インターネット上では,ビラ撒き問題について,積極的にビラ撒きが権利であることを認めようとする見解が必ずしも多くはなかった。このことは,日本では,そもそも,マスメディアの発展に伴って発言力が圧倒的に低下した個人の表現の自由をいかにして実現するかが問われてこなかったことと無関係ではないように思う。
ある事件の準備書面を用意するために資料を探していたら,石村善治教授が平成4年の著作の中で,情報のマスメディアからの一方的な流れに関して,次のような指摘をしているのを見つけた(言論法研究Ⅰ・信山社・304頁)。
■■引用開始■■
マクブライド委員会の報告書は,そのような一方的な流れは,コミュニケーションの民主化の障壁であると言い,これを打破する1つの方法として,「代替的コミュニケーションの経路の開発」をあげている点である。やや耳慣れない言葉であるが,この報告書のいう「代替的コミュニケーション」というのは,制度化された公認のコミュニケーションに対してそれに反対するためのさまざまの伝達手段,たとえば伝統的には,ビラ,パンフレット,ポスター,新聞,ニュース・シート,会合,お祭りから,8ミリ映画,ビデオ,漫画,さらに技術が進めば「海賊」ラジオ局等を含めて,さまざまなものを挙げている。ここにあげられているもの,特に「伝統的方法」こそは,「制度化された公認のコミュニケーションに対する反対」というようりは,むしろ,「情報化社会における技術的コミュニケーション」に対して「原初的コミュニヶーション」「原点」としてのコミュニケーションの方法である。ビラ貼り,パンフレット,演説,集会,集団行進,これらの「原初的コミュニヶーション」の権利こそは,技術的コミュニケーションをわれわれ市民のためにする活力となるものではないだろうか。この原初的表現の権利なしには技術的コミュニケーションは,「民主化の障壁」となり,「操作」の手段に転化する可能性をますます増大させるといわなければなるまい。
■■引用終了■■
原初的コミュニヶーションであるビラ撒きを鬱陶しいなどと忌み嫌うことは,インターネットという技術的コミュニケーションを権力による「操作」の手段に転化されてしまうことにつながるということだ。
至言である。
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE,分野別で読むにはCATEGORYからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで
ある事件の準備書面を用意するために資料を探していたら,石村善治教授が平成4年の著作の中で,情報のマスメディアからの一方的な流れに関して,次のような指摘をしているのを見つけた(言論法研究Ⅰ・信山社・304頁)。
■■引用開始■■
マクブライド委員会の報告書は,そのような一方的な流れは,コミュニケーションの民主化の障壁であると言い,これを打破する1つの方法として,「代替的コミュニケーションの経路の開発」をあげている点である。やや耳慣れない言葉であるが,この報告書のいう「代替的コミュニケーション」というのは,制度化された公認のコミュニケーションに対してそれに反対するためのさまざまの伝達手段,たとえば伝統的には,ビラ,パンフレット,ポスター,新聞,ニュース・シート,会合,お祭りから,8ミリ映画,ビデオ,漫画,さらに技術が進めば「海賊」ラジオ局等を含めて,さまざまなものを挙げている。ここにあげられているもの,特に「伝統的方法」こそは,「制度化された公認のコミュニケーションに対する反対」というようりは,むしろ,「情報化社会における技術的コミュニケーション」に対して「原初的コミュニヶーション」「原点」としてのコミュニケーションの方法である。ビラ貼り,パンフレット,演説,集会,集団行進,これらの「原初的コミュニヶーション」の権利こそは,技術的コミュニケーションをわれわれ市民のためにする活力となるものではないだろうか。この原初的表現の権利なしには技術的コミュニケーションは,「民主化の障壁」となり,「操作」の手段に転化する可能性をますます増大させるといわなければなるまい。
■■引用終了■■
原初的コミュニヶーションであるビラ撒きを鬱陶しいなどと忌み嫌うことは,インターネットという技術的コミュニケーションを権力による「操作」の手段に転化されてしまうことにつながるということだ。
至言である。
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE,分野別で読むにはCATEGORYからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで