朝日新聞によると、【東京都日野市立小学校の99年の入学式で「君が代」のピアノ伴奏をしなかったとして戒告処分を受けた女性音楽教諭が、都教育委員会を相手に処分取り消しを求めた訴訟の上告審判決が27日、あった。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「伴奏を命じた校長の職務命令は、思想・良心の自由を保障する憲法19条に反しない」との初判断を示し、教諭の上告を棄却した】という。
やっぱり納得できないなぁ…。なぜ、卒業式で君が代を斉唱しないといけないのか?少なくとも生徒に卒業式で歌いたい歌は何かってアンケートをとると、違う歌が選ばれるだろう。親はどうか?これもまた違うだろう。教師?いいや、教師も違う歌だろう。
卒業式で君が代を歌うことを強制することで得をしているのはだれだろうか?そう考えると、卒業式で君が代を斉唱を強制すること自体の問題性に気づかざるを得ない。
【第三小法廷は、伴奏命令は(1)「君が代が過去の日本のアジア侵略と結びついている」とする教諭の歴史観・世界観自体を否定しない(2)特定の思想を持つことを強制・禁止したり特定の思想の有無の告白を強要したりするものではないと述べた。命令当時、君が代斉唱が広く行われていた▽憲法は公務員は全体の奉仕者と定めており、地方公務員は法令や職務命令に従わなければならない立場にある、とも指摘した】(上記朝日)というが、法令や職務命令自体に問題がある場合、最後の砦が裁判所であるはずだ。
わずか1人だが、【藤田裁判官は「君が代斉唱の強制自体に強く反対する信念を抱く者に、公的儀式での斉唱への協力を強制することが、当人の信念そのものへの直接的抑圧となることは明白だ」として、審理を高裁に差し戻すべきだと述べた】という。多数意見とどちらが説得力があるかは明白ではないだろうか。
卒業式には歌いたい歌を!
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。なお、安倍辞任までの間、字数が許す限り、タイトルに安倍辞任要求を盛り込むようにしています(ここ←参照下さい)。
やっぱり納得できないなぁ…。なぜ、卒業式で君が代を斉唱しないといけないのか?少なくとも生徒に卒業式で歌いたい歌は何かってアンケートをとると、違う歌が選ばれるだろう。親はどうか?これもまた違うだろう。教師?いいや、教師も違う歌だろう。
卒業式で君が代を歌うことを強制することで得をしているのはだれだろうか?そう考えると、卒業式で君が代を斉唱を強制すること自体の問題性に気づかざるを得ない。
【第三小法廷は、伴奏命令は(1)「君が代が過去の日本のアジア侵略と結びついている」とする教諭の歴史観・世界観自体を否定しない(2)特定の思想を持つことを強制・禁止したり特定の思想の有無の告白を強要したりするものではないと述べた。命令当時、君が代斉唱が広く行われていた▽憲法は公務員は全体の奉仕者と定めており、地方公務員は法令や職務命令に従わなければならない立場にある、とも指摘した】(上記朝日)というが、法令や職務命令自体に問題がある場合、最後の砦が裁判所であるはずだ。
わずか1人だが、【藤田裁判官は「君が代斉唱の強制自体に強く反対する信念を抱く者に、公的儀式での斉唱への協力を強制することが、当人の信念そのものへの直接的抑圧となることは明白だ」として、審理を高裁に差し戻すべきだと述べた】という。多数意見とどちらが説得力があるかは明白ではないだろうか。
卒業式には歌いたい歌を!
★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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藤田裁判官も言っていることは正しいと思いますけど、これ訴因からきていて仕様がないのかもしれませんが、そもそもの問題に答えていないんですね。
こういうことに正しい決着をつけられる人がこの国にいないということが唯々、悲しいと思うのです。
公権力の行使に従事する教師は、権力者です。権力者は、生徒や父兄の思想良心の自由を尊重しましょう。自分勝手な歴史観や偏向した国歌観を、子供に押し付けてはいけません。職務命令を拒否することそれ自体が、子供や父兄に対する自分勝手な歴史観の押し付けです。
【権力者は、生徒や父兄の思想良心の自由を尊重しましょう。】…だからこそ、歌いたくない人の自由を尊重するべきでしょう。
そもそも、歌いたくない人に歌わせることと歌いたい人に歌わせないこととどちらが苦痛でしょうか?歌いたい人は別の機会に歌えますが、歌いたくない人はいつでも歌いたくないのです…。
よく分からないのですが、どうして学校行事に国歌がしゃしゃり出てこないといけないんでしょうか?
なぜか判決を支持する奴隷的精神の持ち主さん達は「学校行事を妨害するものだから良くない」と言います。私はこういう意見に返します。
「じゃああなたは犬の糞に敬礼を命令されても従うのか?」
権力への追従意識からか、無知からかは分かりませんが、そんなことが幼稚園児にふさわしいかどうかも分からない園長たちは、ちょっと勉強が足りないと思います。
次に、始業式、卒業式で国歌斉唱、国旗掲揚をしなければ各学校の教育上の効果はなくなるのでしょうか?学校の式典とは、現場の子供、保護者、教職員が協力して、新しい入学生をお迎えし、去っていく卒業生には名残を惜しみ、温かく送り出していくことにその社会教育上の主眼があるのではないでしょうか?
公立と市立の格差を、財政を口実に、御馴染みの「下方へ修正」で統一化。
非正規雇用はココまで進んでて、抱き合わせで「国歌」も!なんですねぇ。