本回は、オッチャンの足跡を辿る取材の中で発掘し、一等面白い話題であったことから、特に回を設けてお話ししたいと思います。
オッチャンはその生涯を通じ、こと野球に関しては極めてマジメな求道者であり、また、学業成績も極めて優秀でした。まさに文武両道を地で行く優等生…だったのですが、その反面、武闘派でバンカラな一面も併せ持っていました。
柳井中学入学に際し、得意の柔道の腕があり、また、他を圧する「戦闘オーラ」がにじみ出ていたことから、転入生にありがちな「ヤキ入れ」の被害に遭うこともなかった、というのは以前お話ししたとおりです。
まあ、商都柳井(当時の話です!)の商家のボンボンばっかりの柳井中学にいるお坊ちゃん不良ごとき、所詮、幼少時から厳しい人生を送ることを余儀なくされていたオッチャンの敵ではなかった、というのが本当のところでしょう。それはともかく。
オッチャンが自らの「野心時代」に苦しんだモノは二つあります。
まずは野球。柳井中学時代とは比較にならないきつくてレベルの高い練習、なかなか上達しない自分へのもどかしさ…
その次の悩みは、実に即物的なものでした。
オッチャンは早大の合宿生活を、自著でこう振り返っています。
「当時の早大の規則なるものは、禁酒、禁煙、女人禁制、断髪であった。」
このうち「禁煙」が、野心時代のオッチャンを苦しめる、もう一つの怨敵となったのです。
オッチャンは中学三年時から喫煙の習慣があり、キツい練習の合間にゴールデンバットをスパ~っ、というのが趣味のひとつでした。
「中学三年時」というのが、岩国中学にいた1学期ころの話なのか、それとも柳井中学に転校した2学期以降のことなのかは判然としないのですが、それはともかく、甲子園を目指して猛練習に明け暮れていた2年半の間、オッチャンの座右に常にゴールデンバットがあったことは、間違いないようです。
現在もタバココーナーのすみっこで連綿と販売されている「ゴールデンバット」。当時は1箱20本入りで7銭。貨幣博物館HPによりますと、昭和2年当時の1銭は平成17年現在の6.05円に相当するそうですので、単純計算すると、ゴールデンバット1箱のお値段は、現在の50円弱ということになります。安い!!!!
ちなみに当時は酒・タバコといった嗜好品は、現在とは比べて種類もバライティーもお話しにならないほど少なかった時代。国産のタバコや酒は、現代とは比べ物にならないほど安く、だからこそ、中学生であったオッチャンでも気軽に買えて、喫えたわけですね。
…と、ここまで読んで、現代のタバコ事情しか知らないアタマが短絡的な人(いわゆる常識厨、不謹慎厨と言われる方々)は、「中学生(年齢としては現在の高校1年生くらいに相当)がタバコ?不良だ!犯罪だ!そんなものをブログに書いていいのか!!!」などと言い出すかもしれません。
そういうアタマの血の巡りがわるい方々対策のため、戦前のタバコ事情についてもちょっと触れておきます。
「未成年の喫煙ダメ」というのは、古く明治時代から議論の対象になっており、茨城県の名物代議士・根本正(ねもと・しょう)が帝国議会に提出、そのまま承認された「未成年者喫煙禁止法」(明治33年3月7日法律第33号)により、未成年者の喫煙はいちおう、法律で禁止されています。
ただしこの法律の条文には「●才以下の未成年は…」という、年齢の明文化がなされておらず、ただ「未成年ハ」としか書かれていませんでした。
当時、「子供」という名乗りを赦されたのは学歴でいえば高等小学校卒業時期、年齢に換算すれば満14歳ころまで(当時、中等学校相当の上級学校への進学率は10%前後)。それを過ぎれば、即座に社会の即戦力「オトナ」となることを強要され、 現代のように、大人でも子供でもない「青年」という時代を過ごすことが許されなかった時代です。
だから「未成年」という語彙が持つ意味は、潜在的に上記の時期となるわけですので、当時は現在の年齢で15歳くらいでタバコをふかしても、周囲は何も思わない。それが当たり前でした。今の尺度で「未成年の喫煙がナンチャラ」などと訳知り顔に唱えることは、全くの無知から来る驕りであり、片手落ちというレッテルを貼ってもいいでしょう。
余談ですが、超名作文学作品であり、戦前の不良事情?を知るうえで、唯一無二の一級品史料でもある「けんかえれじい」(鈴木隆・岩波現代文庫)によると、当時の中等学校・実業学校に所属する不良は、硬派軟派取り混ぜてタバコを喫うのが当たり前であり、硬派には硬派の、軟派には軟派の「喫煙流儀」みたいなものがあったことが描かれています。
ちなみに硬派は「喫煙はいとわざるも、ナタマメ煙管にて、はぎ、なでしこ等、きざみ(タバコ。当時は刻みタバコを袋に入れて売っているものもあった)を服用すれば一段と光彩を放つべし」、軟派も「喫煙(エス)を覚えるは時期は早きほどよし。大陸の支那人は、5歳より喫煙の風習あり」と、硬軟とりまぜ、喫煙にはコダワリがあったことが伺えます(;^ω^)。
ともあれ、オッチャンの禁煙は野球以上の苦闘を極めます。
オッチャンの自著には、この苦しい禁煙について全く触れていませんが、「野球界」22巻第6号において、諏訪正穂(この人物については現在調査中。「野球界」では、かなりの数の記事を書いていることが確認できます)がその苦闘を代弁してくれています。そのタイトルはズバリ「煙草・杉田屋・闘志」。そのまんまですね(;^ω^)。以下引用。
「(オッチャンは早大合宿に入り)中学三年よりなつかしんだ煙草に断然決別を宣言した。
だが、この訣別宣言の後彼はどんなに苦しんだことか。彼は煙草、煙草とその名を呼び続けた。」
苦しい禁煙に我慢の限界に達したオッチャンは、遂に外出の帰途、ゴールデンバットを購入。密かに合宿に持ち帰ると、誰にも気づかれない場所で、スパーっと吹かしました。久々の紫煙に、目が回るようなうまさ、快さを感じるオッチャン…。
しかしふと冷静になったとき、とんでもなく大きな慚愧の念がこみ上げてきました。
「快さと同時に真っ黒い反省が沸き上がってくるのだ。彼は自分の弱さと好意を恥じた。」
我に返ったオッチャンは、ゴールデンバットを、吸いさしの1本と共に窓から投げ捨てます。
…しかし、ひとたび紫煙の魅力を思い出してしまったオッチャンのカラダは正直で(;'∀')、「夜中に目が覚め、電灯を点じてみると買ってきた筈の(ゴールデン)バットがない。彼はサッキ捨てたことを忘れているのだ。捨てたことを思い出せば矢も盾もたまらず」屋外に飛び出します。
さっき捨てたばかりのゴールデンバットの箱を拾い直して1本だけ抜き取り、部屋に持ち帰って火を点けるオッチャン。再び、紫煙の快さに包まれたわけですが…「又も黒い反省は彼を包んだ。」
オッチャンは1本を喫い切らないうちに決然、タバコをもみ消すと、また屋外に放りだしたのでした。
この1回だけでなく、「野心時代」のオッチャンは同じようなことを幾度か繰り返し、そのたびに「黒い反省」をするわけですが…
野心時代のオッチャンを苦しめたのは、野球技術の上達と、まさにこの禁煙であったのです。
※作中、オッチャンが窓からタバコをゴミのように放り投げるシーンがありますが、戦前の当時、ゴミの路上等へのポイ捨ては普通のことであり、オッチャンに非があるわけではありません。
「ゴミをポイ捨てするのは、いいのか!」という短絡的な抗議をしようと企図している方が居られましたら、まずは当時の事情をよく調べてから文句を垂れるよう、よろしくお願いいたします。
【第37回参考文献】
・「私の野球生活」私家版 杉田屋守著 杉田屋卓編
・「柳井高等学校野球部史」柳井高等学校野球部史編集委員会
・「野球界」第22巻第6号(昭和7年5月刊行)
・「けんかえれじい」鈴木隆著 岩波現代文庫
・「ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~」吉本浩二著 アクションコミックス
・日本銀行金融研究所貨幣博物館HP
オッチャンはその生涯を通じ、こと野球に関しては極めてマジメな求道者であり、また、学業成績も極めて優秀でした。まさに文武両道を地で行く優等生…だったのですが、その反面、武闘派でバンカラな一面も併せ持っていました。
柳井中学入学に際し、得意の柔道の腕があり、また、他を圧する「戦闘オーラ」がにじみ出ていたことから、転入生にありがちな「ヤキ入れ」の被害に遭うこともなかった、というのは以前お話ししたとおりです。
まあ、商都柳井(当時の話です!)の商家のボンボンばっかりの柳井中学にいるお坊ちゃん不良ごとき、所詮、幼少時から厳しい人生を送ることを余儀なくされていたオッチャンの敵ではなかった、というのが本当のところでしょう。それはともかく。
オッチャンが自らの「野心時代」に苦しんだモノは二つあります。
まずは野球。柳井中学時代とは比較にならないきつくてレベルの高い練習、なかなか上達しない自分へのもどかしさ…
その次の悩みは、実に即物的なものでした。
オッチャンは早大の合宿生活を、自著でこう振り返っています。
「当時の早大の規則なるものは、禁酒、禁煙、女人禁制、断髪であった。」
このうち「禁煙」が、野心時代のオッチャンを苦しめる、もう一つの怨敵となったのです。
オッチャンは中学三年時から喫煙の習慣があり、キツい練習の合間にゴールデンバットをスパ~っ、というのが趣味のひとつでした。
「中学三年時」というのが、岩国中学にいた1学期ころの話なのか、それとも柳井中学に転校した2学期以降のことなのかは判然としないのですが、それはともかく、甲子園を目指して猛練習に明け暮れていた2年半の間、オッチャンの座右に常にゴールデンバットがあったことは、間違いないようです。
現在もタバココーナーのすみっこで連綿と販売されている「ゴールデンバット」。当時は1箱20本入りで7銭。貨幣博物館HPによりますと、昭和2年当時の1銭は平成17年現在の6.05円に相当するそうですので、単純計算すると、ゴールデンバット1箱のお値段は、現在の50円弱ということになります。安い!!!!
ちなみに当時は酒・タバコといった嗜好品は、現在とは比べて種類もバライティーもお話しにならないほど少なかった時代。国産のタバコや酒は、現代とは比べ物にならないほど安く、だからこそ、中学生であったオッチャンでも気軽に買えて、喫えたわけですね。
…と、ここまで読んで、現代のタバコ事情しか知らないアタマが短絡的な人(いわゆる常識厨、不謹慎厨と言われる方々)は、「中学生(年齢としては現在の高校1年生くらいに相当)がタバコ?不良だ!犯罪だ!そんなものをブログに書いていいのか!!!」などと言い出すかもしれません。
そういうアタマの血の巡りがわるい方々対策のため、戦前のタバコ事情についてもちょっと触れておきます。
「未成年の喫煙ダメ」というのは、古く明治時代から議論の対象になっており、茨城県の名物代議士・根本正(ねもと・しょう)が帝国議会に提出、そのまま承認された「未成年者喫煙禁止法」(明治33年3月7日法律第33号)により、未成年者の喫煙はいちおう、法律で禁止されています。
ただしこの法律の条文には「●才以下の未成年は…」という、年齢の明文化がなされておらず、ただ「未成年ハ」としか書かれていませんでした。
当時、「子供」という名乗りを赦されたのは学歴でいえば高等小学校卒業時期、年齢に換算すれば満14歳ころまで(当時、中等学校相当の上級学校への進学率は10%前後)。それを過ぎれば、即座に社会の即戦力「オトナ」となることを強要され、 現代のように、大人でも子供でもない「青年」という時代を過ごすことが許されなかった時代です。
だから「未成年」という語彙が持つ意味は、潜在的に上記の時期となるわけですので、当時は現在の年齢で15歳くらいでタバコをふかしても、周囲は何も思わない。それが当たり前でした。今の尺度で「未成年の喫煙がナンチャラ」などと訳知り顔に唱えることは、全くの無知から来る驕りであり、片手落ちというレッテルを貼ってもいいでしょう。
余談ですが、超名作文学作品であり、戦前の不良事情?を知るうえで、唯一無二の一級品史料でもある「けんかえれじい」(鈴木隆・岩波現代文庫)によると、当時の中等学校・実業学校に所属する不良は、硬派軟派取り混ぜてタバコを喫うのが当たり前であり、硬派には硬派の、軟派には軟派の「喫煙流儀」みたいなものがあったことが描かれています。
ちなみに硬派は「喫煙はいとわざるも、ナタマメ煙管にて、はぎ、なでしこ等、きざみ(タバコ。当時は刻みタバコを袋に入れて売っているものもあった)を服用すれば一段と光彩を放つべし」、軟派も「喫煙(エス)を覚えるは時期は早きほどよし。大陸の支那人は、5歳より喫煙の風習あり」と、硬軟とりまぜ、喫煙にはコダワリがあったことが伺えます(;^ω^)。
ともあれ、オッチャンの禁煙は野球以上の苦闘を極めます。
オッチャンの自著には、この苦しい禁煙について全く触れていませんが、「野球界」22巻第6号において、諏訪正穂(この人物については現在調査中。「野球界」では、かなりの数の記事を書いていることが確認できます)がその苦闘を代弁してくれています。そのタイトルはズバリ「煙草・杉田屋・闘志」。そのまんまですね(;^ω^)。以下引用。
「(オッチャンは早大合宿に入り)中学三年よりなつかしんだ煙草に断然決別を宣言した。
だが、この訣別宣言の後彼はどんなに苦しんだことか。彼は煙草、煙草とその名を呼び続けた。」
苦しい禁煙に我慢の限界に達したオッチャンは、遂に外出の帰途、ゴールデンバットを購入。密かに合宿に持ち帰ると、誰にも気づかれない場所で、スパーっと吹かしました。久々の紫煙に、目が回るようなうまさ、快さを感じるオッチャン…。
しかしふと冷静になったとき、とんでもなく大きな慚愧の念がこみ上げてきました。
「快さと同時に真っ黒い反省が沸き上がってくるのだ。彼は自分の弱さと好意を恥じた。」
我に返ったオッチャンは、ゴールデンバットを、吸いさしの1本と共に窓から投げ捨てます。
…しかし、ひとたび紫煙の魅力を思い出してしまったオッチャンのカラダは正直で(;'∀')、「夜中に目が覚め、電灯を点じてみると買ってきた筈の(ゴールデン)バットがない。彼はサッキ捨てたことを忘れているのだ。捨てたことを思い出せば矢も盾もたまらず」屋外に飛び出します。
さっき捨てたばかりのゴールデンバットの箱を拾い直して1本だけ抜き取り、部屋に持ち帰って火を点けるオッチャン。再び、紫煙の快さに包まれたわけですが…「又も黒い反省は彼を包んだ。」
オッチャンは1本を喫い切らないうちに決然、タバコをもみ消すと、また屋外に放りだしたのでした。
この1回だけでなく、「野心時代」のオッチャンは同じようなことを幾度か繰り返し、そのたびに「黒い反省」をするわけですが…
野心時代のオッチャンを苦しめたのは、野球技術の上達と、まさにこの禁煙であったのです。
※作中、オッチャンが窓からタバコをゴミのように放り投げるシーンがありますが、戦前の当時、ゴミの路上等へのポイ捨ては普通のことであり、オッチャンに非があるわけではありません。
「ゴミをポイ捨てするのは、いいのか!」という短絡的な抗議をしようと企図している方が居られましたら、まずは当時の事情をよく調べてから文句を垂れるよう、よろしくお願いいたします。
【第37回参考文献】
・「私の野球生活」私家版 杉田屋守著 杉田屋卓編
・「柳井高等学校野球部史」柳井高等学校野球部史編集委員会
・「野球界」第22巻第6号(昭和7年5月刊行)
・「けんかえれじい」鈴木隆著 岩波現代文庫
・「ルーザーズ~日本初の週刊青年漫画誌の誕生~」吉本浩二著 アクションコミックス
・日本銀行金融研究所貨幣博物館HP