座間コミニティー

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◆川はみな海に流れ込むが、

2014年10月26日 16時13分40秒 | 聖書

海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。(伝道者一・七)

万物は流転している。時間は休むことを知らない。この堅固な地球は回転する球である。巨大な太陽自体も、より大きな発光体の周囲を従順に軌道に従って回る一つの星である。潮は海を動かし、風は大洋を波立たせ、波は岩をすり減らす。海は水の富を蓄えるけちんぼの倉庫ではない。ある力がその中に水を流れ込ませると、他の力が水を天に吸い上げるからである。人はただ死ぬために生まれてくる。すべては焦燥であり、心労であり、憂慮である。
変わることのないイエス様。あなたの相続財産――あなたの祝福の海――について考えるのはなんという喜びでしょうか。あなたの祝福の海は、永遠に満たされています。神ご自身が永遠なる喜びの流れをそこに注いでおられるからです。私たちは、空のかなたに永遠の都を望みます。そして決して失望しません。
今夜の聖句は、私たちに感謝を教える。父なる大洋は大きな受取人であられる。また寛大な分配者であられる。川がもち込んだものを、父は雲と雨の形で地に返される。取り入れるのみで返すことをしない人は、この宇宙の秩序を乱している。他の人々に与えることは、私たち自身のために種を蒔くことである。自分の資産を喜んで主のために用いる良い管理人は、さらに多くを託されるであろう。
イエスの友よ。受けた恵みに従って、あなたはお返ししているか。多くを与えられて、どのような実をあなたは結んだか。できる限りのことを、あなたはしたであろうか。そしてそれ以上できないであろうか。利己主義は悪である。大洋が海の幸を生じなかったら、人類は滅亡するほかなかったであろう。私たちが自らのために生きるという、狭い、破壊的な方針をとることを神は禁止される。イエスはご自分を喜ばせることをされなかった。主の中には、すべての満ち足れる徳が宿っている。私たちはすべて、その中から受けている。おお、イエスの御霊を得たい。今より後、私たちが自らのために生きることがないために。

 


第2サムエル記24章18-25節

2014年10月26日 16時12分51秒 | 聖書

24:25 こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげた。主が、この国の祈りに心を動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになった。



 ダビデは預言者ガドの指示によって、主の前に祭壇を築こうとしました。

そして、指示を受けたアラウナという人の所に行きました。

彼はダビデに、その場所と捧げ物を無償で差し上げると言いました。

しかしダビデは拒んで、自分の罪の贖いのためであるので、自分でその代価を払うと言って、お金を払って献げる物を買い、そして主の前に祭壇を築いて生け贄を献げました。

自分の罪の赦しと、主の前に置ける交わりの回復を求めての捧げ物でした。

こうして、彼の罪の赦しが与えられたのです。

 ダビデとて罪人です。

主の前に赦しが与えられなければ、滅ぼされてしまいます。

私たちも同じです。

罪の贖いのために献げられた、キリストの身代わりの死がなければ、罪の許しはありません。

こうしてダビデは、自らの罪人としての罪の現実と、その罪の赦しがどこにあるのかを改めて知らされたのです。



今日の聖人の記念日

2014年10月26日 08時45分11秒 | キリスト教

聖エヴァリスト教皇

在位99年-107年ごろ

 エヴァリストは、ベトレヘム生まれのギリシャ系ユダヤ人であった。キリスト信者になってローマに行き、そこでクレメンス教皇の後を継いで、第5代の教皇となった。

 エヴァリストは初代教会の組織作りに貢献し、ローマを小教区に分け、7人の助祭を任命し仕事を分担させた。

 彼の遺体は、バチカンの聖ペトロの墓の近くに埋葬されている。


◆愚かな者ナンバーワン

2014年10月26日 08時43分55秒 | 聖書

自分を知恵のある者と思っている人を
見ただろう。
彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。(箴言二六12)

この一週間は、ずっと「愚かな者」についての箴言を読んできました。人をのろう愚かな者・人のことばを聞かない愚かな者・売りことばに買いことばの愚かな者・口先で語る愚かな者・人の誉れを受けていい気になる愚かな者がいました。さてきょうは、愚かな者中の愚かな者。愚かな者ナンバーワンが出てきます。それは、「自分を知恵のある者と思っている人」だというのです。
イエス・キリストは、ヨハネの黙示録の中でこう言われました。「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない」(黙示録三17)。パウロはコリントの人々に、「立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい」(Ⅰコリント一〇12)と、警告しました。
小さな子どもさんたちをかかえ、ご主人の浮気と借金に、いうにいわれない苦労をしている方があります。でもその方は、そんな苦しさの中から神を見いだし、ご主人に仕えきり、ほんとうにしっかりと生きている若い婦人です。この家庭にも、祝福がふりそそがれるようになりました。
そして、手紙でこう書いてこられました。「奥さま、そして先生。私が救われ、神さまから助けられ強めていただくためには、私は罪人でありさえすればいいのですね。」私も妻も、美しいことばだと言い合いました。
神の救いや助けや励ましを必要としない自己満足の者こそ、愚かな者ナンバーワンだといわれています。

 


◆あなたがたは多くを期待したが、見よ、

2014年10月26日 08時43分04秒 | 聖書

わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。――万軍の主の御告げ。――それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。(ハガイ一・九)

けちな人は、内外の伝道のために献金することを惜しみ、それを倹約だと言う。彼らはそのために自らを貧しくしているとは夢にも考えない。彼らは口実を設けて、家族を見なければならないのだと言う。しかし神の家をなおざりにすることは、必ず彼らの家に破滅をもたらすことを忘れている。
神は摂理によって私たちの努力を成功させることも、失敗させて茫然とさせることもなさる。神が手をひるがえされることにより、私たちの舟は良い水路に進むことにも、貧困と破産の暗礁に乗り上げることにもなる。主は心の広い者を富ませ、利己的な者に対して、出し惜しみが貧乏への道であることを知らされる。
私は非常に広い範囲を観察した結果、最も物惜しみしない人は常に幸福で、ほとんど例外なく繁栄していることを発見した。気前よく与える人が思いがけぬ富を受け、心の狭い卑しい金の亡者が、極端な節約によってお金を蓄えようとして、かえって貧しくなっていくのをしばしば見た。この世の人は良い管理者に多額のお金をゆだねる。主もまた多くの場合そうされる。俵で与える者に対しては車いっぱいのもので報いられる。たとえ多くをささげることができないとしても、惜しまずに主にささげたならば、主はその人に喜びを与えることによりささげたものを倍にしてくださる。
利己主義者はまず自分の家を見るが、敬虔な者は第一に神の国と神の義を求める。しかし終局においては、利己主義者は損失をこうむり、敬虔な者は大きな利益を受ける。神のために惜しみなくささげるには、信仰が必要である。しかし神にはこのようなささげ物を私たちに求める権利が十分にある。私たちになし得ることは、私たちがいつくしみ深い神から測り知れない恩を受けていることを、謙虚に承認することだけである。

 


第2サムエル記23章1-7節

2014年10月26日 08時41分23秒 | 聖書

23:3 「イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、
23:4 太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。』」



 ダビデの口を通して、主が語られた言葉が告げられています。

そこでは、治める人のことが語られています。

教会でも、治める働きについている人々がいます。

牧師や長老と言われたりする人のことです。

時に、役員と言われる人々のことです。

その人々が義を持って治めれば、幸いであるというのです。

義を持って治めるというのは、神様の御心を求めて人を治めることです。

そうした人は、神様に喜ばれるというのです。

また、主を恐れて治める人は幸いであると語っています。

人ではなくて主を恐れ敬って、その主のみことばと御心に従って、人を治めていこうとする人は祝福されるというのです。

自分があがめられるためではない、自分の意見や考えを通す為ではない。

それぞれが皆、神の僕として主の御心をみことばを通して探り求めて、そこに立って民を治め導いていくならば、主の喜ばれる教会になるというのです。


ヨハネの福音書7章37-38節(詩篇71篇)

2014年10月26日 08時38分18秒 | 聖書

★さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

■O:今日のコラム
イエス様は多くの素晴らしい御業を行い、神の生ける言葉を語ったのにも関わらず、迫害されました。

終わりの時代、私たちもイエス様がキリストであることを人々に証しするがゆえに迫害されることがあります。

今回の箇所で、イエス様はまたエルサレムに上りました。
そこでイエス様は神様の言葉を大胆に語っています。

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(37-38節)

イエス様の言葉には本当に力があります。
イエス様を信じると御霊がその人の心の中に満ち溢れると大声で言われました。その言葉を聞いて信じる者も多くいました。

イエス様はわずか3年半の公生涯でしたが、
イエス様の行動、発言、全てが全世界に影響を与えて来ました。

私たちの中に住んでいる聖霊様は大胆に神の言葉を語らせて下さいます。聖霊の力によって私たちを通して人々に影響を与えていくことになります。

御言葉を人々に伝え宣言していきましょう。
なぜなら、神の言葉は人々に命を与える力があるからです。

伝道すればするほど迫害が大きくなるのも事実です。
しかし、それは人々にイエス様の影響を与えている証拠です。
迫害が起きるのは神の国の拡大を阻止する力が働く為です。

私たちの口を通して御言葉が宣言され、神の国が拡がります。
迫害に耐える力もイエス様が与えて下さいます。

イエス様の十字架を背負うならば、あらゆる困難を通過することになるでしょう。
それにもまして救われる一人の魂の大きさは何にも変えられません。救われる魂のゆえに天で最上の喜びが溢れることになります。

世界には命がけで福音を伝えている兄弟姉妹がたくさんいます。
一人ではありません。信仰の仲間がいます。
迫害の中でもそれに耐える力を聖霊様が与えてくれるのです。

イエス様の十字架の恵みは日本人に降り注いでいます。
多くの日本人がイエス様の救いを待ち望んでいるのです。

神様は終わりの時代、今まで見た事のない程の大収穫を用意しておられます。私たちは今から大収穫に向けて準備して行く必要があります。

その為には祈りが重要です。
絶えずあらゆる場所で祈り続けましょう。
祈りによって天の窓が開き、天の祝福が日本に降り注ぐことになります。祈りによって敵の要塞を打ち砕くことになります。

今日の一日も皆さんを通してイエス様の祝福が
周りの人々に及んで行く事をお祈りします。


■A:考えてみよう
私たちが遣わされている場所、そこにいる人々をイエスの御名で祝福しましょう。


■P:祈り
主よ、我々に大胆に福音を語る力を与えて下さい。
聖霊の力によってしるしと不思議を行う力を与えてください。
イエス様のお名前によってお祈りします。  アーメン


10月25日(土)のつぶやき

2014年10月26日 01時38分11秒 | キリスト教