集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

試合の勝敗が全て…なのかな。

2018-11-19 19:41:56 | 格闘技のお話
 ワタクシ儀、永年武道・格闘技をしておりますが、選手としては本当に無能でした。

 情けない「選手時代」の、人様に言える成績?としては…柔道で高校時分に無差別級個人戦で山口県ベスト8に入ったことのほか、社会人になってから、自社の柔道全国大会でベスト4とベスト8がそれぞれ1回ずつ…という程度ですが、これらは私が強かったとか頑張ったとか、そういうことでは全くなく、この世の行きがかりで出た大会で、思いもよらずたまたまそういう成績が獲れた、という程度の認識。「勝ちに不思議の勝ちあり」の典型のようなものです。
 ワタクシは生まれつき、「試合に勝ってうれしくなく、負けても悔しくない」という不思議な性格をしていたせいもあるのでしょうが、 試合に熱くなることが全くできず、その価値を見出せないまま、短い選手時代を終わらせたのでした。

 ただ、世の中の武道・格闘技修行者の中には、ワタクシと全く違い、勝敗や試合の成績に異常な執念をもってこだわる人がいます。

 高い緊張感の下、強い相手と技を競い合い、勝敗という明確過ぎるコントラストを決する「試合」というものに、自分から振るって出場される方の意識の高さと勇気には本当に敬服しますが…その道でメシを食べているプロの格闘選手や、その関係者が「勝ちにこだわる」のとは別に、単なるアマチュアであり、且つ、試合での勝ち負けが別段何に影響を及ぼすわけでもないのに、「勝った」と言っては無用に騒ぎ、「負けた」と言っては無駄に騒いで八つ当たりするといった人を、これまでけっこう見かけてきました。
 あくまで私見なのですが、こういう行動を取る人は、他の自己実現の方法を知らず、試合の勝敗だけに自己のアイデンティティを閉じ込めてしまったか、あるいは自分が試合に向けて行った努力が、敗北によって全否定された気持ちになったため、このような行動をとるのではないか思われるのですが…試合の勝ち負けに極めて恬淡(無関心ともいう(;'∀'))であったワタクシ、すこぶる理解に苦しみます。

 孫臏兵法・見威王篇にこのような一説があります。
「夫れ兵を楽しむ者は亡び、勝ちを利とする者は辱めらる。兵は楽しむ所に非ざるなり。」
(戦争において、戦闘行為自体を好み、相手との実戦を頻繁に求める者は身を滅ぼすし、それに勝つことだけが自分の価値を高めると考える者は、人からバカ扱いされる。戦争における戦闘行為を、自ら好んで求めてはならない。どうしてもやらなければならないとき、最小限に行うものである。)
 武道・格闘技は、ゲームの勝ち負けだけを競う娯楽たるボールゲームと違い、競技スポーツの側面を持ちつつも、ひとたび鞘から抜き出せば、必ずどこかに禍根を残す、ある意味危険で残忍な性質を有するものです。
 だからこそ生涯を賭けて研究し、練磨する価値があるわけであり、決して試合の勝敗をもてあそぶものではないのだ、と心得ております。

 武道・格闘技に対し、他人がどんなフィロソフィーを持って取り組んでいるかなど、「日暮れて道遠し」なワタクシ、全く知ったこっちゃないのですが…上記をふまえ、とりあえずワタクシが武道・格闘技に取り組む指針は「様々な競技形態を知り、いずれの形態でも一定以上の技術水準を持つこと」「実戦に応用・転用できる技であること」「知識ゼロの人に技術を語れる知識とボキャブラリーを持つこと」であり、試合の勝ち負けについては、ジャンケンでの勝ち負け程度にしか考えておりません。はい。
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杉田屋守伝外伝・岩国の昔を伝える名物新聞「興風時報」

2018-11-05 20:01:27 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 このたび「杉田屋守伝」補強取材のため、帰省に併せて岩国市中央図書館に通いつめ、岩国の昔の新聞「興風時報」をひもときました。
 
 「興風時報」とは、山口県玖珂郡岩国町(現在の岩国市)にて、同町の塩井良吉により(大正6)年5月20日に発刊された地方新聞。大東亜戦争時には合併・休刊もありましたが、昭和31年年9月まで、延べ2千号以上が発行されました。
 なおこの塩井良吉編集長ですが、「杉田屋守伝」にものちのち登場しますので、覚えて頂ければ幸甚に存じます。

 塩井は同紙の創刊目的を「周東地域(=山口県の東の端、柳井と岩国を包含した地域)における郷里のできごとを遠く郷里を去りて異郷に奮闘さるる各位に通報し、月に花に念ひ(おもい)を郷里に馳せらるるに応へんとする通信の機関となる」「嘉言善行を記述し正義を唱導し社会風教の改善に努力するなり」としており、当時の新聞の発刊思想である「なんでも針小棒大に」「面白おかしく」という発想と真逆な、実に硬派な紙面づくりを企図していました。その心意気は、新聞の名前自体に地域名称である「岩国」とか「周東」という語句を使わず、「風を興す」という名称を採用したことからも伺えます。
 そのため「興風時報」は一般記事に加え、ちょくちょく「下品な方言をやめましょう」とか、「これをやりなさい善行25か条」みたいなものを折に触れて幾度も特集?しており、その真摯さが伺えます。
 なんでそんなことが分かるのかって?…それはですねえ、興風時報を大正11年から昭和6年まで全て読んだんですから、イヤでもわかりますよ(;^ω^)。

 同紙の購読料(創刊当時)は1部3銭。広告は1行15銭。
 広告もツラツラ見てみましたが、当時の世相がとてもよくわかるもので、夏場発行の同紙広告には「蚊帳 特に精々(ますます)勉強仕り製造元と同値にて提供仕候(つかまつりそうろう)」とか、「氷 大勉強いつでもあります 岩国氷室社」「高等西洋洗濯 セル、毛布、羅紗類 地質スタイルの変わる事無し」など、なかなか夏っぽく、時代を反映したCMが多数出ており、興味をそそりました。
 また、大正12年ころの同紙を見ますと、関東大震災に関するリアルタイムにおける騒乱の状況が極めて生々しくわかるなど…読んでいて本当に面白かったですね!開館から閉館間際まで、ほんとうに時間を忘れて読みこんでしまいました(;^ω^)。

 また、この読み込みに伴い、これまで杉田屋守という人物の検証に際し、ほとんどの人間が取り上げてこなかった新事実がモロモロと出てきたのも、地元紙ならではといいましょうか…いや、いい勉強をさせていただきました。

 現在、岩国市中央図書館にひっそりと所蔵されている「興風時報」」は創刊からちょうど100年の時を超えて、当時の息吹がまさに風の如く、ワタクシのチンケな精神に吹き込んできたのでした。

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「霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝」の改訂等について

2018-11-01 20:15:14 | 周防野球列伝
 いつも弊ブログをお読みいただき、ありがとうございます。また、弊ブログをお読みの奇特な方、特に「杉田屋守伝」を続けて読んでいる方というのは、おそらく片手で数えられるくらいではないかと推測いたしますが…それでも読んで頂いている方におかれましては、伏して御礼を申し上げるところです。

 さて、杉田屋守伝も既に30回を超え、また、次々に新資料が発掘されておりますことに伴い、以下の通りの改訂作業をしております。
 時間のかかることですので、作業が「漸進的に」しかできず、一気に終結させることができないこと、平にご容赦下さいませ。

【その1】
 これまで、「周防野球列伝」というカテゴリにまとめておりましたところ、杉田屋守伝に関しましては「霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝」という新しいカテゴリを立ち上げ、そちらにまとめることと致します。
【その2】
 新カテゴリに原稿を移すことに併せ、新資料をもとにした原稿改定を行います。

 杉田屋守伝は「書きたいことがありすぎる」と「その裏付けの資料発掘が足りなさすぎる」という相克がいつもつきまとい、個人ブログでやるようなものではないところまで来ちゃいましたが・・・これを完結させることは、同郷人の使命?と思っておりますので、まあ、興味のある方はよろしくお願い申し上げます。
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いにしえの「柔道試合審判規定」があぶり出す「東の柔道」の姿

2018-10-21 08:22:02 | 格闘技のお話
  「戦前、競技人口が今とは比べ物にならないほど多かった柔道において、特に圧倒的人気を得ていたのは、帝大柔道会が主催していた高専大会であり、講道館柔道ではなかった。講道館の勢力西限は永く名古屋で、以西への進行は事実上不可だった」という事実を発掘、一般に広めたのは、格闘技ノンフィクションの最高傑作と名高い「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也・新潮文庫)です。
 同作品は、木村政彦政彦先生の強さに対し、著者のある意味無邪気で、悪い言葉でいえば「中二病」のようなイタいこだわりが鼻についたり、時折見られるアカ臭い(著者は北海道新聞や中日新聞にいたから仕方ない)文章に眉をひそめることもあり、全てを手放しでほめることはできないのですが、その詳細な調査内容、重厚なストーリー展開はすばらしく、また、高専柔道というものの存在と興亡を、一般人向けの書籍として初めて公にしたという点で、極めて優れた歴史書ともなっております。
 なので皆様、一家に一冊(上下巻なので、厳密に言えば二冊ですが(;^ω^))「木村政彦」を…って、それはともかく。

 同著でほぼ初めて明らかにされに記されている「昭和初期における、東西の柔道」の概要は、以下のようなものです。
①当時、柔道の統括団体は東の講道館以外に、京都に本拠地を置く半官半民の武道振興団体「大日本武徳会」と、高専大会を主管する「帝大柔道会」(京都帝大に所在)があった。
②当時高専大会の人気はすさまじく、ほとんどの学校は高専ルール(「決着は一本勝ちのみ・場外なし・待てなし」であったため、寝技が著しく発達した柔道)を選択、当時日本一の競技人口を誇っていた。これが柔道のMMA化を進めたい嘉納治五郎の頭痛のタネであった。
③講道館を筆頭とする東の柔道と、寝技中心の西の柔道は大正時代に激突し、結果は西の柔道、特に高専柔道の圧勝に終始した。
 その寝技の強さは、西の柔道の一方の雄である武徳会をも完全凌駕した。
④これに対し講道館は「立ち技の比重を増やせ」と主張のうえ、政治的圧力も辞さない姿勢を取った。帝大柔道会は「寝技偏重の何が悪い。これも立派な競技形態だ」として対抗。話し合いは平行線に終わった(結果、講道館は帝大柔道会に容喙しないということで決着)。
 講道館は仕方なく東京の私大を中心とした東京学生柔道聯合会(現・東京学生柔道連盟)なるものを発足・完全掌握するも、帝大柔道会参画校に比してその数は圧倒的に少なく、帝大柔道会には敵するべくもない状態。結局大東亜戦争終結というタナボタで主導権を握るまで、講道館は永く西への進出と、寝技への容喙が不可能であった。

 高専ルールは「一本勝ち以外認めない」であり、反則事項が少なく、ある意味分かりやすいルールなのですが、では、講道館を中心とした当時の「東の柔道」とはいかなるものであったのか…を調べていると、面白い資料が出て参りました。

 ここに「柔道試合審判規定」(昭和8年7月訓令甲第58号)というものがございます。
 これは警視庁が制定した警察柔道大会における試合審判規則であり、その創設当初より、講道館柔道の色彩を明確に持つ警視庁柔道は、ほぼほぼ講道館の柔道と見て差し支えないでしょう。そんな警視庁柔道のルールを知ることは、これすなわち当時の講道館ルールや、その組織運営の方針を知るうえで有用だと思いますので、つらつら考察していきたいと思います。

 同規則からまず、一本の規定を見てみましょう。
「第五条 投技、固技ニ於テ一本ト為スヘキ場合左ノ如シ但シ一本ニ至ラサルモ対手ニ相当ノ効果ヲ及ホシタル技ハ「技アリ」トシ「技アリ」二回ハ之ヲ併合シテ一本ト見做ス」
 高専大会は、一本以外の判定がなかったところ、東では既に「合わせて1本」が確立しています。このあたり、投げ技に比重を置いている東の柔道らしさが伺えます。
 次に気になるのは、反則行為行為の規定。「第七条 試合中左ノ事項を禁止スル」として、以下の技を禁じています。
「イ 胴絞 ロ 直接両足ヲ用ヒ頭又ハ頸ヲ絞ムル技 ハ 頸椎又ハ脊柱ニ負傷ヲ及ホス技 ニ 手足首、手足指、膝ノ関節 ホ 直接ニ肩関節ヲ取ル技 ヘ 足がらみ(糸へんに咸) ト 蟹挟 チ 衣ノ襟以外裾又ハ帯等ヲ用ヒ対手ノ頸ヲ絞ムル技」
 「イ」の胴絞とは、その名の通り、寝技で下になった相手が、両脚で胴を絞める技。
 「ロ」が示す技は、高専柔道の主武器である前三角絞め(創設当初の名称は「松葉搦」)。
 同技の初登場は大正11年。木村政彦が拓大時代に創始した横三角絞めは昭和12年の登場ですから、この規定はもう、前三角のみを目の敵にしていると断定できます。
 大正12年、講道館秋季紅白戦に六高選手4人が出場。前三角におびえる講道館はなんと六高の選手が出てくる直前、突如試合進行を止め、主審三船久蔵が「三角締めの逃げ方講座」を開くという、異例の事態まで起きています。
 なお、そこで教えられた「逃げ方」の実態ですが「技が効く方への逃げ方じゃったので皆んなで苦が笑いした」(六高柔道師範・金光弥市兵衛の回想)という、なんともオソマツなものであったそうです(;^ω^)。
 「ハ」は、現在の言葉でいうバスター。これは柔道でもBJJでも禁止技ですので、禁止は当然でしょう。
 「ニ」に掲げられた「膝ノ関節」は、おそらく当時「足の大逆」と呼ばれた膝十字固め(これは後、高専大会でも禁止となる)、「ホ」は当時「三角がらみ(「がらみ」はイトヘンに咸)」と呼ばれ、現在はBJJの主武器となっているオモプラッタ、「ヘ」はいわゆるヒールホールド…とまあ、とにもかくにも、高専柔道が開発、あるいは得意とした技を全否定していることがわかります(;^ω^)。
 「ト」の蟹挟は、日本全土統一ルールで完全禁止となったのは平成6年と意外に遅かったのですが、「東の柔道」では戦前の早い時期に早々に禁止を決めている、というのが興味深いですね。

 このほか、同審判規定では、寝技に引き込むためのタックルを禁止(講道館が寝技への引き込み行為を禁止したのは大正15年)するなど、とにかく徹底的に寝技と、その付属技を排除しようという姿勢が鮮明になっています。これは、「東の柔道」が、西の寝技柔道に対して、全く歯が立たなかったという恐怖心の裏返しでもあります。

 審判規定ひとつとっても、当時の「東の柔道」の実態がよくわかり、また、「木村政彦は…」で紹介された時代背景がしっかり裏付けられましたので、本当に興味深かったです。

【本稿参考文献】
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」増田俊也著 新潮文庫
「警視庁武道九十年史」警視庁警務部教養課編
フリー百科事典ウィキペディア「蟹挟」「膝十字固め」「オモプラッタ」の項目
 
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以上終了?もっと進化?フルコンの役割(その3)

2018-10-17 18:47:42 | 格闘技のお話
 フルコン論、ちょっと間が空きましたがようやく最終回です。

  最後はフルコンの現時点における最終形態「空手の形をした、いち競技形態への収斂」についてです。

 「最強幻想」崩壊後、フルコン諸派は今後の行く末をなかなか定められずにいましたが、最終的にその迷走を救ったのは、フルコンの唯一にして最大の財産である「試合・大会」でした。
 「その1」でお話ししましたが、フルコンはその成立過程において基本・型・組手を繋ぐ技術体系を持つことを放棄しています。ですからフルコン諸派は概ね「試合で勝つノウハウ」だけが突出して進化している…というより、試合ありき、スパーありきの技術以外何も持たない、というところがほとんどです。
 そこでフルコン諸派が取った方針は、もともとフルコンにとって、まさに「木に竹を接ぐ」ような存在でしかなかった空手本来の技術を一部放棄し(基本とか約束組手などには多少その色が残っている)、最大にして唯一の財産である「試合・大会」の存在をよりクローズアップし、気軽に試合や組手を楽しめる形態を作ことによって門下生の門戸を広げる、というものでした。
 最強幻想が完全崩壊し、壊走を続けるフルコン諸派が最後に拠った牙城「フルコン試合」でしたが、これは意外にも「家貧しくて孝子顕る」とでも言うべき効果を発揮します。

 フルコンルールの利点はなんといっても「スパー参加への間口が低い」「スパーをさせても安全」「場所のコスパがいい」です。以下詳解。
 まず「スパー参加への間口が低い」「スパーをさせても安全」について。
 フルコンには手技による顔面攻撃がないため、他の打撃系格闘技に比べてかなり早い段階で、打ち合いのフリースパーに参加できるようになります。
 人間、顔面に何かが飛んでくるものを避け、リターンを入れるというのは、きちんとしたドリルをかなり反復しつつ、先天的な恐怖心に打ち勝つ必要があります。したがって顔面ありの打撃系格闘技は、フリーの打ち合いができるようになるまで相当な時間を要しますし、また、人によって習得度合いに恐ろしいほどの差が生じますが、フルコンはある程度の突き蹴りを覚えれば、それなりに「打ち合っている」という形になります。とくに、きちんとプロテクターをつければ、ほぼ痛みなく技の応酬が可能となります。
 フリースパーに早い段階から参加できるというのは、修行者にとってはかなりの励みになりますし、指導・管理する側からしても、頭部に危険な衝撃がかかりやすい手技の顔面攻撃がない、というのは安全を担保する上で非常に有益なことです。

 次に「場所のコスパがいい」について。
 顔面ありの打撃系格闘技はどうしても間合いが遠くなりがちであり、当然、スパーをする場所の確保が大変なのですが、フルコンは近接しての殴り合いが主となりますので、けっこう狭い場所でもスパーが可能。ボクシングのリングがあれば、フルコンなら3組くらいはスパーができる。実にコスパがいいのです。
 実は組技でも同じように「スパー参加への間口が低い」「スパーさせても安全」「場所のコスパがいい」の条件を満たすことで、驚異的な門下生を抱えるに至った格闘技があります。ブラジリアン柔術です。
 BJJの場合は、組技における「顔面パンチ」とでも言うべき「投げ」の価値を極限まで下げる(どんなにきれいな投げでも、BJJでは2ポイントにしかならない)ことによって、上記の3要素を満たすことに成功し、それが結果として、組技界における修行者数ひとり勝ち現象を生んだのです。
 ちゃんと統計を取った訳ではないのですが、学校の部活動を除き、街中の打撃系道場の実施競技人口は、おそらくフルコンが最多。その原因は上記3つの条件を満たすがゆえ…フルコンのルールは、練習時間にも練習場所にも余裕がない現代に、意外とマッチしたものであったわけです。

 以上3回に亘ってフルコンの変遷をたどっていきましたが、現在のフルコンは、「空手チャンプルー促進者」の時期を過ぎ、「最強幻想」の重荷を下ろし、打撃系格闘技のいち形態として多くの人が楽しむスポーツとなりました。これは立派な進化、進歩であり、あるべき姿にやっと落ち着いたということで、ワタクシはとてもいいことであると思っています。
 このまま時代に逆流することなく、奇妙な武道臭さ、空手臭さを出さず、いち格闘スポーツとして単純に発展していって下さい、と祈るばかりです。
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