座間コミニティー

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◆彼は手を差し伸べて鳩を捕え、

2017年03月13日 16時24分17秒 | 聖書
箱舟の自分のところに入れた。(創世八・九)
鳩はあてどなく飛ぶのに疲れ、ついにその唯一の憩いの場である箱舟に帰って来た。なんと重そうに飛んでいたことだろう。鳩は今にも落ちそうであった。箱舟にまで着けそうになかった。しかし、がんばり続けた。ノアは箱舟に入れるために鳩を待ち、一日中鳩を捜し求めていた。鳩はやっと箱舟の端に着いたが、止まっている力もなく落ちそうであった。その時ノアは、手を差し伸べて自分のところへ入れたのである。
「自分のところに入れた」とあるのに心を留めよ。鳩は的確に飛んでいたのではない。恐れに満たされ、また疲れきっていた。鳩は飛べるだけ飛んだ。そしてノアは手を差し伸べて、鳩を自分のところへ入れたのである。これはさまよえる鳩に対するあわれみの処置で、鳩はさまよっていたことについてはとがめられなかった。飛んできたままの姿で箱舟に入れられたのである。
同じように、神を求める罪人なるあなたは、すべての罪をもったままで受け入れられる。「ただ帰れ。」これこそ、神の恵みのことばである。それ以外に何もないのかと尋ねるのか。全く何もないのである。「ただ帰れ。」鳩はこの時、オリーブの若葉をくわえていなかった。かろうじてそのさまよえる旅から帰ったのである。「ただ帰れ!」そして鳩は帰り、ノアは鳩を自分のところに入れた。さまよっている者たちよ。飛べ。あなたは鳩にすぎなくても、また、罪のゆえに烏のように黒いと嘆く者であっても、帰れ。救い主のもとに帰れ。あなたがためらうなら、みじめさが増す。
あなたが自分の力で羽を整えて、イエスの御前に出るのにふさわしい者になろうとすることは、すべて無益である。あるがままの姿で、イエスのみもとに来れ。「背信の女イスラエル。帰れ。」主は「悔い改めているイスラエル。帰れ」とは言われなかった。「背信の」と言われた。背信者として、背信者のままで帰るのだ。帰れ。イエスはあなたを待っておられる。主は手を差し伸べて、あなたの心の真の故郷である主のみもとに、あなたを入れてくださる。
 

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。

2017年03月13日 16時23分19秒 | 聖書

わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:3)

神は、人間を神のかたちに創造された。
そして創造されたすべてのものをご覧になり「見よ。それは非常によかった」と。
人間は非常に良いものとして創造された。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い」。

ところが、人間は自ら神を捨て、罪を選んだ。神無しで生きることを選んだ。
自分が神となり、自分の思いと力で生きる事を良しとした。

神に背を向けた結果、あらゆる混乱、混沌、不満、不安、無秩序が生じた。
太陽に背を向けるなら、影に生き、闇の中に生きるしか無い。

無差別殺人が起きる。容疑者は不満と鬱憤、鬱屈、怒りでいっぱいだ。
人から認められない惨めさ、自分に価値が無い、自分は負け組と。
価値があると思いたい、強烈な欲求があるに関わらず、思えない挫折。怒りとなり噴出する。

神がキリストの十字架のゆえに、罪人を愛し、受け入れ慈しんでいて下さる。
信仰者も絶えずここに立つ必要がある。
神の言葉より、人からの評価、人の言葉、世の賞賛、世の価値観、自らの思いを上に置くなら、必ず挫折し落ち込んで行く。

不満と思い煩いで一杯になる。自らの心を点検してみよう。
神の言葉より、肉の価値観、世の言葉が心を占めて、平安を失っていないか。
自己存在の根拠を、今一度、神の言葉に置き、神を心に据えよう。

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自分がどう思おうと、感じようと、神が高価で尊いと言われるから、高価で尊い。
愛されている。自分の感情や感覚を軸に置くと、そんな感じがする時や、しない時が出て来る。
御言葉を軸に据えよう。そして、心の芯に受け取り、心から感謝しよう。


今日の聖人の記念日

2017年03月13日 07時00分44秒 | キリスト教

聖エウフラシア修道女

382年ごろ-412年ごろ

 エウフラシアは、コンスタンチノープルに生まれた。父は元老院議員で、ローマ皇帝テオドシウス1世の親戚であった。

 幼くして父を失ったエウフラシアは、皇帝の勧めで元老院議員の息子と婚約した。しかし、7歳のときに母とエジプトに行って、修道院の近くに住み、たびたび修道院を訪れるうちに修道生活にひかれ、生涯を神にささげたいと思うようになった。

 母の死後、12歳のときに、皇帝から婚約者と結婚するようにといわれたが、彼女は本当の望みを皇帝への手紙に書き、結婚を辞退した。そして遺産を貧しい人々に施してほしいと皇帝に依頼し、自らは修道院に入った。同僚の修道女たちの嫉妬によって苦しんだこともあったが、常に優しさと忍耐をもって、神と共同体に謙遜に奉仕した。


◆知 恵 と 祝 福

2017年03月13日 06時59分28秒 | 聖書

わたしを愛する者には財産を受け継がせ、
彼らの財宝を満たす。        (箴言八21)
人は、親とか教師とか、人の人格からにじみ出るところで一番深い決定的な影響を受けるのではないでしょうか。イエス・キリストというお方を見いだし、この方と共に歩み出す時、人は決定的な影響力を受けます。
イエス・キリストは愛の人です。あなたを理解し、受け入れ、包みこみ、あなたにすべてを与えつくし、愛といのちを与えてくださいます。その栄光の富に従って、私たちを満ちあふれさせると聖書は言っています。
イエス・キリストが与える祝福は、こんなに豊かにあります。
・ 愛が分かるので、周囲の人とうまくいく。
人を愛し、人々に愛されるようになります。幸福な夫婦の間柄・親子の関係・職場関係へと変わっていきます。
・ 人間の生きる目的が分かるので、使命感に燃えて、生きがいのある生活を見いだすことができる。
・ 全世界の富を持つ神といっしょなので、経済的な祝福が与えられる。
大金持ちや長者番づけにのることはさておき、金まわりも確かによくなります。これは、金や物に対する考え方が根本的に変わってくることと関係しています。
・ 性格まで変わってくる。
悪意や悲観から抜け出し、善意と楽観に生きる人となります。
しかし、これらの地上の祝福は、イエス・キリストの十字架によって、罪と滅びから救われて永遠のいのちを与えられ、神の愛によって新しく生まれるという土台の上に築かれるのです。
 

◆私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。

2017年03月13日 06時58分14秒 | 聖書
(Ⅱ列王七・三)
愛する友よ。この書は主として信者への教訓として書かれたものだが、もしあなたが救われていないならば、私は心からあなたに同情し、あなたの祝福になることを語りたいと思う。もしあなたが現在の所にとどまっているならば、あなたは滅びなければならない。しかしイエスのもとに行けば、死ぬだけで滅びることはない。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」というⅤがある。あなたの場合、冒険はそれほど大きいものではない。不機嫌に失望の色を浮かべ、じっと座っていても、破滅が来た時、だれもあなたを顧みるわけではない。しかし、もしあなたが主にすがり、あわれみを求めつつ死んだならば――そのようなことが可能なら――あなたは同情の的となるだろう。
イエスを見るのを拒んだ者は滅亡を免れることはできない。しかし、あなたは主を信じて救われた人がいることを知っており、その中のある者は、あなたもよく知っている人である。それなら、なぜあなたは救われないのか。滅びることはきわめて恐ろしいことである。だから、一筋のわらでもつかむものがあれば、あなたは自分を守るために手を伸ばすはずである。あなたはこれまで、不信仰の側に立って自らに語ってきた。しかし主の側に立って、主を求めるならば、あなたは主を必ず見いだすということを私は保証したい。イエスはご自分のもとに来た者を捨てられたことがない。あなたがもし主に信頼するならば滅びることがなく、あわれな病人がアラムの陣営で拾った財宝よりも、はるかに尊いものを得るであろう。どうか、聖霊がただちにあなたを主のもとに行かせ、あなたの信仰が無益なものではないことを知らせてくださいますように。
救われた時には、その良い知らせを他の人に語れ。沈黙していてはいけない。まず主の家族に告げ、彼らと兄弟姉妹になれ。町の門を守る者にあなたの発見を知らせ、良い知らせをあらゆる場所に広げよ。主は、今日太陽が沈む前にあなたを救われる。
 

詩篇22篇9-10節

2017年03月13日 06時56分30秒 | 聖書


22:9 しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。
22:10 生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、 あなたは私の神です。



私が苦しみの時に叫んでも、あなたは答えてくれない。

私は捨て去られた者のようです、とダビデは嘆きました。

しかし、主が自分のことを捨て去っているように見えても、私はいつも変わらずに主に寄り頼んでいきますと告げ、深い信頼を寄せます、というのです。

 それは、自分が生まれる以前から、つまり、自分が自分のことを知らない時から、あなたはこの私を守り支え、導いてくださったお方であるからです、と言っています。

 主は、私がこの地に生まれてくる前から、私を覚え、守りの御手を持って、母の胎から私を取り出し、乳を飲むようにしてくださった。

主は、私の存在のすべてに関わってくださったお方であるというのです。

ですから、たとえ苦しみや困難が来たとしても、その主の恵みを覚えて、私は心から主に寄り頼んでいきますというのです。


使徒の働き13章47節(エレミヤ書)

2017年03月13日 06時53分35秒 | 聖書


★…『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』

■O:今日のコラム
イエス様を信じる私たちは、選ばれた民、王であり祭司とされました。救われた者、選ばれた者には使命があります。クリスチャンになったからといって、何の苦労もないわけではありません。選ばれた者には使命を果たす責任があります。安心感に浸り続けてはならないのです。

主に選ばれた者に対する計画は聖書にはっきり書いています。それは、「あなたが地の果てまでも救いをもたらすため」です。

昨晩はレーマ聖書学院の卒業式があり、ネット受講生も合わせ20数名の卒業生を送り出しました。ある人は牧師に、ある人は宣教師になるかもしれません。またある人は会社や学校、家庭の中で福音を伝えていく者となるでしょう。

主が私たちをこの世に遣わす理由は、主の奇しい御業を宣べ伝えるため、世の救いと贖いのためです。

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(第1ペテロ2:9)

それは自動的にそうなっていくわけではありません。多くの苦難と霊的格闘を経験します。ですから、私たちはエペソ6章10節~18節に書かれている神の武具をつけて、神の使命のために戦わなければなりません。

今日はイスラエルにおいてプリムの祭りを祝う日です。エステルはユダヤ人を救うために主に選ばれ、自分の命を懸けて同胞ユダヤ人を救い出しました。

終わりの日が近づくにつれて、神の民に対する攻撃は増します。エステルがユダヤ民族を救ったように、私たちもこの国の救いのために命を懸けて、主の目的を成し遂げて行く者となりましょう。

■A:考えてみよう
私たちは全員祭司です。選ばれた祭司として日本をとりなし祈りましょう。終わりの時代、聖徒たちの内なるイエス様のかたちが、いよいよこの国に輝きますように。
国家的な救いとリバイバルを求めて祈りましょう。
苦難が待ち構えているかもしれません。しかし、エステルのように「この時のために」と、命を懸けて戦うことが出来るよう、毎日神の武具をつけましょう。御霊で祈り、みことばを朗読し血潮を宣言して備えていきましょう。

■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


3月12日(日)のつぶやき

2017年03月13日 01時28分01秒 | キリスト教