座間コミニティー

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民数記10章18-20節

2012年08月29日 12時24分05秒 | 聖書

10:18 ルベンの宿営の旗が、その軍団ごとに出発。軍団長はシェデウルの子エリツル。
10:19 シメオン部族の軍団長はツリシャダイの子シェルミエル。
10:20 ガド部族の軍団長はデウエルの子エルヤサフ。


旅立ちは、無秩序になされたのではありません。

秩序の下になされました。

初めは、ユダ族の旗が立ちました。

そして、軍団長の下に、ユダ族が従いました。

次に進みましたのは、イッサカル族でした。

こうして、今日の箇所に記されているルベン族、また、シメオン族そしてガド族が進みました。

順序が示され、その順序に従って進んでいったのです。

神様は無秩序な方ではないと言われています。

そして、秩序があるということは、物事がちゃんと進行するということでもあります。

礼拝にも順序があり、また秩序があります。

これを壊して勝手なことをしたら、心を1つにして主を礼拝するというあり方が失われてしまいます。

 神様が進軍の順序について指示を与え、秩序を持って事を運ばせたということは、主の前で、秩序は大事なことなのだと教えてくれているのです。


民数記10章11-17節

2012年08月29日 12時21分08秒 | 聖書

10:11 第二年目の第二月の二十日に、雲があかしの幕屋の上から離れて上った。

10:12 それでイスラエル人はシナイの荒野を出て旅立ったが、雲はパランの荒野でとどまった。


エジプトを出て2年目の第2の月の20日、民がシナイの荒れ野に滞在している時に、雲があかしの幕屋の上から離れました。

 このシナイ山の麓に滞在している時には、民はモ-セを通して戒めを与えられました。

それは、十戒に代表される道徳律法や、犠牲のことに関わる祭儀律法、生活に関わる司法律法などでした。

こうした戒めが与えられて、民が神の民としての歩み方を示された後、いよいよ出発とされたのです。

 その出発のことは、幕屋を覆っていた雲が幕屋の上から離れていくことによって、神から示されました。

幕屋を覆っている雲が幕屋を離れると、彼らは旅立ちの準備をして、旅立ちました。

今が、その時であったのです。

 私たちも主を信じて洗礼を受けてから、主の民としての歩みを始めますが、それと同じようです。


◆借金人生のいましめ

2012年08月29日 12時15分54秒 | 聖書

富む者は貧しい者を支配する。
借りる者は貸す者のしもべとなる。  (箴言二二7)

人生の成功者とは、このような人だと定義した人がありました。
・ 金を支配できる人。金に使われず、金を支配できる。
・ 人を支配できる人。人の奴隷とならず、人を指導できる。
・ 自分を支配できる人。自分のきたない、みにくい欲望にふりまわされないで、自分をコントロールできる。
確かに、うなずける一つ一つだと思います。
借金の経験のある人は多いと思います。借金を返す当てのない人が借金すると、借金の奴隷となり、破たんを招く例も、非常に多いと思います。高利貸しから百万円を借りて競馬でもうけようとしたが大損し、ついに、親や兄弟の身代まですってしまった人のことを聞きました。
自分のできること以上に借りてやっていこうとするのは、しょせん無理ではないでしょうか。自分自身の心の中に、エネルギーというか、わきあがる力を持たない者が、他人のものをたよりにして生きる人生は、借金で身を破滅に追いこむ生き方に似ています。
イエス・キリストは、「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。……わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」(ヨハネ四13―14)と言われました。ヤコブも、こう語りました。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます」(ヤコブ一5)。
神から与えられたいのちの水を飲んで、それに従って生きる時、ほんとうの人生の成功者となるのではないでしょうか。

 


◆神よ。御恵みによって、私に情けをかけ……。

2012年08月29日 12時14分20秒 | 聖書

(詩篇五一・一)

ケアリ博士が重病の床にあった時、「もしこの病が致命的なものならば、あなたの葬式の時の説教にはどの箇所を読みましょう」という質問がなされた。博士は、「私のような罪深い者は、話してもらう値打ちもありませんが、どうしても葬式の説教をしなければならないのでしたら、『神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください』の所をお願いします」と答えた。さらに博士は、これと同じ謙遜な心をもって、自分の墓石に次のように書くように遺言し、これ以外のことは記してはならないと言った。
 ウィリアム・ケアリ
 一七六一年八月十七日 生
 ………………………… 没
「みじめにして貧しく、力のない虫のような私
は、あなたの優しい御手によって眠る。」
最も経験の深い、最も尊敬に値する聖徒は、ただ無代価の恵みという足場によってのみ神に近づく。人間の中で最高の部類に属する人たちは、自分たちが単なる人間にすぎないことを知っている。積荷のない船は、水上に高く浮き上がるが、多くの荷を積んだ船は、水中に船体を沈めている。口先のみの信者は大言壮語するが、真の神の子は自分がふつつかなしもべであることを認め、神の恵みを求めて叫ぶ。
私たち自身の良き働き、祈り、説教、施し、そして最も神聖な物事の上にも主のあわれみを求めなければならない。血はイスラエル人の家の入口の柱だけではなく、聖所にも、恵みの御座にも、祭壇にも注がれていた。罪は私たちの最も神聖視するものの中にも侵入するからである。そこにも汚れをきよめるためにイエスの血潮を必要とするのである。もし私たちの義務にも恵みを求めなければならないとしたら、まして罪に対してはどれほどであろう。
尽きることのないあわれみが、私たちを祝福し、信仰の後退を回復させ、私たちの砕かれた骨を喜ばせようとして待機しているとは、なんと快いことだろう。

 


●労基法上の休憩規定●

2012年08月29日 12時11分49秒 | 労働法

 労基法で規定されている休憩時間は、労働時間が6時間を超えた場合に45分以上、8時間を超えた場合に1時間以上、となっています。つまり労働時間が6時間の場合には労基法上休憩時間はいらないことになります。
 労働時間が8時間を超えた場合ですが、それ以上の労働時間については1時間の休憩を与えるだけで足りることになります。
 休憩時間は、労働時間の途中に与えることとされていますが、時間の具体的な指定はありません。ですからお昼に休みを与えなくても違法となるものではありません。
 休憩は職場で一斉に与えなければならないという「一斉付与」の原則があります。しかしこれには例外があって、労使協定による場合と、サービス業などの業種による例外があります。所定の業種に該当しない場合には、労使協定によらなければ、一斉休憩の原則の例外扱いにはなりません。
 特に重要なのは「自由利用の原則」です。休憩時間中は労働から100%解放されている必要があり、それが確保されないときには、休憩とはみなされません。ただし自由利用が原則とはいっても、休憩終了後に業務に支障が出るような休憩時間の活用に対しては、会社はそれに制限を加えることができます。
 例えば社外への外出ですが、許可制も容認されています。つまり職場内で自由に休憩ができる状態であれば構わないとしています。