なんとなんと、まる2年半ぶりとなる「サバキ、ふしぎ発見!」です。こんなに書いていなかったとは、自分でも驚きです。その間に、芦原会館総本部がまるで違う建物になったりしていました( ゚Д゚)。
「ふしぎ発見!」ではこれまで、形・試合・護身術・テキスト・軸・立ち関節などなどと言った視点から「サバキ」を浅くほじくって参りましたが、今回はサバキの華である「投げ」について論じたいと思います。
まず、芦原カラテが、空手であるにも関わらず「投げ」を技術体系の柱の一つに据えている理由について、先代の著書「空手に燃え、空手に生きる」から抜粋してみます。引用部分の項目タイトルはそのままズバリ!「『投げ』は全ての要素を含む」です(;^ω^)。
「芦原空手のサバキは投げを重視している。受け、崩しの延長が投げである。とはいっても、芦原会館の稽古をチラっと見ただけで『芦原会館のサバキって投げのことか』という人もいるが、それは的外れな見方である。
稽古では、投げの際、蹴りを強く当てずに投げているので、そう見えるのかもしれないが、これはあくまで危険防止のためである。(中略)
投げにくい手の動き、肩口を掴む手、アゴを押し上げる手は、本来、顔面へのパンチなのである。
投げを決められるということは、その間に何発もパンチや蹴りを受けているのである。(中略)
投げのための投げではない。投げは相手にけがをさせずに技を決められたことを認めさせるテクニックなのである。」
この先代のお言葉を記憶の片隅に残して、以後の拙文を読み進めて下さいませ。
サバキの投げに関してはこれまでも、一知半解のバカ格闘技ライターや、「関節を極めて投げる」技術を持つ武道・格闘技連中がよく「芦原カラテの投げは少林寺拳法の柔法を参考にしてウンヌン」「合気道の投げを参考にしてウンヌン」などと、訳知り顔で主張しています。
しかしそうした指摘は、上の文章で先代が言った通り「的外れな見方」以外の何物でもありません。なぜならば「関節を極めて投げる」という技術自体が、先代の言う「投げるための投げ」だからです。
実戦は相撲や柔道などと違い、「投げられたら負けて終わり」じゃありません。投げられても再び立ち上がって反撃するのは当然です。また、相手が複数である場合、1人を相手にモチャモチャしているヒマはありません。
ですから実戦では、先代が言う「投げるための投げ」…つまり「約束事のなかで、複雑な手順を踏み、相手を大きく投げ飛ばすことを最終目的とした技」ではなく、「ごく短い接触時間で相手を倒し、自己の制圧下に長く留めることが出来る投げ」「場所の広狭を問わない投げ」を以てよし、となるのです。
その観点から考えますとまず、技のすべてが「打撃技なし」という前提で成立しているうえ、タタミの上で「作り・掛け・極め」のプロセスを踏まないと技がかからない柔道の投げは、真っ先に「実戦で使えない」との判定がなされます。
また、複雑な足さばきや手さばきを必要とするうえ、移動がすり足であるため不整地で使えず、さらに言えば、相手を投げたあとの相手の処理に問題が多い合気道系の投げも、実戦への供与を大いに躊躇してしまいます。
これらに対し、サバキの投げは例えるなら「ダルマ落とし」みたいな投げであり、相手の死角に素早く入り、モーションの小さい、必要最小限の蹴りで相手を倒します。この時、倒した相手は自分のごく直近にいますから、相手が再反撃を試みた場合、サバキの型にあるように、相手の首筋に肘を落とすとか、相手の頭を蹴るといった「二の矢」を容易に出せます(ホントはそこまでやらないのが一番いいのですが、そこまで厳しく相手を追い詰めておかないと、思わぬ反撃を受けることが往々にしてあります。実戦はスポーツじゃないんです)。
また、動きが小さくて手数が少ないため、不整地でもバランスを崩しにくい、複数人が相手でもモチャモチャしにくい、といった利点もあります。
さらに言いますれば、「ダルマ落とし」のような感じで投げられると、脳の情報処理が追い付かなくなるのか、それとも「下手に動くと、次の矢が飛んでくる」ということを本能が察知するのか、比較的長い時間、おとなしくなります。これも「サバキ投げ」の、実戦における大きな効能の1つです。
…とここまで、実戦で使える投げの定義と、そこから導かれるサバキの有用性についてお話ししましたが、ここまでの内容ですと、ある勢力から「まだまだサバキは実戦的じゃないぞ!」という意見が出てきそうです。
ここでいう「ある勢力」とは、古い柔術や、高専柔道出身者などのいわゆる「寝技万能主義者」となりますが、これは、自身の社会実験の結果からもはっきり言います。実戦で寝技は、一切使えません。
高専柔道万能主義者の作家・増田俊也はどこかの雑誌(たぶん、月刊秘伝(-_-;))で、七帝柔道の某選手が街場でケンカになったとき、徹頭徹尾「亀」の姿勢を取り、相手がいくら殴っても蹴ってもその姿勢で動かず、相手が殴り疲れて去ったあと、おもむろに立ち上がり「あいつら、亀取り(=亀の姿勢を崩して押さえ込んだり、関節を極めたりするテクニック)も知らねーよ」と嘯いたというエピソードを、さも「どうだ!高専柔道は万能だろう!」といった雰囲気で自慢げに書いていたわけですが…これって端から見れば、完全に七帝の選手のほうが「負け」と見做されますし、また、亀の姿勢を取っている某選手に対し、相手が石やビールケースなどを頭に落とすということだって考えられます。
増田俊也が紹介したこのエピソードは、「七帝柔道に明け暮れていた若者の青春の1ページ」くらいで理解することをお勧めし、間違っても「寝技は実戦で使える」という風に捉えてはいけません。
上記のことだけでも「寝技万能は間違い」と断定していいのですが、いちおうダメ押しとして、「寝技主義者は、不整地での寝技の有効性を実証実験していないからこそ、寝技最強という寝言を言っているのだ」と言っておきます。
実際に実証実験をしたワタクシは保証します。不整地において「投げのための投げ」ならぬ「寝技のための寝技」は全く使えません。
いまから10年位前、とあるBJJの団体の皆様と飲み会をした際、「砂の上でBJJはできるのか」という実験をしました。
いつものように寝っ転がって、BJJのムーブをしようとしますと…当然っちゃー当然ですが、砂が驚くべき摩擦力を発揮し、道場の畳の上でクルクル回ったり、エビの動きで相手の重心をずらすといった、あの動きが一切できなくなったのです。
結果、砂だらけのオッサンが砂浜の上をゴロゴロ転がるだけという、実に見苦しい光景だけが展開されました(周囲から、ホモと間違われたらどうしよう…と変な心配をしました(;^_^A)。
この実験結果を踏まえ、「実戦で使っていたとされる寝技」なるものを検証した結果、地面に倒れ込んだ瞬間に相手の上を取る、いわゆる「トップを取る」ことによって成立する技ばかりであり、BJJでいうスイープに相当する「上に乗っかっている人間を下からひっくり返す」という態の技はほとんど存在しませんでした。
以前連載しておりました「術科の長い長い歴史」の第4回で、講道館四天王の横山作次郎VS良移心頭流の達人・中村半助との激闘について触れましたが、中村は投げられたその直後、すぐに体を入れ替えてトップを取ることで横山を押さえつけ、押さえつけられた横山は馬鹿力でもがいて逃げるしかなかった…というお話をしました。
要するにそういう事です。実戦では確実に「トップを取る」ことができなければ、寝技なんて最初っからしちゃダメなんです。
これはごく私見ですが、サバキの投げと非常に近い哲学・技術を持っているのは合気道でもなければ少林寺でもなく、いわゆる「ケンカ名人」とか「ステゴロ師」と呼ばれる人たちの必勝パターンじゃないかと思います。
ステゴロ師は、相手の視界を制限したうえでの「叩きつける技」が鉄板の必勝パターンであり、このあたり、「相手の死角に入って投げ」というサバキと非常によく似ています。
そして、もっと大事な共通点は「バカじゃ勝てない」ってこと。
ステゴロ師は「ケンカは段取り8割」「ケンカはバカじゃ勝てない」と言い切り、心理戦や仕掛けの時点でダメだったら、さっさと逃げることを説いています。
そしてサバキのほうですが、技術書にはさすがに書かれていませんが(;^ω^)、先代館長のケンカは、実際に手足が交わる前の心理戦が絶妙であり、おそらく先代は問わず語りに「ケンカはバカじゃ勝てない」ということを説いているのだと思います。
芦原会館から分離独立した「サバキもどき」の団体に足りないのはまさにこの点であり、ワタクシ個人的には、「もどき」の出来を見れば見るほど、オリジナルサバキのまだまだ不滅たることを確信してやみません。
「ふしぎ発見!」ではこれまで、形・試合・護身術・テキスト・軸・立ち関節などなどと言った視点から「サバキ」を浅くほじくって参りましたが、今回はサバキの華である「投げ」について論じたいと思います。
まず、芦原カラテが、空手であるにも関わらず「投げ」を技術体系の柱の一つに据えている理由について、先代の著書「空手に燃え、空手に生きる」から抜粋してみます。引用部分の項目タイトルはそのままズバリ!「『投げ』は全ての要素を含む」です(;^ω^)。
「芦原空手のサバキは投げを重視している。受け、崩しの延長が投げである。とはいっても、芦原会館の稽古をチラっと見ただけで『芦原会館のサバキって投げのことか』という人もいるが、それは的外れな見方である。
稽古では、投げの際、蹴りを強く当てずに投げているので、そう見えるのかもしれないが、これはあくまで危険防止のためである。(中略)
投げにくい手の動き、肩口を掴む手、アゴを押し上げる手は、本来、顔面へのパンチなのである。
投げを決められるということは、その間に何発もパンチや蹴りを受けているのである。(中略)
投げのための投げではない。投げは相手にけがをさせずに技を決められたことを認めさせるテクニックなのである。」
この先代のお言葉を記憶の片隅に残して、以後の拙文を読み進めて下さいませ。
サバキの投げに関してはこれまでも、一知半解のバカ格闘技ライターや、「関節を極めて投げる」技術を持つ武道・格闘技連中がよく「芦原カラテの投げは少林寺拳法の柔法を参考にしてウンヌン」「合気道の投げを参考にしてウンヌン」などと、訳知り顔で主張しています。
しかしそうした指摘は、上の文章で先代が言った通り「的外れな見方」以外の何物でもありません。なぜならば「関節を極めて投げる」という技術自体が、先代の言う「投げるための投げ」だからです。
実戦は相撲や柔道などと違い、「投げられたら負けて終わり」じゃありません。投げられても再び立ち上がって反撃するのは当然です。また、相手が複数である場合、1人を相手にモチャモチャしているヒマはありません。
ですから実戦では、先代が言う「投げるための投げ」…つまり「約束事のなかで、複雑な手順を踏み、相手を大きく投げ飛ばすことを最終目的とした技」ではなく、「ごく短い接触時間で相手を倒し、自己の制圧下に長く留めることが出来る投げ」「場所の広狭を問わない投げ」を以てよし、となるのです。
その観点から考えますとまず、技のすべてが「打撃技なし」という前提で成立しているうえ、タタミの上で「作り・掛け・極め」のプロセスを踏まないと技がかからない柔道の投げは、真っ先に「実戦で使えない」との判定がなされます。
また、複雑な足さばきや手さばきを必要とするうえ、移動がすり足であるため不整地で使えず、さらに言えば、相手を投げたあとの相手の処理に問題が多い合気道系の投げも、実戦への供与を大いに躊躇してしまいます。
これらに対し、サバキの投げは例えるなら「ダルマ落とし」みたいな投げであり、相手の死角に素早く入り、モーションの小さい、必要最小限の蹴りで相手を倒します。この時、倒した相手は自分のごく直近にいますから、相手が再反撃を試みた場合、サバキの型にあるように、相手の首筋に肘を落とすとか、相手の頭を蹴るといった「二の矢」を容易に出せます(ホントはそこまでやらないのが一番いいのですが、そこまで厳しく相手を追い詰めておかないと、思わぬ反撃を受けることが往々にしてあります。実戦はスポーツじゃないんです)。
また、動きが小さくて手数が少ないため、不整地でもバランスを崩しにくい、複数人が相手でもモチャモチャしにくい、といった利点もあります。
さらに言いますれば、「ダルマ落とし」のような感じで投げられると、脳の情報処理が追い付かなくなるのか、それとも「下手に動くと、次の矢が飛んでくる」ということを本能が察知するのか、比較的長い時間、おとなしくなります。これも「サバキ投げ」の、実戦における大きな効能の1つです。
…とここまで、実戦で使える投げの定義と、そこから導かれるサバキの有用性についてお話ししましたが、ここまでの内容ですと、ある勢力から「まだまだサバキは実戦的じゃないぞ!」という意見が出てきそうです。
ここでいう「ある勢力」とは、古い柔術や、高専柔道出身者などのいわゆる「寝技万能主義者」となりますが、これは、自身の社会実験の結果からもはっきり言います。実戦で寝技は、一切使えません。
高専柔道万能主義者の作家・増田俊也はどこかの雑誌(たぶん、月刊秘伝(-_-;))で、七帝柔道の某選手が街場でケンカになったとき、徹頭徹尾「亀」の姿勢を取り、相手がいくら殴っても蹴ってもその姿勢で動かず、相手が殴り疲れて去ったあと、おもむろに立ち上がり「あいつら、亀取り(=亀の姿勢を崩して押さえ込んだり、関節を極めたりするテクニック)も知らねーよ」と嘯いたというエピソードを、さも「どうだ!高専柔道は万能だろう!」といった雰囲気で自慢げに書いていたわけですが…これって端から見れば、完全に七帝の選手のほうが「負け」と見做されますし、また、亀の姿勢を取っている某選手に対し、相手が石やビールケースなどを頭に落とすということだって考えられます。
増田俊也が紹介したこのエピソードは、「七帝柔道に明け暮れていた若者の青春の1ページ」くらいで理解することをお勧めし、間違っても「寝技は実戦で使える」という風に捉えてはいけません。
上記のことだけでも「寝技万能は間違い」と断定していいのですが、いちおうダメ押しとして、「寝技主義者は、不整地での寝技の有効性を実証実験していないからこそ、寝技最強という寝言を言っているのだ」と言っておきます。
実際に実証実験をしたワタクシは保証します。不整地において「投げのための投げ」ならぬ「寝技のための寝技」は全く使えません。
いまから10年位前、とあるBJJの団体の皆様と飲み会をした際、「砂の上でBJJはできるのか」という実験をしました。
いつものように寝っ転がって、BJJのムーブをしようとしますと…当然っちゃー当然ですが、砂が驚くべき摩擦力を発揮し、道場の畳の上でクルクル回ったり、エビの動きで相手の重心をずらすといった、あの動きが一切できなくなったのです。
結果、砂だらけのオッサンが砂浜の上をゴロゴロ転がるだけという、実に見苦しい光景だけが展開されました(周囲から、ホモと間違われたらどうしよう…と変な心配をしました(;^_^A)。
この実験結果を踏まえ、「実戦で使っていたとされる寝技」なるものを検証した結果、地面に倒れ込んだ瞬間に相手の上を取る、いわゆる「トップを取る」ことによって成立する技ばかりであり、BJJでいうスイープに相当する「上に乗っかっている人間を下からひっくり返す」という態の技はほとんど存在しませんでした。
以前連載しておりました「術科の長い長い歴史」の第4回で、講道館四天王の横山作次郎VS良移心頭流の達人・中村半助との激闘について触れましたが、中村は投げられたその直後、すぐに体を入れ替えてトップを取ることで横山を押さえつけ、押さえつけられた横山は馬鹿力でもがいて逃げるしかなかった…というお話をしました。
要するにそういう事です。実戦では確実に「トップを取る」ことができなければ、寝技なんて最初っからしちゃダメなんです。
これはごく私見ですが、サバキの投げと非常に近い哲学・技術を持っているのは合気道でもなければ少林寺でもなく、いわゆる「ケンカ名人」とか「ステゴロ師」と呼ばれる人たちの必勝パターンじゃないかと思います。
ステゴロ師は、相手の視界を制限したうえでの「叩きつける技」が鉄板の必勝パターンであり、このあたり、「相手の死角に入って投げ」というサバキと非常によく似ています。
そして、もっと大事な共通点は「バカじゃ勝てない」ってこと。
ステゴロ師は「ケンカは段取り8割」「ケンカはバカじゃ勝てない」と言い切り、心理戦や仕掛けの時点でダメだったら、さっさと逃げることを説いています。
そしてサバキのほうですが、技術書にはさすがに書かれていませんが(;^ω^)、先代館長のケンカは、実際に手足が交わる前の心理戦が絶妙であり、おそらく先代は問わず語りに「ケンカはバカじゃ勝てない」ということを説いているのだと思います。
芦原会館から分離独立した「サバキもどき」の団体に足りないのはまさにこの点であり、ワタクシ個人的には、「もどき」の出来を見れば見るほど、オリジナルサバキのまだまだ不滅たることを確信してやみません。