タイトルは、某筋肉の大先生の著書の帯に書かれた、「理論×時短=最高効率」というキャッチコピーのパロディです。
誤解なきよう弁明しますが、ワタクシは某大先生のファンであり、Youtubeチャンネルも登録しています。動画で得た知識も、自らのトレーニングに落とし込み、その絶大な効果に驚いてもいます。
ただ、このキャッチコピーだけはどうにも解せない…というより、これ、絶対に大先生が考えたモンじゃないだろう…と思いましたので、今回は大先生の著書の帯キャッチコピーに反し、「理論×時短≠最高効率」ということについて所信を述べたいと思います。
まず、トレーニングには正しい理論が要る。このことについて異議を申し立てる気はありません。
しかし、その「理論」を正しく理解することと、正確に履行することは、本当に難しいのです。
まず、「理論」は必ず、何かの活字になってトレーニーの眼前に現れます。理論を得るには当然活字を追っかけて、一言一句正しく理解する必要が生じますが、ここに大きな個人差が顕れます。要するに、「バカは本を読まないし、文意を理解できない。だから理論がわからない」ということが起きるのです。これは大袈裟でも冗談でもなく、本当に起こりうる、いや、実際に起こっているのです。
諸外国と比べて識字率が鬼のように高いわが国民でも、ことこれが「読解力」となると、かなりお寒いレベルに落ちると仄聞しますが、これは当然、トレーニング理論を著した本や雑誌でも同様の現象が起きるわけであり、「理論を十分に理解できていない、わかっていないヤツ」が、「わかったつもり」になり、ショボい理解範囲の中で勝手なことをすることが起こりうる…というより、実際あちこちで起きており、弊害をまき散らしています。
とくに最近は、難しい専門書を読まずとも、Youtubeでトップビルダーのトレーニングを映像でバンバン見ることができるため、その上っ面だけをなぞったヤツが知ったかぶりをしても意外とバレない、ということも起きており、ますます「正しい理論」がわかりにくくなっているということも、留意すべきでしょう。
次に、「理論」が正確に理解できたとしても、それを書かれてある通りきっちり履行するには、多大な自制・克己心が必要であるという点。
人間というのはワタクシも含めて自分勝手なもので、ついつい甘えの心に負け、いわゆる「合理化」(=自分のやったことを正当化するために屁理屈を考えること)ばかりを発動させてしまいますが、トレーニング理論の正確な履行は、そうした「合理化」と対極に位置します。
「他人の考えたことを、自分の認識を挟まず、正確に履行する」…これは人間が原則、自分勝手な生き物であることを考慮に入れれば、いかに苦しく、つらいことか、すぐにわかります(わからないとすれば、かなり人間的に欠陥がありますが、弊ブログをお読みの方ならわかって頂けるとお思います)。
それをいったい、何人がガマンできるのか…そうした点でも、「理論」の正確な履行はほんとうに難しいのです。
次に「時短」。
最初にはっきり言います。「時短」は「理論」が正しく理解できている人間が、正確な手法をきっちり履行してこそ意味のあるものであり、シロウトが自分勝手に時短トレをやっても、何の効果もありません。
「仕事や勉強などの都合で十分なトレーニング時間が取れないよ~!」という場合は仕方ありませんが、「本気で鍛えたい!」という決意をした人であって、1時間以上のまとまった時間が取れるのであれば、「ヘッブの法則」にのっとり、シンプルな動作を幾度も繰り返すことこそが上達の早道であることは、論を俟ちません。
しかし世の中の大半のヘボトレーニーは、「時短」という言葉を、トレーニングの苦しみから逃げる口上に悪用しています。「時短」という言葉での逃げ癖は、あなたの上達を大きく損壊します。
冒頭に掲げた筋肉の大先生は、クライアントのトレーニングに対する不安や恐怖心を取り除く意味で「理論」「時短」を前面に出すことはあっても、自分に対してはガチの理論を根底からしっかり理解し、勉強し、気の遠くなるような時間をトレーニングに捧げているはずです。というか、こんなところで書くまでもなく、大先生は筋肉に文字通り、人生を賭けてきた方ですから、そりゃ当たり前なんですが…。
ともかく、「理論」×「時短」=「最高効率」はあくまでも売らんがためのキャッチコピーであり、また、トレーニングに恐怖心を初心者への社交辞令であるという本音の部分を、絶対に見落としてはいけないでしょう。
誤解なきよう弁明しますが、ワタクシは某大先生のファンであり、Youtubeチャンネルも登録しています。動画で得た知識も、自らのトレーニングに落とし込み、その絶大な効果に驚いてもいます。
ただ、このキャッチコピーだけはどうにも解せない…というより、これ、絶対に大先生が考えたモンじゃないだろう…と思いましたので、今回は大先生の著書の帯キャッチコピーに反し、「理論×時短≠最高効率」ということについて所信を述べたいと思います。
まず、トレーニングには正しい理論が要る。このことについて異議を申し立てる気はありません。
しかし、その「理論」を正しく理解することと、正確に履行することは、本当に難しいのです。
まず、「理論」は必ず、何かの活字になってトレーニーの眼前に現れます。理論を得るには当然活字を追っかけて、一言一句正しく理解する必要が生じますが、ここに大きな個人差が顕れます。要するに、「バカは本を読まないし、文意を理解できない。だから理論がわからない」ということが起きるのです。これは大袈裟でも冗談でもなく、本当に起こりうる、いや、実際に起こっているのです。
諸外国と比べて識字率が鬼のように高いわが国民でも、ことこれが「読解力」となると、かなりお寒いレベルに落ちると仄聞しますが、これは当然、トレーニング理論を著した本や雑誌でも同様の現象が起きるわけであり、「理論を十分に理解できていない、わかっていないヤツ」が、「わかったつもり」になり、ショボい理解範囲の中で勝手なことをすることが起こりうる…というより、実際あちこちで起きており、弊害をまき散らしています。
とくに最近は、難しい専門書を読まずとも、Youtubeでトップビルダーのトレーニングを映像でバンバン見ることができるため、その上っ面だけをなぞったヤツが知ったかぶりをしても意外とバレない、ということも起きており、ますます「正しい理論」がわかりにくくなっているということも、留意すべきでしょう。
次に、「理論」が正確に理解できたとしても、それを書かれてある通りきっちり履行するには、多大な自制・克己心が必要であるという点。
人間というのはワタクシも含めて自分勝手なもので、ついつい甘えの心に負け、いわゆる「合理化」(=自分のやったことを正当化するために屁理屈を考えること)ばかりを発動させてしまいますが、トレーニング理論の正確な履行は、そうした「合理化」と対極に位置します。
「他人の考えたことを、自分の認識を挟まず、正確に履行する」…これは人間が原則、自分勝手な生き物であることを考慮に入れれば、いかに苦しく、つらいことか、すぐにわかります(わからないとすれば、かなり人間的に欠陥がありますが、弊ブログをお読みの方ならわかって頂けるとお思います)。
それをいったい、何人がガマンできるのか…そうした点でも、「理論」の正確な履行はほんとうに難しいのです。
次に「時短」。
最初にはっきり言います。「時短」は「理論」が正しく理解できている人間が、正確な手法をきっちり履行してこそ意味のあるものであり、シロウトが自分勝手に時短トレをやっても、何の効果もありません。
「仕事や勉強などの都合で十分なトレーニング時間が取れないよ~!」という場合は仕方ありませんが、「本気で鍛えたい!」という決意をした人であって、1時間以上のまとまった時間が取れるのであれば、「ヘッブの法則」にのっとり、シンプルな動作を幾度も繰り返すことこそが上達の早道であることは、論を俟ちません。
しかし世の中の大半のヘボトレーニーは、「時短」という言葉を、トレーニングの苦しみから逃げる口上に悪用しています。「時短」という言葉での逃げ癖は、あなたの上達を大きく損壊します。
冒頭に掲げた筋肉の大先生は、クライアントのトレーニングに対する不安や恐怖心を取り除く意味で「理論」「時短」を前面に出すことはあっても、自分に対してはガチの理論を根底からしっかり理解し、勉強し、気の遠くなるような時間をトレーニングに捧げているはずです。というか、こんなところで書くまでもなく、大先生は筋肉に文字通り、人生を賭けてきた方ですから、そりゃ当たり前なんですが…。
ともかく、「理論」×「時短」=「最高効率」はあくまでも売らんがためのキャッチコピーであり、また、トレーニングに恐怖心を初心者への社交辞令であるという本音の部分を、絶対に見落としてはいけないでしょう。
老骨武道オヤジさまが幾度か話して下さった「フルコンの肉体で伝統空手の技」は、真に最強たるにふさわしいと、ワタクシも考えます。
そして常に、自らを鍛えることを念頭に於て生活をされていることを、ワタクシは無条件に尊敬致します。
ワタクシも40歳半ばとなりましたが、「人様にモノを教える、師匠の期待を裏切らない」という点から、常に鍛えること、そして、鍛えることの理論の勉強を怠らないことを、ひとつの信念としていきたいと存じております。