柳沢厚生労働相が女性を「子供を産む機械」に例えた問題で、野党3党は結束し、柳沢氏が辞任するまで、国会審議に応じない方針を固めたという(読売)。あまりに不用意な発言だが、安倍は柳沢の首を切ろうとはしない。やはり、安倍は差別する側でのみ生活してきたら、差別される側のことは分からないのだろう。それだけではない。安倍には女性に対する偏見がある。
一度ここ(←クリック)で書いたが、安倍首相が事務局長を務めていた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が編集した「歴史教科書への疑問」(展転社)という本の中で、安倍は、石原信雄前内閣官房副長官に対して、慰安婦が長年自分たちの辛い経験を公表できなかったことに疑問を呈し、次のような発言をしている。
【もしそれが儒教的な中で50年間黙っていざるを得なかったという、本当にそういう社会なのかどうかと。実態は韓国にはキーセン・ハウスがあって、そういうことをたくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。ですから、それはとんでもない行為ではなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんですけれども、そのへんについて、石原さんは疑問に感じられなかったかどうかということをお伺いしたいと思います】
安倍自身がこういう発言をしているだけに、柳沢のことも確信犯的にかばっているのかもという気になってくる…。
ところで、読売2月2日付社説はひどい。責任をとらない柳沢のことを批判するのではなく、野党の責任追及姿勢を批判している…。【自分の要求を通すために審議を拒絶する。これは万年野党と称された旧社会党の手法だ。2大政党の一方にあって政権をめざす民主党は、こんな悪弊を今こそ絶つべきだ】、こういう批判の仕方こそ、「悪弊」だ。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。なお、安倍辞任までの間、字数が許す限り、タイトルに安倍辞任要求を盛り込むようにしています(ここ←参照下さい)。
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【もしそれが儒教的な中で50年間黙っていざるを得なかったという、本当にそういう社会なのかどうかと。実態は韓国にはキーセン・ハウスがあって、そういうことをたくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。ですから、それはとんでもない行為ではなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんですけれども、そのへんについて、石原さんは疑問に感じられなかったかどうかということをお伺いしたいと思います】
安倍自身がこういう発言をしているだけに、柳沢のことも確信犯的にかばっているのかもという気になってくる…。
ところで、読売2月2日付社説はひどい。責任をとらない柳沢のことを批判するのではなく、野党の責任追及姿勢を批判している…。【自分の要求を通すために審議を拒絶する。これは万年野党と称された旧社会党の手法だ。2大政党の一方にあって政権をめざす民主党は、こんな悪弊を今こそ絶つべきだ】、こういう批判の仕方こそ、「悪弊」だ。
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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いわく、「10人やそこら拉致されたくらいで騒ぐのはフェアじゃない」(辻元)
「金日成は、凄いやつだと思った」(田)
「尊敬する金日成主席同志」(土井)
「警察官は、犯人から撃たれても仕事ですしぃ~」(福島)
……どれ一つをとっても、「機械」発言より遥かに酷いものばかり。社民党には、人権感覚が皆無だと断言して差し支えないでしょう。しかし、社民に辞職要求が巻き起こらないのは、まずはマスコミが「見て見ぬ振り」という応援をやっていること、それから既に国民の支持が完全に離れてしまって、何をやろうが無関心だからです。
野党ってのは、楽な立場だな。批判されるのも、与党という立場ゆえの必要経費でしょうか。
村山談話。普通の国で、こんなことやったら、政治生命は完全に断たれる。だから、諸外国の政治家は、戦争の謝罪なんかしない。
それから、「ざーまみろっ!」の原陽子
昔なら誤魔化せた野党の妄言も、ネットの普及のお陰で、満天下に晒し者の刑にできるようになった。
それぞれ引用されたコメントについて,そもそも本当にそのようなコメントがなされたのか,なされたとしていつ頃のものでどのような文脈でなされたものか,あなたは知っていっているのですか?それとも2チャンネル情報ですか?
研究家ねぇ…。
ブログでも立ち上げて特定してくれないと,あなたが小学生かも知れないので,むなしい(内閣総理大臣を公務員だと思っていなかった)というコメントにはノーレスですし…。
http://www.tamanegiya.com/syaminn.html
2ちゃんねるを笑うのはご自由ですし、上記を信じるか否かも、お任せします。
総理は公務員ですよ。でも、それがどうしました?
総理は公務員でありながら、日本国民であることを止めないので、基本的人権の一貫としての信教の自由、思想良心の自由を有するのです。
一方、教師も日本国民であると同時に、公務員です。良心の自由を有します。しかし、その教育と言う職務(公務)の執行に当っては、法令と上級官庁の職務命令に拘束されます。自由業者ではないのです。その職務命令が、一見して重大明白な瑕疵がない限り、服従する義務があります。公務員に、職務命令に服従する義務がないというなら、話は別ですが、共謀罪が違憲だと考える警察官や検察官も、個人の良心の自由を発揮して、逮捕状の執行を拒否する権利はないのと同じです。
そんなに国歌斉唱が嫌なら、行政訴訟でも何でも起こして、職務命令に重大明白な瑕疵があることを最高裁判例上で確定すれば良いでしょう。
さて、あなたのいう職務命令の究極的なものが憲法であるわけです。憲法は、請求分離を要請しています。公務員たる総理大臣は、憲法という職務命令に従う義務があるわけです。
相変わらず、大変ですね。
このような手合いとお相手されている情況は、ただただ尊敬申し上げます。
2:公務員は国民全体の奉仕者であり、時の政府権力の奉仕者ではありません。何故でしょうか。時の政府権力の奉仕者として「職務命令」を絶対化した結果、時の政府権力は国民全体をどこに導きましたか。公務員の全体の奉仕者性とは、法律、政省令の命令に従うことではありません。まさに、日本国民は、そうした経験を反省し、民主憲法を制定したのです。すなわち、公務員の国民全体への奉仕者性の根拠は、行政上は国民世論、司法上は憲法が必要なのです。ゆえに、職務命令であったとしても、世論は絶えず流動しているから、その時々の世論を基準に公務員行政は執行されねばなりません。世論、すなわち、国民全体の要求に従った結果、行政権力が個人の自由を侵害した場合において、司法上の違憲法令審査制度が存置されております。
3:絶えず流動するその時々の世論、社会情勢、国民要求を公務員の職務命令の根拠とせず、機械的に法律、政省令を根拠とし、機械的な「職務命令」により公務員を従わせる行為者が「文句がなるなら、裁判せよ」などと発言することは、到底、民主主義とは言えず、極めて高圧的・威圧的・権力的な態度であり、国民世論、要求を代表し、国民全体の奉仕者たらんとする公務員をいたずらに挑発する意義があります。正に、国民世論に直接に立脚する公務員行政か、機械的に法律、政省令を絶対化する公務員行政か、が問題です。
4:人類社会から戦争はなくならないとお考えですか。そうであるなら、それは何故ですか。また、正しい戦争があるとして、それはどのような戦争なのですか?勝てば正しいということでしょうか。それとも、負けても正しい戦争があるのでしょうか。日本国は15年戦争に敗北しましたが、敗北したが正しい戦争だったといえますか。戦争の正当性と不当性の判断基準は何ですか?勝負ですか?もしくは、そもそも戦争自体が合法なのですか。すなわち、人類は戦争する存在なのですか?どうでしょう?人権思想を肯定するならば、戦争とは国家権力の1部である軍事力の発動を手段に他国の主権を侵害する行為であるから、諸個人が国家権力を自由に人間化していけば、国家権力自体が不要となり戦争もなくなるという結論になります。
5:人権思想とは諸個人がすべての権力からの自由を実現し、なおもって、自覚的な社会規範により国家・自治体等を運営していく社会的存在だと認めているからです。人権思想は人間を権力で従わせねば自由な社会生活を営めない受動的で個人的身勝手な存在だとは認めていません。
反論が理論として十全を満たせない自称国際法学者さんはよほど国際法学会の権威を失墜させたいようですが、こんな人は学会にはおりません。だって、学会員だって名乗るはずもないですし、名乗ることは学会のみだけですから・・一般的には(ちなみに、自分は違う学会の人間ですけどね・・創価学会ではございません)
さて、実は謝罪談話というのは実際数多くあります。謝罪という概念が感性的なので自称さんには理解してもらえませんが、ドイツのコール首相などは過去のナスチ政策の謝罪、エリツィンは過去のスターリン時代の民族弾圧に関する謝罪を行っています。
最近のいい事例では
2005年の5月の国連での発言ですがドイツのプロイガー国連大使「われわれはあらゆる道義上の責任を負っており、ドイツの名において、ドイツ人が他の諸国民に押し付けた苦難への許しを請う」とのべ、改めてナチス・ドイツによる蛮行への謝罪を表明しました。
他に山ほどありますがあなたはこれらを知らないのでしょうか?無知蒙昧とはあなたに合致しそうな言葉ですが・・・まぁこれらは謝罪ではない、という自分の解釈で終了させるとは思いますが・・・
ちなみに、これらの発言は包括的に戦争責任について述べたものである、という解釈は留保されます。そもそも、原文から解釈するに統治行動そのものの非道を認めたわけですが、戦争そのものを否定したというのは、言質にありません。ただし、戦争行動による付帯事項である植民地経営というのが理屈になるでしょう。完全に峻別するのは無理でしょう。まぁ、ドイツからすれば、ニュルンベルクで戦争は総括した立場ですからいかようにでも繕えるという解釈もありますが・・・
http://www.usfl.com/Daily/News/06/01/0127_010.asp?id=46912
ちなみに、私の知る限りでは戦争謝罪した外国人政治家は12人います。コール、エリツィン、ゴルバチョフなど(国連大使レベルはカウントせずにいわゆる国家元首でも12人はいます)
上記のような戦争謝罪ではなく統治に関することへの謝罪解釈になるようなグレーなものは含めません。
ちなみに、こんなレベルの国際法学者は私の知る限りはいません・・右翼、左翼とか、そういう問題抜きにして、騙されないようにしてください。
ヤメ氏へ
こういう変な国際法解釈が実際あるとは思わないでください。不明瞭かつ不確定な国際法ですが、独善たる法解釈が通用するような暴虐な世界ではありません。
自分は国際法のプロではありませんが、この方は言動が簡単に覆る事例は反証事例は知ってますので、暇ありましたら応対させてもらいます・・・ある意味、楽しいので・・
(本記事に合致しない場外乱闘は控えるよう留意しますので、お許し下さい)
日本のように、戦争犯罪について謝罪した例ではありませんね。
そもそも、ドイツとユダヤの関係は、日本と中国や日本と韓国の関係と全然違うんだから、同列に置くのが無理。エリツィンについても然り。
文明的国際社会の法理を理解しない韓国や北朝鮮は、日本に植民地統治の謝罪を要求するが、英国やフランスが、インドやベトナムに謝罪したか?したわけねえよな。