集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

組技格闘技の「立って制する」「抑え込む」復権論

2019-08-30 13:14:12 | 格闘技のお話
 最近は武道論や実戦に関するお話し、サバキに関するお話しなどをしておりましたので、今回はひさびさにグラップリングのお話を致します。
 弊ブログはサバキ関連の記事を定期的(…とはいえないほど、更新頻度は悪いですが、それはそれとしまして(;^ω^))にお届けさせてもらっている関係上、閲覧者は打撃系格闘技の関係者が多いと認識しておりますが、実は私、どっちかというとグラップリングのほうが肌合いがよかったりしまして(;^_^A。
 それはともかく、グラップリングのお話をさせていただきます。

 平成10年代なかば、総合を中心に盛況を窮めた組技系格闘技ですが、現在はどうなっているかと言いますと、完全にBJJの一人勝ち、といった状況です。
 以前も弊ブログでお話ししましたが、今一度、BJJが一人勝ちした理由についてお話しいたしますと、
① 立ち技(投げや崩し)のポイント設定が低く、原則寝技に始まって寝技に終わるため、入門して間もない初心者でもそれなりに「寝技試合の形になっている」程度には動けるため、入門当初からいきなり自己肯定感があふれてくる。
② ①に付随し、立ち技がないため場所のコスパが良い。柔道場が1面あれば、最大4組くらいはスパーができる。また、同根の理由からケガが少ない。
③ 「抑え込み」にポイントが付与されないルールであるため、体重があること=有利とはならず、従って小さな人でも大きな人に伍してかなりの時間塩漬け(上から抑え込みなどによりコントロールされ、何もさせてもらえないこと)にされずにムーブすることができるため、かなりの達成感がある。
④ 試合・大会は「帯の色」「年齢」「体重」の3つで細かく区分けされるため、小さな大会ならかなりの高確率で入賞できる。達成感抜群。
⑤ 明確な上部統括組織を持たず、昇級は「黒帯を持っている師匠が認めたら、すぐ昇級」という態であり、原則昇級にかかる費用は不要。月謝も他格闘技に比べて格段に安く、サイフにやさしい。
といったところでしょうか。

 なるほど、こうして見てみるとけっこうなことづくめであり、様々な格闘技が会員減少にあえいでいるいっぽうで、BJJだけが着実に地歩を固めていること、とりわけ女性会員が増えていること(←「女性会員が多い、少ない」というのは、その格闘技の繁栄を計る、本当に大きなバロメーターです!)が、その繁栄の証左となっております。
 現在BJJは「グラップリングをやる人の共通言語」の域にまで達しており、語弊を懼れずに言えば「BJJをやらない者、グラップリングをする者に非ず」的な風潮まであります。

 しかし…です。世の中に「いいことづくめ」ということは存在しません。
 BJJが「グラップラーの共通言語」になるのと歩を一にして、BJJでは重視されない技術がどんどん劣化、衰退し、忘却の彼方へと消えています。
 それは何かといいますと「立って制するグラップリング」と、「抑え込みの技術」です。

 先ほども言いましたが、BJJでは立位の投げ・崩しに全く重きを置きません。柔道では完璧な一本になるほどの投げても、尻もちを付かせる程度の崩しでも等しく2ポイントしか稼げないので、立ち技をやる必要がないからです。
 また、抑え込みに関しては先ほど③に書いた通り、全くポイントにならないどころか、抑え込んだまま動かなかったら逆に注意を受けるので、やる意味がない。なので当然練習なんかしません。
 まあ、「BJJに生き、BJJに死す」という覚悟を持つ方なら、そんなものはやる必要もないから別にいいのですが…この弊害は意外なところに出ています。
 「月刊秘伝」の記載内容をうのみにする人や、増田俊也(ご存知「木村政彦は…」の作者。「木村」は面白いが、この人の雑文はあまり読む価値がない)の主張を奉じている人なら、「寝てばかりでは実戦性がウンヌンカンヌン」などと言うのでしょうが、ワタクシはそんなもんどうでもよくて(;^ω^)、もっと他のことに注目しています。

 国内にある多数の「総合格闘技・グラップリングジム」は、そのほとんどがBJJ部門を併設しており、所属選手は十中八九、「総合の部」と「BJJの部」を掛け持ちしています。
 こういった形式を取るジムや道場では「技を開発する、習得する」ことをBJJ部門が、「スパーや打ち込みなど、試合対応」ことを総合部門が担当しています。なぜならば「総合」とは単なる試合のいち形態であり、「総合」というもの自体には、独自の技術体系が何一つ存在しないからです。
 で、そういう形態で練習を重ねると…今までお話しした通り。「立ち技が極めてショボく、トップを保持する能力のない選手」のいっちょ上がり!になるわけです(-_-;)。
 以上の理由により、総合やノーギのグラップリングにおけるテイクダウンの技術や、トップを取る技術はかなり劣化しており、試合を見ても本当につまんない…楽しいのは試合をやってる当事者だけ…ということが続いています。いや、年々ひどくなっているかもしれません。
 すべての原因がそこだ!と断定することはできませんが、日本伝武道・BJJ以外の新興格闘技の人口が確実に減少していることは、今お話しした「グラップリング技術の完全BJJ化」によってビジュアルに訴える魅力が減退したことに、その一因があるように思われてなりません。

 ワタクシは別に本稿において、BJJ批判をしたいわけではありません。その点は冒頭部分を読んで頂ければわかると思います。その点だけは決して誤解なきようお願いします。
 あくまで個人的な見解として、ワタクシは立位の技術、トップを取る技術がない組技格闘技に全く興味がわかない、というだけの話です。
 ちなみにワタクシ、BJJは本当に、「お付き合い」程度にはやりますが、これを窮めようと思ったことは一度もありません。
 自分の「組技」の本流はあくまで、格闘技吉田道場で稽古をつけてもらったアマレスとサンボにあると自任している、そんな周防平民珍山でございました。

「どぢで坊や」の意外なる?護身術

2019-08-15 19:17:03 | 格闘技のお話
 ワタクシが高校のころ、Y西という同級生がいました。
 コイツは1年のころに知り合ったのですが(というか、なんのきっかけか知らないが、向こうから勝手に寄ってきた)、どういう人物かというと、いわゆる「どぢで坊や」というヤツ。
 ちょっとした会話の言葉尻に食らいついては「なんでそう思うの?どうしてそうなるの?」としつこく聞いてきては、ワタクシが困惑するのを見てニヤニヤしているという、実に根性のワルいヤツでした。
 当時はまだ高校生で、もともとが短気だったガキのワタクシはすぐに沸点に達し、「このクソが…」と殴りかかる気勢を見せるのですが、Y西はそういう剣呑な空気を察する能力にも長けており、「え、暴力に訴えようとするの?どうして?なんで?」などと返してくる…いやあ、本稿を書くにあたって当時のことを思い出したら、かなり殺意が湧いてきましたね(;^ω^)。
 結局そいつは、ワタクシが柔道部に入部して黒帯を取り、また、海自の一般曹候補学生の試験勉強にガチで取り組み始めてから全く寄り付かなくなり、卒業式の時には目も合わせてくれなくなっていました。
 Y西は他教科にくらべて数学が多少得意だったようですが、著名私大に入る能力はなく、どこかのFラン大学に行ったと仄聞しますが、まあ、今のワタクシにとってY西の人生なんてどうでもいいので、調べる気もありません(というか、弊ブログで幾度か書いたとおり、ワタクシは自分の卒業した高校が大嫌いなので、今まで1回も同窓会に出ていません)。

 で、今回のお話の冒頭、なんでムカつく同級生の話をしたかと言いますと、実はY西がやっていた「質問攻め」は、実は意外と有効な護身術であったということを、あれから20年以上経ってから、ようやく気が付いたからです。
 自らの不明と研究不足を愧じつつ、今日のメインのお話「質問攻め護身術」に入りたいと思います。

 心理戦や敵の観察の部分にまで科学の目を向けてソフト化した「護身業界の黒船」とも言えるロー・コンバットの教則本(「2秒以内に倒す!ローコンバット」ルーク・ホロウェイ著 東方出版)によりますと、「質問攻め」はそのまま「言葉のジャブ」となるそうです。
 ボクシングにおけるジャブとは、相手をサーチするためのレーダー波のようなものでもあり、また、相手を「居着き」の状態にさせるための手段…そうです。「なんで?」「どうして?」と無意味な質問を返すことは、そのまま相手を困惑させ、動きを止め、「居着き」の状態にすることができる、最も簡単で効果的な手段なのです。
 そういえば昔読んだ安部譲二先生の小説で、安部譲二先生がチンピラ時代に従事したアニキは、当時入手したばかりのテレビを前に、ニュースやCMごとに相手に「アヤをつける(因縁をつける)」練習をしていたという話を読んだ記憶があります。
 ワルいヤツやチンピラは、こうした「質問攻め」や「アヤつけ攻め」を繰り返すことが、相手を居着かせ、平常な思考力をなくさせるということを経験則として、あるいは本能的に知っていたのではないかと察しますし、また、いわゆるエグゼクティブと言われる輩の中でも、「弁が立つ」と評判なのは、たいていこういう「質問攻め」が巧みなヤツと相場が決まっています。

 で、この「質問攻め」ですが、「護身でこれを使いなさい」と軽々に勧めることはできません。
 「質問攻め」は「相手をムカつかせ、先に手を出させる」、あるいは「相手が混乱している間隙を衝いて逃げる」といった明確な目的がある場合にのみ有効であり、ただただ「質問攻め」を繰り返し、その有効性に酔っぱらって勢いに乗ると、その質問の理非はさておき、攻められた側は「質問攻め」をするヤツを死ぬほど憎みます。日本人はガマンができるいっぽうで、それが臨界点を超えたときの怒りの発露が凄まじいということは、皆様ご存知のとおり。
 ですから「質問攻め」は、その威力を十分に認識し、用法要領と発露の場をじゅうぶん弁えたうえで、最小限に使うことをお勧め致します。

 冒頭お話ししたY西は、何かのきっかけでその有効性に早くから気づいたのはいいのですが、適量を弁えずその有効性におぼれて乱用した結果、みんなから嫌われました。ただただ愚かとしかいいようがありません。いまもどこかで「どぢで坊や」をしているのでしょうが、まあ、いい人生を送っていることはないと思います。

霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝(第43回・昭和4年春・燃え上がる早慶決戦【その1】)

2019-08-14 12:17:32 | 霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝
 開幕初戦を11-5の勝利で飾った早大は(第42回参照)、翌4月22日に行われた法大2回戦において、ついに至宝・小川正太郎を先発させます。
 法大も連敗阻止のため、新進の左腕・鈴木幸蔵(新潟商)を投入、くしくも新進左腕同士の対決となったこの一戦は、固唾をのむ投手戦となりましたが…延長12回裏、水原義明が右中間(←この打球の行方は「早稲田大学野球部五十年史」では左中間、「真説日本野球史 昭和篇その1」では右中間、「私の昭和野球史」では右中間となっている。弊稿では、当事者であった伊達正男の記載が最も正確と思料し、右中間を採用)に大飛球を放ち、息詰まる熱戦は、早大が1-0でサヨナラ勝利を収めました。
 先発小川は12回を完投して被安打わずかに4、奪三振は実に17!前評判通りの怪腕ぶりを見せつけ、「早大投手陣に救世主現る!」との印象を大いに植え付けました。
 
 1年生エース小川の活躍と歩を合わせるように、早大は快勝を続けます。
   ・対立大1回戦    早大11-1立大
   ・同2回戦       早大7-3立大
   ・対東京帝大1回戦 早大10-0帝大
   ・同2回戦       早大22-3帝大
 ところが東京六大学野球のもう一方の雄・慶大も6戦全勝で完全並走…そして早大は全勝のまま、運命の対慶大戦を迎えます。決戦の日は4月18日土曜日と決まりました。
 
 その前日の17日夕刻。神宮球場周辺には、今まで見られなかった異様な光景が現出します。
 このリーグ戦、つまり昭和4年春季は、チケットを公平に頒布する観点から前売りを止め、完全当日販売制としましたが、その当日券を求める熱心なファンが、券売所の前に毛布持参で長蛇の列を作ったのです。日本野球史の大家・大和球士は「これは我が国のスポーツ界初となる『徹夜組』の出現であろう」と書き残しています。
 日が昇るにつれ、神宮球場周辺は騒乱に次ぐ騒乱の巷となっていきます。
 警視庁四谷署・神楽坂署・駒込署の警官から成る総勢350名の警備部隊が、早朝5時から神宮球場及び付近の雑踏警戒に当たりますが、プラチナチケットを求めて並ぶ野球ファンの列は全く途切れるどころか、その数は増える一方。これ以上の混乱を恐れた警察はついに、「チケットの発売と開門を1時間早め、午前10時とせよ」と指示します。
 券売所は押すな押すなの大騒ぎ。内野1円、外野50銭の当日券はまさに羽が生えたように売れていきます。悪いヤツがそれを数倍の値段に釣り上げて、買いそびれた客に転売しますが、これまたあっという間に売れていく始末。
 その結果当時、日本トップクラスの収容人数を誇った神宮球場がなんと、午前11時には満員札止め(当時の神宮は35,000人で満員)となりましたが、それでもあきらめ切れない群衆無慮15,000人が球場を取り巻き、何とも言えない異様な熱気が、球場の内外から立ち上ります。
 
 運命の一戦に先駆け、スターティングオーダーが発表されます。
【先攻・慶應義塾大学】
1番センター楠見幸信(岡山一中)・2番セカンド本郷基幸(慶應普通部)・3番レフト町田重信(第一神港商)・4番ライト井川喜代一(高松商)・5番ピッチャー宮武三郎(高松商)・6番サード水原茂(高松商)・7番ファースト三谷八郎第一神港商)・8番キャッチャー岡田貴佳(甲陽中)・9番ショート加藤喜作(広陵中)
【後攻・早稲田大学】
1番ライト水原義明(高松中)・2番レフト杉田屋守(柳井中)・3番キャッチャー伊丹安廣(佐賀中)・4番ファースト森茂雄(松山商)・5番ファースト伊達正男(市岡中)・6番セカンド水上義雄(早稲田実)・7番センター矢島粂安(松本商)・8番ピッチャー小川正太郎(和歌山中)・9番ショート富永時夫(長崎商)

 本来はここで、「アナウンスがあって、場内が大歓声…」とかいう書きぶりをしたいところですが、当時の神宮球場にはアナウンス設備がなく(アナウンス設備がついたのは翌昭和5年から)、驚くべきことに、スターティングオーダーが書かれたでかい立て札を持ったオッサンが客席前を練り歩いてオーダーを知らせるという、のどかといえばのどか、いい加減と言えばずいぶんいい加減な選手表示をしていました。
(「日本の野球発達史」にその写真がありますが、立て札自体はたいして大きくなく、しかも随分字が汚かったのが印象的でした)
 それでも、立て札に書かれた小さな字を読み取った観客が、「ミヤタケが出るぞ!ダテが出るぞ!」と叫び、その声を聴いたほかの客がさざ波のようにどよめく、という、今では決して見られないであろう、スターティングラインナップの発表風景が現出していました。
 決戦の早慶1回戦。結果はいかに????

【第43回参考文献】
・「早稲田大学野球部五十年史」飛田穂洲編 
・「真説日本野球史 昭和篇その1」大和球士 ベースボールマガジン社
・「私の昭和野球史 戦争と野球のはざまから」伊達正男 ベースボールマガジン社
・「日本の野球発達史」広瀬謙三 河北新報社
・「ニッポン野球の青春」菅野真二 大修館書店

武道・格闘技の最も崇高な使命・「実戦の四則演算の習得」について

2019-08-11 20:57:31 | 格闘技のお話
 ワタクシは武道・格闘技を「球形に近い多面体の様相を持つ『実戦』のある一面を切り取って、その面だけに通用する技術を先鋭化させたもの」と定義しており、その1面1面を混交することなく、丁寧に磨くことこそが「実戦」への何よりの備えである、ってなことを弊ブログで幾たびかお話しさせて頂きました。
 が、世の中には「『実戦』の一面一面を分けて稽古するなんてバカげている。その『多面体』をまるごと包含したトレーニングをした方がいいだろ!」なーんてことを言いだす人がまだまだたくさん存在します。
 いわゆる「ケンカ自慢」や「護身術マニア」、「マーシャル(以後MAと呼称)アーツマニア」といったみなさまが、それに類するでしょう。
 しかしワタクシ、今までけっこうな数のこうした人種にお会いしましたが、はっきり申し上げて、どれもこれも大したレベルになく、笑いかため息のどちらかしか出ないようなヒトとテクニックばかり。「よくこれで人を集めて教えようと考えたものであるなあ(詠嘆)」ってな感じでした。
 
 いわゆる「実戦」というものを理解するにあたり、柔道や空手などといった一般的な武道・格闘技を稽古し、技を習得する役割とはズバリ、「戦いにおける四則演算」をマスターするためであると考えております。
 四則演算、つまり足し算・引き算・掛け算・割り算ができなければ、以後の数学へのステップアップは絶対にムリですよね。九九もできないようなヤツが「オレは今から微分を極める」とか言い出したら「ああ、この人は最近うち続く暑さで頭がおかしくなったか」と思われるだけでしょう。
 これと同じく、人間の殴り方、その受け方、投げ方、固め方、極め方の基本は武道・格闘技以外の習得方法は存在せず、これこそが「実戦」の四則演算たり得るものです。
 この「四則演算」の習得は、日本にいるいわゆる護身術マニアやMAマニアが一番バカにし、おろそかにすることですが、逆に「実戦」というものが極めて身近にある海外、特に毎日毎日殺し合いに発展する「実戦」が生起するブラジルで、オヤジが給料の半分を割いて子供に武道を習得させることが常態化している現実を、ヌルい「実戦」を弄ぶことができるマニアは、重く受け止めるべきでしょう。

 ワタクシは当然「武道・格闘技を修めない者に実戦を語る資格なし」と強く主張する者であり、それによって「実戦」の持つ「面」が、いわゆる護身術・MAマニアより間違いなくたくさん、そして深く見えていると自負しております。
(弊ブログのご意見番・老骨武道オヤジ様はもっと深く見えていらっしゃると思いますが(;^ω^))

その「枠組み」、パッキング禁止!

2019-08-02 11:52:14 | 兵隊の道・仕事の話
 日本の警察には逮捕術、そして自衛隊には徒手格闘術という、お上の定めた「職場のニーズに適合する武術的なもの」があります。僭越極まることに、うちの会社にも、警察とは似て非なる「タイーフォ術」というつまらん盆踊り(あ、盆踊りに失礼でしたm(__)m)がありますが、まあ、それも仲間の末端に入れてもらうことにしましょうかねえ(-_-;)。
 以下本稿ではこれらの武術を、便宜上「公務術」と呼びます。

 「公務術」は各組織が、多年の研究と検証によって制定された内容の濃いもの(うちの会社のタイーフォ術は全く違いますが…orz)ですが、実はこうした「公務術」は、「公務術」という枠をつくってパッケージしてしまった瞬間、その進化は止まり、急速な勢いで腐敗・劣化が始まります。
 これは組織の大小、完成時の完成度の高低を問わず、必ず発生します(大事なことなので力説!!!!!!!!!!)
 また、「公務術」のみならず、世にたくさん存在する「護身術」でも、全く同じようなことが起きます。

 この状況は、「ネットにつないでいないパソコン」に例えるのがわかりやすいかもしれません。
 購入時においては、そのパソコンに搭載されているOSは最新。しかし時間がたつにつれ、OSが進化する。搭載されているソフトも進化する。でもネットにつないでいないから、それらが進化しても、そして自分が退化しても全くわからない。手をこまねいているうちにどんどん旧式化してくる。そうなると「オレはこのパソコンでいいんだ!普段使いに特に困っていないからアップデートなんていらないんだ!」と開き直る以外の手段がなくなる…。
 こういう状況は、「試合とそのルール」をある程度確立させ、内輪の人間だけで試合の勝ち負けを楽しむ武道スポーツならそれでもいいんですが、その存在目的が実戦・護身術である場合、「ネットにつないでないパソコン状態」にすることは極めて危険なことであると言えます。「公務術」と護身術は当然、後者にカテゴライズされるものです。

 幾たびか弊ブログでも取り上げましたが、「実戦」なるものは極めて多様な形態を持つものであり、「始め!」の号令もなければ、凶器の所持、人数、場所などの制限もありません。
 であれば、「実戦」なるものを考えるにはまず現状における「実戦事例」のデータ収集、しかる後に有効な防止措置、それでもダメな場合の武力行使、それに関する最新の有効な措置や用具…の研究は不可欠。
 それを「我が●●術は既に完成しているものだから、これ以上どうしようもない」というだけの理由で情報収集やアップデートを怠っていたとすれば、それは「傲慢」「怠慢」のレッテルを貼られても仕方ないものですし、公務術ではさらに「税金ドロボウ」という汚名も増えますが、実はその「税金ドロボウ」がことのほか多いというのが、悲しい現実です。

 以前ご紹介した「自衛隊最強の部隊へ CQB・ガンハンドリング編」(二見龍 誠文堂新光社)において、二見元連隊長はこのような発言をしていました。ちょっと長くなりますが引用します。
「(当時の自衛隊では、左へのスイッチショルダー射撃や、ドットサイト〔光学照準器〕を使用した射撃などの)存在は知っていて、実際に試してみるとものすごい効果があることもわかっていました。それでも『俺たちはそういう世界じゃなく、違う世界でやっているからいいんだ』という考え方が支配していたんですね。『今の訓練でおかしいところはないし、問題はない』と平気な顔で言い切ってしまうことに、実は私もとても違和感を持っていました。」
 当時の自衛隊における「射撃」とは、教範に載っている射撃姿勢で、じっくり狙ってパンと撃ち、的の中の得点が高い場所に穴を開けることだけが至上の目的であり、CQB(クローズド・クォーター・バトル。近接戦闘)や、そこで必要な戦術的射撃や照準具なんていらない!自衛隊は教範に載っていることだけやってればいいんだ!という姿勢を貫き続けた結果、「アップロードを忘れた公務術」になってしまっていた、と二見元連隊長は回想しています。

 ここに挙げた「自衛隊射撃」も一つの例ですが、「これはこういうものだ」と一旦固めてしまった「護身術」「公務術」は、変なプライドや、その技術や組織にもたれかかっていい思いをしている人間の抵抗などもあり、なかなか改変が難しいものです。
 しかし、「護身術」も「公務術」も、その設立目的は「ルール無用の悪党を倒す」ですから、その目的が「それに持たれているバカ人間の地位や名誉を守」に堕してしまい、カンバンを守ることだけに汲々とすれば、劣化と滅亡以外の末路が考えられません。
 そういえば昨今、警官が暴漢に襲われて拳銃を奪取されたり、大勢で取り囲みながら犯人に逃亡を許すといった事案が続発していますが、これは今回お話しした「アップロードを忘れた公務術」の跋扈と、決して無縁なことではないと思います。

 目的に応じ、技術をある程度のところでパッキングするのは大切なのですが、そのパッキングには必ず空気穴を設けることが肝要であり、完全密封は劣化しか呼ばない、というお話でした。