主にある友よ。主がおられない時に、あなたは豊富な物資の中にあって、激しい飢えの思いをしたことはないか。太陽は輝いていた。しかしキリストはご自身を隠され、全世界はあなたにとって暗黒であった。あなたはこのような経験をしたことはないか。私たちの主がおられなければ、この世界はなんと荒涼たる原野になることだろう。ひとたび主が私たちから姿を隠されるならば、私たちの花園の花はしぼみ、甘美な果実は腐敗し、鳥は歌うことをやめ、あらしは希望をくつがえすであろう。義の太陽が輝きを失うならば、地上の明かりをすべて寄せ集めても、その輝きを作り出すことはできない。主は私たちのたましいの親、光の光、いのちのいのちであられる。愛する友よ。主がおられないならば、あなたはこの世にあって誘惑の心労にどう対処するか。朝目覚めて、一日の戦いに臨もうとする時、もし主がおられないとしたら、あなたはどうするのか。夜疲れ果てて家に帰った時、あなたとキリストとの交わりが閉ざされていたならば、どうするか。
しかし主の御名はほむべきかな。私たちは突き放されず、私たちが主なしに自分で運命を切り開くままにはされない。なぜなら、イエスは決してご自分の民を捨てられないからである。主がおられないならば人生がどのようになるかを覚えて、さらに深くその尊さを知ろうではないか。