今回のような捜査のセオリーとしては、まず被害に遭った「陸奥」の現状、つまり犯罪後の「アフター」状態を調べ、「実況見分調書」(任意捜査の場合。強制の場合は検証調書)にまとめて証拠化します。
その後、「陸奥」が沈む直前の状況、つまり「ビフォアー」の状態を証拠化し、「ビフォアー&アフター」を比較し、それによって「どの箇所から、どのような部品や機械がなくなっている」ということを明確にし、被疑者にその事実を突きつけて取り調べる…という手順を取ります。
しかし、 「陸奥」は水深40メートルの水底に沈んでいることから、まず、現場保存の第一歩として必要な「現状を見分して保存する」…つまり、先ほどお話しした実況見分を行うことができません。
さらに、たとえ水中見分ができたとしても、「陸奥」はもともと爆発して沈んだものであるため、損傷箇所が「爆発時の損傷」なのか、「不法引き揚げの過程でつけられた損傷」なのかを明らかにすることができません。
さらにさらに、「陸奥」艦内の全容は帝国海軍の機密事項であったうえ、その図面などは終戦と同時に焼却されていますから、「艦内のどこに何の部品が設置されている」という全容がわからず、従って「爆沈前」の状況の証拠化がほぼ不可能です。
こうした事情から、合同捜査本部は警察は見分に頼る調査を早期にあきらめ、N海事工業が売り飛ばしたスクラップ類の行方を追うことで、犯罪の全容解明に近づこうという、いわゆる「ナシ割」と呼ばれる捜査に方針転換しましたが、これも難航します。
実はN海事工業は、「ナシ割」でアシがつかないよう、様々な細工をしていました。
金属類を運搬して売り飛ばす、特に戦艦の部品ともなれば、「グラム」「キログラム」ではなく、「トン」単位での輸送が不可欠となります。
何トンもの凄まじい重さ&量となる後ろ暗い金属を、モタモタ運んでいたらすぐ人に気づかてしまいます。人に気づかれる前に売り飛ばすには、なんといってもスピードが命!
N海事工業はそのことをよくわかっており、N運輸という運送会社を「スピーディーかつ『安全なところ』への輸送」の請負業者として抱き込み、輸送を一任していました。
「安全なところ」とは…密引き揚げしたブツを買ってくれるスクラップ屋(;^ω^)。
スクラップ屋などの古物商は、県から鑑札が交付されるのですが、終戦直後のゴタゴタの時代には、他人の鑑札を勝手に使って商売をしたり、あるいは認可外の不正品を取り扱ったりといった行為が後を絶たない状態であり、N海事工業はそうした不良業者に目をつけては、密引き揚げ品を売り飛ばしていました。
密引き揚げ品を不正売買することで、N海事工業と不良スクラップ業者は「運命共同体」になるわけで、どちらもこの秘密を共有しなければなりませんから、警察がスクラップ屋の証言から密引き揚げの事実をあぶりだそうにも、N海事工業の片棒を担いでいるスクラップ屋は「知らぬ存ぜぬ」とシラを切るに決まっています。
さらに被疑者Tは、密引き揚げのお目こぼしや黙認を請うため、政財界や、監督官庁の出先機関に出向き、ワイロ攻勢まで仕掛けていたのです。
(これは余談ですが、このころの公務員というのは本当にコンプライアンス意識が希薄であり、ちょっとワイロの匂いをかがせると、すぐにお目こぼしをするヤツが山ほどいた、と、死んだ爺さんほか、数名の死んだ年寄りから一次情報として聞いております)
このため「ナシ割」も難航しますが、こちらは捜査本部による粘り強い捜査により、N海事工業が売り飛ばしたと思われるスクラップや機械類、その売買経路が少しずつ明らかになってきました。
次に大切なのは、関係者の証言を証拠化=調書を作成すること。
何しろ、肝心な「陸奥」艦体の見分ができないわけですから、ナシ割で明らかになったブツに関し、それをいつ、どこで、誰が運んだり売ったり買ったりしたか、というとを、少しでも関わった人間を探し出してはしらみつぶしに調書化し、その事実の断片をつなぎ合わせて全容をあぶりだす以外、捜査方法がありません。
しかし今度は、その「調書を取る相手」の確保に手間取ります。
といいますのも、本件発覚後、主犯のTほか、N海事工業の取締役クラスの重要参考人たちが、縁故を辿って転々と逃亡し、特に主犯Tの身柄確保には「目に見えぬ苦労と時間的犠牲を強い」(「山口県警察史」下巻より)られました。
また、先ほども申しましたが、N海事工業が密引き揚げのブツを不正売買していたスクラップ屋や輸送屋は、その秘密を共有する一蓮托生のワル集団ですから、当然そう簡単に口を割るわけもなく、これまた証言を得るのに一苦労も二苦労もします。
のちに判明したことですが、この不法引き揚げブツの横流しには、金属業者49人、ブローカー98人という、実に大勢の「ワル」が関わっていました。そりゃ、容易にしゃべらないのも当然っちゃー当然です。
合同捜査本部はこうした困難を乗り越え、主犯Tほか、のべ260名の関係者から事情を聴き、それを調書化して浮かび上がった事実…今回はそれを送致書の「犯罪事実」欄の書きぶりに即してやってみます(;^ω^)。
事件の送致書類一式のいちばんアタマには「送致書」という書類がくっつき、そのうち、「犯罪事実」という欄には、本件の犯罪事実が簡潔に?書かれてあるわけですが、今回は「犯罪事実」欄にはこんなことが書いてあったのでは?ということを想像しつつ、記載してみたいと思います(被疑者Tの、業務上横領の部分のみ。不明な箇所は●で表示しました)。
被疑者Tは、広島市に所在するN海事工業株式会社(以下、N海事工業と呼称)の代表取締役社長であり、主として潜水工事等を業として営む者であるが、昭和●年●月●日、厚生省援護局(たぶん(;^ω^))より、山口県大島郡東和町伊保田地先海域に沈没している戦艦陸奥(以下、同艦と呼称)艦内に残置された同艦乗組員の遺骨及び遺品類並びに非鉄金属30トン分の揚収業務を依頼されて契約請負することとなり、昭和●年●月●日、●×(←許認可権を持つ監督官庁の名前)より同作業にかかる潜水工事作業許可を受け、昭和25年●月●日より着手したものであるが、昭和25年10月10日、引揚げ許可を受けていない物件である油冷却器(重さ5トン)を取り外して揚収したことを手始めに、以後、昭和26年4月●日までの間に、同艦第●推進機、各種機関付属品、艦体鋼板等の引き揚げ許可外物件を計120回に亘り同艦から取り外して引き揚げ、これを契約主である厚生省援護局(たぶん(;^ω^))の許可なく不法に占有するとともに、金属類古物商●らに売却、その代金を占有して会社の運営資金及び遊興費等として消費することにより、もって業務によって得られた他人の財物を横領したものである。
…こんな感じでしょうか?むろん、これだけの大事件ですから、実際にはもっと膨大な「犯罪事実」が書かれていたんでしょうけど、私の手元にある資料からは、そして無学&別に警察関係者でもなんでもない(マヂ卍っスヨ~!)のワタクシでは、この程度の文章しかヒネり出すことができません。ごめんなさいm(__)m。
主犯Tほか21名は昭和26年6月24日、山口地検に送致され、一審の山口地裁で懲役1年6か月(執行猶予3年)の判決を受けます。
Tはこれを不服として最高裁まで争いますが判決は覆らず、刑が確定しております。
犯罪事実や量刑についての感想ですが、主犯Tの罪状については、本当はもっとたくさんの罪(たとえば、収賄とか窃盗とか贓物故売とか…)を問うてもよかったと思います。
しかし先述しました通り、本件はTとその取り巻きの証言だけが頼りという捜査を余儀なくされているうえ、「商売人」「ヤクザ」「政治家」の距離感が今では想像がつかないくらい近かった当時、「収賄」「窃盗」「贓物故売」にまで捜査の手をを広げると、ただでさえ困難な捜査が、ますます難航することは必至です。
そうした背景から捜査本部は、「今はとにかく、社会正義のために、N海事工業を確実に立件することが重要」と判断し、送致後の公判維持が可能な「業務上横領」だけを全・集・中!(←流行りものにはとりあえず乗っかる浅い男・珍山(;^ω^))で攻めることとし、ほかの罪の捜査・立件をあきらめざるを得なかったのではないか、と推察します。
捜査終結直前の昭和26年3月、山口県は「金属屑類回収業に関する条例」(県条例第28号)を制定します。
これは、金属くず類の売買を公安委員会の許可業種とすることにより、贓物(要するに盗んだもの)の売買ルートがウヤムヤになることを防ぐという、要するにスクラップの違法売買の取り締まりを強化するための条例です。
この条例の制定にこの事件が影響していることは間違いなく、同条例は戦艦陸奥が沈没後に最後に放った、小さな小さな「一弾」、でも、県条例として千古に名をしたという点では、大きな殊勲の「一弾」でもありました。
【「『むっちゃん』の受難と最後の一弾 参考文献】
・「山口県警察史」 下巻 山口県警察史編さん委員会 編
・HP「探検コム」内記事「沈没船を引き揚げろ!」
・フリー百科事典ウィキペディア「陸奥」の項目
・「サルベージ業界伝説の生き証人が語る戦艦陸奥引き揚げ 花戸忠明・深田サルベージ建設中国支社長補佐に聞く」ダイヤモンドオンライン
その後、「陸奥」が沈む直前の状況、つまり「ビフォアー」の状態を証拠化し、「ビフォアー&アフター」を比較し、それによって「どの箇所から、どのような部品や機械がなくなっている」ということを明確にし、被疑者にその事実を突きつけて取り調べる…という手順を取ります。
しかし、 「陸奥」は水深40メートルの水底に沈んでいることから、まず、現場保存の第一歩として必要な「現状を見分して保存する」…つまり、先ほどお話しした実況見分を行うことができません。
さらに、たとえ水中見分ができたとしても、「陸奥」はもともと爆発して沈んだものであるため、損傷箇所が「爆発時の損傷」なのか、「不法引き揚げの過程でつけられた損傷」なのかを明らかにすることができません。
さらにさらに、「陸奥」艦内の全容は帝国海軍の機密事項であったうえ、その図面などは終戦と同時に焼却されていますから、「艦内のどこに何の部品が設置されている」という全容がわからず、従って「爆沈前」の状況の証拠化がほぼ不可能です。
こうした事情から、合同捜査本部は警察は見分に頼る調査を早期にあきらめ、N海事工業が売り飛ばしたスクラップ類の行方を追うことで、犯罪の全容解明に近づこうという、いわゆる「ナシ割」と呼ばれる捜査に方針転換しましたが、これも難航します。
実はN海事工業は、「ナシ割」でアシがつかないよう、様々な細工をしていました。
金属類を運搬して売り飛ばす、特に戦艦の部品ともなれば、「グラム」「キログラム」ではなく、「トン」単位での輸送が不可欠となります。
何トンもの凄まじい重さ&量となる後ろ暗い金属を、モタモタ運んでいたらすぐ人に気づかてしまいます。人に気づかれる前に売り飛ばすには、なんといってもスピードが命!
N海事工業はそのことをよくわかっており、N運輸という運送会社を「スピーディーかつ『安全なところ』への輸送」の請負業者として抱き込み、輸送を一任していました。
「安全なところ」とは…密引き揚げしたブツを買ってくれるスクラップ屋(;^ω^)。
スクラップ屋などの古物商は、県から鑑札が交付されるのですが、終戦直後のゴタゴタの時代には、他人の鑑札を勝手に使って商売をしたり、あるいは認可外の不正品を取り扱ったりといった行為が後を絶たない状態であり、N海事工業はそうした不良業者に目をつけては、密引き揚げ品を売り飛ばしていました。
密引き揚げ品を不正売買することで、N海事工業と不良スクラップ業者は「運命共同体」になるわけで、どちらもこの秘密を共有しなければなりませんから、警察がスクラップ屋の証言から密引き揚げの事実をあぶりだそうにも、N海事工業の片棒を担いでいるスクラップ屋は「知らぬ存ぜぬ」とシラを切るに決まっています。
さらに被疑者Tは、密引き揚げのお目こぼしや黙認を請うため、政財界や、監督官庁の出先機関に出向き、ワイロ攻勢まで仕掛けていたのです。
(これは余談ですが、このころの公務員というのは本当にコンプライアンス意識が希薄であり、ちょっとワイロの匂いをかがせると、すぐにお目こぼしをするヤツが山ほどいた、と、死んだ爺さんほか、数名の死んだ年寄りから一次情報として聞いております)
このため「ナシ割」も難航しますが、こちらは捜査本部による粘り強い捜査により、N海事工業が売り飛ばしたと思われるスクラップや機械類、その売買経路が少しずつ明らかになってきました。
次に大切なのは、関係者の証言を証拠化=調書を作成すること。
何しろ、肝心な「陸奥」艦体の見分ができないわけですから、ナシ割で明らかになったブツに関し、それをいつ、どこで、誰が運んだり売ったり買ったりしたか、というとを、少しでも関わった人間を探し出してはしらみつぶしに調書化し、その事実の断片をつなぎ合わせて全容をあぶりだす以外、捜査方法がありません。
しかし今度は、その「調書を取る相手」の確保に手間取ります。
といいますのも、本件発覚後、主犯のTほか、N海事工業の取締役クラスの重要参考人たちが、縁故を辿って転々と逃亡し、特に主犯Tの身柄確保には「目に見えぬ苦労と時間的犠牲を強い」(「山口県警察史」下巻より)られました。
また、先ほども申しましたが、N海事工業が密引き揚げのブツを不正売買していたスクラップ屋や輸送屋は、その秘密を共有する一蓮托生のワル集団ですから、当然そう簡単に口を割るわけもなく、これまた証言を得るのに一苦労も二苦労もします。
のちに判明したことですが、この不法引き揚げブツの横流しには、金属業者49人、ブローカー98人という、実に大勢の「ワル」が関わっていました。そりゃ、容易にしゃべらないのも当然っちゃー当然です。
合同捜査本部はこうした困難を乗り越え、主犯Tほか、のべ260名の関係者から事情を聴き、それを調書化して浮かび上がった事実…今回はそれを送致書の「犯罪事実」欄の書きぶりに即してやってみます(;^ω^)。
事件の送致書類一式のいちばんアタマには「送致書」という書類がくっつき、そのうち、「犯罪事実」という欄には、本件の犯罪事実が簡潔に?書かれてあるわけですが、今回は「犯罪事実」欄にはこんなことが書いてあったのでは?ということを想像しつつ、記載してみたいと思います(被疑者Tの、業務上横領の部分のみ。不明な箇所は●で表示しました)。
被疑者Tは、広島市に所在するN海事工業株式会社(以下、N海事工業と呼称)の代表取締役社長であり、主として潜水工事等を業として営む者であるが、昭和●年●月●日、厚生省援護局(たぶん(;^ω^))より、山口県大島郡東和町伊保田地先海域に沈没している戦艦陸奥(以下、同艦と呼称)艦内に残置された同艦乗組員の遺骨及び遺品類並びに非鉄金属30トン分の揚収業務を依頼されて契約請負することとなり、昭和●年●月●日、●×(←許認可権を持つ監督官庁の名前)より同作業にかかる潜水工事作業許可を受け、昭和25年●月●日より着手したものであるが、昭和25年10月10日、引揚げ許可を受けていない物件である油冷却器(重さ5トン)を取り外して揚収したことを手始めに、以後、昭和26年4月●日までの間に、同艦第●推進機、各種機関付属品、艦体鋼板等の引き揚げ許可外物件を計120回に亘り同艦から取り外して引き揚げ、これを契約主である厚生省援護局(たぶん(;^ω^))の許可なく不法に占有するとともに、金属類古物商●らに売却、その代金を占有して会社の運営資金及び遊興費等として消費することにより、もって業務によって得られた他人の財物を横領したものである。
…こんな感じでしょうか?むろん、これだけの大事件ですから、実際にはもっと膨大な「犯罪事実」が書かれていたんでしょうけど、私の手元にある資料からは、そして無学&別に警察関係者でもなんでもない(マヂ卍っスヨ~!)のワタクシでは、この程度の文章しかヒネり出すことができません。ごめんなさいm(__)m。
主犯Tほか21名は昭和26年6月24日、山口地検に送致され、一審の山口地裁で懲役1年6か月(執行猶予3年)の判決を受けます。
Tはこれを不服として最高裁まで争いますが判決は覆らず、刑が確定しております。
犯罪事実や量刑についての感想ですが、主犯Tの罪状については、本当はもっとたくさんの罪(たとえば、収賄とか窃盗とか贓物故売とか…)を問うてもよかったと思います。
しかし先述しました通り、本件はTとその取り巻きの証言だけが頼りという捜査を余儀なくされているうえ、「商売人」「ヤクザ」「政治家」の距離感が今では想像がつかないくらい近かった当時、「収賄」「窃盗」「贓物故売」にまで捜査の手をを広げると、ただでさえ困難な捜査が、ますます難航することは必至です。
そうした背景から捜査本部は、「今はとにかく、社会正義のために、N海事工業を確実に立件することが重要」と判断し、送致後の公判維持が可能な「業務上横領」だけを全・集・中!(←流行りものにはとりあえず乗っかる浅い男・珍山(;^ω^))で攻めることとし、ほかの罪の捜査・立件をあきらめざるを得なかったのではないか、と推察します。
捜査終結直前の昭和26年3月、山口県は「金属屑類回収業に関する条例」(県条例第28号)を制定します。
これは、金属くず類の売買を公安委員会の許可業種とすることにより、贓物(要するに盗んだもの)の売買ルートがウヤムヤになることを防ぐという、要するにスクラップの違法売買の取り締まりを強化するための条例です。
この条例の制定にこの事件が影響していることは間違いなく、同条例は戦艦陸奥が沈没後に最後に放った、小さな小さな「一弾」、でも、県条例として千古に名をしたという点では、大きな殊勲の「一弾」でもありました。
【「『むっちゃん』の受難と最後の一弾 参考文献】
・「山口県警察史」 下巻 山口県警察史編さん委員会 編
・HP「探検コム」内記事「沈没船を引き揚げろ!」
・フリー百科事典ウィキペディア「陸奥」の項目
・「サルベージ業界伝説の生き証人が語る戦艦陸奥引き揚げ 花戸忠明・深田サルベージ建設中国支社長補佐に聞く」ダイヤモンドオンライン