「自分のところに入れた」とあるのに心を留めよ。鳩は的確に飛んでいたのではない。恐れに満たされ、また疲れきっていた。鳩は飛べるだけ飛んだ。そしてノアは手を差し伸べて、鳩を自分のところへ入れたのである。これはさまよえる鳩に対するあわれみの処置で、鳩はさまよっていたことについてはとがめられなかった。飛んできたままの姿で箱舟に入れられたのである。
同じように、神を求める罪人なるあなたは、すべての罪をもったままで受け入れられる。「ただ帰れ。」これこそ、神の恵みのことばである。それ以外に何もないのかと尋ねるのか。全く何もないのである。「ただ帰れ。」鳩はこの時、オリーブの若葉をくわえていなかった。かろうじてそのさまよえる旅から帰ったのである。「ただ帰れ!」そして鳩は帰り、ノアは鳩を自分のところに入れた。さまよっている者たちよ。飛べ。あなたは鳩にすぎなくても、また、罪のゆえに烏のように黒いと嘆く者であっても、帰れ。救い主のもとに帰れ。あなたがためらうなら、みじめさが増す。
あなたが自分の力で羽を整えて、イエスの御前に出るのにふさわしい者になろうとすることは、すべて無益である。あるがままの姿で、イエスのみもとに来れ。「背信の女イスラエル。帰れ。」主は「悔い改めているイスラエル。帰れ」とは言われなかった。「背信の」と言われた。背信者として、背信者のままで帰るのだ。帰れ。イエスはあなたを待っておられる。主は手を差し伸べて、あなたの心の真の故郷である主のみもとに、あなたを入れてくださる。