集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

緊急寄稿・キチガイは世の中からいなくならない!…だからこそ予防を!

2019-07-20 22:22:22 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 皆様既にご承知の通り、去る7月18日、京都市伏見区所在のアニメ製作会社「京都アニメーション」のスタジオに青葉真司(41)なるキチガイが闖入し、バケツでガソリンをまいて放火するという大事件が発生しました。結果、34名もの前途有望な社員の方々がお亡くなりになってしまうという大惨事となってしまったことは痛恨の極みとしか言いようがなく、弊ブログ、そして「ハルヒ」以降、京アニのアニメをずっと観ていた管理人より、改めて哀悼の誠を捧げたいと思います。
 類まれな才能と、洋々たる前途に溢れた若いアニメ製作スタッフの人生が、コンビニ強盗で実刑を食らったような社会のゴミ1匹により奪われてしまったことは本当に理不尽というほかなく、犠牲となった方々の無念、そしてご遺族の胸中は如何ばかりか…察するにあまりあります。

 さて、こう言った事件があるとすぐにバカなマスコミがこう騒ぎ出します。
「今は異常犯罪が起こりやすい世の中だ!」「じゃあどうすればいいんだ?」「やはり、地域や家族の見守る眼が必要なのでは」「会話が必要なのでは」「カウンセリングが…」…毎度毎度同じような絵空事しか言わない。本当に馬鹿で不勉強極まりありません。こんなことでは、死んだ方々もさぞかし浮かばれないでしょう。
 今回はこんな事件が起こった直後だからこそ、歯に衣着せず(←「オマエはいつも衣がなく、スッポンポンの論調じゃねーか」というツッコミもあるでしょうが(-_-;))、「キチガイ犯罪とその対策」についてお話ししたいと思います。

 以下は完全に「私見の極論」ですが、ワタクシはいわゆる「キチガイ」なる人種は、いつの世も一定数存在しており、世代や時代によって増減することのないものだと考えています。ですから、「キチガイと完全分離して生活を営む」ということは、よほどハイソな生活を送れる人間以外ほぼ不可能であり、あなたの隣にキチガイが忍び寄り、悪さをする可能性は常にある!わけです。
 キチガイによって無惨な最期を遂げる、あるはとんでもない不利益を被らないためにまず大切なことは、「キチガイはワタクシたちの身近に普通に存在するもの」という事実を認識し、対策を練り続けること以外にないと思っています。

 次に対策の原則論をお話しします。
 個々の事案における具体的対策についてはケース・バイ・ケースですので、ここでは原則論だけをお話します。
 まず覚えておいて頂きたいことは、「キチガイ」に説諭、説得、説教の類は一切通用しない、ということ。「話せば分か」らないからこその「キチガイ」なのです。
 この点については人から聞き齧った話でも、本で得た情報でもなく、ワタクシは実際にそういう人種と何度か遭遇し、対峙したことがあるので、実感としてわかります。なので、テレビのバカ解説者などが言う「家族や知り合いとの話し合い」なんて、完全なる絵空事であり、一顧だにする価値はありません。信じる者はバカを見る。気を付けてください。
 では、そういったキチガイを黙らせる有効な手段とは何か?
 キチガイへの対処はまず「観察」。次に「キチガイが着手するであろう行動の企図を挫く」。最後は「制圧手段としての武力行使をためらわない」。以上3点に尽きると思います。

 まずは「観察」、「企図を挫く」について。
 キチガイの凶行には大抵、「前振り」があります。何のリアクションもなく、いきなり大きな凶行に出ることは意外と少ない。よく観察すれば、日ごろからの行動パターン、凶器の準備、凶行の種類がわかるようになります。
 基本的に、ワルいヤツが行動を起こす際、道のど真ん中や広場のど真ん中などで行動を起こすことはほとんどなく、ちょっとした物陰から行動を発することが常です。曲がり角や階段など、そういった場所を通過する際にちょっとした注意を払う、というあたりからイメージトレーニングを始めるのがいいでしょう。
 そうした場所に「これはキチガイかもしれない」という人間がいた場合、すぐさま観察を開始し、小さなリアクションを見逃さず、キチガイの企図する行動を早期につぶしてください。初期段階において、物理攻撃をする必要はありません。「どうされました?」と笑顔で声をかけるだけで、かなりの確率でその企図を挫くことが可能です。「笑顔にパンチは当たらない」。まあ、日本人が相手なら…ですが。

 次に「武力行使をためらわない」について。
 キチガイの理不尽な暴力によって死傷する人は大抵「心優しい善人」であり、死ぬその瞬間まで「私がそんな犯罪に巻き込まれるはずがない」「何かあれば警察を呼べばいい」と思っていた人です。
 とても残念なことではありますが、それは裏を返せば武を以て相手を制する訓練をしていなかった、あるいは自らの危急に際して武を発揮することを怠ったということと≒で結論づけざるを得ません。
 「警察の助力を頼めばいい」と安易に考えている人もいるかもしれませんが、警察は原則、何かが起きた後でないと来てくれません。目の前に現れたキチガイをすぐさま始末してくれるスーパーマンではない。その点を誤って死傷した人は多数います。
 あと、キチガイへの対応に関し、「毅然とした態度で臨めば相手は引き下がる!」などというバカ(特に、伝統的古武術野郎やインチキ護身術インストラクターに多い)がいますが、そんなのは大嘘です。
 キチガイやワルが引き下がるのは、そのキチガイを仕留めることが可能なウデや準備があることが態度から溢れ出るからこそ、であり、弱っちいヤツが偉そうにしていたら、即座に凶刃の餌食となるのは間違いありません。キチガイやワルは、一般人が考える以上にそうした「戦闘力」を値踏みする能力が高いので、その点を失念しては絶対にダメです。
 では、腕に覚えがない方はどうすればいいか?
 状況を味方につける「目付」を練習してください。
 相手の進路を妨害できるものはあるか?相手を突き落とせる溝やドブなどがあるか?ゴミ箱や棒、自転車など、武器になるモノがそばにないか?相手に一撃を加えた後、逃げる経路は確保できているか?…といったところをチェックするクセがつくだけでも、死亡すべきところが軽傷に、軽傷を負うべきところが無傷になる可能性がグッと高まるでしょう。

 冒頭にもお話ししたことを繰り返しますが、現代日本において、社会からキチガイを完全排除することはほぼ不可能です。
 これまでも、そしてこれからも、キチガイはあなたの隣に存在し続けるでしょう。そしてふとしたきっかけで、そのキチガイがあなたの前に害意を以て登場するかもしれません。
 キチガイにあなたの人生を理不尽に奪われないためには、日ごろからの備えが必要です。ほんのわずかな覚悟と準備が、あなたの命を救うのです。
 この心構えは今後重要性を増すことはあっても、決して損にはならないはずです。
 そして、これまでキチガイの餌食になり、理不尽に命を奪われた人は、おそらく涅槃の世界で「平和を欲するなら、まず戦いに備えよ!」(ラテン語のことわざ)と考えているはずだと、少なくともワタクシはそう思っています。

サバキ、ふしぎ発見!(それはサバキの進化?退化? 試合編その2)

2019-07-13 22:53:38 | 芦原会館修行記
 先代は、試合などで有効となる、自らの突き蹴りを的確に当て、そこから相手を崩していくサバキを「攻めのサバキ」と呼称しました。
 「攻めのサバキ」の原理原則は、みなさんがよく知っている「受けのサバキ」と全く同じです。
 では、「受けのサバキ」と「攻めのサバキ」を、1つのコンビネーションを3つのフェーズに区切って比較してみましょうか。
 フェーズ①
【受けのサバキでは】相手の攻撃に対して受け崩しを行いつつ、インファイト
【攻めのサバキでは】強力なリードブローでインファイトし、2の矢となる突き(または蹴り)で相手を崩す。
フェーズ②
【受けのサバキでは】インファイト→ポジショニング、打撃、崩し
【攻めのサバキでは】崩した相手のサイド(または3の矢が入りやすい位置)にシフト、シフトの際にはウェイトシフトも聞かせ、3の矢。
フェーズ③
【受けのサバキでは】相手を安全に崩し得る方向にポジショニングしつつ、投げ崩し、制圧
【攻めのサバキでは】3の矢からサイドを取ってのフィニッシュブロー(フルコンで最もKO率が高いのは、オーソドックス対オーソドックスの場合は左ハイなので、それにつなげる)につなげる。
 ねっ、原則的には同じでしょう(ちょっと強引な解釈ですが(;^ω^))。
 また、フェーズ①②でケリがつく場合、それで完結してしまってもいいというのも、「攻め」「受け」ともに共通する事項です。
 このように、一見ただ殴り合っているだけのようにしか見えない「攻めのサバキ」は、みんなが知っている「受けのサバキ」と原理原則は同じ。逆に言えば、「攻めのサバキ」の骨子たる突き蹴りでの自由攻防ができない者が、投げや崩しを無制限に取り入れたルール内で戦ったところで、ただのもみ合い、つかみ合いになるだけで、決してサバキの深奥に到達できる競技とはなりえない、とも言えます。

 先代は著書「空手に燃え、空手に生きる」において、門下生から「相手が攻めてきてからのサバキはわかりましたが、相手が攻めてこない場合はどうすればいいんですか?」と聞かれ、「サバキは全て攻めなんだ」と教えたものの、門下生は「?」という顔をしていた、というエピソードを紹介していました。
 実はこの門下生が発した質問は芦原会館のみならず、サバキ系のカラテをしている相当数の人間が「攻めのサバキ」を知らない、理解していない、知ろうとしていないということを見事に表しています。これは芦原現役時代の自分が全くそのとおりだったので、実感を以てそう言い切れます。
 ワタクシの場合は「サバキはすごいものなんだから、稽古を続けてさえいれば、そのうち『攻め』のほうもわかるようになる」という安易な考えをしていたので、種類としては「知ろうとしない」ヤツに分類されたと思います。
 その後ワタクシは別流派に移り、フルコン&グローブルールのガチスパーで、物理的にも精神的にもボッコボコに打ち砕かれ、ようやく「受けのサバキしかできてなかった」ということを認識し、そして「攻めのサバキ」ができないヤツのサバキは完全なカタワだったんだ、ということを、深く深く反省しました。
 
 いやしくもカラテを標榜するのであれば、まずはふつうに打ち合える実力とタクティクスを磨くべし。その中で真に生まれる技を競い合うべし。変な型にはめる小難しいルールはなるべく排除すべし…という当たり前のことを、試合運営側にはぜひ認識してほしいと考えております。
 次回の「ふしぎ発見!」は試合編に引き続き「護身に特化したサバキをしている集団」の問題点を「護身編」として洗い出していきたいと思います。

サバキ、ふしぎ発見!(それはサバキの進化?退化? 試合編その1)

2019-07-12 20:35:47 | 芦原会館修行記
 「サバキ」を辞書風に定義づけるとするならば「芦原英幸先代館長が作った、芦原会館オリジナルの空手のテクニック」でしょうが、サバキはそういった陳腐な定義を超えて余りある魅力があり、好事家には特別な思いをもって受け止められているもの。そのことは、先代没後20数年を経た現在もなお、芦原会館以外の「サバキ」を名乗る道場・団体が多数存在するという事実が、何よりの証左でしょう。
 しかし、そうした「サバキ」を標榜する道場・団体の現状は「玉石混合」としか言えない、ということも、悲しいことですが事実です。
 その「石」を大きくふたつに分けますと、「サバキらしき試合をやっている集団」と、「護身に特化したサバキをやっている集団」となりますが、今回はは、前者が行っている試合と、その問題点を分析していきたいと思います。
(なお前者につき、「サバキチャレンジ」を永年開催されている円心会館は除きます(;^ω^))。

 YOUTUBEなどでは、芦原会館・円心会館などから独立した団体(まれに、総本部の言うことを聞かない支部も混じる(-_-;))が主催している「サバキルール」的な試合をいくつか確認することができます。
 しかしこれがまあ、どれもこれも、正視に堪えないほどひどいレベルです。
 突き蹴りもろくに出さず、開始の合図とともにオッサン同士がゴチャゴチャ揉み合いをやり、そこからようやっとローキックやショートパンチをチョコチョコ出し合う…審判が分ける…同じことをまたやる…1試合見ただけで「もういい!」となるレベル。それでもガマンして何試合か見ましたが、サバキとしても、空手としても、褒めるべき点を一切見つけることはできませんでした。

 こうした情けない試合を生み出す原因は、以下の3つに集約されます。
①主催者がサバキというものを誤解していること
②①から派生した誤解により、「サバキを用いる試合」というものの原理原則が曲解されていること
③まともな審判がいないこと
 ③はすぐにわかる欠点ですが、①②についてはちょっと説明が必要です。その「誤解」「曲解」とは?順を追って説明いたします。

 まずは①「サバキに対する誤解」。
 この誤解とは、一言でいえば「サバキとは掴まないと始まらないものだ、掴んで崩すもんだ、掴んで投げるもんだ」という思い込みを指します。
 「サバキ」という技術自体はすばらしいものですが、サバキのオリジナル団体である芦原会館をはじめ、サバキを標榜する各種団体の母体となる武道はあくまでも空手。磨くべきメインウェポンは突きであり、蹴りであることは論を俟ちません。
 先代はその点をよくわかっており、各種の著書で「サバキは当然空手だが、相手の身体の安全を考え、あるいは正当防衛を考えて、より安全と思われる方法で制圧しているだけ」と、投げや崩しはあくまでも稽古や護身のなかで、相手の安全などを慮って行う性質のものだと説明しております。
 ところが、サバキの表面しか見えない幾人かは、冒頭に掲げた「サバキとは掴んで投げるもんだ、掴んで崩すもんだ」という悪いマスト思考に陥っており、その考え方が、サバキの大原則である「まずはインファイトせよ!」の教訓を誤った方向に導き、結果、②を呼び込みます。

 続きまして②の説明です。
 サバキを試合形式で競うに際し、最も重要視すべき項目は、先ほどもお話しましたとおり、空手のメインウェポンである突き蹴りの有効性(ちゃんと当たる、ちゃんと効く)であるべきです。これは伝統派であろうと、防具ルールであろうと、グローブルールであろうと、フルコンであろうと、「空手」を標榜するものは、須くそうあらねばなりません。
 従って、空手の試合にあって投げ・掴み・崩しの類は、突き蹴りより優先度を下げるべきものであり、メインたる突き蹴りを押しのけてまでルールに溶かし込んでいいものではありませんし、また、「先ずは掴み・投げありき」のルールで選手を縛っていいものでもありません。

 ちょっと長くなりましたので、②をちょいと中断し、次回は「攻めのサバキ」と「受けのサバキ」は同根異種であり、そのことを理解せずしてサバキ試合なんて成り立たない、というお話をします。