湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

11/5 年末年始の通院計画/連載(11)80年代の不登校他

2020-11-07 04:00:00 | 地震津波災害ボランティア

2020/11/05 

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<注文した書籍から>

「もう一つのソーシャルワーク実践 障害分野・災害支援・国際開発のフロンティアから (OMUPブックレット)」

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784909933195

「福祉労働 障害者・保育・教育の総合誌 168(2020Autumn) 特集社会的距離と共生」

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784768423684

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母のめまいの季節が、やっとすぎたようだ。バス乗車時の筋力低下による転倒など、例年より危ない場面があったものの、家の中の突然の「めまい」の頻度が減っている。


私も困っていることだが、特に最近、太陽の高度が低くなり、対面直射光が視野に入ることが多くなり、ハレーションで目の前(太陽側)がみえなくなって危ない目に遭うことが増え、母は瞬時に身をよける反射神経が鈍るため、それが「めまい」の引き金になって、こわいと本人が語っている。これはおそらく病の原因のヒントを含んでいるのだろうが、医師も絞りきれない。出合い衝突の心配はつづいている。


明日、後期高齢者の特定健診があり、帰りに母を趣味の仲間に預け、東京の担当医のチームのPSWさんと、年末年始の診察の予定を相談しに東京に行ってくる。


そんなこともあって、配布が遅れないようにビッグイシューを、茅ヶ崎サポセンに持ち込んだが、購読者○○さん分が、メールボックスに前号をいれたままになっていた。旧友の事件があった後だから、気になる。自宅電話は、鳴りっぱなしだ。


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(連載11)

80年代初頭は、私が不登校・引きこもり児者支援に私塾を立ち上げ、フリースクールの枠組みを求めて、社会活動の情報網をたぐりながら、あちこち見て歩いた時期と重なる。


私の中には、「家庭不和の中で、自分の在り方、居場所を求めてのたうっている本人に寄り添う」という漠としたイメージがあって、私が出会う10歳以下の子の親からの支援活動とは、ずれが生じていた。


私は同世代の頃、体育と音楽実技を除き授業はクリアし、もっぱら私の生きていこうとする道を探ることに関心が向き、高度経済成長期の階層相続の発想で、受験競争成功者の道を歩ませようとする親とは、わかりあえる関係にはなく、遊びも、単調な受験競争の興奮も、仲間同調できない転校生、いじめに屈しない石頭は、学級の代わりに、私塾図書館に居場所を見つけ、書籍の内容に道を感じ取っていたこともあって、幼いとはいえ、不登校の子の親が自由の道を提供する発想には、違和感があった。幼くとも道を見つけるのは、自分だからだ。


時代は未来の就労の想像力をうしない、流れて生きれば、どこかにはまれるという現実主義がひろがっていた。しかしそれは、青少年をまるごと追い上げて、社会にはめる時代の終焉の現れでもあった。未来の手応えはモヤに隠れ、受験戦争は、しだいにエリートのものに変質していった。


ローティーンズの不登校の子たちの親は、当人の説得と学校の居心地を改善することにより学校復帰を働きかけたり、情操教育的な学校外のまなびの場を探ったり、当人の精神障害予備軍的ストレスの治療を行ったりしていた。私は知識の集団伝達のシステム老朽化に陥った公教育の改善に限界を感じ、学校外の磨かれた学びをさぐっていた。


しかしそれも、実際には授業から外れてしまう子、同調圧力に気がつかずいじめられる子が、親に理解されず、親と世間(学校)に挟まれて孤立している事態から、本人と知り合うことが多いため、ましてや思春期の子などは、彼らに伴走する立場から、まずは、ラポール(信頼)をたてることからはじまることになる。


太郎次郎社の「ひと」塾、私塾の会、数学教育協議会や、諸親の会、日教組系教研等をめぐった。いずれも、授業改善が不登校を、解決できると考えていた。


(つづく)


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夜間傾聴 なし

(校正1回目済み)


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