情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

ヘーゲルが克服した復讐の法に立ち返ることは、正義に反する~裁判官はそれほど愚かではない!

2007-06-06 01:29:15 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 いま、山口県の母子殺人事件のこともあり、被害者の刑事手続き参加は、当然必要なことのように報道されている。しかし、被害者の刑事手続き参加は、実はあまりに、裁判官を馬鹿にしたシステムではないだろうか。最高裁は、このシステムについていかなる立場をとっているのだろうか…。一度この問題には、ここで、触れたが、別の角度から、再度、取り上げたい。

 そもそも、被害者が手続に参加することに意義を見出すのは、参加することによって、刑が重くなると考えるからだろう。しかし、これって、裁判官を馬鹿にした話だと思う。
 というのも、被害者が参加して被害感情を訴えたときの方が、被害者が裁判所に来ない時よりも重く罰するとするのは、例えば、被害者が裁判所に来ることができないの理由として、加害者をいまだ恐れている場合や精神的に一歩も外に出ることが出来ない状態である場合を想定すると明らかに不合理だからだ。

 ヘーゲルは言う。

「犯罪にたいする復讐の法(権利)は、不正義だとはいえないが、現実の法的行為としておこなわれるとすれば、正しくはない。権利を侵害された当事者にかわって、裁判所という独自の現実的空間をもつ共同体が、当事者への侵害を法律への侵害ととらえて登場し、犯罪の追及と処罰を引きうける。そのとき、追及と処罰は、主観的で気まぐれの報復とは別種の、法(正義)の真の復元たる刑罰に転化する。客観的に見れば、それは、犯罪の克服によっておのれを再建し、みずからの有効性を実証した、法律の復元であり、犯罪者の主観に即していえば、犯罪者が法律の存在を自覚し、それが自分のためにあり、自分を保護してくれるものとしてあることを確認する、という形での法律の復元である。犯罪者は法律の裁きを受けるなかで、それこそが正義の実現であり、法律は犯罪者たる自分のなすべきことをなしているだけだ、と認識するのである」(法哲学講義)

 被害者参加に賛成している法律家は、このヘーゲルの言葉を一度噛みしめてほしい。










★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
※このブログのトップページへはここ←をクリックして下さい。過去記事はENTRY ARCHIVE・過去の記事,分野別で読むにはCATEGORY・カテゴリからそれぞれ選択して下さい。
また,このブログの趣旨の紹介及びTB&コメントの際のお願いはこちら(←クリック)まで。転載、引用大歓迎です。なお、安倍辞任までの間、字数が許す限り、タイトルに安倍辞任要求を盛り込むようにしています(ここ←参照下さい)。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
法の限界を知るべき (taka)
2007-06-26 16:47:02
ヘーゲルもその言葉を引用している貴方も
法の限界を知るべきでしょう。

そもそも「法」=「正義」との概念は
犯罪者(即ち加害者)側と法律家や司法から見た
正義であって、
必ずしも被害者側から見た正義ではない。
特に被害者感情が軽視されがちな
我が国ではその傾向が高まるだろう。

また、片や犯罪者は犯罪を自らの主観と気まぐれにより他人の人権を蹂躙し犯行を行う。
一方で、法は犯罪者の人権をも擁護し
裁きを与える。
この不公平感はどう取り繕うと否めないだろう。


それと、被害者の刑事手続き参加を
「裁判官を馬鹿にしたシステム」と呼んでいるが
裁判官の程度によって、判決内容が変わる
今の裁判官制度の方が国民を馬鹿にしすぎていると
私は思う。
裁判官自体が真に公正公平中立であり、万能であるなら、そのようなシステムもいらないのだろうが、
そうでない以上、裁判官を補う意味でも
被害者参加や国民の裁判員制度等も必要不可欠に
なってきているのだという現実をちゃんと直視
したほうがよい。
返信する
Unknown ()
2008-05-05 02:48:11
>結局、死刑は、問題の解決にはならない。
>どうすれば、同じような目に遭う人がいなくなるようにできるかを考えること、

なんだコレ!?
完全に脳死状態な方だ。

集団リンチ?
被害者遺族が一部の特殊な考えをもった方々に多くの誹謗中傷をうけたことは大問題だ。

しかし、人を殺した者を多くの人が批判するのは当たり前のことだ。
リンチでもなんでもない。
人を殺してはならないからだ
それを否定するなら人を殺してもいいじゃないかと言っているのと同じ。


死刑が問題解決ならない?
当たり前
問題解決ができない犯罪を犯したからだ
それが全く理解されていない

同じような目に遭う人がいなくなること?
これが問題解決なのか?
ほかの人が殺されなければ殺されても問題解決だというのか?

事件防止は別の問題ではないか?!

まして再犯率は30%近い
よく更生という言葉遊びをする人がいる
これから事件が起こらなければいいという特殊な考えの方だ
更生とはもう人を殺さないということか?
普通の人は人を殺さない
人を殺さないのは当たり前のことだ
当たり前ならば罪は問わないとでもいうのか?

更生は刑罰とは別の問題だ
例え死刑判決をうけようとも、執行までの間、更生すべきだ

幼稚な言葉遊びが露呈している

光市母子殺人事件の死刑判決はあまりに妥当すぎた。
そう国民の多くが思っている
だとしたら、それが正論だ



返信する