情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

安倍は関東軍だ!~勝手にテロ特措法を国際公約にするな!

2007-09-11 02:25:28 | 有事法制関連
 安倍首相がテロ特措法を延長できなければ退陣するという。めでたいことだと思ったが、早合点だった。退陣する決意で臨むから、たとえ、野党が多数を占める参議院でテロ特措法延長が否決されても、衆院で再度可決(3分の2以上の多数)して、延長を成立させることを、許してちょうだい、国民の皆様…とこういうことらしい。そうまでして延長しなければならない理由が国際公約だからだという。

 ここで多くの方が驚いたと思う。国際公約?!いつ、テロ特措法が国際公約になったんだ。よ~く各紙を読むと、日米豪首脳会談、日米首脳会談で約束したからだという。

 はぁ、約束したのは、あんたでしょう!あんたがここにきて、国会の判断もなく、閣議にかけることもなく、どたばたと勝手に約束しておきながら、「約束した以上、国際公約だから、延長しなければならない」…これって、戦前の関東軍と同じじゃないか。国会・政府の方針を破って中国を攻めながら、結果的に、戦争を始めた以上、とことんやるしかないってことにする…。あんたは、一人関東軍か?盗っ人猛々しいというのは、まさにこういうときに使う言葉だと思う。

 しかも、国際公約って言ったって、米豪だけじゃないか。日本にとって世界とは米豪だけかい。狭い世界じゃのう…。あんた、世界地図を見たことある?

 安倍の暴走を絶対に許してはならない。頑張れ、野党!
 われわれ市民も二度と暴走を許してはならない!多くの方とともにイラク特措法NO!のメッセージを発信しましょう!

“おばあちゃん”100人がイラク撤退訴え(http://www.news24.jp/92713.html)

おばぁちゃんに負けてはいられない!

【関連記事】

民主・江田議員が指摘した米軍第5艦隊HPの一部にイラク戦争への給油の事実 http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/28f91c62e5e2b66d202cfeb660cb5cce

佐藤正久「駆け付け警護」問題で新潟日報が、公開質問に『愚直』に答えるようコラムでこら! http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/1d61ff2dca6c97747ec4ec257f7277b0





★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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6 コメント

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テロ特措法延長に関する街頭投票を実施しました (だじゃらん)
2007-09-11 15:34:05
コメントとしては初めまして。いつも拝見しています。
海上自衛隊による米艦船給油活動の延長を市民はどう思っているのか?全国で街頭シール投票を実施しました。全国45箇所で9581人が投票、結果は
投票者全体の76%が反対でした。
詳しくはこちらをご覧下さい。http://terotk.exblog.jp/i0/
結果は総理、外務相、防衛相、衆参議長に届けられました。民意を尊重してほしいです
ジャパン・タイムズ(翻訳)長文ご容赦その1 (田仁)
2007-09-12 00:52:55
阿片王の絆が頂点に立たせてくれると信じていた。
仲介者は「機密費」を東条氏、岸氏その他の東京の「お偉方」に渡したとされる。
千葉県のある寺の小さい墓地の不鮮明な墓碑は、日本の戦時中の「阿片王」永眠の地を示している。その印象は決して重苦しいものではなく、この故人が有名な歴史上の人物と共有していた関係を裏切るものだ。
千葉県市川の総寧寺で、他の墓石とよく似ているように見える漢字は「里美家の墓」と読める。この碑文は1965年に亡くなった里美甫の墓を立てる為、安倍信三首相の祖父、故岸信介首相によって書かれた。
岸は日本の傀儡国家、満州国において1936年から1939年まで国務院実業部総務司長であったその時、東条英機関東軍参謀長(後に陸軍大将)と同様に、里美との親密な関係を確立したと伝えられている。当時、里美は、日本が占領していた中国の(沿海)中央部でシェアの大半を占めた、日本の阿片会社「宏済善堂(Hung Chi Shan Tang)」のトップの座に着いていた。
岸は、知人の依頼で阿片売人の墓石に彫る碑文を書いたのは、戦後になってから里美と知り合っただけの関係だと言っていた。
「私は阿片に対応した里美という人物を知っている。」と、岸は1979年の月刊雑誌「中央公論」のインタビューで語っている。
「私は満州に居たが、里美は上海に居たのだった。」、「彼は満州には来なかった、それに彼は恐らく阿片関係にかなり従事し、金も儲けたのだろうが、私は彼を知らなかった。」と、この様に岸は語った。
しかし、消息通は、多くの政治家や陸軍士官が阿片貿易に由来する政治資金目的で里美に接近した時、岸と、昇進して首相になった彼の盟友東条もその中に含まれていた、と話している。
岸は東条が満州の関東軍憲兵隊司令官になった時、彼を知るようになった。1941年12月の真珠湾攻撃の直前に首相になった東条は、商工大臣として岸を任命した。
ジャパン・タイムズ(翻訳)長文ご容赦その2 (田仁)
2007-09-12 00:54:22
「上海での(阿片)販売と、他の中国の都市からの利益の大部分は、直接東京に行った。」、「東条内閣時点で調査に応じて、この種の予算が内閣の機密費として割り当てられた、そして内閣は国会議員に助成金を支給するのにこの資金を使用した。」と、対日協力で起訴された中国人指導者、梅思平は戦後、南京での(漢奸)裁判に提出された文書に書いている。
梅は1940年、南京に設立された日本の戦時傀儡政権、南京(汪兆銘)政府で、「内政」実務の責任者だった。
里美の会社には、傀儡政権からの独占的な事業資格が与えられていた。(漢奸)裁判において、梅は全く別々に、しかし同様の証言をした南京政府の当局者の一人だった。彼等は、里美が阿片で得た資金の多くは東条内閣の為の「機密費」として送られたと語った。
「それは精進深く極秘にされていたが、しかし公然の秘密だった」と、梅は声明で語っている。
日本側でも、証言はあった。
主要なものでは、戦後の東京戦争犯罪裁判で旧日本軍の多くの最高機密を明かした田中隆吉少将は、東条が里美の機密阿片基金から「大金」を掬い取ったと証言している。
田中は1946年の事前審理尋問の際、極東国際軍事裁判の検察官にも、東条が最も可愛がっていた塩沢清宣中将が里美の親友である、塩沢は二ヶ月毎に北京から東京まで往復し、その都度「東条の為に大金を運んだ」と証言した。
塩沢は日本の戦時傀儡政権である北京の中華民国臨時政府の、大東亜省北京駐在公使だった。また、東京裁判で、里美は、中華民国臨時政府と大日本帝国の軍隊へ自身の阿片ビジネスの全ての利益を引き渡した、と証人として証言した。
ジャパン・タイムズ(翻訳)長文ご容赦その3 (田仁)
2007-09-12 00:55:59
里美は上海をベースとした「宏済善堂」により、1939年から1944年の半ばまで大日本帝国軍がサポートした、中国の(沿海)中央部で阿片市場を支配した卸売り業者の頂点に立った。
里美は連合国によってA級戦犯容疑で捕らえられたが、ある知られていない理由から、告発されなかった。彼は遅れて釈放され、1965年に69歳で心不全により死亡した。
里美と個人的な関係があった人々は、口を揃えて「彼は貪欲ではなかった」と語る。この「清潔さ」は明らかに、日本軍が里美に阿片ビジネスを任せた理由の一つだった。里美は、広い華僑人脈を誇っていた。
同時に里美は金に非常に寛大だった、と親友で上海憲兵隊特高課長だった林秀澄は語った。
「私は里美の給料が中国の基準で驚く程高かったと思う。そのため、彼は金を他人に与える事に躊躇しなかった。性質の悪い人々が沢山金目当てで彼に近づいた。」と、1974年の歴史家の手による刊行物の中で、林は取材に対して語ったと伝えられている。
里美は「多くの陸軍士官に注意していた」、東条も彼等の一人であった、と林は本の中で語っている。
記録や回顧録は、あの戦争で岸もまた里美に近づき、疑わしい阿片基金を受け取ったという、噂の流布を明らかにする。
里美の戦後の秘書、伊達弘視は、「岸元内閣総理大臣(当時の商工大臣)が、国会議員に当選した1942年4月19日の(大政翼賛)選挙で、500万円を提供するよう里美に頼んだのは、よく知られていた。」と、中国における日本の阿片売買について歴史的なドキュメントを出版した1986年に、その本の後書きに書いている。
里美に対する岸の働き掛けを立証する、どの確実な証拠も、専門家はその主張の真実性を問うている。
「岸は非常に用心深い男だった」、「私はどんな証拠書類も後世に残されたとは思わない。」と、2005年に里美の人生を辿った本を出版した有名なジャーナリストでもあるノンフィクション作家、佐野眞一は語った。
ジャパン・タイムズ(翻訳)長文ご容赦その4 (田仁)
2007-09-12 00:56:47
しかし、少なくともこの一つは確実だろう。岸の側近の多くが中国における日本の阿片経営に関係した重要人物だったと考えられており、その結果、今日まで多くの人々が岸も阿片取引に関わっただろうと疑っている。
それ等の側近中に、古海忠之がおり、岸に最も近い補佐官の一人であり、後の傀儡政権で満州国国務院総務庁次長の地位にあった。
その他には、現在国立国会図書館に収蔵されている里美の阿片会社について概説する秘密書類を保管していた、大蔵省官僚の毛里英於菟が居る。
古海が中国の戦犯抑留所で書いた声明によれば、古海と毛里は1933年の満州国における阿片独占システムの主要な企画者だった。
また毛利は、岸の下で満州の経済統制に実績を上げた「革新官僚」の政策集団のメンバーだった。
1946年の事前審理尋問で田中少将は、毛利が「中国での阿片取引の内幕に関して更に話す事が出来る」と言っていた。彼は阿片流通に関して最も多くの情報を提供出来る筈だ、と。
「(毛利は)里美の非常に親しい友人だ」と、田中は語っていた。

Opium King's ties believed went to the top
Trader allegedly pipelined 'secret funds' to Tojo, Kishi, other Tokyo bigwigs
Thursday, Aug. 30, 2007
The Japan Times
By REIJI YOSHIDAStaff writer
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20070830f2.html
ちなみに (田仁)
2007-09-12 12:52:27
瀬島龍三は参謀本部から戦後は伊藤忠というルートでしたが、古海忠之は国務院総務からホテルニューオータニの取締役まで行きました。