今回の投稿は、けっこう「物理的に痛々しい話」「胸糞の悪い話」が続出しますので、そういったものが苦手な方は、現時点で閲覧おやめいただくようお願い致しますm(__)m。
20年以上、武道や格闘技の沼にドップリ漬かっているワタクシには全く信じられないことですが、精神的なもののみならず、肉体的な「人の痛み」に全く想像力が働かないキチガイが、悲しいことにいつの時代にも一定数存在します。
平成4年、3人組の少年(事件当時)がわずか11日の間に、3府県にまたがって合計4人を殺して歩くという、日本事件史上でも稀に見る凶悪な事件が発生しました(犯人は全員死刑判決。死刑確定までには、被疑者の雇った腐れ弁護士による、到底人間がなすべきではないような法廷闘争がなされていますが、本稿の趣旨から外れますので、それは割愛します)。
Youtube「懲役太郎チャンネル」でおなじみの懲役太郎氏は、この被疑者(主犯)らしき人物と出会った時のことを著書に書いていますが、その腐りきった精神は、「前科3犯、893番!」の懲役太郎さんですら驚くものだったそうです。
「ある少年(事件当時)がリンチをして相手を殺した事件があったんです。その死体検案書(死亡理由を医師が記した書類のこと)を目にしましたが、体に一滴も血が残っていなかったそうです。世の中にはそこまでリンチをする奴もいるんです。(中略)
結局、この少年は半月以内に4人殺しました。人を殺すことに全く躊躇がない人間なんです。まるっきり狂っています。
収監をされても反省もクソもないんです。刑務官の隙を見て脱獄したいといっているわけです。」
(「塀の中の元極道Youtuberが明かすヤクザの裏知識」懲役太郎著 宝島社より抜粋)
これなんかは「人の痛みに想像力が働かない」ということに関して言えば、懲役太郎氏がいう「まるっきり狂っている」というレベルと断じていいでしょう。
調べればすぐにわかることですが、このクソガキ(事件当時は少年)は、社会の底辺を這いずっていた人間であり、学校すらロクに通っていなかった劣悪な生育環境が「他者の痛み」の共感の欠落を招いたわけですが、それとは逆に、名門大学まで進学した高学歴者のくせに人の痛みに想像力が働かず、しかも人体に対する基礎知識がガッポリと欠如したうえで、人の痛みを全く無視した残虐な犯罪に及んだ、救いがたいバカも存在します。
ずいぶん古い話になりますが、大昔、バカ学生が革命を気取り、ゲバ棒を振り回してキャンパスや街で暴れるという、極めて恥ずかしいことをしていたしょうもない時代がございました。
この中でも、特に狂暴化した一部極左学生が「連合赤軍」を名乗り、数々の犯罪を重ねた挙句、昭和47年、河合楽器の保養所であった「あさま山荘」に立てこもり、国民注視の籠城戦を繰り広げて壊滅しました。
その後の捜査で、彼らが壮絶な内ゲバによって合計12人もの仲間を殺害、死体を山中に埋め、遺棄していたことが判明します。
そのうち、榛名山のアジトでリンチに遭って殺されたのは4人。
リンチの原因はいずれも本当に些細で、実に取るに足らないようなことばかりなのですが、ヤツらがなぜその程度の理由で、仲間であった人間を無慈悲に殴り続けることができたのか?
これについてはワタクシもこれまで、けっこうな数の関連本を読みましたが、いちばん合理性&説得力があるものをここに紹介します。
「根拠は森恒夫(当時の連合赤軍リーダー)が『殴ることは指導である。殴って気絶させる』ことで総括は終わると言った。なぜなら『気絶から目覚めたときには別の人間に生まれ変わって、立派な共産主義者になっている』からだと。」
「悪魔祓いで悪霊が退散する瞬間だ。あれと同じ。目覚めて『ここはどこ』みたいに頽廃の資本主義的思考が消え去っているはずだとみんなは考えた。」
(「偏見自在 トランプ、ウソつかない」高山正之 新潮文庫より抜粋)
…これ、一見冗談のように思えるかもしれませんが、この一節を読んでから改めて関連本を再読しますと、この冗談を本当に信じていた、あるいはこのトンデモ理論にすがっていたとしか思えない箇所がチョコチョコ見受けられます。
ちなみに、彼らが「体内にあるブルジョア体質が抜ける」と認める制裁基準は、当時の幹部・坂口弘死刑囚の著書「あさま山荘1972」によると「顔が二、三倍に腫れあがるまで」だったそうで(-_-;)…まるっきり、マンガの世界です。
ところが制裁対象者の顔は、殴れども殴れどもなかなか思うように腫れあがりません(-_-;)し、なかなか気絶もしてくれませんでした。ま、非力な素人がメチャクチャに殴っているだけですから、当然ちゃー当然ですけどね。
顔を殴っても気絶しないことに焦った馬鹿学生たちは、こんどは腹を殴ることに執心しますが、これが結局、気絶による「悪魔祓い」どころか、仲間の惨殺というとんでもない結果を招きます。
「尾崎(充男)は鳩尾を集中して突かれ、膝蹴りを食い、悶絶の果てに絶命した。」「進藤(隆三郎)も同じ。腹と胸だけ殴られ、失禁して絶命した。気が付いた時には総括の名で12人が死んでいた。」(前掲書)
前出の坂口死刑囚は、前掲著書の中で「どうしてこんなことになってしまったのか」と書いていますが、これは、仲間をつまらない動機と稚拙な手法で殺してしまったことに対する悔恨ではなく、「なぜ漫画やテレビみたいに気絶しないのか」(前掲書より)という、自分勝手な戸惑いと苛立ちを書いているだけであり、こんなことでは殺された12人も、さぞかし浮かばれないことでしょう。
この事件ののち、さらに生き残った極左バカ学生たちは「東アジア反日武装戦線」という、ギャグマンガに出てきそうな名前の集団(しかも犯罪を実行する班の名前が「牙」「大地の牙」って…中二病丸出し( ゚д゚))を形成、昭和49~50年にかけ、有名な企業連続爆破事件を起こしています。
警察による必死の捜査の末、犯人は検挙されましたが、その後の取り調べにおいて、犯人たちは「ビルを爆破して企業を脅かすことが目的であって、爆弾によって、ビルの中の人や通行人が死傷するなんて思いもしなかった」などとほざいていたそうです。
どっからどう考えても「バカ言うな!寝言は寝てから言え!」というレベルの話ですが、ヤツらの仲間であった連合赤軍の「総括」の理由、その後の経緯を勘案すれば、むべなるかな…とも思えないこともありません。
ともあれ、「人の痛みに対する想像力がない狂人」というものは、家柄や育ち、学歴に関係なく発生するものであり、その該当者は人生において取り返しのつかない、決定的な失敗をするということがおわかり頂けましたでしょうか。
人の痛みのわかる素敵なオトナになるため、みなさん、道場で汗を流し、我が身に打撃を受け、投げを受け、関節技を極められして、痛みを知ろうではありませんか(←最後はそういう結論かよ!というツッコミをお待ち申し上げております(;^ω^))。
蛇足ですが、本稿を記載するにあたり、様々な文献をあたった結果…弁護士という生き物が、今まで以上に大嫌いになりました。
20年以上、武道や格闘技の沼にドップリ漬かっているワタクシには全く信じられないことですが、精神的なもののみならず、肉体的な「人の痛み」に全く想像力が働かないキチガイが、悲しいことにいつの時代にも一定数存在します。
平成4年、3人組の少年(事件当時)がわずか11日の間に、3府県にまたがって合計4人を殺して歩くという、日本事件史上でも稀に見る凶悪な事件が発生しました(犯人は全員死刑判決。死刑確定までには、被疑者の雇った腐れ弁護士による、到底人間がなすべきではないような法廷闘争がなされていますが、本稿の趣旨から外れますので、それは割愛します)。
Youtube「懲役太郎チャンネル」でおなじみの懲役太郎氏は、この被疑者(主犯)らしき人物と出会った時のことを著書に書いていますが、その腐りきった精神は、「前科3犯、893番!」の懲役太郎さんですら驚くものだったそうです。
「ある少年(事件当時)がリンチをして相手を殺した事件があったんです。その死体検案書(死亡理由を医師が記した書類のこと)を目にしましたが、体に一滴も血が残っていなかったそうです。世の中にはそこまでリンチをする奴もいるんです。(中略)
結局、この少年は半月以内に4人殺しました。人を殺すことに全く躊躇がない人間なんです。まるっきり狂っています。
収監をされても反省もクソもないんです。刑務官の隙を見て脱獄したいといっているわけです。」
(「塀の中の元極道Youtuberが明かすヤクザの裏知識」懲役太郎著 宝島社より抜粋)
これなんかは「人の痛みに想像力が働かない」ということに関して言えば、懲役太郎氏がいう「まるっきり狂っている」というレベルと断じていいでしょう。
調べればすぐにわかることですが、このクソガキ(事件当時は少年)は、社会の底辺を這いずっていた人間であり、学校すらロクに通っていなかった劣悪な生育環境が「他者の痛み」の共感の欠落を招いたわけですが、それとは逆に、名門大学まで進学した高学歴者のくせに人の痛みに想像力が働かず、しかも人体に対する基礎知識がガッポリと欠如したうえで、人の痛みを全く無視した残虐な犯罪に及んだ、救いがたいバカも存在します。
ずいぶん古い話になりますが、大昔、バカ学生が革命を気取り、ゲバ棒を振り回してキャンパスや街で暴れるという、極めて恥ずかしいことをしていたしょうもない時代がございました。
この中でも、特に狂暴化した一部極左学生が「連合赤軍」を名乗り、数々の犯罪を重ねた挙句、昭和47年、河合楽器の保養所であった「あさま山荘」に立てこもり、国民注視の籠城戦を繰り広げて壊滅しました。
その後の捜査で、彼らが壮絶な内ゲバによって合計12人もの仲間を殺害、死体を山中に埋め、遺棄していたことが判明します。
そのうち、榛名山のアジトでリンチに遭って殺されたのは4人。
リンチの原因はいずれも本当に些細で、実に取るに足らないようなことばかりなのですが、ヤツらがなぜその程度の理由で、仲間であった人間を無慈悲に殴り続けることができたのか?
これについてはワタクシもこれまで、けっこうな数の関連本を読みましたが、いちばん合理性&説得力があるものをここに紹介します。
「根拠は森恒夫(当時の連合赤軍リーダー)が『殴ることは指導である。殴って気絶させる』ことで総括は終わると言った。なぜなら『気絶から目覚めたときには別の人間に生まれ変わって、立派な共産主義者になっている』からだと。」
「悪魔祓いで悪霊が退散する瞬間だ。あれと同じ。目覚めて『ここはどこ』みたいに頽廃の資本主義的思考が消え去っているはずだとみんなは考えた。」
(「偏見自在 トランプ、ウソつかない」高山正之 新潮文庫より抜粋)
…これ、一見冗談のように思えるかもしれませんが、この一節を読んでから改めて関連本を再読しますと、この冗談を本当に信じていた、あるいはこのトンデモ理論にすがっていたとしか思えない箇所がチョコチョコ見受けられます。
ちなみに、彼らが「体内にあるブルジョア体質が抜ける」と認める制裁基準は、当時の幹部・坂口弘死刑囚の著書「あさま山荘1972」によると「顔が二、三倍に腫れあがるまで」だったそうで(-_-;)…まるっきり、マンガの世界です。
ところが制裁対象者の顔は、殴れども殴れどもなかなか思うように腫れあがりません(-_-;)し、なかなか気絶もしてくれませんでした。ま、非力な素人がメチャクチャに殴っているだけですから、当然ちゃー当然ですけどね。
顔を殴っても気絶しないことに焦った馬鹿学生たちは、こんどは腹を殴ることに執心しますが、これが結局、気絶による「悪魔祓い」どころか、仲間の惨殺というとんでもない結果を招きます。
「尾崎(充男)は鳩尾を集中して突かれ、膝蹴りを食い、悶絶の果てに絶命した。」「進藤(隆三郎)も同じ。腹と胸だけ殴られ、失禁して絶命した。気が付いた時には総括の名で12人が死んでいた。」(前掲書)
前出の坂口死刑囚は、前掲著書の中で「どうしてこんなことになってしまったのか」と書いていますが、これは、仲間をつまらない動機と稚拙な手法で殺してしまったことに対する悔恨ではなく、「なぜ漫画やテレビみたいに気絶しないのか」(前掲書より)という、自分勝手な戸惑いと苛立ちを書いているだけであり、こんなことでは殺された12人も、さぞかし浮かばれないことでしょう。
この事件ののち、さらに生き残った極左バカ学生たちは「東アジア反日武装戦線」という、ギャグマンガに出てきそうな名前の集団(しかも犯罪を実行する班の名前が「牙」「大地の牙」って…中二病丸出し( ゚д゚))を形成、昭和49~50年にかけ、有名な企業連続爆破事件を起こしています。
警察による必死の捜査の末、犯人は検挙されましたが、その後の取り調べにおいて、犯人たちは「ビルを爆破して企業を脅かすことが目的であって、爆弾によって、ビルの中の人や通行人が死傷するなんて思いもしなかった」などとほざいていたそうです。
どっからどう考えても「バカ言うな!寝言は寝てから言え!」というレベルの話ですが、ヤツらの仲間であった連合赤軍の「総括」の理由、その後の経緯を勘案すれば、むべなるかな…とも思えないこともありません。
ともあれ、「人の痛みに対する想像力がない狂人」というものは、家柄や育ち、学歴に関係なく発生するものであり、その該当者は人生において取り返しのつかない、決定的な失敗をするということがおわかり頂けましたでしょうか。
人の痛みのわかる素敵なオトナになるため、みなさん、道場で汗を流し、我が身に打撃を受け、投げを受け、関節技を極められして、痛みを知ろうではありませんか(←最後はそういう結論かよ!というツッコミをお待ち申し上げております(;^ω^))。
蛇足ですが、本稿を記載するにあたり、様々な文献をあたった結果…弁護士という生き物が、今まで以上に大嫌いになりました。