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湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

4/29 常総市水害被害取材に行きました(下)

2018-04-30 05:50:09 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/29 記
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ー(中)から続きー

心身障害者福祉センターの++さんとの対話に限界を感じていたとき、職員の動きが活発になってきた。送迎の時間だなとわかったので、最後に市会議員情報を得る最終目的地、水海道の市役所本庁舎へと向かった。鉄道移動の制約があり、急ぎ三妻駅へと向かった。

センター近くには鬼怒中がある。フェンスの脇道を通っていると、電柱に「浸水危険地域1.5m」の表示が巻き付けられていた。まもなく2本目の表示は「2.5m」となった。東日本大震災の被災地の場合は、津波到達最高水面の線が感覚に訴えて表示されていたが、ここの表示は数字だけ。やっと三妻駅発の電車に間に合い、水海道へ。

鬼怒中もそうだが、県立水海道第一高、さくら病院も時間切れでまわれなかった。最後に市会議員さんに情報提供をお願いするつもりで、駅から距離がある市役所に飛び込んだ。虚しかった。市議の方々は登庁していないというか、帰ったあとだった。次に高齢福祉課に「避難実態調査書」の高齢者調査版がないか質問したが、防災担当がいないとのこと。社会福祉課に立ち寄り、障がい者版「避難実態調査書」の編集メンバーの方はいないか尋ねた。応答は、皆、発災時以降に異動してきた方ばかりで、詳細がわからないとのこと。災害は2015年9月、3年ちょっとで人事異動で、環境上の防災ではない障害者・高齢者の防災の活動は、引き継ぎが霞んでしまっていた。阪神淡路大震災の際の復興住宅の単身者の孤立死や、東日本大震災のときのPTSDは3年以降に問題化する等では長期サポートが必要な事例があるのに、実態としては防災課の環境整備活動の付属活動のような預けが行われており、支援しきれていないことが透けてみえた。これは障害者の行政がつかんでいる数が少なく、後手にまわっているのではと思われた。把握者数60人前後というのは決して少なくないと思うのだが。

今回の訪問は、反面教師をみるような結果となった。印象としては、まず第一に環境の特異性、次に行政・社協・関係団体の横断委員会的な活動不活発、人事異動時の経験引き継ぎの問題が目立ったことがある。県がらみとなったら、なおさら継続サポートの混乱が大きくなる。

ただ「障がい者避難実態調査書」は、アンケートに丸められているが、結構面白い内容を含んでいるので、今回は「なぜ自宅待機者が多いのか」という点だけとりあげ、後日、課題ごとに紹介していく。

~なぜ自宅待機者が多いのか~

鬼怒川添いに電車の窓から見える光景は、地平線まで平坦な畑地であり、その畑の中に施設の建物がある。集落も駅前を除いて、間取りの大きな農家敷地を挟んで10戸程の単位であり、なおかつ、移動は自家用車依存の土地柄だ。発災時、歩行困難な方が大声をだしたり、電話・スマホに依存して助けを求めても、声は届かず、回線故障が重なれば、家族不在時、孤立してしまう。報告書では、救助にきてくれたのは血縁家族が多く、地域共助の可能性は低い。また極端に平坦な土地と2階屋の民家ゆえ、集中豪雨には遠方避難所に早期避難しないと身を守れないことがある。内陸ゆえ津波被害ほどの水面の高さはないが、堤防決壊のような爆発的なエネルギー放出があれば、家屋が流れ去ることもありうる。この「早期避難」が田舎特有の車社会ゆえ、移動過信が避難の遅れを作ってしまう。

また、災害弱者の平常時のサポーターが、対象者拡散ゆえに、支援確認が道路事情などで困難が続くということだ。

一番気になるのは、統括的に地域を把握する横断組織が見えないこと。正確に確認していないが、外部ボランティアが去ったあとの生活再建活動を支える組織が自治会(町内会)であり、受け皿として適当であるかの吟味がいる。

被災個人宅までは、とてもたどり着けない取材行だったが、災害弱者の多様なニーズは、行政を含んでばらばらな対応では受け止めきれない。

一応、これで取材行のレポートとするが、常総市の経験から活かせるものは何かを考えていく。

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母、美容院でめまいを起こしたことで、頓服薬を飲んで眠っている。食欲は平常通り細いが変化なし。

夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)

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4/28 常総市水害被害取材に行きました(中)

2018-04-29 05:41:45 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/28 記
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母に異変。教材屋しつつ、

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ー(上)から続きー

災害に関わるにあたって私のポジションは、被災環境下の、災害弱者の保護という命をめぐる課題に、青少年の人ととしての参加の道を拓くこと、次に災害に破壊されたコミュニティの環境だからこそ、逆に再編・再建の道の中に、引きこもりや不登校・障碍者・社会的挫折者の再挑戦を含んだ地域参加の契機を見出し、セイフティネットの芽を生み出せることを実証することにある。危機的環境:生命、固定的な旧地域コミュニティ(または群衆):多様性が活きる常時生成する動的コミュニティという構図が問題意識の根幹にある。

常総市を歩き始めたのは、震災・津波という類型からはみ出す河川の氾濫や火災という被災対応の懐を深めておく必要を感じたからだ。このあと、阪神淡路大震災の都市火災、糸魚川火災などの災害弱者の状態記録を追っていきたいと思っている。

私はまず関鉄常総線「石下(げ)駅」を降りて、徒歩10分ほどの「常総市「常総市社会福祉協議会」の**さんに会った。アポを取ってあったので、準備されていた関連資料をいただくことができた。

資料の中には常総市HPにもDLできるハザードマップがあった。河川2本にはさまれている地平線がみえる土地の河川隣接地帯が浸水した。市役所本庁舎がある水海道駅からは5駅離れた、市役所石下地区分庁舎の前の常総市社会福祉センターの中に市社協がある。

**さんはCSW、現場を回っている。準備して下さった資料(公開資料+関係者配布資料)をいただき、その資料作成の経緯の話から対話が始まった。ところがそこに地区自治会の役員さんらしき人物が急用とのことで割り込み20分中断。窓口担当がひとりしかいない様子。

話が中断したので、私から取材したい、障碍者を中心とした現場情報・エピソードが欲しいと語ると、緊急避難直後のボランティアの受け入れ口のボラセンの設営と、外部の障碍者団体の活動の振り分けの話となった。どうも直接の話が出てこないので、突っ込んで問うと要援護者支援のボランティアへの協力の話となり、的を射ていない。「では個人的に障碍を持った方の家庭をご存知ないか」と問うが、応答がなかった。ボラセン運営体験を現場経験と解しているところがあって、個人宅の話はプライバシーの保護の壁に霞んだ。

これでは意味がない。そこで災害状況の現場判断と対策進行情報をつかむために、震災と津波災害と異なり、集中豪雨災害の場合は、事前予測の時間があり、途中から堤防決壊という急激な被災が混じってくる。だから、避難と言っても、警報から避難指示の豪雨接近避難状況と、堤防決壊というハプニングからくる緊急避難状況はどのようにやってきたのか。避難所設営、その辺の解説に期待を移した。

ところがその辺の経過は「88|>行政に聞いてほしいという。当人は外部ボランティアへの采配を現場経験と考えており、避難所運営は社協は大局的な。安定運営にかかわり、あとは各部署担当者が運営委に関わった話。私の求めている話題が得られないと判断し、インターネット検索などでは出てこない「常総市手をつなぐ育成会」の連絡先と堤防決壊の場所を聞いて、センター前からタクシーで堤防決壊場所往復をお願いして車を待った。

こういうことだ。この方は現場経験やエピソードというのは、被災者との直接交渉ではなく、ボラセン運営であり、地域地元団体の統括と避難所運営委の調整協力が活動という発想なのだと分かった。「関東・東北豪雨による障がい者避難実態調査報告書」(関東・東北豪雨による障がい者避難実態調査連絡会・編著/平28.2)がまとまっている。内容は次回最終(下)に載せる。

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前回、浸水地を歩いたとき、いくつかの特徴があった。全壊家屋は更地になって、事業所は再建されていた。水海道周辺は床下浸水が多く、すでに災害の痕跡は壁の塗り替えも含んできれいに再建されていた。しかし街路樹の特にイチョウは立ち枯れており、屋根瓦に豪雨被害修復の痕が見えた。また道路には、浸水時、運ばれてきた縁石の大きなかけらが歩道敷地内に取り残されていたり、歩道の縁石の歩道内側とひび割れに沿って、雑草が芽吹き、アスファルトが持ち上げられていた。そこだけをみると廃墟跡にさえみえてくる荒れが見えた。車道側の縁石際は、清掃車で除草できる。ところが歩道内は人の手でむしりとる以外なく、水に運ばれてきた種は、すでに根を張っていた。こういう家屋前の歩道は、自宅前を各自が人力で除草するのだが、放置されているところに気付き、脇の事業所をみると車道側、物置になって町が衰弱してるのがわかった。

堤防決壊箇所までタクシーに乗ったので、運転手さんに被災時の様子を聞くと、車が流された話や、逃げる間もないという地元の方の伝聞話を教えてくれたが、外部ボランティアたちがトイレが和式ばかりで苦労していたなどという与太話ばかりで、一向に災害弱者の話は出てこなかった。

堤防には近寄れないが一部に花が植えられ、ここが決壊地点だとわかった。タクシーでそのまま「石下」駅に向かってもらったが、次の「障害者福祉センターのある「三妻」駅かセンターまで、行ってもらえばよかった。

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次のセンターでは、知的・発達障碍関係の成人がデイの作業をしており、センター長さんはお留守。職員++さんが当時のことを語ってくれた。彼女はそのころまだ学生で、ボランティア協力をしていたとのこと。ただデイなので、嵐の為に家にいたという。自宅は被災地の近くのわずかな土盛りしたところにあって無事だったこと。親戚の家が半壊だったと教えてくれた。ただ昨年末、その親戚は新居に転居したとのこと。

どうにも埒があかない。当時++さんははは警報が鳴ってアナウンスが、聞こえたが外は雨が降っているし、様子見待機をしていた。いままで自宅は浸水したことがないから、大丈夫だと思っていた。緊急避難のアナウンスで2階に移動した。外は危険だと思ったからだという。停電がありスマホで状況を確かめて驚いたという。避難所に移動しないで自宅で被災というう人が多かったのではという。社協の資料からも自宅待機中被災された方が多いのは、一時避難所が、とにかく平坦な土地なので、逃げ場がないのだという。

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母、美容院で白髪染め中、めまいを起こした。タクシーで連れて帰り、一日、休ませている。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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4/26&27 常総市水害取材に行きました(上)

2018-04-28 05:35:54 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/26&27 記
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4/26
質問の整理。ホームへルパーさん時間増強。他。

4/27
2015年9月10日午前に起きた常総市の堤防決壊事故(鬼怒川水害)の現場、石下地区・中妻地区を歩き、水海道の市役所本庁舎、常総市社会福祉協議会、心身障害者福祉センター(手をつなぐ育成会も共同運営)を訪問、鬼怒中、さくら病院は時間切れ。

今回は2回目。石下地区にある常総市社会福祉協議会の**さんを取材。心身障害者福祉センターの++さんに面会、水海道の市役所社会福祉課・高齢福祉課再訪、アポなし市議訪問(全員市役所帰宅後だった)。

とにかく自家用車がないのが難。急ぎ足で回るが関鉄常総線のダイヤに縛られる。辻堂>石下(社協・決壊地点)>三妻(福祉センター)>水海道(市役所本庁舎)>辻堂。石下往復巡回、タクシー使用。

今回の目的は、被災障碍者のエピソード収集。(高齢者関係は##苑がメールインタビューOKとのことで、今回はパス。)

これから数回に分けて紹介する。今回は、全体の印象から。地形は沖積河川敷地帯というか、見渡す限り畑の広大な平地。鬼怒川と、小貝川に挟まれた地域が浸水した。

常総市は約6万人の自治体。全壊世帯が53戸に留まったため、世論の風化は早かった。この数、少ないようだが、人口約4倍の茅ケ崎市に置き換えると200戸という単純計算になる。とにかく駅前に路線バス停留所が無いという、車社会。移動時、道を聞こうにも通行人が居ないし、店舗がなくて番犬だらけ。施設はバラバラ。普段、車で移動しているから、お宅にお邪魔して道を聞くも、距離感・徒歩でかかる時間は、常に2kmというのは、全くあてにならなかった。これで雨が降ったら意思が萎えてしまいそうだった。

この車社会ということが、避難警報が出た時も、いつまでも自宅から出てこなかった理由となったようだ。いつでも逃げられると考えてしまうため、避難所に移動しなかった。ところが2つの川(鬼怒川/小貝川)の挟まれた地域は294号線の渋滞。震災の水位が下流から上がっていくのに対し、浸水は上流からだ。幹線道路の渋滞を受けて逃げ場がなかった。これが、TV生中継されたヘリコプター救助の背景にあった。

私はいくつかの公開資料をいただいた。ただ、「現場経験」というところが、先方と食い違っていた。要援護者支援の外部ボランティアを仕切るボラセン活動を現場というか微妙なずれがあった。

(続く)

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夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

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4/26 明日、常総市の豪雨災害の際の要援護者支援の現場担当者に会います。今回はお休み。

2018-04-27 05:02:07 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/26 記
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常総市に出かける前の準備中。
次回のブログに2回分載せます。

飛田 拝
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4/25 湘南教組に行く/国分寺のシンポは定員に

2018-04-26 04:45:21 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/25 記
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27日の国分寺のシンポ、母の件で戸惑っていたら定員になってしまった。都内で夜というのは、無理になろうとしていることに、少々落ち込んでいる。せっかく確保した時間なので、常総市の育成会や医師会とコンタクト取れないかと、今日は電話攻勢をかけていた。医師会は水木休みのところが多く、役員の稟議ができず、ぶっつけ本番になりそうだ。育成会は応答なしで、明日へ。

連休中どうするのかと塾長に聞かれた。彼は出かけてこのときだから会いたいと願う人がいる。ところが私には、平日でないと会えないひとだらけ。つまり仕事上のお付き合いばかりだ。しかも宿泊は無理。被災地に出かけても車がないので動きが限定される。その条件下でも出来る事はあるはずと考えていたが、今年の連休はそれがみえない。だから、探れる範囲で、医療ケアが必要な方を探って、懇話会参加を促すことにした。教材屋の内職が追いかけてきてはいる。しかしそれに没頭する気にはなれない。

今日は雨上がり急に好天となって、湘南教組だけまわってきた。「若者防災研修」が始まったとき、子どもへの参加紹介などの協力依頼のことだ。運営実行委が動き出したとき、校長さんや教頭さんんに正式にお願いにいくが、今回は下準備というとことだ。資料を置いてきた。

辻堂に戻って、構内の立ち食いソバ屋で山菜そばを頼んだ。どんぶりを受け取るとき、どんぶりの下にあったコップの水をこぼしてしまった。片目だから遠近感がない。景気よくこぼして、大騒ぎとなった。じわり、目が悪くなっている。深呼吸する。時間が足らない。

茅ケ崎に出て、警察署に定例のサイバーレポートを出す。以前はDVDだったがメモリーにかわった。

カマスを入手。小さいが新鮮だ。バター焼きすると、母の好物。無難に食べられた。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)
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4/24 今回の火曜災害ミニカフェとグリーフケアのこと

2018-04-25 05:48:41 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/24 記
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「火曜災害ミニ・カフェ」を行った。以下の2本。
●「ハートネットTV東日本大震災から7年/石巻孤立する人たちを見捨てない」
●「NHKスペシャル『誰にも言えなかった~震災の心の傷~母と子の対話』」
災害発生後数年経って、協力の意気込みが続かなくなって、環境的な復旧が進むにつれ、それぞれの家族の選択によって進路が違ってくると、心の奥底に抑え込んできた心的外傷が頭をもたげてくる。PTSDだ。6年後の被災地の小学校の避難訓練に、悲鳴をあげたり、突然うずくまってしまう子がクラスの4分の1いるということも、珍しいことではない。むしろその避難訓練が配慮に欠けるという話に、顔を覆いたくなる。

その頃は、被災者保護政策が終わりを迎え、「まだ被災者面しているのは甘えている」という心無い発言が横行し、協力が求められなくなる。しかし、生活再建の環境優先の自らの気持ちと恐怖の板挟み状況は、実はこれから始まるという矛盾。支援者の潮も引き、石巻だけで16名の孤立死が出てしまう状態下の自己責任論の遮断は辛い。知らないのではない。「ひとは,見たいものだけを見る」のだという辛辣なナレーション。

「母と子の対話」は、PTSDからの離脱の試みが描かれる。気丈だった子が、突然、学校に通えなくなる話。この子の孤独は理解されない。家族の負担になるまいと頑張った糸が切れた。そこに数年の時間差がある。

私の知っている中度の発達障碍の青年は、発災の翌年、施設の窓を何枚もパニックで割ってしまった。地震の時、窓が割れたということらしいという。やはりPTSDの悪夢が彼の心にい再現していた。

私が夜間傾聴の中で、自分は2人を死に追い込んでしまったという罪の再現をかみしめながら、挫折の悲しみを抱えた若者のつぶやきを拾っている。いつのまにか20年を超えた。グリーフ・ケアと呼ぶが、えらそうなことは言えない。ただ言葉を受け止めている。被災地に起きている事は、だから、まだ事はこれからだとわかる。

画面を見ながら「人は見えるのではなく、見たいもののみを見るのだ」という番組ナレーションの中で、共助、その成り立つ形を考えている。

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昨日は、ホームヘルパーさんが短時間なので、一度家にもどって、母を近所の主治医の鍼治療に連れていき、その治療の間に、近くの生活保護入居施設に立寄って、横浜寿町の子たちの学習支援の情報取集を行った。自閉スペクトラム症の子への配慮の話が途中になっていたからだ。

夜は教材屋仕事&夜間傾聴、外は雨、昼まで降り続くとか。

夜間傾聴:鉄ちゃん

(校正2回目済み)

p.s.頭上の刃感じつつ。
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4/23 青年会議所にお邪魔し/中学校教員○○氏と久々に会い…

2018-04-24 05:04:26 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/23 記
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母がリハに出ている間に、サポセンと青年会議所、短時間だが**中の++さんに会ってきた。サポセンは、発災時の安全避難を重点化した活動を進めている##さんに、若者研修の運営実行委発足会議(5/17)の案内チラシを仲介してもらうためだった。レターケースである。青年会議所は、若者研修を紹介、検討をお願いした。++さん、頭が白髪が目立ち、様子が変わっていた。東日本大震災前に会ったきりだから、なかなか本題に入れなかった。一般論OK、だが実際何ができるか戸惑っているとの話。第二ラウンドはメールでとなった。

とにかく時間不足。自閉症関係の$$さんのスレッドに、27日の常総市取材の同行希望者呼びかけの関係で、反応があったか期待せずに覗いたが、案の定応答なし。ともあれ、集中豪雨堤防決壊被災という震災支援とは少し違った災害の様子を、災害弱者の現場からの視点で取材してこようと思っている。最大の違いは、事前予測のところだ。避難の様子や、堤防決壊というハプニング対策あたりにある。また浸水後、安全避難や避難生活の困難をどうしたかを知りたいと思った。地元支援者もまた被災する。ケアのゆとりを失う結果、災害弱者が孤立する。回復の過程も取材する。

当日は夜の18時から国分寺で講演会がある。効率化勝負んpスケジュールだが、一日に出来るだけまとめて行動しないと、母の見守りが疎かになるからだ。

先ほどまで夜間傾聴の常連%%が、車で連休前に伊豆の温泉に1泊で、いくとのこと。落ち着いているので、一安心だったが、鉄ちゃんが脱走、怪しい。そんな話を名前は出さないが、++さんとメール交換した。

明日は「火曜災害ミニカフェ」帰りに市議会に寄る。

厄介なのが、県から市に移管された保健所。保健師さんのと連携を作っていく際、メンバーが総入れ替えされているので、四角四面の行政の壁が登場している。邪魔しないで欲しいのだが、どこまで迫っていけるか労力がいりそうだ。


夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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4/22 夜間中の給食の事/インドネシアのゴミ支払い診療費のこと 他

2018-04-23 05:26:27 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/22 記
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教材屋の新年度初仕事が突然入ってきて、ボスと長電話の打ち合わせをした。何事が起きたかと母が心配しているのが、悪いが面白かった。おかげで、今日は外出無し。気心知れた旧知の相手なので、実のところホッとしている。東京に、やたらに出かける必要がないからだ。

もうひとつは、連休を無駄にしないために、中学校教員の知り合いに会う約束を取り付けようと、電話をかけた。歳から考えれば当たり前であるが、衝撃的なことは、ふたり定年でいなくなっていた。隠居でも家族サービスもあるし、結局ひとりを捕まえただけ。高校関係者は市内にはいないので、話題は中学生の事。つまり「地元ティーンズの防災絆教室」の中学生側の掘り起こしの件なのだ。嫌がられるだろうなと思っている。

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夜間中学関係者の集まりの際、給食の話が出た。通学者には赤貧の者がおり、通学を安定させるために、給食で生活補助していく必要があるのだ。しかし、予算が足らず実施に苦労しているとの話だった。私は昔の映画「学校」の中で語られた話を思い出した。若い子が中学通学を決める契機になるのが「給食」、そこに行けば食べられるという動機が結構大きいのだという話だった。

私の考えたことは、平凡なことだが「行政への陳情」と活動支援を軸にした、「フードバンク」との長期安定提携だ。川崎にはフードバンクがあり、話は進められているものと推測するが、横浜蒔田中は横浜市の管理が形式主導的な壁を作っているという。私が思い浮かんだのは、「平塚のフードバンク」と「もったいないジャパン」のことだった。県央と西湘に夜間中設置の運動があるので、これと連携できないかなという思いだった。蒔田中は川崎フードバンクかなと思いつつ、今後の活動の経過の中で意識しておいた方がいいと思った。折りに触れて彼らに紹介しようと思っている。なお、夜間中の規模は50名前後の話で、更に希望制で配布するので、必要な量は減る。そのサイズで考えて欲しい。

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BSドキュメント「Asia Insightごみクリニックの挑戦」(NHK BS-II)を観た。インドネシアの貧困層が医者にかかれるように、料金を、路上に散らばるゴミで支払うシステムを作ったという話だ。貧困層の方は診療を受けることができるようになり、環境改善もできるというアイデアだ。切れるなと感じた。メモしておく。

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最後に夜間中学校企画の会場が「ココファン横浜鶴見」だったので、道順がわからなかった。電話確認しようとオンラインチェックした電話番号をかけてみたが、医療施設紹介の「0120」番号ばかりで、担当には場所がわからない。電話をかけまわり、やっと施設にたどりついたが、先方の方の案内が秀逸だった。

京急鶴見から、みずほ銀行を左折して***mほどいって歩道橋がどうこう「すると区役所と警察署がありますから…」カチンときたが、善意で話しているから仕方ない。公共施設なら、それを目印に通行人に聞きながらたどりつける。前置きを必死にメモしていたのが馬鹿馬鹿しくなった。ひとに道順を説明するときは、公共のランドマークには気をつけようと思った。余計な話だが。

夜間傾聴:開店休業

(校正2回目済み)

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4/21 神奈川の夜間中学校関係の講演会に参加して

2018-04-22 06:09:26 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/21 記
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地域包括支援センターのCSW**さんが現れた。定例の様子見で現れたのだが、母が勝手なことを言うから、従来休みの土曜日に現れたのだが、彼の家が近所なので少しは気が楽なのだが、有償労働なのかと彼に問い、大丈夫ですと応答を得た。彼は若いから余計な詮索をしたのだが。
私は
母の体調は胃切除後遺症・突然の「めまい」・脊柱管狭窄症に加えて、最近、頸椎疲労が入ってきた。状態を素直に話せばいいのに、頑張って大丈夫流の話をして、ひとの悪い、最後に「嘘が入ったのを気が付いた?」と**さんを弄んだ。冷や汗が出た。

私の仇の午前中の用事を、こうして済ませて、急ぎ鶴見会場の夜間中学の講演会会場に向かった。私は昔、小松川第2中の応援団をしていて、今の塾長と出会ったという副産物体験をしているので、空気のようなものはわかっていた。一般には戦争の影響で、義務教育を追えていない高齢者の学びの場という印象があるようだが、在日外国人を含む帰化人や、不登校・家庭崩壊ゆえの学習機会喪失者や、障碍者(特に精神障碍・神経症の方)などが通っている。

私は自閉スペクトラム症や精神障碍、パーソナリィティ障碍がからんでいる不登校・引きこもりの児者や、スロー・ラーナーに対し、フリースクールや訪問支援を行ってきた。現状は中学校までは、授業を受けなむとも、卒業させてしまい、通信制・定時制高校や高認試験に送るの出夜間中学という選択肢は少ないが、実際、読み書き計算の基礎学力が必要で、学び直した方がいいと判断される子がいる。無理強いはしないが、夜間中学やフリースクールの授業を勧めるのだが、私が東京南部の塾を本拠としていた頃、夜間中学は通学範囲に入っていたので、、活動に参加した経緯がある。しかし学校数が少ない。

今日、久々に「教育機会確保法の施行と夜間中学の充実に向けた
文部科学省の取組について」をテーマの講演会に行ってきた。野次馬であるのだが。

鶴見会場(ココファン横浜鶴見大会議室)は100名を超える参加者で満席だったが、4分の1が議員と踏んだ。神奈川には、横浜の蒔田中学・川崎の西中原中学の2校あり、県央・西湘に学級をと活動中だ。

今回目立ったのが、在日外国人の日本語指導拡大(日本語学級とは違う)と、引きこもり世代の学び直しニーズが高まっているということだ。勿論、高齢者のニーズも大きく減ってはいない。

山田洋二監督の映画「学校」の中で、漢字が読めないために、火気厳禁の看板の下で煙草を吸い懲戒処分になる話や、自分の名前と住所を書くことができた時、嗚咽する話等が出てくるが、これはの識字学級のときもそうなのだが、社会に押し込められて生きている人の心の鎖がはずれる瞬間を経歴の軋轢として描くが、実は自閉症スペクトラムや知的障害の方も一部重なっているように思う。丁寧に学び直す場の必要さを感じている。

大災害のときの被災児者の学習保障や、長期病欠者の学習空白期の補填保障とは異なるベクトルのもとにあるが、医療ケアの必要な子の通学?ン所はどちらにはいるのだろう。

ともあれ、過去の経験を呼び覚ました刺激的な会だった;

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母、洗濯物と格闘中、腰を抜かしていた。危うくセーフ。

夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)

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4/20 ティーンズ防災教室市内支援者宛メール発信済み 他

2018-04-21 05:34:36 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/20 記
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「地元ティーンズの防災絆研修」の市内関係者宛のmailを送信した。サポセン協力は、「発災時のサポセンの独自活動検討提案」に続き、また消滅の模様なので、関係団体を巡回する。

明日は、夜間中学関係の集まりに出る。定時制高校・通信制高校等に並び、不登校・引きこもりの子たちの選択肢。

母は寝返りで私を蹴飛ばして、元気。ホームヘルパーさんが見守り実行。常総市社協取材(4/27)も浜見平の友人の間に入ってもらうことに。社会活動は金がかかる。門前仲町の会合はパス。

茅ケ崎で、映画「沈黙」の上映実行委が発足したようだ。私のホームグランドは引きこもり青少年の支援と、災害ボランティアだ。母の件を考えると領域をこれ以上広げるのは無理なので、協力者としての範囲で5月から参加する。(邪魔にならないといいのだけれど。)

石巻への定期訪問漁業販路支援をしている都内の++さんと知り合った。元仲買人だからプロだ。ミニバンで行くというので、乗せてもらえないか交渉を始めた。問題は現地の行先が全く違い、帰路、乗せてもらえるかが怪しいというところなのだ。しかし車中泊2泊3日は無理かも。とにかく母の見守りがかかる。

ICレコーダーを新調した…と言っても、6千円の安物だが。網膜色素変性症がじわりと進み、メモが紙に収まらなくなってきた。見えないのだ。そんなことがあっての購入なのだが、常総市社協インタビューに初お目見えする。

##新聞の++さんと偶然5茅ケ崎駅前で出会う。7年ぶり。亡き祖母の介護体験の取材を受けた。施設較差の話が匿名で採用された。若者の防災研修の視点のずらしの話をした。コーヒー談義、久しぶり。そのゆとりも無くなっていたことに気付かされた。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)


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4/19 異常気象の夏日を前に/火曜災害ミニカフェ5月分吟味中

2018-04-20 05:34:34 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/19 記
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歯が抜けて、歯医者に行く。母のベッドの早々とした衣替え中、母の足に蹴られた珍事故。接着剤接着済み。

戻ってこない、楢葉町の我が家脱出被災猫の備品を諦めて捨てた。異常気象の夏日がやってくる準備。

5/17 18時からサポセンの「地元ティーンズ絆防災研修」チラシを郵送分を送った。関係者と会って話したい。

市内関係者、メール配信名簿整理。土曜日に横浜の夜間中学関係者の会に参加予定。明日、教育系関係者と障碍者関係者分配信予定。

<火曜災害ミニカフェ5月予定番組候補>
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●ハートネットTV シリーズ 熊本地震から2年(1)「笑顔の裏にあるものは」(2018/04/18 ETV 30分)
●ハートネットTV シリーズ 熊本地震から2年(2)「孤立させないために」(2018/04/19 ETV 30分)
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●「あの日 わたしは 宮城県気仙沼市山谷立憲さん」
(2018/03/14 NHK- 5分)誤嚥性肺炎予防・歯科医
●「あの日 わたしは 宮城県石巻市阿部隆さん」家族・津波離散。再会まで。
2017/06/14 NHK-G 5分)
●「証言記録 東日本大震災第71回福島県川内村 隣人との原発避難」
(2017/12/10 NHK-G 48分)

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これとは話が別だが


●「学ぼうBOSAI 避難生活が長引くとき」(10分)

が、小中生そして表現にやや幼さがあるが、高校生にも防災教育の予備知識教材として、卒なくまとまっている。利用価値あり。(2018 10分)


夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

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4/18 実行委えおサポセン主導にできないかということ/障碍解除と被介助の隙間に

2018-04-19 05:36:56 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/18 記
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5/17の「地元ティーンズ防災絆研修」実行委開始のファイルを使って、隣接自治体の災害ボランティアさんの分を送信した。

サポセンを支えるサポチガは総会が近い。すでに大半が決まっている。今回の実行委の運営をサポセンが支えてくれまいかという申し入れは、総会議決依頼と取られたのかもしれないが、市レベルの防災教室運営は、その公共性からもサポチガではなくサポセンが実行委の要にいて欲しかった。中間支援活動として適したテーマだと思うのだ。鶴嶺高のボラ塾の取り組みと同じレベルだ。屋台骨生成期は関わらないというメッセージが聞こえてくる。
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明日から市内の関係者を巡回する。私は参加できないでいるが、障害者団体連絡会で初夏に防災担当と代表者が若者向け防災研修を行うとの話を##さんから伺った。出席できないものかと思っている。願わくば「ティーンズ絆研修」の提案をしたい。実行委は出会い、支援者と同時に出会う相手側の協力もいる。

藤沢はヤングケアラーの活動が進展している。精神の会合もあるとのことで、是非見学させてほしいと思っている。

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母を茅ケ崎からJR線に乗せて、品川合流で東京の母の友人が迎える形で、東京の主治医のリハを受けた。母の休息時間を考えて、19時に再び茅ケ崎で私が受け止める形で母を送り出した。その間に私は橋本に向かい、帰りにサポセン、そこから番場の**さんの事業所に寄り、茅ケ崎の戻る計画でいた。

その通り予定は実行に移せたものの、ことはそのままでは動かない。東京の母を迎えてくれた母の旧友は、夫の介護をしていた。我が家よりも年齢が高い老老介護だ。だから母の帰りの送り出しは出来ないと連絡がきたのだ。幸い母の体調は順調で、病院からタクシーで駅まで移動し、、自分で電車に乗って帰ってきた。ただ、母はいつも席を譲ってもらえない。元気に見えるのだ。立って帰ってきたときは、必ず寝込む。東京駅が始発駅で無くなってから、東海道線は使いにくくなった。座れないのだ。だから通勤時間外で混んでいるときは、グリーン車を使えと言ってある。今回は川崎まで座れなかったと言って帰ってきた。

私は私で、今日がサポセン休館日であることを忘れていた。幸い役員会をやっており、ビッグイシュー誌を渡すことはできたが、硬貨をこぼした先が見えないというハプニングが起こった。私の指は介護者の指をしている。長期水仕事のため指紋が薄く、紙やポリは滑ってしまうし、ATMの画面操作が出来ない。感圧機能が明瞭な機は大丈夫だが、静電気機能がある機は反応しない。水分が不足しているのだ。効果もまた、受け渡し時、すぐに掌からこぼれてしまうし、床の効果が滑ってつかめないことがおきる。

硬貨が零れ落ちたとき、左の掌の硬貨がつかめず、++さんが全盲者の補助のように助けてくれた。拾うときもまたそうだった。時間を掛ければ硬貨はつかめる。転がった硬貨の行先は確かに見えなかったが、時間をかければ拾える。協力者が主導してしまうと、そこに急がねばという焦りが生まれる。贅沢といえば贅沢かもしれない。そのとき、障碍を持つ者は、自分の限界に屈辱を感じる。善意だけに言葉にしにくいところだが、私の指先のことは介護するものの誇りも隠れている。そのことは見えていないための失態のように解釈されているが、指の滑りが大半だったのだ。

今回の出来事は、忘れないようにしたい。障碍当事者との関わりのことだ。行動の主導のこともあるが、補助を行い、補助を受けるときには、微妙なバランスが潜んでいることだ。善意には感謝するが、関わることは見えない負い傷を引き受けることだということだ。理屈っぽい爺ぃである。


夜間傾聴: ふたり

(校正1回目済み)

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4/17 ころげるように、予定を滑る一日

2018-04-18 05:37:48 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/17 記
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朝、鈍い大きな音で目が覚めた。母の寝室の方だったので、焦って寝室に飛び込むと、ベッドに腰かけ足をさすっている母が「立とうとして尻餅をついた」と苦笑いしていた。「めまいか?」と尋ねると、「寝ぼけた」と応答した。カーテンを開けようとして立ち上がったとき、足がもつれたようだ。

確実に足が弱まっている。どうしたものかと、母の布団を直している最中、睡眠時間が1時間半であることに気が付いた。母に静かにしてもらいたいと告げ、自分の寝床に戻ったが、肩と足首のつりに悩まされ、芍薬甘草湯の世話になって、昼前まで休んだ。とにかく眠いが眠れない。こうして今日は、一日中徹夜明けのような疲労感の中にいた。

ビッグイシュー配達。茅ケ崎図書館と社協。個人読者1名。ここで困ったことが起きた。「地元ティーンズの防災絆研修」の招待状340枚を民児協用チラシを増刷りし、担当者に渡した。関係課に配布説明をしている最中、私は話しながら寝ているのだ。参った。担当者の方に事情を説明し謝罪。説明をやり直して、最後にサポセンに向かい、チラシを掲示してもらってから、サポチガからも会合参加を検討してもらうつもりで会議中の**さんにチラシを渡して、妙な顔をされたのだった。

茅ケ崎中央病院の前で気がついた。ビッグイシューを持っていながら、渡し忘れた。明日、配達せねば。

育成会配達忘れ。

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急いで夕食準備前に爆睡。介護は、これがあるから用心しないといけない。

夜間傾聴、今夜はおとなしい。これで一日が終わった。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

p.s. 明日はチラシを持って戸別配布。雨、上がってほしい。


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4/16 ティーンズ防災教室チラシ配布開始/ビッグイシュー誌新刊配布開始

2018-04-17 05:12:23 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/16 記
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ビッグイシュー販売員さんから、333号を買いとる。個人購読者分とを配布。藤沢市民もいるが、「5/17 地元ティーンズ防災研修実行委を作ろう」のチラシを手渡した。まずは年に一度、教室(分散会場)を開こうと呼びかけた。彼ら、「ふーん」と、眺めていた。

増刷りした。民生委員さんたちにも配布するので、枚数が多くなる・ただ問題なのは、この呼びかけは、防災活動推進者にはストレートにつながるが、障碍者家族関係者・高齢者支援関係者等、災害時要援護者当人家族には、支援者作の話となって、呼びかけが当事者的に響かないことだ。「市民社会の一員として」なる解釈も怪しげだ。そこで緊急避難時や避難生活時の困難と、その際の手助け要員育成という別紙挨拶を添付して、解説付き巡回をすることにした。今、その添付書類を書いている。

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明日は市役所・団体回りを開始する。今日は作業の残りがあるので、これで終了。懇話会ゲストの件で動きがあったが、それは次回のブログで紹介する。


夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

p.s.母、リハの際中、座り込んでしまった。疲れが出た模様で、21時に就寝。明日が少々こわい。

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4/15 嵐去り…/地元ティーンズの防災木綱教室」実行委作り招請状

2018-04-16 05:32:12 | 地震津波災害ボランティア
2018/04/15 記
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母の嵐騒動は最悪の経過となった。母が出発する時点では、嵐が通り過ぎて、雨が止んだのだ。私が土曜日のイベントを2つ封じて、仕事の訪問指導を変更して行った意味が無くなってしまった。とどめに、近隣駅に車で迎えにいくという母の友人のメールが飛び込み、私は帰宅時、辻堂で母を待てばいいだけのことになった。何をやっているのだろうと、自己嫌悪している。母を送り出し、家に戻り「わーく」の加筆を始めた。

以下は、月曜日から「地元ティーンズの防災出会い教室」の招請状である。賛同者が出るように、説得しつつ配布する。

------ここから-------

★★★災害対策関係者と地元ティーンズの
現場の対話教室を実現しよう!
~今年の夏までに「防災教室」
の実現を~★★★

ティーンズの防災対話を実現する会(仮称)

防災関係者 各位
------------------
熊本地震から2年経ちました。東日本大震災から7年、だいぶ復興の地域差が出てきました。一方、東南海トラフ地震や首都直下型地震の発生が近未来高率発生の予測が出ており、防災対策が急務となりつつも、以前の大地震からの経験が、防災関係者のところに留まって、市民の間まで広がっていない状態に、いわゆる災害ボランティアも停滞しています。災害が起きた時、また一からやり直しということにならないようにしておきたいと考えます。

<防災訓練に加える人材種まき活動を>

 この間、防災活動は、急性期と呼ばれる発災直後から避難所生活までの時期に集中し、それ以降の避難生活についての議論は低調です。過去の大規模地震から分かってきたことは、経験が継承しにくいこと、外部災害ボランティアが去った後の地元活動に落差が生まれていること、防災関係者を除いて被災記憶が風化しやすいことであり、ここに意識的な手を打つ活動がなかったことがあげられます。

~まず地元若手「ティーンズ」に注目しよう~

 被災時、地元の若手の「ティーンズ(中高生等)」は、大人の避難所運営・環境改善活動等の自発的お手伝いを始めています。ところが彼らには、学校単位や、集団行動単位の動員人材としてしか、改めて取り上げて来なかったように思います。発災時、家族の一員として、個人の災害ボランティアの卵として考え、自分がやるべきことを自活的に考え動き出していることを大人はきちんと拾い上げていないように思います。

~防災関係者とティーンズの出会いを実現する地域研修~

 集団行動を身に付けさせる防災研修とともに、若手個々人の、発災時誰とつながればいいか、どこの場に向い何をすればよいか、それをイメージしてもらう「行動の契機作」りの防災教室(指導者公募分科会形式)を開きましょう。「若手キー・パーソン」を、防災リーダーよりも柔らかい、参加イメージ作りの体験学習です。活動の「若手キー・パーソン作り」が主眼。発災時同世代の友人とともに活動をする積極的な子を育てます。

 県立鶴嶺高校の「ボランティア塾」という授業の一貫として、自由公募の独立分科会形式で行われている企画は、授業であるがゆえに学校外に出ることがなかったのですが、市単位で現場にたち、分科会それぞれの場で体験を行うところに独自性があります。この活動を、まずは年1回、そして年数回行う運営実行委員会を作りましょう。まずは夏休み前後に1回「出会いの防災教室」を開きましょう。指導プランを持ち込んで下さい。始めましょう・


   「地元ティーンズ出会い防災教室」運営実行委スタート
 
2018年5月17日(木)18時~19時半
茅ケ崎市民活動サポートセンターにて
問い合わせ先:本ブログ・コメント機能にて 飛田

ぜひ、ご参加下さい。

------ここまで-------

元「思想の科学」(プラグマチスト系月刊誌)の関係者とFBで久々に再会した。車いす生活になっていると聞いて、時の流れを感じる。奥さんが子ども食堂を始めて、手伝っているというので、「地域コミュニティ作り」か「貧困生活保護」策か、どちらの関心で行っているのかと問いかけた。戸惑ったようなので、自然消滅かいなと余計なことを書いたので、怒らせてしまった。生活の痛みを感じていない人の善意は針のような痛みを伴うことに無自覚だ。

夜間傾聴:ふたり(ひとりが酒を飲んでいて、傾聴時は、やめてくれと注文したら怒り出した。今夜は私は山嵐らしい。)

(校正1回目済み)


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