2020/04/29 記
--------------
肌寒さも今日まで、明日から初夏の陽気がやってくる。
深夜、##子からのメールを受け取り、「意識が時々途切れる。こわいよ」というあぶないものだった。癲癇発作だ。親御さんが入院中で、家や店固定電話に連絡するが応答がない。自宅でひとり留守番という話を聞いていたのでひやりとした。
近所の寺の住職さんに、部屋を覗いてみてほしいと頼んだら、深夜の電話、何事かと思ったと笑う。ひとりだと親の手術結果が気になって不安で仕方ないので、泊まらせて欲しいと、スマホを握りしめてやってきたのだという。ここの寺は、修行者が泊まっていく小さな宿坊がある。朝のお勤めを条件に信徒さんを泊めている。だから大丈夫だとのこと。肝を冷やした。
-----------
明日は私の夏物を取り出し、洗濯予定。
茅ケ崎発のzoom利用の認知症対策スレッドが立ち上がっている。スマホをメモ代わりに使うとのアイデア。うーん、認知症介護したことのない方だなと思う。若年性アルツハイマー型認知症のように徐々にワーキングメモリーの機能が低下して新規記憶が消えていくような方には有効だが、私の曾祖母。・祖母はレヴィ小体型認知症。健忘というより幻視・失認が強く、部屋の片隅に後ろ向きの親子や、亀甲模様が見えたり、私をすでに亡くなって叔父と間違えて喧嘩をふきかけてきたり、曾祖母は糞尿いじりが出たりした。その初期はここを茅ケ崎ではなく東京と間違えて買い物に出かけたり、飯を何度も炊いた。父は血栓型認知症。性格が変わり、徘徊が始まり、転倒骨折後、幻聴や恐怖発作、時間認識を持ってもらおうと枕元に置いた日めくりカレンダーは、数日でなくなり(めくったことを忘れてまためくる)、子ども返りの部分もでて、裸になって壁を伝って階段を降りようとし、何回格闘したことか。認知症=健忘症ではないし、メモしたこと自身をを忘れ、メモは意味をなさない。じわり時間の因果と新規記憶が失われていくアルツハイマー型認知症とは限らない。
発災時、だから避難所生活は無理だし、家族に任されると家族のキャパを超えて家族ごと破綻していく。コロナ禍で家族に戻された認知症患者と格闘しているとき、のんびりと家族の団欒を取り戻す好機というようなマスコミ論調は、平和ボケもいいところ。DVがあれば家族は戦場。沖縄に6万人が押し掛ける安易さ、共通の根っこを感じてしまう。
腹の出た私は、夏場は苦手。明日は腹隠し衣装探しの一日となる予定。
夜間傾聴:なし
(校正1回目済み)