座間コミニティー

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◆あなたはかつて

2015年04月18日 17時23分29秒 | 聖書

「わたしは必ずあなたをしあわせにし……。」と仰せられました。    (創世三二・一二)

ヤコブがヤボクの渡しの手前まで来ると、エサウが武装した部下を連れて来ようとしていた。ヤコブは熱心に神の保護を求めたが、その主な理由は、「あなたはかつて『わたしは必ずあなたをしあわせにし……。』と仰せられました」というところにあった。なんと力強い嘆願であろう! 彼はみことばによって神にすがりついた。神のご誠実という徳は、すがりつくのに最もふさわしい祭壇の角である。しかし、その徳と、それにまさるものを含む神の約束はさらに力強い頼りである。「あなたはかつて『わたしは必ずあなたをしあわせにし……。』と仰せられました。」このように言われた神が、それを実行されないことがあろうか。神は真実なお方ではないのか。約束のみことばを守られないのか。そのくちびるから出るすべてのみことばが堅く立ち、かつ成就されないだろうか。
ソロモンは神殿の献堂式にこれと同じ力強い祈りをささげた。彼は神に、父ダビデに語られたみことばを思い起こしてくださいと嘆願し、その場所に祝福を祈り求めた。人が誓約書を出す時、出す人の信用が問題とされる。署名者は時が至ればそれを実行しなければならない。さもなければ信用を失う。神は決して手形をほごにはなさらない。いと高きお方の信用はかつて問題になったことがなく、今後も決して問題にされることはない。神は時を厳守される。繰り上げることも延期されることもない。神のみことばを徹底的に調べ、神の民の経験と比較するならば、両者が初めから終わりまで一致していることを見いだすであろう。多くの白髪の族長たちは、ヨシュアとともに「あなたがたの神、主が、あなたがたについて約束したすべての良いことが一つもたがわなかった」と言うのである。
神の約束をもっているならば、「もし」などということばで願う必要はない。確信をもって求めてよい。主は約束を成就しようと考えておられる。さもなければ、約束を与えられないだろう。神は、みことばのとおりになさろうとするので、お語りになるのである。

 

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「私たちの負い目をお赦しください。

2015年04月18日 17時22分49秒 | 聖書

私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました」(マタイ6:12)

人を赦せなくて、苦しんだ経験があるだろうか。
四六時中、牢獄の中にいるようだ。
その人が目の前にいてもいなくても、心はその人に縛られて、がんじがらめだ。
苦しいのは相手ではなく、まさに自分自身なのだ。
自分自身のために、人を赦すことはどうしても必要だ。
でなければ、自分自身を歪め、傷つけ、損なってしまう。
人を赦すことは、人生の主導権を自分に取り返す事だ。
なぜなら、憎む相手に、自分自身と自分の全生活を支配されてしまっている。
繰り返し、繰り返し憎む相手を思うので、更にその思いを固める事になる。
悪循環そのものだ。
その背後にサタンがいて、サタンの思うつぼであり、サタンに翻弄されてしまう。
あなたが赦す事によって、サタンを拒否し、相手があなたの人生に割り込む事を拒否する事になる。
そうしたくないだろうか。
憎しみや赦さない心からは何も生まれない。
赦すことができない事を、主にありのまま告げて、主の助けを求めよう。
赦しますとの意志を主に向けて行く事は大切だ。
赦せない自分を赦して下さっている、主の十字架に目を向けよう。
十字架から赦しが流れ出ている。
まずあなたが赦されている事を、深く受け取る時、必ず人を赦す事ができる。
赦された人が、人を赦して行く。
----------------------
人の不満ばかりが気になるのはいつも他人に自分の人生を支配されていることだ。
赦す事は自分のためだ。
自分の罪深さに目を留め、十字架を感謝し憎しみから解放されよう。

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◆二 つ の 態 度

2015年04月18日 07時15分42秒 | 聖書

神を敬わない者は
その口によって隣人を滅ぼそうとするが、
正しい者は知識によって彼らを救おうとする。(箴言一一9)

ここに、生き方の根本的態度が二つ対比されています。
第一に、隣人を滅ぼそうとする態度。
第二に、隣人を救おうとする態度。
まず隣人を滅ぼそうとする態度というと、そんな大それたことは考えたこともないと、大方の方はおっしゃるかもしれません。しかし、自分だけよければいいというあらゆる自己中心・エゴイズムの態度は、隣人を滅ぼそうとする態度ではないでしょうか。足の長いスマートな若者が足を広げてデンと座り、年寄りに席をゆずらない。あるいは受験生が、友人が病気やけがで脱落するのを見るたびに、悪いと思いながらも、これで競争相手が減ったと喜ぶ。ここにもそういう態度が見えます。
この第一の態度は、人の幸福を心から喜べません。人の悲しみにはもらい泣きをしても、人の幸せを祝福できない心の中にも、この態度をとらせる自己中心があります。最後には、家族も友人も、自分の子どもや妻までも、自分の奴隷か競争相手か敵にしたててしまいます。人生最大の不幸と孤独を生み出すものです。
しかし第二の態度・生き方は、あなたを新しくし、祝福の人生のスタートラインにつかせます。それは、けっしておせっかいな生き方ではありません。自分の弱さ・みにくさ・罪深さの極限を知りつくして、神の限りない救いと恵みの愛に信頼していきます。神の絶対的な愛のいのちを注ぎこまれて、小さな自分の心にも愛と善意があふれ、人々が助け・慰め・友情を求めに集まってくるような人になるのです。そういう人になる秘訣は、キリストのところに来ることです。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリント五17)。

 

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◆彼女は窓に赤いひもを結んだ。

2015年04月18日 07時14分45秒 | 聖書

(ヨシュア二・二一)

ラハブは斥候の約束に頼って、命を守りたいと思った。彼女にとって斥候はイスラエルの神の代理であった。彼女の信仰は単純であったが強固であり、きわめて従順であった。赤いひもを窓に結ぶのは些細なことであるが、彼女はそれをおろそかにしなかった。
私のたましいよ。ここに貴重な教訓があるのではないだろうか。おまえはすべての主の御旨に絶えず注意を払っているか。たとえご命令がそれほど重要でないと思えた場合にも。またおまえは、信者の二つの儀式、バプテスマと聖餐式を正しく守っているか。怠ることはおまえに愛がないことと不従順を示す。今後すべてのことを――たとえひもを結ぶという小さなことでも――神のご命令なら必ず慎重に成し遂げるようにせよ。
ラハブの行為はさらに厳粛な教訓を与える。私は、イエスの尊い血を絶対的に信頼していたか。私の信頼が絶対に解けないように、赤いひもを固く窓に結んだであろうか。キリストの御血を見ることなく、またすべてのものを祝福に満ちた御血の力との関係において見ることなくして、どうして私の罪の死海と望みのエルサレムを見ることができるだろうか。
窓に鮮やかな色彩のひもがあるならば、通行人はだれでもそれに目を留める。私の生涯が、贖いの効力をすべての人々にはっきりと示すなら、それはまことにすばらしい。それを恥じるべきなのか。人や悪魔が怪しんで見るとしても、無視したらよい。御血が私の誇りであり、歌である。
私のたましいよ。おまえの信仰が弱く、赤いひもを見ることができなくても、それを絶対に見落とされない神がおられる。主、すなわち報いを与えられる方が、それを見てあなたを見逃してくださるのである。
エリコの城壁は崩れ落ち、ラハブの家は城壁の上にあったが、難を免れた。私の性質は人間の城壁の内に建てられているが、人類滅亡の時にも私は安全に守られる。私のたましいよ。新たに赤いひもを窓に結べ。そして平和のうちに安息せよ。

 

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第2列王記7章16-20節

2015年04月18日 07時11分20秒 | 聖書

7:19 侍従は神の人に答えて、「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか」と言った。そこで、彼は、「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない」と言った。
7:20 そのとおりのことが彼に実現した。民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。



 先にエリシャは、「明日の今頃サマリヤの門で」食品が安く売られるようになると語りました。

ところが、それを聞いていた侍従は、アラムの軍隊に囲まれているので、そんなことはあり得るだろうかと言って信じませんでした。

ところが、エリシャは彼に、このことは実現するが、その時にはあなたはその食に預かることはできないと告げました。

そして、彼に告げられた通りのことが起こったのでした。

 イエス様による福音は、聞き慣れないことであるので、聞いても信じない人々がいます。

しかし福音は、それらの人々に「滅びる」と警告しています。

イエス様による以外に、救いはないからです。

事は実現するからです。

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エレミヤ書51章10節(テトス2章)

2015年04月18日 07時07分55秒 | 聖書

 
★主は、私たちの正義の主張を明らかにされた。来たれ。私たちはシオンで、私たちの神、主のみわざを語ろう。

■O:今日のコラム
シオンとは、礼拝者が集う所という意味があると言うことを習いました。

「シオンで私たちの神、主のみわざを語ろう。」

礼拝者が集うところでは、主のみわざが語られるのではないかと思います。

私はしょっちゅう同僚とご飯、お茶、立ち話し、散歩をして、神様が私たちにどう働いているか?を話しています。

神様はこんな語り方もするのか!と驚くこともいっぱいありますし、学ぶことは多く、とても励ましを受けます。(しょうもない話しもたくさんしてますが。)


個人の体験した証には力がある!ということをビルジョンソン師も言われていました。


私たちが体験した証を神の家族と語り合うことは、天のお父さんの心を喜ばせることの1つだと信じます。

■A:考えてみよう
何よりも、私たちが礼拝者として歩むことが出来ますように。

主のみわざを体験し、互いに天のお父さんの素晴らしさを神の家族と分かち合い、語り合うことが出来ますように!


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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4月17日(金)のつぶやき

2015年04月18日 01時42分37秒 | キリスト教

◆(あなたがたは)アベルの血よりもすぐれたことを goo.gl/ph4zeS


「彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうかじっと見ていた。 goo.gl/jaIjKh


◆イエスにお目にかかりたいのですが。 goo.gl/2D4Lm3


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