私は仕事上、安全のために複数台のPCを使っているが、その一台がオーバーヒートを起こすようになって、メーカーに修理に出した。見積書が返って来たが、「現象再現せず」とあり、「予防交換でマザーボードを交換」すると言ってきた。なんとも雑な印象を受ける。経時観察せずに、全取替えしておけばいいだろうという発想が浮かんでくる。SOTECである。
この故障はノートPCの内蔵ファンの異音から始まり、過剰回転、ファン停止という経過から異常が進んだ。もしファンが痛んでいたらどうするのだろう。安いPCなら新品が買えてしまう金額を請求してきた。保障期間切れ2ヶ月目の故障だった。複数台で運用しているので、すぐに困ることは無いが、「修理不要」で引き取るか、延々と出ないサービス窓口への電話をかけて、検査の再請求をするか、どうしようかと思っている。いくら彼岸だからといって、ご臨終は堪忍してほしい。
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我が家の墓参は、私の委任受託事業となっている。不便なところに墓苑がある。巡回業務は昨日はお休み(のはず)。午後からの遅い墓参を済ませて、さっさと帰ってきた。罰当たりは年中祟りだらけなので、慢性になっている。やはり物事は平穏に終わらなかった。今回は詳しくかけないが、緊急呼び出しがかかった。乗り継ぎで電車を待っている駅から40分ほどで先方に着き、警察署に向かった。家庭内の出来事だが、しこりが残りそうな状態で、当人と会った。学齢期の少年ではなく、成人。それだけに…。とりあえず絆創膏。
いつも思うのだが、契機が社会的挫折であっても、現場は親子の対立の形となり、この対立の解消をめざすことが仕事の中心課題になる。しかし、彼の社会関係改善は手付かずなのだ。加えて問いは重なる。就労支援活動とは、この社会と向き合うことであり、彼の再起の出発点を整備することである。この「向き合う」という部分は、いつ「向き合う」のだろう。心を充分に癒しその心の内側に、再起の意欲が湧き上がってきたときということなのだろうか。確かに性急な転換を迫ることは、彼が葛藤の泥沼の深みに足を踏み入れることになってしまうだろう。しかし、その問題は家庭の軋轢に核心がずれていく。親子関係の歪みが社会関係の適応に投影されているという臨床の発想は、親子関係の改善があたかも社会復帰のすべてであるような論点のネグレクトが潜んでいる。彼が打たれ強くなれば解決というわけではない。就労支援活動は激励やはめ込みの活動なのではなくて、ともによりよく生きるための新たな結びつき作りに基本がある。
予想よりも早く引き上げることが出来たので、藤沢で買物を済ませ、自民党総裁選の号外が飛び交う駅頭をくぐり、ビックカメラで、PCの新規購入の場合の値段を確かめてきた。工人舎の安いPCは、通販で買ってはいけない。現物を見ると画面の解像力が悪い、これを許容できるかは、各人の選択であるが。中古はどうも買う気になれないから、再検査後、修理か、安物のノートPCを買うかを決める。悩む。
28日に地域就労支援PJの打ち合わせがあるので、PJの10月予定のポスター原案を書いた。今回の懇談会の結果を報告する資料を、連続して作っている。
「NPOの電子ネットワーク戦略」(ISBN:4130501577)を流し読みした。どきどきするような論点が姿を見せない教科書調なので、関係書への糸口をつかむことができた。
きりが無い。今日はここまで。
p.s. 子ども未来ファンドから観劇の誘いチラシが届いた。下記参照。
●11/3 館内ホール 朗読劇「ハッピーバースデー」
http://www.tvk-bb.tv/art-channel/artlog/2007/09/post_19.html