれば痛快だろうし(□○みたい!)。会議は、結局学校の主人公は教員なのだ!という現実を、強く突き付けられることばかりであった(この点、教授会も同段なり)。そして、大学でもどこでもそうだが、教員というものの視野は、概して狭窄である。積年のルサンチマンは、分からんでもないぞ。しかし、それで時代や情勢の急激な変化を見通さなくていいのかなあ…と、半ば余所事のように思った。私も結局、余所者ぢゃて。さて、学校法人の首脳部へ、職員会議の意向はそのままにご報告した。もはや修復は、永遠に不可能である。し~らないっと。

 新幹線の、最終の1本前のに乗って帰宅。時間を勘違いし、寒々とした駅のベンチで1時間近く待つはめに。売店は既に閉まっており、酒も買えなかった。心のうちこそ、すさまじかりしか。

 …つくづく「時間」に無頓着な学校だわい、ぶつぶつぶつ…。

 


4月11日(木)直訴?

2013年04月11日 | 校長は日々是口実

 昨日、生徒が3人直訴?に来た。男子2名の女子1名。話を聞いてくださいますか?というので、気安く校長室に招じ入れたら、学校に公認されていない活動に関わることであった。まあまあと、飴玉を1つずつ呈した。

 施設関係の希望は、そういう声もあるということで、承っておいた。ちょっと来てよと呼んだ生徒担当は、顔をこわばらせている。後で聞くと、積年の経緯があるらしい。

 この学校はいっぱいいっぱいである。そこを、騙し騙しやってきたというのが、このことに関しては実情なのだと即座に理解した。パンドラの箱を開けてもいいけれど、それには相応の覚悟がいる。学校というのは官僚機構なのだ。それはラインを飛ばすのが一番いかんと、生徒に噛んで含めるように説明した。納得はせんだろうが、校長と話したことで、少しは気が収まったかもしれない。

 いろいろ抜け道はありそうに思うが、それを積極的に教えてやっていいものか。揉めれば揉めるほど、世の中よくなる。これは亡き指導教授の口癖だった。亡師も中学高校の校長職を兼任していたが、りっぱな先生だったなあと改めて思った次第。