座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆目をさまして(いる)者は幸いである。

2015年04月26日 16時42分31秒 | 聖書

(黙示録一六・一五)

「私にとって、毎日が死の連続です」と使徒は言った。これが初代キリスト者の生活であった。彼らはいのちがけでどこへでも行った。私たちは今日、彼らと同じ恐ろしい迫害を通るように命じられてはいない。もしそうであれば、主は試練に耐える恵みを下さるだろう。しかし今のクリスチャン生活の試練は、表面的にはさほど恐ろしいものとは見えないが、初代における試練よりはるかにたやすく私たちをねじ伏せる。
私たちは、世の冷笑に耐えなければならない。これは小さなことである。それよりも悪いものは、世からのへつらい、甘言、偽善である。私たちの危険は、自分が金持ちになり高慢になり、この世の悪にならい、信仰を失ってしまうことである。あるいは、富が試みにならなくても、この世の心労があなどれない敵となる。私たちが、ほえる獅子によって引き裂かれなくても、熊にしがみつかれて息を止められるかもしれない。私たちがキリストへの愛を失い、信頼を失うなら、悪魔にとってはどちらでもよいわけである。
私はキリストの教会があの患難時代におけるよりも、むしろこのやわらかな時代に、節操を失いやすいのではないかと恐れる。私たちは目を覚ましていなければならない。あたかも魔法の国を横切っているようだからである。イエスに対する信仰が真のものでなければ、また、イエスへの愛が火のように燃えているのでなければ、私たちは眠ってしまい、破滅を招きやすいのである。この軽薄な時代にあって、多くの人は麦となるよりは毒麦となりやすい。偽善者は美しい仮面をかぶる。しかし生ける神の真の子どもはそうではない。
主にある友よ。今の時代には、警戒も熱意も不必要であると考えてはならない。あなたにとって、今ほどこれらのものを要する時代はない。どうか全能なるとこしえの神があなたの上に働かれるように。平穏な日にも苦難の日にも、あなたが次のように叫ばされるように。「私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」

 


「まして、わたしは、

2015年04月26日 16時40分56秒 | 聖書

この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか」(ヨナ4:11)

ヨナは、ニネベへ行けとの神の命令に背いて、反対のタルシシへ向かった。
神の御顔を避けたのだ。
すると、神は大嵐を起こされた。
自分のせいだとわかっているヨナは、海に投げ入れるようにと言う。
海に放り出されたヨナを、神は大きな魚を備えて、守られた。
ヨナは魚の腹の中で祈り、悔い改めた。
悔い改めは方向転換だ。行動が変わる事だ。
魚から吐き出されたヨナは、今度は神の命令に従った。
ニネベで言われた通りに神の言葉を伝えると、人々は悔い改めた。
それで神は災いを思い直された。
しかし、ヨナは面白くない。
すねて、怒って、神に不満をぶつける。
ヨナの神に対する思いは、神は味方を守り、敵を滅ぼすべきなのだ。
そうされない神に不満で一杯だ。
私達も、自分の思いが強い時、神が自分の思うように動かれないと、いら立ち、不平不満、不信感が募る。
しかし、それはあくまでも、自分の思いの中の神だ。
実際の神とは違う。
自分の思い通りの神像を造り上げている。
しかし、神は、そんなだだっ子のようなヨナをなだめ、どこまでも忍耐深い。
お前のような預言者はだめだ、とは言われずに、ヨナの気持ちを受け止め、とうごままで備え、教え導かれる。
ヨナと同様、私達の気持ちも受け止め、導いて下さるお方だ。
不満も怒りも何もかも、まず神に告げよう。
心の内をことごとく打ち明けよう。
-------------------------
どこまでも未熟で、自己中心な私たちを神様はみこころのままに整えて行って下さる。
素直にありのままの自分を向けて行こう。


今日の聖人の記念日

2015年04月26日 06時39分38秒 | キリスト教

聖アナクレト教皇

在位 79年ごろ-91年ごろ

 アナクレトは、聖ペトロ、聖リノに続く第三代目の教皇である。
 名前から考えると、ギリシア人で、もとは奴隷だったと思われる。

 アナクレトは、ローマを25の小教区に区分した。伝承では、91年ごろドミチアヌス皇帝の時代に、ペトロやリノ同じように殉教したと伝えられる。


◆二  つ  の  心

2015年04月26日 06時38分31秒 | 聖書

正しい者の願い、ただ良いこと。
悪者の望み、激しい怒り。     (箴言一一23)

ある韓国人の牧師の書斎に、「一怒一老、一笑一少」という額がかかっていました。「一つ怒れば寿命が縮まり、一つ年をとる。一つ笑えば一つ年が若くなる」という意味でしょうか。なるほどと思いました。
怒って得なことはありません。怒りは人間関係を壊し、自分自身を偽り、ばか者にし、孤独にします。そればかりか、いのちを縮めます。怒りっぽいことはだれもが反省し、そこから自由になりたいと思っているのではありませんか。私がいつもすばらしいと思うのは、新約聖書の中でほんとうの愛を定義して「愛は……怒らず、人のした悪を思わず」(Ⅰコリント一三5)と言っていることです。そして、旧約聖書は「正しい良い人は、ただ良きことを願う」と言っています。
私たちは、「正しい人は怒る」と思っています。しかしよく考えると、これこそ人間の誤解なのです。
第一に、さばきたもうのは神です。神に全く任せる時、人は怒る必要がありません。
第二に、自分の罪深さをよく知ったら、怒ることの底の浅さが分かります。イエスの前に姦淫の女を引き立ててきたパリサイ人たちに、イエスは、「お前たちのうち罪のない者がまず、石をこの女に投げよ」(ヨハネ八7参照)と言われました。
第三に、こんな罪人のために怒りを抑えて待っていてくださる神、いいえ、こんな罪人をゆるし助け救うために十字架の上で死んでくださったイエス・キリストのことを深く思う時、怒ることがどんなに的はずれかが分かります。人の怒りは神の義を行うものではないのです。神が祝福しようとされているのをふりはらい、拒もうとするのですから。
神を知らない私たちのこの自己中心が十字架にかけられ、神にすべての怒りをゆだねて、いつも他の人のために善を思えるなら、どんなに平安でしょう。

 


◆わたしを覚えて、

2015年04月26日 06時37分45秒 | 聖書

これを行ないなさい。(Ⅰコリント一一・二五)

このことばは、クリスチャンがキリストを忘れることがあることを意味しているようだ。もし私たちの記憶があてにならないという恐ろしい仮定がなかったら、この懇切な奨励は全く必要ないだろう。ところが悲しいことに、これは単なる仮定ではなく、私たちがよく経験するところである。可能性があるだけでなく、深刻な事実なのである。
いのちを捨てた小羊の血によって贖われ、永遠の神の御子の永遠の愛によって愛された者が、あわれみ深い救い主を忘れるとは、ほとんど考えられないほどのことである。しかし驚くべきことであるが、その罪を目の前につきつけられては、それを否定できない。私たちを決して忘れない方を忘れるとは! 私たちのために血を流された方のことを忘れるとは! いのちをかけて愛してくださった方を忘れるとは! そういうことがあるのだろうか。たしかにそうだ。良心は告白する。ただ可能であるばかりでなく、全部の者がその過ちを犯し、一夜の宿を願う旅人のように主を扱っているのだ。絶えず、私たちの記憶にとどめておかなければならないお方が、一時的な訪問客となっておられる。絶えず心に留めるべきであって、なおざりにするなどもってのほかであるべき十字架が、忘却の泥足で踏みにじられている。
あなたの良心はそれを事実であると言わないのか。あなた自身イエスを忘れがちだと気がつかないのか。何かがあなたの心を奪い去り、あなたは愛を注ぐべきお方に見向きもしない。あなたの目をしっかりと十字架に向けるべき時に、この世の事柄があなたの注意を奪い去っている。この世の絶えざる忙しさのため、またいつもこの世の事に注意をひかれるため、たましいがキリストから取り去られている。記憶は毒草を大切にするが、シャロンのバラは枯らしてしまう。
私たちは天の忘れな草を心に結びつけ、ほかのことは忘れても、愛する主イエスをしっかりとらえているようにしようではないか。

 


第2列王記9章17-20節

2015年04月26日 06時36分24秒 | 聖書

9:20 見張りはまた、報告して言った。「あれは彼らのところに着きましたが、帰って来ません。しかし、車の御し方は、ニムシの子エフーの御し方に似ています。気が狂ったように御しています。」



 エフーは、本来は軍の長でありましたので、自分の軍を率いて、イズレエルにいるヨラム王の所に向かいました。

イズレエルの町では塔があって、そこには見張りが立っていました。

エフーが軍を率いて来るのをみた見張りは、王に報告をしました。

そこで王は一人の騎兵を遣わして、彼を迎えさせました。

ところが、その騎兵がエフーに会うと挨拶もそこそこに、エフーから自分に従えと言われて、彼の後について行く羽目になりました。

そうしたことが2度も起こりました。

別の見張りは、騎兵が帰ってこないので、王にこちらに向かっているのはエフ-であり、またその部下の者たちだと告げました。

そしてその時に彼が王に語ったことは、エフーは気が狂ったように馬を御している、ということでした。

エフーは、御心を行うために、猛烈な熱意に燃えていたからです。


1列王記11章4-6節 (12章)

2015年04月26日 06時34分10秒 | 聖書

★ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行い、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。

■O:今日のコラム
旧約聖書のユダヤ人たちの失敗、特に、一時は神を愛し、神に愛された人たちの失敗を読む時、いつも心が痛くなります。
ああ、ダビデが、バテシェバの罪を犯さなければ、アムノンも、タマルも、アブシャロムも幸せだったかもしれない。ああ、ソロモンが、最後まで、主に従い通したなら、神様の心は痛まなかっただろう……。などなど…etc.

でも、実は、神様は、あえて、イスラエルの民が失敗することを許されたんですね。そして、それが、そのまま記録に残るようにされました。
それは、イスラエルの失敗によって、神様の救いの恵みが、異邦人、つまり全世界のすべての人に及ぶようになるため。
また、彼らの失敗から私たちが学び、同じ間違いを犯さないで、十字架の恵みと信仰によって、神様と最後まで、親密で真実な愛の関係を持ち続けるためです。

1コリント10章11節 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。

今日の聖書箇所には、ダビデとソロモンの違いが書かれています。
どちらもイスラエルの全盛期の王として、国を治めました。どちらにも成功も失敗もありました。
しかし、神様は明らかに、ダビデとソロモンを区別し、ダビデの方を喜ばれました。
その違いはどこにあったのでしょう?
この二人から私たちは何を学べるのでしょう?

タビデは、主との交わりを何よりも愛しました。

詩篇27篇4節私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。

詩篇51篇11-12節 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。

ダビデにとっては、神様との間に隔てが出来てしまうこと、神様の麗しさ、御臨在、聖霊から離れてしまうことこそが、一番恐ろしいことでした。
ダビデにとっても、もちろん、敵に追われること、荒野を逃げ回らなければならないこと、家族や友人から引き離されること、などなどは、辛いことだったと思います。それでも、彼は、どんな状況にあっても、神様の近くにいることができるなら、他のことは耐えられる、と考えたと思います。
だからこそ、ダビデは、神様との間に仕切りが出来てしまうことを恐れ、罪を犯すことを恐れ、罪を犯してしまった時には、すぐに悔い改めたのです。
ダビデにとっては、神様との間に隔てのない、一つ心を持つ事こそが、一番の願いでした。
残念ながら、ソロモンは、神様とのそのような関係を築かなかったか、失ってしまったのか、神様とその王国のために、多くの働きを成し遂げましたが、最後は、神様の憎む偶像を捨てることができなくなってしまいました。

■A:考えてみよう
イエス様の十字架は、神様と私たち、また私たちとまわりの人たちとの間に出来てしまった隔ての壁を打ち壊してくださいました。今日も、イエス様を通して、父なる神様と一つ心になりましょう。

■P:祈り
恵み深く、親切な神様、私たちの教訓のために、あなたの愛するイスラエルの民に、あえて失敗することを許されたこと、また彼らの失敗の記録をも、残してくださったことを感謝します。
私が、ソロモンの失敗から学び、ダビデのように、いつまでも、神様と一つ心を持ち続けることができますように、神様との間の仕切りとなる罪を、どうぞ、取り除いて、あなたの御前にとどまれるようにしてください。
また、神様との愛の関係から、あなたの愛するイスラエルのために、執り成し祈ります。かれらが、救われますように。覆いが取り除かれ、イエス様が救い主であることを、彼らが認めることができますように。父なる神様の変わらない愛を知り、神様の元に帰って来る事ができますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン


4月25日(土)のつぶやき

2015年04月26日 01時47分11秒 | キリスト教

◆私の愛する方は、私に語りかけて言われます。 goo.gl/9kq5Xi


「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。 blog.goo.ne.jp/tosi_1968/e/f3…


◆だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、 blog.goo.ne.jp/tosi_1968/e/f9…