うちの会社に入って、私は「強い」人を見たことがありません。「うまい」とか「すばしっこい」という人は多少知ってますが。
いや、一人だけ例外がいました。「いました」と過去形なのが残念なのですが。
大阪の泉州支社時代に師事した(と私が勝手に思っている)Fさんという方です。
京都府舞鶴市出身。京都府警のおまわりさんからうちの会社に転職した変わり種の方で、私が勝手につけて流行らせたあだ名が「若狭の拳王」。
拳王の名に恥じない強さ、優しさ、意識の高さを持ち合わせた、まさしく唯一にして、最強の先輩でした。
F先輩は泉州支社に入る前から、我が社の中でその強さは鳴り響いていました。
我が社の全国逮捕術大会3期連続優勝!先代館長のときに芦原会館2段を取得!もと京都府警の特練!
F先輩の徒手格闘技の強さは、バカと素人とザコしかいない(私も含め)うちの会社のレベルを、はるかに超えるものでした。
F先輩と唯一、一緒の課になったのは平成15年のことでした。
F先輩は格闘技のみならず、仕事でも一流の腕を持っていましたが、不肖の後輩の私は、仕事も格闘技も何もかも、ダメダメで中途半端。F先輩は憐憫のため息をついておられましたが、そんなバカ後輩を根気よく、丁寧に指導しておられました。これに関してはいまも感謝の他ありません。
そんなF先輩が、私に一瞬だけマジな目を向けたことがあります。
私が計画した会社挙っての格闘訓練で、フルコンルールのライトスパーを組み込んだことがあります。
「強く当てないで、技のラリーを楽しんで・・・」みたいな感じで始めた訓練。F先輩と私以外は素人ばかりなので、腕にも足にも防具をガチガチに完着し、痛くない状態でワイワイ、キャキャと突き蹴りを楽しんでいた中・・・なにかのめぐり合わせで、F先輩と私があたってしまいました。
私はライトで流すんだろう、と思っていましたら、F先輩の切れ長の目が、恐ろしい殺気を放ったのです。
そういえば、F先輩には「わたしいちおう、芦原会館の初段なんですー」みたいな話をした記憶がありました。まさかこの機会に、ガチの実力を試そうと考えたのでは・・・(汗)「マジでやらないと殺られる!!!!!」
私はマジで戦慄しました。
タイムキーパーのアホが発した気の抜けた開始の合図とともに、わずか1分、されど1分、永遠にも思えた、F先輩とのガチのスパーが始まりました。
身長は高くないのですが、全身がガチガチに鍛えられ、しかもその手足が身長に比してやたらと長いF先輩のロングフック、ローキックがバンバン命中します。丸太で殴られるような衝撃と、スキのないコンビネーション。打つ手がないとはこのことです。
やっとの思いで突き蹴りを返しますが、軽くいなされ、逆にカウンターのローや下突きを返される始末。さすがは先代館長に認められた二段は違います。
ラスト10秒がコールされたとき、F先輩は一気に前に出てきました。左利きのF先輩は、右足前のサウスポースタイルです。
本当に、本当に反射的に、私は前足である左のミドルを振りました。そのミドルは、本当にたまたま、ガードを上げて突進するF先輩の右脇腹にヒットしました。まさに偶然としか言いようがありません。
わずかに拳王の足が止まった!私は全身の祈りを込めた右のローを、止まった先輩の左足に入れました。アウトローキックという、前足ではなく奥足へ入れるローキック。今ではとてもポピュラーなテクですが、このときはたまたま、ほんとうにたまたま出ました。
わずかに崩れた拳王。しかしすぐに前手の右の下突きを私の腹に返そうとした・・・時、時間になりました。
先輩は私の腹に、ズドン!と決まるはずだった下突きをぽん、と当てて
「あーあ、H(←私の本名)にいじめられたよー」
などと軽口を叩きながら、次の相手に向かって行きました。
いや、いじめられたのは私の方なんですが・・・ガタガタ。
F先輩はこのスパー後、数年だけ和歌山に転勤しましたが、すぐ泉州支社に復帰。その優れた格闘能力と格闘に関する造詣に、しばしば教えられ、啓蒙されるところ大でした。
さらにその後、福井支社に転勤になった・・・と思った瞬間、F先輩はなんと、民間の格闘技道場にインストラクターとして転身を遂げてしまわれました。
びっくりすると同時に、「F先輩らしいなあ~」と、変な感心をしてしまいました。たぶん私だけでしょうが。
ちなみに、その格闘技道場の「インストラクター紹介」の写真を見ても、F先輩ほどの凄さを感じる人間は全くおらず、おそらく転職後2年以上を経た現在では、F先輩は相当偉いさんになっておられるのでは、と愚考する今日このごろです。
うちの会社の中ではいろいろゴチャゴチャ言われていますが、40歳を過ぎて、自分の格闘技に関する造詣に人生を賭けた先輩を、私は無条件に尊敬します。チキンでビビリな私には、絶対にできないことです・・・・
F先輩は、今の会社で出会った、唯一にして無二、格闘技関係で尊敬してやまない先輩です。
いや、一人だけ例外がいました。「いました」と過去形なのが残念なのですが。
大阪の泉州支社時代に師事した(と私が勝手に思っている)Fさんという方です。
京都府舞鶴市出身。京都府警のおまわりさんからうちの会社に転職した変わり種の方で、私が勝手につけて流行らせたあだ名が「若狭の拳王」。
拳王の名に恥じない強さ、優しさ、意識の高さを持ち合わせた、まさしく唯一にして、最強の先輩でした。
F先輩は泉州支社に入る前から、我が社の中でその強さは鳴り響いていました。
我が社の全国逮捕術大会3期連続優勝!先代館長のときに芦原会館2段を取得!もと京都府警の特練!
F先輩の徒手格闘技の強さは、バカと素人とザコしかいない(私も含め)うちの会社のレベルを、はるかに超えるものでした。
F先輩と唯一、一緒の課になったのは平成15年のことでした。
F先輩は格闘技のみならず、仕事でも一流の腕を持っていましたが、不肖の後輩の私は、仕事も格闘技も何もかも、ダメダメで中途半端。F先輩は憐憫のため息をついておられましたが、そんなバカ後輩を根気よく、丁寧に指導しておられました。これに関してはいまも感謝の他ありません。
そんなF先輩が、私に一瞬だけマジな目を向けたことがあります。
私が計画した会社挙っての格闘訓練で、フルコンルールのライトスパーを組み込んだことがあります。
「強く当てないで、技のラリーを楽しんで・・・」みたいな感じで始めた訓練。F先輩と私以外は素人ばかりなので、腕にも足にも防具をガチガチに完着し、痛くない状態でワイワイ、キャキャと突き蹴りを楽しんでいた中・・・なにかのめぐり合わせで、F先輩と私があたってしまいました。
私はライトで流すんだろう、と思っていましたら、F先輩の切れ長の目が、恐ろしい殺気を放ったのです。
そういえば、F先輩には「わたしいちおう、芦原会館の初段なんですー」みたいな話をした記憶がありました。まさかこの機会に、ガチの実力を試そうと考えたのでは・・・(汗)「マジでやらないと殺られる!!!!!」
私はマジで戦慄しました。
タイムキーパーのアホが発した気の抜けた開始の合図とともに、わずか1分、されど1分、永遠にも思えた、F先輩とのガチのスパーが始まりました。
身長は高くないのですが、全身がガチガチに鍛えられ、しかもその手足が身長に比してやたらと長いF先輩のロングフック、ローキックがバンバン命中します。丸太で殴られるような衝撃と、スキのないコンビネーション。打つ手がないとはこのことです。
やっとの思いで突き蹴りを返しますが、軽くいなされ、逆にカウンターのローや下突きを返される始末。さすがは先代館長に認められた二段は違います。
ラスト10秒がコールされたとき、F先輩は一気に前に出てきました。左利きのF先輩は、右足前のサウスポースタイルです。
本当に、本当に反射的に、私は前足である左のミドルを振りました。そのミドルは、本当にたまたま、ガードを上げて突進するF先輩の右脇腹にヒットしました。まさに偶然としか言いようがありません。
わずかに拳王の足が止まった!私は全身の祈りを込めた右のローを、止まった先輩の左足に入れました。アウトローキックという、前足ではなく奥足へ入れるローキック。今ではとてもポピュラーなテクですが、このときはたまたま、ほんとうにたまたま出ました。
わずかに崩れた拳王。しかしすぐに前手の右の下突きを私の腹に返そうとした・・・時、時間になりました。
先輩は私の腹に、ズドン!と決まるはずだった下突きをぽん、と当てて
「あーあ、H(←私の本名)にいじめられたよー」
などと軽口を叩きながら、次の相手に向かって行きました。
いや、いじめられたのは私の方なんですが・・・ガタガタ。
F先輩はこのスパー後、数年だけ和歌山に転勤しましたが、すぐ泉州支社に復帰。その優れた格闘能力と格闘に関する造詣に、しばしば教えられ、啓蒙されるところ大でした。
さらにその後、福井支社に転勤になった・・・と思った瞬間、F先輩はなんと、民間の格闘技道場にインストラクターとして転身を遂げてしまわれました。
びっくりすると同時に、「F先輩らしいなあ~」と、変な感心をしてしまいました。たぶん私だけでしょうが。
ちなみに、その格闘技道場の「インストラクター紹介」の写真を見ても、F先輩ほどの凄さを感じる人間は全くおらず、おそらく転職後2年以上を経た現在では、F先輩は相当偉いさんになっておられるのでは、と愚考する今日このごろです。
うちの会社の中ではいろいろゴチャゴチャ言われていますが、40歳を過ぎて、自分の格闘技に関する造詣に人生を賭けた先輩を、私は無条件に尊敬します。チキンでビビリな私には、絶対にできないことです・・・・
F先輩は、今の会社で出会った、唯一にして無二、格闘技関係で尊敬してやまない先輩です。