集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

サバキ・ふしぎ発見!(サバキの華・投げについて考える)

2022-07-19 10:16:13 | 芦原会館修行記
 なんとなんと、まる2年半ぶりとなる「サバキ、ふしぎ発見!」です。こんなに書いていなかったとは、自分でも驚きです。その間に、芦原会館総本部がまるで違う建物になったりしていました( ゚Д゚)。
 「ふしぎ発見!」ではこれまで、形・試合・護身術・テキスト・軸・立ち関節などなどと言った視点から「サバキ」を浅くほじくって参りましたが、今回はサバキの華である「投げ」について論じたいと思います。

 まず、芦原カラテが、空手であるにも関わらず「投げ」を技術体系の柱の一つに据えている理由について、先代の著書「空手に燃え、空手に生きる」から抜粋してみます。引用部分の項目タイトルはそのままズバリ!「『投げ』は全ての要素を含む」です(;^ω^)。
「芦原空手のサバキは投げを重視している。受け、崩しの延長が投げである。とはいっても、芦原会館の稽古をチラっと見ただけで『芦原会館のサバキって投げのことか』という人もいるが、それは的外れな見方である。
 稽古では、投げの際、蹴りを強く当てずに投げているので、そう見えるのかもしれないが、これはあくまで危険防止のためである。(中略)
 投げにくい手の動き、肩口を掴む手、アゴを押し上げる手は、本来、顔面へのパンチなのである。
 投げを決められるということは、その間に何発もパンチや蹴りを受けているのである。(中略)
 投げのための投げではない。投げは相手にけがをさせずに技を決められたことを認めさせるテクニックなのである。」
この先代のお言葉を記憶の片隅に残して、以後の拙文を読み進めて下さいませ。

 サバキの投げに関してはこれまでも、一知半解のバカ格闘技ライターや、「関節を極めて投げる」技術を持つ武道・格闘技連中がよく「芦原カラテの投げは少林寺拳法の柔法を参考にしてウンヌン」「合気道の投げを参考にしてウンヌン」などと、訳知り顔で主張しています。
 しかしそうした指摘は、上の文章で先代が言った通り「的外れな見方」以外の何物でもありません。なぜならば「関節を極めて投げる」という技術自体が、先代の言う「投げるための投げ」だからです。
 実戦は相撲や柔道などと違い、「投げられたら負けて終わり」じゃありません。投げられても再び立ち上がって反撃するのは当然です。また、相手が複数である場合、1人を相手にモチャモチャしているヒマはありません。
 ですから実戦では、先代が言う「投げるための投げ」…つまり「約束事のなかで、複雑な手順を踏み、相手を大きく投げ飛ばすことを最終目的とした技」ではなく、「ごく短い接触時間で相手を倒し、自己の制圧下に長く留めることが出来る投げ」「場所の広狭を問わない投げ」を以てよし、となるのです。

 その観点から考えますとまず、技のすべてが「打撃技なし」という前提で成立しているうえ、タタミの上で「作り・掛け・極め」のプロセスを踏まないと技がかからない柔道の投げは、真っ先に「実戦で使えない」との判定がなされます。
 また、複雑な足さばきや手さばきを必要とするうえ、移動がすり足であるため不整地で使えず、さらに言えば、相手を投げたあとの相手の処理に問題が多い合気道系の投げも、実戦への供与を大いに躊躇してしまいます。
 これらに対し、サバキの投げは例えるなら「ダルマ落とし」みたいな投げであり、相手の死角に素早く入り、モーションの小さい、必要最小限の蹴りで相手を倒します。この時、倒した相手は自分のごく直近にいますから、相手が再反撃を試みた場合、サバキの型にあるように、相手の首筋に肘を落とすとか、相手の頭を蹴るといった「二の矢」を容易に出せます(ホントはそこまでやらないのが一番いいのですが、そこまで厳しく相手を追い詰めておかないと、思わぬ反撃を受けることが往々にしてあります。実戦はスポーツじゃないんです)。
 また、動きが小さくて手数が少ないため、不整地でもバランスを崩しにくい、複数人が相手でもモチャモチャしにくい、といった利点もあります。
 さらに言いますれば、「ダルマ落とし」のような感じで投げられると、脳の情報処理が追い付かなくなるのか、それとも「下手に動くと、次の矢が飛んでくる」ということを本能が察知するのか、比較的長い時間、おとなしくなります。これも「サバキ投げ」の、実戦における大きな効能の1つです。

 …とここまで、実戦で使える投げの定義と、そこから導かれるサバキの有用性についてお話ししましたが、ここまでの内容ですと、ある勢力から「まだまだサバキは実戦的じゃないぞ!」という意見が出てきそうです。
 ここでいう「ある勢力」とは、古い柔術や、高専柔道出身者などのいわゆる「寝技万能主義者」となりますが、これは、自身の社会実験の結果からもはっきり言います。実戦で寝技は、一切使えません。
 高専柔道万能主義者の作家・増田俊也はどこかの雑誌(たぶん、月刊秘伝(-_-;))で、七帝柔道の某選手が街場でケンカになったとき、徹頭徹尾「亀」の姿勢を取り、相手がいくら殴っても蹴ってもその姿勢で動かず、相手が殴り疲れて去ったあと、おもむろに立ち上がり「あいつら、亀取り(=亀の姿勢を崩して押さえ込んだり、関節を極めたりするテクニック)も知らねーよ」と嘯いたというエピソードを、さも「どうだ!高専柔道は万能だろう!」といった雰囲気で自慢げに書いていたわけですが…これって端から見れば、完全に七帝の選手のほうが「負け」と見做されますし、また、亀の姿勢を取っている某選手に対し、相手が石やビールケースなどを頭に落とすということだって考えられます。
 増田俊也が紹介したこのエピソードは、「七帝柔道に明け暮れていた若者の青春の1ページ」くらいで理解することをお勧めし、間違っても「寝技は実戦で使える」という風に捉えてはいけません。
 上記のことだけでも「寝技万能は間違い」と断定していいのですが、いちおうダメ押しとして、「寝技主義者は、不整地での寝技の有効性を実証実験していないからこそ、寝技最強という寝言を言っているのだ」と言っておきます。
 実際に実証実験をしたワタクシは保証します。不整地において「投げのための投げ」ならぬ「寝技のための寝技」は全く使えません。
 
 いまから10年位前、とあるBJJの団体の皆様と飲み会をした際、「砂の上でBJJはできるのか」という実験をしました。
 いつものように寝っ転がって、BJJのムーブをしようとしますと…当然っちゃー当然ですが、砂が驚くべき摩擦力を発揮し、道場の畳の上でクルクル回ったり、エビの動きで相手の重心をずらすといった、あの動きが一切できなくなったのです。
 結果、砂だらけのオッサンが砂浜の上をゴロゴロ転がるだけという、実に見苦しい光景だけが展開されました(周囲から、ホモと間違われたらどうしよう…と変な心配をしました(;^_^A)。

 この実験結果を踏まえ、「実戦で使っていたとされる寝技」なるものを検証した結果、地面に倒れ込んだ瞬間に相手の上を取る、いわゆる「トップを取る」ことによって成立する技ばかりであり、BJJでいうスイープに相当する「上に乗っかっている人間を下からひっくり返す」という態の技はほとんど存在しませんでした。
 以前連載しておりました「術科の長い長い歴史」の第4回で、講道館四天王の横山作次郎VS良移心頭流の達人・中村半助との激闘について触れましたが、中村は投げられたその直後、すぐに体を入れ替えてトップを取ることで横山を押さえつけ、押さえつけられた横山は馬鹿力でもがいて逃げるしかなかった…というお話をしました。
 要するにそういう事です。実戦では確実に「トップを取る」ことができなければ、寝技なんて最初っからしちゃダメなんです。

 これはごく私見ですが、サバキの投げと非常に近い哲学・技術を持っているのは合気道でもなければ少林寺でもなく、いわゆる「ケンカ名人」とか「ステゴロ師」と呼ばれる人たちの必勝パターンじゃないかと思います。
 ステゴロ師は、相手の視界を制限したうえでの「叩きつける技」が鉄板の必勝パターンであり、このあたり、「相手の死角に入って投げ」というサバキと非常によく似ています。
 そして、もっと大事な共通点は「バカじゃ勝てない」ってこと。
 ステゴロ師は「ケンカは段取り8割」「ケンカはバカじゃ勝てない」と言い切り、心理戦や仕掛けの時点でダメだったら、さっさと逃げることを説いています。
 そしてサバキのほうですが、技術書にはさすがに書かれていませんが(;^ω^)、先代館長のケンカは、実際に手足が交わる前の心理戦が絶妙であり、おそらく先代は問わず語りに「ケンカはバカじゃ勝てない」ということを説いているのだと思います。
 
 芦原会館から分離独立した「サバキもどき」の団体に足りないのはまさにこの点であり、ワタクシ個人的には、「もどき」の出来を見れば見るほど、オリジナルサバキのまだまだ不滅たることを確信してやみません。

雑記・陰口や讒言に悩む皆様へ…「ウソはどこまで行ってもウソである」(芦原英幸)

2022-07-16 17:30:28 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 皆さんは「陰口」「讒言」を言うほうですか?言われるほうですか?
 おそらく弊ブログをご覧の皆様の多くは「言われるほう」だと思いますが、かくいうワタクシも、ガッツリ「言われるほう」です(;^ω^)。
 とある姓名判断サイトでワタクシの本名を占断しますと、「総画 凶」。その総画が示すワタクシの運命は「孤独・失敗・天災・多難」だそうで、「天災」以外は占断結果を見事に反映した人生を送っており、やはりワタクシは馬鹿から悪口を言われる人生なんだなあ…と、ヘンな意味で感心してしまいます。
 余談ですが、PNの「周防平民珍山」は総画大吉、その他が激烈に悪いという相となっており…何もかもが両極端、本名とPNを足して二で割って人生をヨタヨタ進んでいる、という感じがあるわけでありますなあ(←詠嘆)。それはさておき。

 ワタクシはこれまで、数えるのも嫌になるほど、先輩・上司・同僚からの「陰口」「讒言」を受けてきましたが(後輩や部下からされたことが一度もないのが、ちょっとした自慢ですが(;^ω^))、過去に受けたそれらの傾向を再度リサーチしなおしますと、ひとつの面白い法則性が見えてきました。
 ワタクシが本当にやらかして、「どうぞ、バレませんように…!」と祈る思いをしていることに関する「陰口」「讒言」を受けたことは一切なく、逆に、ワタクシがやってもいない、言ってもいないことを、さもワタクシが言った・やったように吹聴する、捏造の「陰口」「讒言」ばかりでした。
 ここからわかることは、いかなる理由によらず、陰口や讒言で人を陥れようというヤツは、アタマも根性も激烈に悪いヤツばかりだから、リサーチ能力がないうえ、ウソ情報すらまともに作れないバカだということです(;^ω^)。

 世の中には…そして、弊ブログをお読みの方の中にも、会社や学校などの各種所属組織で「陰口」「讒言」を受け、苦しんだり、悩んだりしている方がおられるでしょう。
 今回は、「陰口」「讒言」を、枡で計って車に積んで売れるくらい(;^ω^)受けてきた、「孤独・失敗・多難」相のワタクシからその本質をお話させて頂き、「そんなもん、大したことじゃないですよ!」という応援をさせて頂きたく存じます。

 まず先ほどお話した、個人的体験のとおり、「陰口」「讒言」の内容は、十中八九ウソや捏造ばかりです。
 理由は先ほどお話ししました通り、損な手段で人を貶めようと考えるヤツは、アタマも根性も腐っているため、「ウソ情報」すらまともに作ることが出来ないほどのバカだからです。
 また、「陰口」「讒言」というものは、「アイツには正面切って勝てない」という相手にだけ発せられるという性質を持ちます。
 正面攻撃で、何をやっても勝てないバカは、レベルの低いウソで捏ね固めた言質を以て相手を貶めるという搦手を駆使する以外に、その相手を攻撃の手段を持たないのです。
 つまり「陰口」「讒言」というのは、相手方のある意味「敗北宣言」ですので、相手がおかしな手段に訴えない限りは、むしろ優越感に浸っていいものだったりもするのです。

 ワタクシが生涯尊敬する、先代の芦原館長は、その天才性ゆえ、生涯にわたって「陰口」がつきまとい、各種の「讒言」によって極真会館を追われた経験を持ちます。
 そんな先代館長は、陰口や讒言について、著書で「ウソを100回言えば本当になるという人もいるようだが、ウソはどこまで行ってもウソである」と喝破しています。
 まあ、先代の全盛期に、正面切ってケンカを売って勝てた人はおそらくいない(やったら素手、または手裏剣でもれなくブチ●されますね(;^ω^))でしょうから、相手がレベルの低い陰口や讒言以外に攻撃手段を持たなかったというのは、むべなるかな…です。

 ただ、陰口や讒言に関して面倒くさいのは、こうした陰湿な攻撃をする人間は、「言葉責めでは相手が折れない」と見た瞬間、さらに上の手段…具体的に言いますと「無視する」「仲間はずれにする」「モノを隠す」「共有情報を与えない」といった陰湿な手段に出てくるわけです。
 これは小学生や中学生といったガキンチョの世界の話ではなく、いい年こいたオッサン・オバハンでも、バカはそういうことを平気でします。なぜなら、バカという生物はモノと恥を知らないからです(;^ω^)。
 こうした行為で心をやられる方は、世間には大変多いわけですが…すみません、ワタクシ実は、陰口や讒言はシコタマやられましたが、そうした「レベルの低い実力行使」にまで至られたことは一度もなかったりします。
 理由は明らかで、「武道・格闘技をやっているから」。
 バカという生き物は「学ぶ・鍛える・損して得取る」という発想が出来ないからこそのバカなのですから、鍛錬を結晶させなければ上達できないうえ、ヘタすれば自分の身体に直接攻撃される危険性を孕む「武道・格闘技」に対しては異様な畏怖心を抱いており、「いつでもやったるぞ、コノヤロー!」という気を発している人間に、おかしなことはしません。
 また、バカという生物は「コイツは自分より強いか、弱いか」ということを鋭敏に察する能力を持っています。
 理由は簡単、バカという生物は「自分より弱い相手をいじめる」ことが、唯一無二の快感を得る手段だからです。
 そうした救いがたい性質を持つバカにとって、いじめるターゲットを見誤って、激烈な反撃を受けることがいちばん苦痛を感じることですから、「自分より強いか弱いか」という見極めの目だけが発達するわけですね。

 こんなことをシメに言うと「また我田引水のオチか」と批判されそうですが、武道・格闘技をある程度治めることは、精神衛生的にも、そして、世の中で生きる限り、あらゆる形で出会うであろう「陰口」「讒言」に打ち勝つ、最も効果的かつ即効性のある対抗手段だと心得ます。
 「心理カウンセラー」などという詐欺師連中は「毅然とした言語や態度をしておけばいい」などと言いますが、それは武力を修めた裏打ちがあっての「毅然」とした態度に依る場合のみであり、ヘナチョコが「毅然とした態度」をしていても、「コイツ、スカしやがって」と、さらなるイジメの標的になるだけです(安易に「毅然とした態度」などというヤツは、十中八九詐欺師です。保証します。)。
 バカは言語がわからず、ヒトのしぐさや表情が読めないからこそバカなのですから、そうした低能に対して即効性があるのは「肉体言語」。それ以外の対抗策はまず、ありえないといっていいでしょう。

 最後はなんとも救いようのないオチになってしまいましたが、ワタクシの経験上、「肉体言語」の即効性は本当に抜群です。
 陰口や讒言に苦しむそこのアナタ!まずは簡単な筋力トレーニングから始めてみてはいかがですか????
 とりあえず3か月、マジメに継続すれば、何かが絶対に変わってきます。経験者のワタクシが、保証します!

雑記・弊社に「安全文化」が根付かない理由

2022-07-10 19:21:36 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 いわゆる「安全工学」と呼ばれる学問でいうところの「安全文化」(safety culture)とは、昭和61(1986)年のチェルノブイリ原発事故を契機として使われ始めた概念で、
① トップから現場の末端1人1人までが
② 安全最優先の意識を持ち
③ 組織として安全確保に向けて取り組んでいる状態
のことをいい、その文化を形成するためには、以下の4つの「文化」を根付かせる必要があるとされています。
イ 報告する文化…組織内で起きていることを、包み隠さず報告すること
ロ 正義の文化…ルール違反には厳正に対処する。非難しない文化は誤り
ハ 学習する文化…ミスやルール違反を繰り返さないよう、教訓とすること
ニ 柔軟な文化…状況に柔軟に対応する組織を目指すこと

 ワタクシが現在働いているクソしょうもない会社では、少年院にも劣るような幹部学校を卒業したバ幹部が、口を開けば「安全に留意、安全は何にもおいて優先する」などとほざいていますが、弊社の職歴30年弱のワタクシから言わせて頂きますと、コイツらが上に立っているからこそ、弊社には安全文化が根付かないのだ、と強く信じて疑いません。
 その理由は簡単。弊社のバ幹部は、上記イ~ニに反する人生・勤務を送ることによって「偉くなる」ことができるからです。

 バ幹部の皆様は、広島県呉市に所在するバ幹部学校において5年弱もの歳月を過ごすことにより、世間で一切役に立たない高等数学、チンケな法律論、そして「バ幹部ムラ社会の論理」だけを身に付けて世の中に出てきます。
 で、この「バ幹部ムラ社会の論理」をものすごく煮詰めて言語化しますと、↓のようになります。
「バ幹部学校の先輩に媚を売るのは当たり前。後輩から媚を売られるのも当たり前。兵隊の取り扱いについては、媚を売る兵隊はいい兵隊で、媚を売らない兵隊は悪い兵隊」
 かつて「マルチ商法=現代ネズミ講」に加担していた元詐欺師が書いた本に、こんなことが書かれてありました。
「媚を売ることは信用を売ること。媚を売られて悪い気持ちになる人間は1人もいない。しかも元手がかからない。だから、成功するためにはどんどん媚を売れ。これは最も簡単で、最大の効果が出る身過ぎ世過ぎだ!」
 ここまで読んで、皆さんもうお分かりになりましたよね…そうです。「バ幹部ムラの論理」は、現代詐欺師の価値観と全く同じ…犯罪者と何ら変わらないアイデンティティの下、組織を運営しているということになるんです。

 詐欺師と同じ「媚体質」を是とするバ幹部の皆様は、頭の中に「フィルター機能」というバイアスがかかっています。
 つまり、自分の都合がいい情報だけを「いい情報」「必要かつ重要性高の情報」として吸い上げ、自己に都合が悪い情報や、耳の痛い意見は「不要な情報」として目をつぶり、耳をふさぐわけです。
 そんな生活を送っている輩が、「安全文化」を形成するのに必要な上記イ~ニに掲げた「安全形成に必要な文化」を根付かせられると思いますか????????
 …それは「砂浜でコメを作る」「男が赤ちゃんを出産する」レベルの、ムリな話ですよ(-_-;)・・・・・・・・・・・。

 そういえば、安全工学の本の中に「安全は終わりのないゲリラ戦である」(J・リーズン)という言葉が書かれてありました。
 これはまるで、上っ面では「安全は大切だ!安全を守ろう!」と唱えているくせに、実は安全文化を根付かせるうえで、最も有害かつ邪悪な倫理観に固まっている弊社バ幹部との戦いを示唆しているようで、なんとも味わい深い一言だと心得ます(;^ω^)。

 ちなみにワタクシ、バ幹部が気に入らないことをわざと本人の目の前で発言するなどして、自分から地雷を踏みまくって爆発させまくっていますんで、そもそもワタクシなんかが安全について語っちゃいけないんですけどね…_| ̄|○