弊社では「昔、どこかの誰かが始めたから」という理由だけでずっと行われ続けている、まるで生産性のない愚かなことが、全国のあちこちで連綿と行われています。
その最たるものは、バカな幹部…いや「患部」にお見せして差し上げている「各種展示訓練」でしょう。
患部が己の虚栄心を満たす以外の用途を持たない展示訓練は、手を変え品を変えして、全国で広く行われております。
ワタクシも100回以上は、この手の訓練?なるものに参加させられていますが、毎回毎回、実業務に資する何らの知識も技能も得られず、ただただ不愉快とストレスだけが蓄積されることから、ここ数年はこの手の訓練?を「猿芝居」と呼び続けています。
ですので以後本稿でも、業務に何らの役に立たない展示訓練類のことを「猿芝居」と呼びます。
まず、この手の猿芝居がいかにムダなことなのかというのを、順を追って考えてみます。
当然のことですが、猿芝居には多数のフネ・ヒト・モノを必要とします。
次にその猿芝居に巻き込まれたフネ・ヒト・モノに何が起きるか?見てみましょう。
まず、フネは年がら年中、かなりタイトな行動を強いられていますが、そこの隙間に捻じり込まれた猿芝居が、タイトな行動をさらにタイトにします。
つぎに、フネに乗っているヒトには2つの負担がかかります。
まず、乗っているフネの行動がタイトになることで、乗組員は当然、休みが減ります。年度が終わるときにアホほど未処理の公休がたまっているなんてことは、ザラにあります。
そして、猿芝居には何らかのシナリオ?らしきものが存在しますが、それを覚える手間もかかります。
その内容は99.9999%の割合で「シナリオ通りにやることが、実業務の何らの役にも立たない」という、猿芝居中の猿芝居なのですが、そうしたムダ極まりない事前振付けが、さらにヒトの首を絞めます。
そしてモノ。
フネを動かせば油代が要ります。人件費もかかります。そして腹が立つことですが、展示訓練の観察者であるお偉方の旅費もかかります。
このように、猿芝居は費用対効果が一切なく、フネ・ヒト・モノを無駄遣いする以外、何らの効果もないということが、なんとなくお分かりいただけると思います。
ではなぜバ患部は、このムダ極まることを継続しているのか?
ワタクシ、これまでずっとこの問いに対する答えを「虚栄心を満たすため」としていましたが、最近はそれにプラスし、下記の答えも付け加えるようにしています。
「馬鹿だから、ムダなことがムダとわかっていない」
虚心坦懐に調べてみますと、猿芝居の多くは、昔々の大昔に、その猿芝居が発足した「当時」のみ、何らかの必要があって始めたことがほとんどです。
しかし現在、それら猿芝居は、前提となるべきシチュエーションが消失していたり、その仕事自体がなくなっていたり、ディティールが変わっていたり…といった具合に、猿芝居発足当初の必要性が完全に焼失し、やる意味がまるでなくなっているもののほうが増えています。
しかし、ここからがバ患部の面目躍如、バカのバカたるゆえんなのですが、こいつらは猿芝居が「ムダなこと」という理解がないのです。
悪質な現状維持バイアスにのみ毒され、「昔からやってることだから」「なんとなくやらなきゃいけないことだから」というだけで、その本質を何ら顧みることなく、ダラダラと続けているだけ。そして無駄に兵隊の首を絞め、無駄なお金を垂れ流している。なんと愚かなことでしょうか。
有名なピーター・ドラッガーは「必要のない仕事を止めれば生産性が上がる」と言っており、このことから多くのビジネス書では、「最大の費用対効果を生み出すコツは、やらないことを決めることだ」と結論づけています。
(まあ、その結果としての「コストカット」がいかがわしい方向に指向しまって失敗、という事例もいっぱいありますが(;^ω^))
してみれば、うちの会社のバ患部は「ムダなことをムダとも気づかず、わからず、ムダを垂れ流し続け、人的・金銭的損失を増やし続けている」わけであり、民間の会社ならとっくの昔にクビが吹っ飛んでいるはずです。
そんなのばっかりが上を占めているから、うちの会社はダメ会社なんだよ…ったく…国賊野郎が…
最後のあたりにちょっとだけ本音がボロっと出ちゃいましたが(←わざと(;^ω^))、まあ、「ムダがムダとわからない」というのは、弊社に限らず「人の上に立つ人間としての資質がない」証拠であり、一日も早く物理的にタヒんでほしいなあ、と祈るばかりでございます。
その最たるものは、バカな幹部…いや「患部」にお見せして差し上げている「各種展示訓練」でしょう。
患部が己の虚栄心を満たす以外の用途を持たない展示訓練は、手を変え品を変えして、全国で広く行われております。
ワタクシも100回以上は、この手の訓練?なるものに参加させられていますが、毎回毎回、実業務に資する何らの知識も技能も得られず、ただただ不愉快とストレスだけが蓄積されることから、ここ数年はこの手の訓練?を「猿芝居」と呼び続けています。
ですので以後本稿でも、業務に何らの役に立たない展示訓練類のことを「猿芝居」と呼びます。
まず、この手の猿芝居がいかにムダなことなのかというのを、順を追って考えてみます。
当然のことですが、猿芝居には多数のフネ・ヒト・モノを必要とします。
次にその猿芝居に巻き込まれたフネ・ヒト・モノに何が起きるか?見てみましょう。
まず、フネは年がら年中、かなりタイトな行動を強いられていますが、そこの隙間に捻じり込まれた猿芝居が、タイトな行動をさらにタイトにします。
つぎに、フネに乗っているヒトには2つの負担がかかります。
まず、乗っているフネの行動がタイトになることで、乗組員は当然、休みが減ります。年度が終わるときにアホほど未処理の公休がたまっているなんてことは、ザラにあります。
そして、猿芝居には何らかのシナリオ?らしきものが存在しますが、それを覚える手間もかかります。
その内容は99.9999%の割合で「シナリオ通りにやることが、実業務の何らの役にも立たない」という、猿芝居中の猿芝居なのですが、そうしたムダ極まりない事前振付けが、さらにヒトの首を絞めます。
そしてモノ。
フネを動かせば油代が要ります。人件費もかかります。そして腹が立つことですが、展示訓練の観察者であるお偉方の旅費もかかります。
このように、猿芝居は費用対効果が一切なく、フネ・ヒト・モノを無駄遣いする以外、何らの効果もないということが、なんとなくお分かりいただけると思います。
ではなぜバ患部は、このムダ極まることを継続しているのか?
ワタクシ、これまでずっとこの問いに対する答えを「虚栄心を満たすため」としていましたが、最近はそれにプラスし、下記の答えも付け加えるようにしています。
「馬鹿だから、ムダなことがムダとわかっていない」
虚心坦懐に調べてみますと、猿芝居の多くは、昔々の大昔に、その猿芝居が発足した「当時」のみ、何らかの必要があって始めたことがほとんどです。
しかし現在、それら猿芝居は、前提となるべきシチュエーションが消失していたり、その仕事自体がなくなっていたり、ディティールが変わっていたり…といった具合に、猿芝居発足当初の必要性が完全に焼失し、やる意味がまるでなくなっているもののほうが増えています。
しかし、ここからがバ患部の面目躍如、バカのバカたるゆえんなのですが、こいつらは猿芝居が「ムダなこと」という理解がないのです。
悪質な現状維持バイアスにのみ毒され、「昔からやってることだから」「なんとなくやらなきゃいけないことだから」というだけで、その本質を何ら顧みることなく、ダラダラと続けているだけ。そして無駄に兵隊の首を絞め、無駄なお金を垂れ流している。なんと愚かなことでしょうか。
有名なピーター・ドラッガーは「必要のない仕事を止めれば生産性が上がる」と言っており、このことから多くのビジネス書では、「最大の費用対効果を生み出すコツは、やらないことを決めることだ」と結論づけています。
(まあ、その結果としての「コストカット」がいかがわしい方向に指向しまって失敗、という事例もいっぱいありますが(;^ω^))
してみれば、うちの会社のバ患部は「ムダなことをムダとも気づかず、わからず、ムダを垂れ流し続け、人的・金銭的損失を増やし続けている」わけであり、民間の会社ならとっくの昔にクビが吹っ飛んでいるはずです。
そんなのばっかりが上を占めているから、うちの会社はダメ会社なんだよ…ったく…国賊野郎が…
最後のあたりにちょっとだけ本音がボロっと出ちゃいましたが(←わざと(;^ω^))、まあ、「ムダがムダとわからない」というのは、弊社に限らず「人の上に立つ人間としての資質がない」証拠であり、一日も早く物理的にタヒんでほしいなあ、と祈るばかりでございます。