湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

5/26 サービス発注型支援活動は地元リーダー育成活動だと/北里東病院に行き

2011-05-31 14:25:51 | 引きこもり
2011/05/26 記
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昨夜、奈良**大MLの#野さんが、私の提案している「サービス受注型支援は、『地元リーダー育成支援』ではないか」と評価してくださった。どきりとした。長期化する生活再建と産業復興には、地元ならではのリーダーが育つことが大きな意味を持つ。私費を叩いてまで、地元の被災者に一肌もふた肌も脱いで支援に力を注いでいる方は、かならずいる。遠く離れた後方から、彼の活動を買うことで、より効果的な生活再建活動をバックアップしていく。

石巻だったか、開店直後の店を津波にさらわれて、閉店を考えたが、避難所への弁当配達で自社再建の道を切り拓こうとしている方がいらっしゃるという。ならば小口資金を提供することで、彼の決意でもある地域の人たちと生きるという、公的なニーズに応えていく試みを後押していく。この方にしてみれば、資金協力は、活動立ち上げの弾みに利用できる。後方支援側では、店を再建する資金バックアップまでは力量不足でも、初動資金提供ならば、そこそこ募金活動で部分バックアップが可能だ。つまりサービスを発注提供することと、地元リーダー育成の一石二鳥ではないか。長期的には大きな人材効果が出るだろう。この小口初動資金提供は、マイクロファイナンスの手法である。

後方支援側が大きければ、活動支援もチーム支援にできる。つまり私の提案するサービス発注型支援は、地元といかに的確に手を結ぶかが鍵になる。長期化への力とは、地元の立ち上がりを支援していくことなのだということだ。#野さんのひと言は、もう一枚提案の雲が晴れたような気持になった。

一度、現地に行かなくてはだめだなと思い始めている。

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ここ数日、短時間だが間を見て知り合いの教員や、カウンセラーに会っている。残念だが湘南の地元の方ではない。しかし考えてみれば、この手の支援活動を組むには、一番適さない人たちだなとつくづく思う。自分の専門性の先に広がるネットワークは広い。しかしその系統樹の根元を通らない質のものは、その先に届かないからだ。学力困難とか心の危機というような、成長の困難に立ち向かう世界と隣り合わせていながら、接している壁を破れないもどかしさが募る。自分の世界の公的なネットワークの中で活動を考えるからだ。

だから探検のように迷路の壁を叩いて探るような効率の悪い活動をしている。自分の活動を持ち込んで協力せよというのならまだしも、立ち上げたいから来いというのは、信用がないために、非常に厄介な話だ。面白がる人は、自前の教育と就労支援のネットワークには、いないことを改めて確信してしまった。だから、ひとつは生活再建支援の交流の自前の道をともかく始めることと、もうひとつは関係団体まわりを粘って強めていくことだ。東京・神奈川・静岡など隣接地域なら、呼ばれればともかく説明に回るつもりでいる。

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慎重を要することだが、ペットレスキューの里親探し活動は、被災者と里親さんの直接知り合う架け橋つくりという側面を持つ活動だ。犬の美容室や獣医さんのもとを歩いて思ったことだが、多くの方が非常に協力的だ。しかし、一方で災害救援の活動に関心のある愛犬家の方とは、まだ誰も出会っていない。しかもその方たちは動物愛護の観点でしか当座の接点が持てない限界もある。

周辺を歩いてみて、困ったことに気がついた。獣医さんたちは、午後が休診時間なのだ。大概16時からとなっている。定年で3分の1に相手が減ってしまったが、夜間傾聴と夜のデスクワークが身についている私の就寝時間は朝の5時ごろだ。だから昼夜逆転人間には午前巡回はしんどい。18時台には授業や巡回が始まってしまうと、通勤時間1時間半取ると獣医さんとなかなか会えないことになってしまう。不思議なことに、外来待合室のある家には誰もおらず、インターホンもない、ポストもないというところが多いのだ。だから効率が悪いがトリマーさんたちの近所のお店を優先してまわることになる。

昨日は、母の常備薬の診察を必要としない分の、補充分を受け取りに北里東病院に行ってきた。処方箋が必要なので簡単な問診がある。しかし順番なので診察と同じ時間がかかってしまう。

以前はこの近辺は、相模大野校の方の巡回地域だったので、巡回を重ねることが出来た。今のJR相模原の塾のエリアと違っているのだ。バスの本数が少ないが相模原南口行や古淵行に乗って横浜線に出るか、上溝行で相模線に出る。町田乗換えは、駅が離れているので、結構時間がかかるのだ。

時間すれすれに橋本に出て、橋本2君に会う。橋本3君なら、この1分遅刻は御叱りをうけるところだ。いきさつがよくわからないが、じゃがいもひと山貰った。塾長に許可を貰ったが、先方もじゃがいもを職員室に積んでいた。北海道では、引きこもり青年を受け入れているので有名な農場があって、そこに飛び込んだ彼の友達が安く分けてくれたのだという。ちゃっかり商売かいと思ったが、災害救援義援金カンパ活動と知った。換金しないで、現地の料理人に渡せば、茹でただけでも美味しいポテトが配れるのにとも思う。どこと連絡を取ったらいいのかわからなかったのだろう。

そんなわけで、我が家の夕食は魚系の肉じゃがとなった。私の解説がうるさいと母に叱られつつ、小ぶりな男爵系のじゃがいもをほおばった。糖尿病ストップは今日は緩めだった。

夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)
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5/25 サービス発注型支援モデルの立ち上げプランを練りつつ

2011-05-30 06:59:40 | 引きこもり
2011/05/25 記
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現地サービス発注型支援のモデルを立ち上げる状態に踏み込んだ。鶴が台のNPO法人の古本屋さん、セカンドブックアーチの活動とリンクさせる形で出発する。その大枠を企画書風に描いていた。主宰者の山本さんは、Cリング(地域通貨)の活動もされている。職業もNPO活動と重なった古書店というわけで、自営業者の結びつきで、地元飲み屋さんの災害復興支援のネットワークにも関係している。この関係で、「売り上げの一部をカンパ」の形の活動も立ち上げている。この辺の状況にカスタマイズさせた活動となると、結構難しい。

23日の話し合いのとき、概要説明で協力承諾を得るので時間切れになってしまった。終了後、**さんが先に帰り、少々お時間を割いてもらって、彼の事務所で話した。古書・飲み屋ネットワーク・Cリングを入れ込むための打診もあった。

まず支援側の体制作り(出発点だけ)。「売り上げの一部をカンパ」の活動と対立するものではなく、その活動では届かない、直接被災者との接点を作る活動として、今回の活動の個性をはっきりさせる。

山本さんは、古書を集めて避難所に書籍を送った。そのイメージから、古書を募って、換金して資金とすることをイメージしている。初め私は支援金募金の形を考えていたが、古書と現金併存でもいいと思った。

次に何を送るのかが、まだ話を詰めなくてはならない。先方と話し合う必要があるが、明日は北里東病院付き添いがあり、今日は私の視力低下の件で慈恵医大に行く。まとまった時間がとれないのだ。23日の話し合いを持つまで、日程調整に2週間ブランクが出来た。このテンポでは、支援活動が間に合わないのだ。さてどうする。カレンダーを睨んで、その思案をしていた。

主眼は「町復興支援」の落とし穴である被災者の生活支援を見逃さないことだ。自営業者、特に商業従事者と市場経済に乗った農業・漁業・運送などの方たちは、地域市場の活況がそのまま生計に反映する。ところが「町おこし」といわれても製造業の賃労働従事者や、米作農家、年金生活者、障がい者や母子家庭のパート労働従事者などは、祭りのように行われる奉仕品や無料炊き出しなどの臨時の潤い以外は、支援金がなかなか届かないのだ。仕事を災害に奪われた失業された方や二重ローンの悩みを抱えた方が、財布をはたいて消費財を市の熱気に誘われて買い求めるだろうか。この宙吊り状態の方が、10万人弱、現在も避難生活のままでいる。「売り上げの一部のカンパ」「被災地産の商品を買う」という支援法は、直接は自営の方を、あとは公的資金ルートに統合されて、靴の上から足を掻くような分配法になってしまう。ここを改善したい。その危機感がなかなか伝わっていかないので、さてプランにわかりやすい説得シンボル(核)を立てられるかが鍵になる。

ふと思った。茨城県の**市まで放浪したホームレスの++さんのこと。ひき逃げされて九死に一生を得たが、植物状態となっていた。その病院を次の病院に移されたとき、震災にあった。被災倒潰した病院から病院を戻されていた。こうした方たちは、累積債務や自殺未遂などの事情で素性を隠しているために、避難所に入れない。だから余震が続く東北から、必死の脱出行を行っていた。炊き出しで命をつなぎながら、関東へと向かっただろう。全国予測数から、平均して割り出しても数百人の方が、支援の恩恵を得られないのだ。外国人の場合も不法滞在者の方は、触法者ゆえに支援が得られないというのは、これもまた問題だろう。

先日上野動物園はパンダを観に行った方が数万人いたという。私は「日本はひとつ」といわない方がいいと思っている。同一の運命共同体に生きているわけではないことを感じさせられた。災害に飽き、募金に食傷気味になった者が支援の熱を失うのは早いだろう。

そのときに公的支援に任せていいのだろうか。私は私的交流の窓を開くこと、オンラインの世界では、いとも簡単に遠隔地の知人を作ることが、生身の世界では全く契機がないのだ。「困っている友に支援する」と可視化することが、大事なのだと思う。その直接の扉へのノックをしようというのだ。

地元の眼科に行きだけ母を連れて行き、帰りはタクシーでと説明し、駅へと戻った。私は私で海老名で眼鏡の再調整をして、橋本の巡回が控えていた。相模線の車内で開いたタウンニュース湘南版には、チャリティなんでも市の話が出ていた。その記事に商連理事長談として、「商人らしい支援を」という一節があった。被災地から商品を仕入れるということが、それにあたるという。これをあえて書くだろうか。何らかのルートで、私の提案が届いたのかもしれない。しかしそれは、支援の届かない10万人の方への民間支援法を考えようということであって、町おこしとは少し違う地元企業との共存を提案しているのだ。道が遠い。それを感じている。まずストレートに響く支援企画を書かねばと思っていたのだ。

ペットレスキューで、提案を検討してくださっている方は、茅ヶ崎南部(1~2日目巡回分)は以下の通り。(賛同という話ではありません。)自転車が欲しくなりました。

アンジェス動物病院
湘南動物愛護病院
山谷動物病院
湘南どうぶつ病院
シーサイドアニマルクリニック
平井動物クリニック
ララペットクリニック
おおくぼ動物病院
キャンリー
ドッグサロンケネル
あぱらぎ・犬のお風呂屋さん
PET-SPA茅ヶ崎店
ワンニャン村株式会社
エンジェル

以上


夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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里親探しのチラシを配布しています/遅延のお詫び

2011-05-29 04:20:11 | 引きこもり
26日から集中して、獣医・犬の美容室の巡回をしています。茅ヶ崎市内は、市北部を除いて大半が終わったのですが、県獣医師会が協力の通達を出しているとかで、経営者は協力的です。寒川・平塚・藤沢南部もこれから回ります。

左目のかすみが取れないので、記事作りが一層遅れています。すみません。徐々に公開していきますのでお待ち下さい。

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5/24 現地企業へのサービス発注型支援のモデル立ち上げを相談した

2011-05-27 09:23:40 | 引きこもり
2011/05/24 記
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社会的弱者への様々な思いを飲み込んで、東日本大震災はどのような切り口から活動を作っていけばいいのかという問いが頭から離れなかった。人命の危機に立つとして、抱える課題を「被災者」と十把一からげにしていけば、抜け落ちていくものが必ず現れると私は考えていた。戦争が人道の危機と発したときに、その戦争が社会・歴史的にどのような経過をたどって噴出してきたのかという利害対立の構造は歪んでしまう。しかし一方で「敵」もまた死んでいる。そういう矛盾が常に社会の根底を揺るがすような事態のなかに入り込んでいる。

災害の場合、天災が実は人災であったり、「町の復興」が実は恩恵が届かない人々を作り、切り捨てていたりする。原発を社会の根幹を問う課題として問えば問うほど、その議論の影で押し流されていく人たちがいる。原発はもう終わりにしなければならないということは私も共感するが、私は立ち上がって論じるのは私のスタンスではないと感じている。しゃがみこみ、そこに開ける視野を私の課題としていきたいと思う、そんな思いをどう読み取ってくれるかと、実は今回の相談のとき、翻訳しきれない言葉が澱(おり)の様に沈み込んでいた。

災害勃発時、44万人強、避難所生活を生活していた方々は、二ヶ月を経た時点で11万人に減り、現在は10万人台になっている。それは緊急事態から非常事態への移行なのであって、生活再建の達成の数字ではない。避難所生活を余儀なくされている方は、急速に減少率が下がっていくだろう。ましてやホームレスのような身元を隠しているひとたちは数字にすら上らない。死傷者の数にのみカウントされるだけだ。

障がい者や高齢者など、再出発には重荷を抱え過ぎている方はその10万人を占めている。運命を共にするわけでもないのに、私たちはひとつと語り、がんばれと笑顔で迫ってくるひとたちに言葉をなくし沈黙する人たちがいる。マスコミが視野を移してしまえば、その10万人の日々は見失われてしまうだろう。公的支援に任せればいいのか。そんな思いが常に脳裏にある。

有珠山噴火のとき、後方支援というスタンスが常に現場を仕切ろうとする声高な声に齟齬を起こした。ステレオタイプ化した元気付けの企画にうんざりもした。そんな記憶が蘇る。

私は状況の転換期に即した活動をということで、その一助となる提案を実現するために共感する方と出会いたいと考え、いままで社会活動の場面で知り合った方に、時間をいただいて案を説明する場を得た。

昨日は鶴が台団地商店街の「グランマ」というお店の一角で、説明をさせてもらった。Cリングという地域通貨を試みている親しくさせてもらっている方たちだった。

売り上げの一部を支援金にしたり、被災地産の商品を買ったりする支援は、主導者が企業さんなので、資金提供者の方が直接企画運営にあたるわけではない。その資金がどのように生かされているかということについては、逆に枠付けられた消費者(お客さん)という観客席からは透けて見える部分しか知ることは出来ないし、ソファーから立ち上がることもやんわり排除されている。この構造にはまっている限り、長期化と飽きという実は恐ろしい波をかぶってしまう。10万人の方たちが雑踏の彼方にかすんでしまう。

「解決」とはとても大それた言葉では語れないが、「脱却」した活動を提案したいのだという思いが提案の根底にあるという話をした。緊急避難救援から生活支援へとその基軸をシフトしていく必要を語った。

地元のことは地元に聞く、これを活動の構造に入れ込んだのが地元企業へ、避難所・仮設住宅に届けるサービスを発注する活動なのだと説明した。これなら物資だけでなく諸サービスも届けることができる。避難者に直結した質の地元活動を選んで支援することも出来る。舞台を下げて資金提供者を客席から呼び寄せて状況打開を考えることが出来る。そういう内容を説明した。

こういう説明をすると必ず、売り上げの一部の支援や、被災地産の商品購入の支援を否定するのかという話になってしまう。そうではなく。現地活動と企業企画支援がすべてではないという意味なのだと説明するが、なかなか話は伝わらない。ことは雑踏の彼方に遠ざけされていく方と語り続けるために、支援法をずらして考えたということなのだ。

町おこしとして現地で朝市などが行われている。しかし無償提供されたもの以外は買う資金がなかったり、その場に出向けなかった方は常に言葉を閉ざしている。商業の方には町おこしと生活再建は直結しているが、米作農家や、工業雇用されている方には、町おこしは「消費の場の便利」に話が限定されてしまう。自営が多い土地柄だが、町おこしは生活復興に直結していないことには変わりはない。そこをどう越えるのかという課題なのだと説明した。よりストレートに支援の企画運営に係われる生活支援を立ち上げたいのだという思いを語った。私的交流の窓をより大きく開けること、それが目標となっていることだ。

説明はとにかく骨子を伝えることが出来たと思う。今までの語りの中で、基本構造の提案なので、誰にも真似やアレンジができることが大事と語ったことは、社会活動の力を活かす根本であるので、その拡がりの可能性を納得してもらえたように思う。

今回の話で、具体的にひとつのアレンジが行われた。それは資金提供者が見返りにCリング券を得るということだ。現地被災者に資金を投げ出すだけでなく、感謝の見返りのひとつとして、配られるものだ。

こうして基本提携が出来、これからモデルを具体化する話へと進んだ。ただ、今まで進めてきた飲み屋ネットとどう関連付けていくか、そこが問われている。正直言って難しい。しかしスタートは切ったのだった。

またペットレスキューは、私的交流の窓を開くという裏の意味合いを語る前に、途切れた。しかしこちらは、別の方が関心を示してくださっているので、それはそれで別個に話を進めていけばいい。

やっと半歩を踏み出したのだ。

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気仙沼から祖父母を受け入れた相模原の家族が、先日気仙沼に行ってきたことで、そのレポートを塾の中で話したいという企画が進行していたが、もともと一関の病院に入院していた方だったこともあって、東京の病院に入院されていたが体調が優れず、延期されることになったと連絡が入った。入院を支える側の心労も影響が心配である。夜の授業を終えて、孫に当たる塾生の方と少し話したが、高齢の方なので、無理しない方がいいということになったと聞いた。その方がいいと同意したが、二ヶ月余経った今、避難生活をされている方々のあちこちで、同様のことが起こっていること。ここは自覚的でありたい。

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私が外を跳びまわっている間、母は駅ビルのレストラン街で、休んでいた。めまいが起きたのだ。ここのところしばらく出ていなかったので、私も気が緩んでいた。以前住んでいた浜見平団地の古い友人と駅ビルで食事をして帰る矢先だったらしい。ともあれ大事に至らないでよかったのだが、本人は薬を飲んですぐに動いたからだというが、栄養剤で治れば苦労しないのだ。

母は夕食を好まないパンをかじってすごしていた。弁当を買っておいて、惣菜を作れば塾の帰りの遅い時間でも対応できる。そう考えて弁当を持ち帰った家で、その経過を聞いた。

時間が遅いので食べたくないという。胃切除したので、遅い時間に食事をするとダンピングが起こりやすくなるからだった。しかしこれをやられると、昼か夜の食事時、必ず私がいなければならないことになり、負担が大きいのだ。母のパン嫌いは胃を切除してからだ。唾液分泌量が減っており、消化時も水分が足らないのかもしれない。

それで急遽、弁当の代わりにコンソメのパン粥を作ることにした。フレーバーにセロリと黒コショー粒を入れて、夕食向きではないが血行促進の隠し味をつけた。私が弁当を食べることを条件に、母は粥を食べた。私は親子丼を食べてきたので、今回もカロリーコントロール、アウトなのだった。孤食は嫌といわれるが、糖尿病を持つ身としては、これはきついのだ。

明日近所の内科に母を連れて行く。

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夜間傾聴:なし

p.s.ペットレスキューのチラシ改訂版できあがり。左目、薄い霧、完全に固定化。文字が斑に読みにくくなった。


(校正1回目済み)

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5/23 左目の曇り定着か?/被災地企業への発注型支援と注目すべき復興の形 他

2011-05-26 05:45:07 | 引きこもり
2011/05/23 記
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左目の薄い霧は、いよいよ居座るつもりらしい。病院からの点眼薬にはアレルギーを抑える成分も入っているらしいが治らない。観念して、付き合うことに決めた。視覚障がいの方たちの読み書き、外出の工夫を少しずつではあるが、学習を始めている。同系色の土台の上に品物を置かないとか、道路横断は右側車線が記落としやすいので注意するという具合だ。

新しい眼鏡は、遠近両用だ。いままで、例えば学生さんの立場で考えると、講義のなかで、「手元の表を見てください。次にこれは…(ボードに書き込みが始まる)」というとき、近いところは近いところ専用の眼鏡、遠い教壇の後ろのボードの書き込みは、遠方専用の眼鏡にかけ替える。講師の無神経さを呪っていたが、これが,かけかえなくて済む様になった。講師の側から見ても、生徒の顔と手元のノートをひとつの眼鏡で、かけかえなくて済むようになった。

軽い遮光機能か付いているので、明るいところのハレーションがだいぶ減った。冬場や夕方など太陽の高度が低くなってくると、太陽光が、避けても目に跳び込んで来るようになる。光を背にして近づいてくる方は表情が全く見えない。それが誤解を招いてきたが、何とか表情が見えるようになった。

書き込み進度が遅くなるが、お許しあれ。

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被災地企業へのサービス発注型支援のスライド番外編を溜め込んでいる。それは現地の復興の動きの中で、注目すべき動きがある。それを別途補充資料として、掲示できるようにした。

ひとつ目は、「復興ファンド」
 岩手宮城沿岸被災6社連携の動き(4/22)だ。少額投資ファンド運営会社ミュージックセキュリティ社と連携して、最低500円からの株主を募る。出資者は投資企業の選択が出来る。利益がでたとき、株主に配当を配る。発案者は仙台市のNPO法人「ファイブブリッジ」。

しかし再建必要額は各社数千万円~数億円と、発展途上国の起業支援で成果を上げている「マイクロファイナンス」と比較して、投資規模が大きく、発展途上国マイクロファイナンスのように、低金利資金の返済を持って関係は、新規事業がない限り一応解消という場面を迎えるが、今回の投資ファンドの場合は、中小企業にとっては資本金・回転資金として関係が恒常化するわけで、復興支援の目的を越えて、企業支配を目的にした資金が入り込むこともありうる。社会的企業の視点からも、公共(社会の意味)のニーズに基づくという性格の縛りがあるわけでもないので、市場原理に乗るための初期投資の意味が強い。


ふたつ目は、「一口オーナー制度」
 初めの投資ファンドと似ているが、投資希望額が明示されているわけではなく、有効なカンパの意味合いが強い。一口1万円でオンライン募集をかけたところ3300口(5/11時点)集まってきている。宮城県の桂島の島内牡蠣養殖業者の発案で、利益が出る以前からも現物還元で返還。島の牡蠣業者の初動資金確保を狙ったもの。出資者は島全体の活動に投資する。資金の性格は初動資金に留まる点がひとつ目の「復興ファンド」とは意味合いが異なっている。社会的企業の形に近い。


みっつ目は、「小口起業促進支援」
 炊き出し支援をしていた都内のお好み焼き店主が、被災地を対象にお好み焼きチェーン店の店主を募集。岩手の陸前高田市に第一号店「ふっこう1号店」が5/22誕生した。資金援助ではなく仕事を作る。支援の形として注目すべき展開だ。しかし起業の資金はチェーンのオーナーが支える形となり、もしこのオーナーが初動資金提供に限定したNPOであったとしたら、被災地に、現地のニーズに応じて仕事を植えていくことが出来る。

このみっつ目の活動を知るために、ふたつ目の関係者とともに、なんとか湘南に関係者を招待して就労支援(産業復興支援)の講演会を開きたいと思っている。

今回は、この3つ目の形を追加した。私の支援提案は避難生活が続く限りという限定企画、生活支援企画だが、発展形は社会的企業の地域起業支援へと続いている。

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明日はCリング(地域通貨)の関係者の面々と会って、NPO法人古本屋さんのセカンド・ブック・アーチの**さんと組んで、現地企業へのサービス発注型の活動モデルを立ち上げる。その際、資金提供の見返りにCリングを提供する。説得準備のために、スライド補強をしていたのだった。

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ペットレスキューの芽をつくるために、第一回目の会合の場を作った。6月25日(土)の午前中を予定している。場所は確定後に。

この予定を書き込んだチラシを作った。会場支払いを終えたら配布をスタートさせる。

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夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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5/22 中央林間君への最後のサポートを/ペットレスキューの紹介から

2011-05-25 06:36:22 | 引きこもり
2011/05/22 記
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眼鏡を新調したものの眼の調子が悪い。点眼薬が効いたのか、目のかすみは大部治まった。しかし左目の視野全体に薄い霧がかかって治らない。視野に飛蚊症のゴミが飛ぶようになったときも、突然異常が目立つようになった。矯正視力はまだ以前と同様の程度出ているが、コントラストが落ちたような治らない状態は気になる。

土曜日、中央林間君の親御さんの要望にしたがって、予定より速く、私のハローワークの知人に会わせることになった。駅前に彼は待っていた。乗車時間がちょっとかかるので、ためらう中央林間君にサンドイッチを勧めながら、偶然ふたり座れた席で少し話をした。彼は地元のハローワーク以外、他のハローワークに行った事がない。しかし今回は単純に就労相談というわけではなく。彼の重なる事情に参考になるような経歴の持ち主なので、ハローワークの職員というより、その経歴の方で、私の知人としてアドバイスをお願いしていた。

しかし、困ってしまった。新しい眼鏡はいいのだが、よく見ないとちらつきや、かすみの為に、ものの間合いを見間違えるのだった。中央林間君に面倒をかけてしまうこと2回。申し訳なかった。遠近感があやふやになって、体側とくに右側をぶつけてしまうのだ。改札口と喫茶店の内扉。

相模大野の出勤日だったが、今回は本校公認の外勤。しかし先方は1時間ほどしか時間が取れなかった。中央林間君は初対面が苦手。間を取り持つが、対話が本題に入る前に制限時間が来てしまう。その辺の事情を事前に知人に話しておいた。

彼は時間をかけて医者の治療を受けた方が本当はいいのだと私は思っていた。しかし知人のアドバイスは至極単純だった。「人生は長い。隣のおっさんと違うんだから、あせる必要はない」というのだった。(失礼な。)

今回の説明は。中央林間君の発想とはなかなか折り合いが付かないが、だいぶ考えさせられたようで、帰りにしばらく彼は無口になっていた。私の知人は、「もう一度来ても良いよ」と言ってくれた。

中央林間で彼と別れたあと、相模大野に立ち寄り、彼の分の最後のレポートを提出した。なにやら悲しかった。個別学習指導の子がまだだいぶ残っていて、屋外で彼らと馬鹿話をして気分の切換をさせてもらい、今日は在宅仕事に割り切って引き上げた。

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昔「ドッグシェルター」という小学校高学年向け課題図書があった。その本で紹介されていた犬の里親仲介のための訓練所のHPが健在だった。米国の少年院の中に作られた訓練所で、ペットとの心の交流と信頼関係が、訓練士である少年院生の成長につながっていく話だった。自閉症の少年の家族に犬を仲介するときのエピソードが描かれているが、ドッグレスキューの犬の里親さんとの関係の中も、犬とひと、ひととひとの信頼関係が成り立たなければ、うまくいかない。そういう厳しさを知ってもらう点で、紹介しておこうと思う。残念なことにサイトは英語で、犬はいわゆる愛玩犬ではなく中型・大型犬中心なので、画像の見かけはちょっと恐ろしい。

●「Project pooch.org」

あと早川さんご紹介のペットレスキューのポータルサイトである。「計画避難区域の犬猫一時預かりプロジェクト」に紹介されている団体の中の「横浜ペットレスキュー」(静岡・伊東)の北浦さんに活動を紹介していただこうと準備をしている。このサイトにあるように、まず基本は「一時預かり」である。

●「東北地震犬猫レスキュー」

参加勧誘巡回のめどを6月25日(土)に置こうと会場を予約した。詳細は後日。

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夜間傾聴:なし


(校正3回目済み)

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5/21 憂鬱な話ですみません/眼鏡がやっと届いたものの…

2011-05-24 06:46:22 | 引きこもり
2011/05/21 記
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昨日、元ビッグイシュー販売員の**さんから電話が入っていた。休止している湘南あすなろ会をどうするのか、一度会おうという話に応じたものだった。彼は携帯電話を持たない。だから彼と連絡を取るのは容易ではない。だから彼が立ち寄るところに手紙を置いたり、伝言を残したりする。だから時差のようなものが生まれてしまう。しかし連絡が取れたので、22日に一緒に昼を食べようということになった。

そのときの為に、私には少し整理しておく必要があった。私は湘南あすなろ会発足以前から、年齢の高めの若年層引きこもり青年のネットカフェ巡回を時々やっていた。長期化した引きこもり体験の結果、両親が逝ったために天涯孤独の無業者となり路上にはみ出したり、家出をしたが戻れなくなったというホームレスの入口に立つ者が、散見されたからだった。引きこもり青年の中でも、自殺や触法のリスクの高いひとたちだった。私の塾を失い、就職した先の限定的な引きこもり青少年たちとの関わりから、自分なりの活動を模索している結果、訪問カウンセリングの限界(守秘の壁ゆえ、当事者活動がなかなかできない。)を越えるために、そこで問題になっていた親御さんの訴えから生まれたものだった。触法青年の見守り活動がある。そこと接していながら活動は、そこに軽度発達障がいや中途発症の精神症などの対人関係の困難を抱える比率の高いひとたちへの関わりをする活動は、防犯活動のような場合が多いために、引きこもり青年の接触活動として、そうした活動から線を引いていた。つまり巡回活動はなかなか協力者が生まれない活動でもあった。

この活動や、駅頭若年層HLへの声かけなどをしてきたが、こうした活動は、従来のHLの生活支援活動とも対象世代が違っていた。HL支援活動は無業中高年の支援活動と言っていいほどに、若年者比率が少ないものだったからだ。この意味で、若年層対象の活動は、従来のHL支援活動の常識ともずれていた。

自分の拠点を持たず、または持てず、訪問学習カウンセリングの延長から進んだ隘路だった。同時に始めていた夜間傾聴も10数年を過ぎて、就職先からの紹介比率が大半を占めるように変質し、それがゆえに外勤(訪問)定年の形で、相模大野側の訪問が途絶え、JR相模原周辺の方たちだけに細っていた。個人の踏ん張りゆえに公開もままならず(対象者は溢れている)、今後の接点をどう作っていくかも課題だった。

しかし、湘南あすなろ会の活動は、ビッグイシュー販売が柱だっただけに、私の活動をそのまま持ち込むことは困難だった。このギャップをどう埋めていくかが、**さんとの出会いの中の迷いとしてあった。同じBIの販売員の++さんは、就職と同時に販売をやめ、その後、退職し地元から離れた。こうした事態の中で、今後の活動が問われることになった。++さんとの対立の結果、もとの活動に戻る決断をして、あすなろ会から離れた後に++さんが、地元を離れた結果、あすなろ会が宙に浮いていた。この事態をどうするのかという局面にあるのだった。

湘南あすなろ会の特徴は、若年者HLまたは予備軍へのこだわり、就労支援活動へのこだわり、市民活動との連携という特徴がある。鶴嶺高校へのHL支援活動からの格差社会とそこへの関わりの問いかけ授業など、独自の展開も行ってきた。しかし、日常活動がなかなか立たない状況でもある。

安易に会に復帰するのも++さんのことを考えれば無節操というものだ。同意のとれる方針がたてば再出発もありうる。そのもどかしさを孕んでいた。

私の地元への訪問やネットカフェ巡回、起業準備としてたてた「わーく」発行、夜間傾聴に飛び込んできた方は、重篤な事情を抱え込んでいる方が多く、すでに4名が命を失っている。私と接触して離れた方を含めれば、この10年にその倍以上の方が他界している。この活動は、HL支援とは接していながら領域が違う活動であり、湘南あすなろ会の活動に持ち出す活動ではない。

どうしたものかと、ある藤沢の市議さんと会う約束が破綻した藤沢駅前の喫茶で、眼鏡屋の約束の時間までの空白時間、悶々としていた。市議さんとはペットレスキューの里親さがしの協力依頼だった。

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目のかすみは依然続いていたが、やっと仕上がった眼鏡を受け取りに、茅ヶ崎経由で海老名に出た。大和経由もあったが、やはり慣れが大きく相模線に乗ってから大和経由の手があったことを思い着くのは、やはり冷静になっていない証拠だった。

眼鏡は出来上がっており、今回は受け渡しだけだった。検眼のとき、現行の2本の眼鏡を1本にまとめたような程度の遠近両用遮光眼鏡と説明されていたので、遮光が新しいだけで、矯正視力をあげたものではないことを知ってはいた。しかし、かすんだ目に新しい眼鏡をかけてみた印象は淀んだものだった。4ヶ月をかけて入手した眼鏡の新鮮さは全く裏切られたような視界だった。

合計で12万円をはみ出していた。訪問が頻繁だった頃は、先方が荒れていることもあって、手で突然払いのけられて眼鏡が吹き飛ぶこともあった。一瞬にして、眼鏡は使い物にならなくなった。親御さんへの賠償請求が心苦しく、職場では補償してくれなかった。新しい眼鏡を手にする度に、ため息が出ていた。今までかけていた眼鏡は補充用の度の合わなくなったものを降ろして、予備のない状態で使っていたのだった。

拗ねているわけでもなく、勿体無いと思ったわけでもないが、晴れ晴れとして、新しい眼鏡にかけかえて店を出る気になれず、支払いを済ませた後、眼鏡ケースに新しい眼鏡を入れて、古いめがねのまま駅前に戻った。どうしたものかなあと思う。しかしともあれ眼鏡は新調できた。あとは自転車を買えば、海岸線パトロールや、今回のようにペットレスキュー協力店探しなどがやりやすくなる。そう自分を説得しつつ、サンマルクのパンや、丸井の食品売り場でキノコと野菜、調味料、母説得用のアナゴ寿司を買い込んだ袋を下げて橋本に向かった。

相模原の教室授業だったのだが、気仙沼から避難してきた老夫婦の孫が付き添いで、現地ドライブして自宅の跡を見て帰って来たのだと聞いた。疲れが出たか祖父が入院したとのことで、彼(孫)は遅刻してきた。家までは車で行けず、彼が写真を撮ってきたのだという。使い捨てフィルム形式のカメラで撮ってきたところが、若くない証拠だと私がつついた。しかし避難している方の困難を目の当たりにした思いだった。

ここしばらくは、遠近両用眼鏡に慣れなくてはならない。下側の近距離用の位置に両眼の網膜色素変性症の恒常的なかすみの領域が重なっていたからだった。

今夜は目を休めるために、読書&PCは休止。明日はスライド(PPにあらず)仕上げと23日の新たな被災者支援活動の立ち上げ準備である。


夜間傾聴:南大沢君(仮名)


(校正1回目済み)

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5/20 病院まわりで過ぎた一日/「幸せをつかんだ犬たち」文庫版入手

2011-05-22 10:21:41 | 引きこもり
2011/05/20 記
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眼鏡が出来たと連絡が入るが、肝心の左目がかすんでしまった。ちょうど風呂場にいるような状態だ。良いか悪いかわからないが、強度の近視を長く続けていると眼鏡の破損や紛失体験だけでなく、眼鏡の置き場所を忘れて咄嗟の来客に応じるというような経験をしているので、大体の輪郭でも慣れた場所なら結構動ける。いよいよかと背筋が寒くなる思いを抱きつつ、朝食を摂るために外出の準備を進めていた。洗顔し、ドライアイ系の一般的な市販眼精疲労目薬を点眼して目を閉じていた。するとかすみが薄らいできた。

今日は母の通院先の北里東病院神経内科に、薬の補充分を受け取りに行き、帰りに相模大野で時間をつぶして授業に出る予定だった。事情を説明し授業欠席。御成門の慈恵医大眼科にむかうことにした。私ひとりで北里東病院に行くときは、相模線を使わず、藤沢経由で小田急線を使う。ただかすんだ視界はさすがに恐ろしかった。雑踏の中の乗り換えがこわい。結局相模線で原当麻からタクシーで病院に。

原当麻に着いた頃、かすみは取れていた。北里東病院の処方箋が早く出たので、授業欠席連絡をせずに、慈恵医大に飛び込んだ。代々木上原乗換え経路を取ったが時間がかかる。扉の横の隙間に身をもたれかからせ、目を閉じていた。眼が濁っているわけではないので、異常はわからないから席を譲ってもらえないからだ。

私の担当医にはかかれなかったが、ざっと診た上で、やはり目が疲れているからと、眼精疲労の点眼薬が出ただけだった。網膜色素変性症の進行との関連を質問すると、検査をしてみないと一概には言えないと応答があった。その検査は予約が要る。小回りが利かないだけでなく、この言い回しは、私にはわからんよという責任回避の常套句だから、黙って会釈して粗末なパーテーション区切りの診察室を出てきてしまった。

皮肉なことに、処方箋待ちしているときに、病院付けの眼鏡屋の**さんと出会う。今日、眼科に来るなら眼鏡を持ってきたのに、眼鏡は海老名の営業所に送ってしまったという。受け取りは明日である。彼はどんなに急いでも20日、10日は見てもらわないとと言っていた。海老名に送ったのは昨日。5日目だった。商売の言葉はそんなものだ。

処方箋が出て支払いを済ませて屋外に出ると、強烈な明るさに目はハレーションを起こしたが、かすみは取れていた。PCに向かうとき部屋の明かりをつけるようにしていたが、時間が長過ぎた。しかし、病院の薬はどうしてこうも袋が大きいのだろう。母の分と両方、バッグに入らずにぶら下げて相模大野に戻るのは、リタイア間際の感じだなと思いつつ、少々気分が落ち込んでいた。

母に電話を入れると、生協の食材が冷蔵庫に入りきらないと文句が帰って来た。慈恵医大からの帰りだとは言い出せなかった。早々と相模大野に着いたので休憩できるのでロイヤルホストで食事を取って、いつもならPCが出てくるところだが、目を閉じていた。しかし予定表を見て驚いた。私の授業は明日で、今日は相模原の塾の会議だったのだ。惚けている。焦って塾に詫びを入れる。案の定欠席裁判で雑用が増えていた。職員会議だけで巡回を約束していないでよかったのだ。

しかし間の悪いときには間の悪い奴が現れるもので、時間講師の++君と会ってしまった。「すごい量の薬ですね、癌ですか」と来た。「ああ、"眼"だ。香典、待ってるよ」と切り返すが勢いが出ない。しかも「香典」が通じないのには驚いた。若ければ知らないかと思いつつ、塩を撒きたくなった。当然明日は「薬袋」を抱えた「ご臨終」の飛田が噂になっている。男の風上にも置けないと思って、これも古いかと思う。

予想外だらけで藤沢に戻ったので、母を呼び出し外食で済ませようと計るが、よほど生協の食材が頭に来ていたのだろう。食材があるのになんと節約観念がないのかだから男は…が始まってしまった。病院周りで一日が終わるのは嫌だと、辻堂駅北口で異様に安いメロンの輪切りを買って帰宅した。

そういえば木曜クラブさんのところは、ボードウォーク店の内装工事以降、作業所の方にしかお邪魔していないことに気がついた。既に数ヶ月が経っていた。今日はダメだが、近々お邪魔しようと思った。ビッグイシューを置いてもらっていたのだ。冊子は作業所に届けたが、4月からは滞っていた。

母は私の目のかすみを知らない。薬袋を母に手渡し、食事の準備に取り掛かった。本が届いたので代引きを立替えておいた、そこにあると母が言う。「そこ」がわからない。ぞっとした。網膜色素変性症は視野の一部分がかすんだり欠けたりする。私は母の指先を見逃したのだった。

北浦清人さんの「幸せをつかんだ犬たち」の文庫版を頼んでおいたのだった。表紙の破れがあるとかで、他の本が先に届き、この文庫本は出版社から取り寄せて別便で送ってきたものだった。文庫の紙が黄ばみ始めており、文庫版は有珠山噴火の後に発行されたものだが、時の流れを感じさせるものだった。これで単行本版の方は茅ヶ崎図書館に返せる。(ブログを読んでいる県内在住の皆様、是非ご一読を。)

結局自室にこもるまで、ドアノブに右腰をぶつけたり、右側の湯のみ茶碗を倒したりと散々な状態だった。厄日なりと自分に言い聞かせ、寂しい夜間傾聴待機に望んだのだった。

「すべての犬に里親を! 阪神・淡路大震災 1556頭の物語」(今西乃子著)入手。

夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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5/19 震災避難者数推移のグラフ/市障害福祉課のヒアリングに参加し/NPOサポートちがさき総会に参加し

2011-05-21 11:07:46 | 引きこもり
2011/05/19 記
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東日本大震災の避難者数の推移をグラフにしたものが欲しかった。44~45万人(新聞は44万人)をピークに現在は11~10万人あたりと推測される。この間の変化は、各県ごとの数値を作者がまとめたものがあるが、背景の数値の出所がはっきりしていなかった。警察庁の資料や新聞社の資料が一応の出典とわかり、作者の了解をいただこうとメールしている。

このグラフは阪神淡路大震災のグラフと重ねて比較しているが、阪神淡路大震災は都市型の震災なので、単純比較に意味があるか疑問が残る。しかし、災害発生からまもなく、避難所への被災者の移動は一気に起こり、その後急激に避難者は知人・親戚・自費・仮設住宅移転などで減り、一ヵ月後あたりから減りが鈍って緩やかな坂になっていく。災害発生2ヵ月後の時点で11万人というところだが、これから先は、転出策が難しい方が残ったり、福島原発避難の関係で、純粋天災避難とも様相が違う方がグラフ前面に出てくる。グラフはなだらかな坂が長期化していく。もとの資料の関係で、「避難者」とは「被災し、避難所に身を寄せている方」の意味で、仮設住宅や仮入居住宅(宿泊施設や社宅転用など)に入居した方は入らない。つまり、仮設住宅で就労できないでいる方や社会的弱者の収入がない方は見かけ上消え、生活保護待ち状態が進行していく。避難者ゼロは収入を奪われた仮入居生活ゼロを意味していない。

そういう限界を持ったグラフだが、私が「生活支援」活動の対象にしている方の中心、避難所生活の方と仮設住宅に移った方の様相のグラフの裏読みが容易に可視化されるので、スライドの中に入れ込むことにした。11万+α(微細な数にあらず)人の方が対象になるのだ。

msn産経の18日の記事は、茨城県の避難者はゼロになったというものだった。しかし、被災復興したわけではなく、避難所がすべて閉鎖となったという意味。他紙記事の扱いと違う被災軽度のニュアンス。誘導を感じる。

商工会議所の方に話したのは、緊急避難の時期を終えて、家に戻れない方の仮の生活が続く時期の後方支援の方法を考えたとき、町おこしが被災者支援に直結していない状況を改善したいという話だった。遅い公的支援とは別個に民間支援を強めていく方策を提案したいのだということ。ここが微妙に空回りしていた。

つまり地域復興(町おこし)が被災者支援になると考えるか、被災者に支援が届いていないと考えるかの違いなのだ。自営業者の利益代表の発想と社会的弱者の支援の発想とのずれなのだろうが、私の提案は不毛な対立を持ち込むことではなく、地元中小企業と協力して、地元企業のサービスを買うという形で、現地ボランティアと宙種企業が連携した直接支援のルートを後方支援を含んだ民間支援のルートとして据えなおす提案なのだ。資金提供者の見返りとして被災地商品が購入の形で提供されて来たが、この分を被災者に配達する提案なのだ。

もしも見返り商品がなくては、資金提供者がいなくなるというなら、シールや証明券のようなものでいいと思うのだ。大事なことは支援が届いている情報。これが還元されているルートを確立すること。私は「わーく」などがオンライン情報や、情報ミニコミチラシや冊子、およびオンライン協力者へのバナー配布で行けばいいと思っている。

ともあれこの避難者数の推移グラフは、支援対象を可視化する大事な資料となる。23日にモデル立ち上げの相談を鶴が台団地脇の古書流通NPO「セカンドブックアーチ」の店舗に14時にお邪魔して説得をする。関心のある方もどうぞ。

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13時半から、茅ヶ崎市の障害福祉課のヒアリングが行われた。市障害者保健福祉計画推進委員会のヒアリングだ。目の調子が悪く、この後NPOサポートちがさきの総会が控えていたので困ったが、眼精疲労の目薬しかくれないことがわかっていたので、我慢することにした。眉間のたて皺がまたつまらない誤解を招くので、少々しんどかった。

今回は施設関係者のヒアリングを終えた後に関係団体のヒアリングと2段構えになっていたらしい。私は今回、スペアちがさきの会員として参加したのだが、自己紹介が微妙だった。私は引きこもり青少年の学習・生活・就労支援をしているが、その中の心身のハンデがあって指導が難しい方を重点にしている。また社会的弱者支援の関係から、ホームレス(特に若者無業者)の就労支援をしてきた。ところがこういう社会性の区分は、従来の障がい区分を基礎にした活動には馴染みが薄いのだ。昨今の高機能自閉症、軽度発達障がい児者支援の障壁が薄くなってきた現状で、やっとおぼろに足元が見えてきた段階にある。生活上の困難という基準から見ていくという、障がい者支援活動の視座からすれば馴染むのだが。

参加者は十数名。既知の方ばかりなのだが、今回は発達障がいのお子さんから考える立場の方が多く、若年層以降の課題を語る方が少なかった。地域の居場所をという話も、何かの活動、とくに就労活動を媒介にするというような若年者の特徴や、災害時の話などを中心に意見を出してきた。

休憩中に市会議員が選挙で入れ替わったこともあるので、超党派の市会議員を呼んで障がい者支援の課題についてバズ・セッションで話し合う会を実現しないかと持ち出した。しかし今回は旗振り役がいない。提案しているうちに、議員の側が呼ぶのが筋という話から、会派別に話すのが好しという応答に、応答市議が限定されてきているのかと推測した。もともとこの話す会は、市議に対する挑発を含んでいて、議員に頭を下げて頼んでいるのではないはずだからだ。ちょっかいというと叱られそうだが、尻に火をつけて返す会だったはずだ。

とりあえず、障がい者の日中ネットワーキング、就労支援、防災対策の話題が交わされて少々生身の話がまじって面白かった。(無責任かな?)

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ヒアリングを終えてNPOサポートちがさきの総会に飛び込んだ。自主事業の就労困難若年者地域就労支援PJの報告と新年度の提案をして、早々に総会終了後、湘南あすなろ会の**さんへのメールを残し、買い物をしてまたまたロッカーにいれ、橋本に向かった。

今回は橋本2君の巡回。

仏頂面している母にスパゲッティを作ったのが22時。堪忍してくれと手を合わす。夜間傾聴は、今回不発。


夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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5/18 茅ヶ崎市商工会議所に提案を持ち込んで

2011-05-20 12:11:57 | 引きこもり
早川さん、先日はありがとうございました。今、スライドの改訂をしていまして、避難者数の推移のグラフを入れました。被災地の自営業者数を予備資料として探しているところです。ご紹介の犬猫レスキューのポータルサイト、あちこちばらばらに検索していたので助かります。横浜ペットレスキューのサイトが静岡県に入っていますね。



2011/05/18 記
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天候に気分が左右されるのか、母は今日も調子が悪い。私の目のちらつきも絶頂に達していた。中央林間君(仮名)の件もあって、ハローワークの知人のところに出かけたのだが、先方の勘違いですれ違ってしまい会えなかった。まあ用件は夕方電話が通じて伝わったのだが。おかげで私のこと、求職相談と思ったか*藤さんという方とトンチンカンな話で結構為になってしまったのだが、知り合いが増えたのだった。ちょこっと、震災被災地から神奈川に避難して、職を求めている方の話を知ったのが収穫。

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茅ヶ崎の商工会議所にお邪魔した。地域就労支援の炭谷茂氏の講演会の件でも厄介な話を聞いていただいた方がまたまた応対。厄介話part2と聞こえたか、最後は食傷気味の感。(失礼しました。)私の話は、理事に伝えてくださることになった。

話は長期化する震災被災者支援の枠組みとモデル作りの件。

私の直前に地元の災害ボラ・ネットを作りたいと話があったばかりだとかで、まずはその方と面識があるかというチェック。その方は茅ヶ崎サポセンにもチラシを置いていて、関連交流会も最近開かれていた。その程度の情報で、面識はなかった。

呼びかけ文を手渡した後、スライド画面をプリントアウトしたものを使って説明。依頼としては、1)新支援モデル型の支援活動への参加可能企業への仲介、2)被災地企業仲介、3)モデルに沿った企業キャンペーン推進のバックアップ依頼という大風呂敷だったが、説明の中でだんだん提案が他の支援活動支援要請と違っていることに気付かれて、最後まで聞いてくださった。

いままでの義援金募金活動では今後は乗り切れないという予測は共有できたように思う。ただ個別の支援法の問題点を取り上げ、被災者に届く支援をと語ると表情が険しくなった。当たり前ではあるのだが。

まず、「売り上げの一部をカンパ」という形。マスコミの取り上げが専門化し、取り上げ量が減るにつれ、人心は一気に褪めてくる。そのとき、仲介企業さんが支援仲介を全面に出してくれるだろうか。この間接支援は使い道も提供者には明確ではなく、多くは基金に丸投げの形となるので一層現地が見えない難があり、企業さんの継続保証もない。

次に「被災地産の商品を買って町おこし」の形。商品が売れて潤うのは関連企業さんであって、避難している地域の方ではないこと。町の賑わいや市が立っても買う金がなければ、市場は活性化しない。関連自営の方は商売繁盛が家計に直結するが、例えば工業部品製造業には関係ない。雇用促進効果も商業従事者には関係しても、被災米作農家は食えない。単身高齢者・障がい者・一次産業従事者と家族は今後11万人から緩やかに減少していくだけで支援からブラインドされてしまう。被災者に支援が届かない。

ここを仮設住宅が無くなるまでの有期限生活支援活動として、市場活性化とリンクした活動を考えているとやれば、鉈でばっさり切っているようなもので、例えwin-winの構造を埋め込んでも、笑えないのは当たり前。

後方支援がお祭りから日常交流に移って行く中身を提案したつもりが、うんざりさせてしまったという経過。行政を待っていたら、みな日干しになってしまうので、民間支援の枠組みを変えないといけない。その提案だった。被災地の状況の交流が、まだこの構想に組み込まれていない難があり、また物資とサービス提供が軸の支援だと、自立支援や地元福祉ネットワーク形成促進支援まで質が届いていない限界がある。しかし出発点として、皆が真似ができアレンジできる基本構想として、役割を持つ意義は薄れるものではないので、走りながら考える方式で呼びかけていく。

手品の種がばれたという感じではなく、町おこしが支援だと素朴に思ってきたことが否定された(否定してはいないのだが)不快感というところだろう。投げ銭型の「協力」から一歩踏み出す枠組みをつくらないと、片手間支援は一気に冷えていく。二度三度のカンパはしない。「一生懸命支援」の形を提唱しているのではなく。もっと日常の中に組み込んだ自らの支援を作ろうというのだ。

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サポセンに立ち寄って、湘南あすなろ会の**さんの応答は無いかチェック。どうも行き違ってばかりいる。日だけが過ぎてしまう。困ったものだ。

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残りの材料で煮込みうどんを作る。酸味と柚子胡椒やかんずりでしめれば深みが出る。母対策成功。

奈良**大ML、石巻市の報告が続いているが、頼んでおいたペットレスキューは消えてしまった。頼んだのにーと書く。

夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)

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5/17 ある市会議員さんに協力要請を/

2011-05-19 14:44:56 | 引きこもり
2011/05/17 記
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昨日、母は買い物袋両手にして帰って来た。それが翌日筋肉痛になったらしく、寝床から出てこない。私は私で急に決まった橋本3君の面談に出かけるところだった。ところが母の様子がおかしいので、枕元に行って見ると、ティッシュの山。朝ダンピングがあって、調子が悪いとのこと。

前日の一件が有ったあとなので、橋本3君の時間変更を入れるわけにも行かず、コンソメベースの野菜スープの冷凍を解凍して、サトイモを茹でておいた。ミルクっぽいものや、喉通りのよくないものは食べないので苦肉の策。

バスの時間ぎりぎり、急いで出たので、玄関の鍵を持ち忘れてしまった。事件にならないように電話するが母は出ない。調子が悪いのだ。やむを得ず、バッグにいれっぱなしの母の携帯宛にメールし、鍵を持っていない旨を書いておいた。

橋本3君の怒りは理路整然としていた。次からは時間をはっきりさせることを約束してきた。冷や汗である。

相模線往復2時間は長い。テキスト入力専用のポメラを使って、携帯の副次機能を使う授業をどう教えていくか、授業プランのメモを取っていく。5人の知的&発達障がいの高等部の子に教えるとしよう。健常者の一斉授業のように、動機付けを同じセンスで入れるというわけにはいかないだろう。まずは四則演算を電卓機能を使って行うことと、時計と予定表を見て行動する。フラッシュカードで意志を伝える。勿論メモが取れたら「御」の字だ。どう考えてもマン・ツー・マンか、ふたりにひとりの支援者になるだろう。先生の協力が絶対に必要。授業案は先生と練る必要がある。

もうひとつは、被災者への支援モデルに入れ込む意志の交流系、届けられた物資やサービスの被災者からのレスポンスを回収し、企画参加支援者に返していくか。(これは、ツイッターとブログだなと考えている。)現地のネットワークと湘南のネットワークの形、つなぐ「わーく」番外編。

メモだらけで茅ヶ崎着。ある市会議員さんに、私の災害ボランティア2つのプランへの協力を求めた。急な話だったが、しっかり時間を割いてくださった。特にペットレスキューの里親探しの可能性を考えていただくことに。

実はあとふたり、藤沢と寒川にお願いするつもり。

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小田急線の車内で、ペットレスキューの話をメモしながら、ある書のことを思い出していた。ホームレスのかけがいのない家族・友人として野良犬が連れ添っている。犬がなんとも馴染んでいる光景が印象に残っていた。「野宿に生きる、人と動物」だ。どこまでも人臭いんだよなと思いつつ、里親探しのお見合いがどんな具合かと思いをめぐらせていた。犬が来ることで、里親の家族はどうかわるだろうか。そんなことを考えた。逆に家族になっている犬を手放す側の悲しみは、余りある。ため息をついた。

相模大野校で中央林間君のレポートの説明と、週明けに彼を知人のいるハローワークに連れて行くことの許可の確認をしてきた。地域が違うので、ハローワーク自身の機能というより、私の知り合いの人間性に頼るといった方が近いのだと話してきた。

茅ヶ崎サポセンにホームレス当事者の**さん宛のメールを送り、中継点になってもらう。湘南あすなろ会の今後の件を話したい。

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母は近くで外食したようで、昨日重なった食材は、私だけで始末することになってしまった。糖尿病だというのに、話にならない。帰宅しても振り向かない。また「孤食」の抗議なのだ。食事に時間をからめとられるのは嫌だと言ってきたので、昼か夜のどちらかは、一緒に食事することにしているが、今回のように体調が悪いと寝ていられると、昼、出損なってしまう。

父の老健から七夕をやるから手伝えという案内が来た。祭りは性に合わない。いやだなあと思いつつ、明日電話することに。


夜間傾聴:中央林間君(仮名・母親、本部了解済み)
     南大沢君(仮名・こちらから)


(校正1回目済み)

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5/16 訪問カウンセリングの必要な事態が

2011-05-19 10:18:59 | 引きこもり
2011/05/16 記
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中央林間に行く。学習カウンセリングとはいえ、生活上の問題を切り離すことはできない。そこに明らかに慎重を要する心理的判断が必要なときに、心理、臨床のカウンセラーとつなぐのだが、そのグレーゾーンが私の担当となる。今回は私が外勤定年間際まで担当してきた方が、相模大野校に指名で依頼してくださった件で、特例の形で訪問させてもらうことになっていた。彼の望みだった。

しかし人生は大人も子どもも、そのひとの肩の大きさによってのしかかっている事情の重さはかわらないものだと思う。気軽に世間話が出来るのだから浅いとは限らない。彼の徹底した配慮やガードかもしれないからだ。ロジャースだったらこうするのだろうなとちょっと脇に身を寄せてつぶやく。ある引退された優れたカウンセラーの方を思い出した。この心の距離のスタンスが、わざと閉じられた壁のような悲しみを内に伴えは、それはたちどころに彼に察知されてしまう。苦しむ者の鋭敏さは私にとっては棘のように痛々しい。

彼のことは、医療系ではなく、むしろハローワークの**さんを経由した方が良いように思えた。規約で紹介は禁じられているので、上司の確認を取って彼と親御さんに伝えた。**さんは彼の話をじっくり聴くひとだ。大丈夫。

一応あと1回、**さんのところに同伴する件で彼と会うが、それで出会いはおしまいなのだ。彼の御宅をお暇してから、彼の御宅の前の道を折れたところでしばし足が止まってしまった。

帰りに相模大野に寄り、報告を出し「黙って」帰って来た。はかない抵抗だが、それが通じる方は今年、定年退職してしまった。

母と北里東病院の帰りの順路のようになっている自然食の店がある。「犬と猫のための災害サバイバル」を開いて、かすむ目で眼鏡を額に上げて本を読んでいると、すぐ脇の席の、どうやら地元の買い物主婦二人組が、私の本の表紙を読んだか、「津波(被災地)のペットはまとめて預けるとどっちみち喧嘩で殺されちゃうんじゃないの」とか、「人の方が大事」という話にしたいらしいのだが、話相手が「自分の親が大の犬好きで困る」という話にしてしまうので、「人の方が大事」という主張が一向に通らない苛立ちがだんだん言葉に出てくるのを、意地悪な気分で面白く話を聴いていた。注文した定食が出てきて話は中断となったが、この話の立場のずれ(差異)をどう読み解くかというところの中に、ひとの関係の進展も病いも織り込まれている。相手に任されているが故に動かない、彼岸の壁がそこに見えたとき、どうしたらいいのだろう。持ち運ばなければいけない荷物を、一時降ろさなければならないそういう立ち尽くす場面に私は立つ。

その眉間の皺が寄った私の片目の表情が気になったふたりは、食べた椀をとうに店員に下げられている席を、怪訝な顔で無愛想に立ち去った。

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藤沢の有隣堂でファイルを揃え、小田急地下で買い物を済ませ、コインロッカーに買い物袋を入れて犬のトリマーさんの店を一軒回る。ここは私の知り合いのカフェのそばなので立ち寄ったが、なんとも事務的にチラシを5枚受け取ってくれた。出かけるらしく、取り付く島なし。爺さんの居場所ではないのかなあとも思ったり。

カフェに立ち寄ったが準備中。構わす店に入ると息子が出てきた。父は病院だという。交通事故の知り合いの見舞いとか。ここにもチラシを置かせてもらおうと立ち寄ったが、最近の若者の融通の効かなさというか、父が帰ってこないとわからないを連発。君、もうすぐ30だろと言いたくなる。

意地悪爺さん、野菜サンドと無糖コーヒーを頼む。しかし、絶句するような野菜サンドが返ってきて、みごと返り討ちにあって退散してきた。

ジュンク堂書店で日経Linuxを購入。KnoppixはDVDブートが出来るので、メインテナンスが楽で教育現場に使えるというが、洗練されていない。重なるソフトを切る方がいい。脳裏は障がい者就労のオフィスツールの発想につながっている。具体的なこのソフト自身はiPad系の足元にも及ばない。しかし無料なのはそれなりに魅力。

3月11日の震災が割り込んだので、携帯電話の副次機能を活かした就労スキルアップの講習企画、再開のタイミングを計っている。同型スクラップ形態の提供を受けるための交渉を再開するには、茅ヶ崎養護の了解がいる。茅ヶ崎養護の了解の条件には携帯電話販売営業所からの携帯取得の見通しがいる。いつもこの板ばさみの中で、手探り企画が立ち上がる。

被災地企業への避難所配送サービス発注型支援の構想には、フィードバックの弱点がある。ドッグレスキュー支援にも、対話環境のバックアップがいる。ここのところに「わーく」の活動を入れ込めば、編集仕事の場面が生まれる。ここに引きこもりや高機能自閉症などの若者の仕事を見出せないかと思案している。

スキルとしては、インターネット閲覧とメール、ワードの基本操作、印刷、携帯電話による対話というような事務系の基本操作がいるので、協業環境を構成するためのスキル獲得が問題になる。現場で教えていく形が本道だと思うので、人海戦術でのぞむための支援者の数がいる。ソーシャル・ファームの芽ができないかと思う。障がい理解と技術のバランスの取れた視野の持ち主と出会いたい。

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夜の巡回がないので、買い物袋を抱えて家に戻った。母がいなかった。夕食の下準備をしていると、床に落ちた紙を見つけた。橋本3君の件で相模原から電話ありと書かれていた。おかしい、携帯電話にかけてくるはずなのにと、携帯電話の履歴をチェックする。なんと家においてきた夜間傾聴用の専用携帯に、何回も電話が入っていた。普段連絡しない者が番号を間違えたのだろうと、塾に電話を入れる。案の定、バイト君のミス。

橋本3君が怒っているというのだ。今日は彼の日ではない。おかしいなと首を傾げていると、やっと意味が通じた。昼に電話で次回の予定を相談しようと言っていたことを思い出したのだ。「昼」ではなく「午後12時」と彼に言わなかった。私は自然食の店から出て彼に電話を入れていた。それはまもなく13時だった。彼は怒って電話に出なかったのだ。

バイト君に事情を説明。バイト君は緊張してしまった。専用携帯は事務連絡には使わないで欲しいと要請すると、こちこちになってしまった。ともあれ橋本3君に連絡を入れて謝った。そこに場面を理解していない母が帰って来た。買い物をしてきたと、大きな声で話し続けた。これが橋本3君に騒音ととられ、急に電話が切れてしまった。間の悪い…。しばらく冷却時間が必要だった。

母は気を効かせて、夕食の食材を仕込んできたと自慢する。私のシジミと母のアサリが鉢合わせする。厨房の主導権は何度確認しても譲らない。咄嗟の判断で、母のアサリはキャベツと酒蒸しで使い、私のシジミは味噌汁となった。しかし、パンの山、どうする。

間を置いて橋本3君に電話をいれて、また珍事に驚く。バイト君が余計なことに彼に電話をして怒りをかっていた。「**(バイト君)ぶっ殺す」という。実は「飛田、ぶっ殺す」からはずれてくれたので、正直言ってほっとしていた。延々30分。次回の予定が決まって電話が切れたが、フライパン片手の電話である。母の応援が入ったが、私のおかずはすっかり冷えてしまったのだった。

奈良**大MLからは石巻訪問レポートが上ってきた。教育現場のレポートだった。参考になりそうなところがあれば、追って記載する。


夜間傾聴:橋本2君(仮名)


(校正1回目済み)

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5/15 私事だけですみません、母と新宿にでかけました、が…」

2011-05-17 06:35:43 | 引きこもり
2011/05/15 記
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母の調子は上機嫌なのを喜べない状態だった。一昨日からダンピングが続いていたからだった。しかし本人が大丈夫だと、新宿に出るのを喜んでいたので、やむなく連れ出したのだ。昼間はよほどのことがないかぎりダンピングは出てこない。ただ疲労しているとき、突然のめまいを起こしやすいのだ。

私は母に連れ添って、掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)外来に行くのは初めてだった。症状が出ているときと、年1~2回の定期検査以外は通院がないので、治療はいつも同じステロイド剤だけだと、昨年は地元医にかかっていたからだった。新宿と聞いていたが、連れ添ってみると西新宿なのだった。新宿から丸の内線で一つ目。母が調子を崩したら、帰りの付き添いを経堂まで頼んだ**さんに負担をかけてしまう。誤算だった。

そんな思いを知らず、母は両手を重ねて席に背筋を伸ばして座っていた。気が張っている証拠だった。しかし東京の地下鉄の階段は年配者には大変だ。母を西新宿から病院外来に送り込み、私は相模大野に向かった。母は受診後、**さんに病院に来てもらい、新宿駅近くで呼び出しに応じた稽古仲間と食事をし、経堂に帰る**さんに連れ添ってもらうことになっていた。

母から連絡を受けたら、私は相模大野で合流する予定となっていた。事務作業をしながら母の連絡を待っていたが一向にかかってこない。異変を感じて母の携帯に電話をしたところ、知らないご婦人が出た。話がやっとわかった。食事のとき母が携帯に貼ったシールが気に入って、その方がいじったが、自分の携帯と母の携帯を取り違えたので、これから会って交換するのだという。この方は永福町の方で明大前で気がついたという。井の頭線を使えば下北沢で小田急線にすぐにつながるから大丈夫だというのだった。声からして、明らかに母より高齢だった。慌てて私は印刷物をまとめて、相模大野から下北沢に向かった。**さんに電話すると、方向が違うから母と別れたという。重病人ではないから平気だろう。しかし突然座り込んだら危ないのだ。

車中で携帯が鳴った。母からだった。道がわからないので下北沢まで、先の老婦人に付き添ってもらったというのだ。冷や汗ものだった。しかもそれからがいけない。念のため母の状況を聞いてよかったのだ。私と母はすれ違っていた。母に相模大野のホームエレベータ前で待てと指示した。母は状況がつかめないで、面倒と怒っていた。

私は経堂で折り返し、相模大野に着いたところでホームを探した。母の携帯に電話するが出ない。数回かけても鳴りっぱなしだった。母は改札口にいた。金が足らないので横浜銀行のATMでお金を下ろしたのだと言う。ここにいればわかると思ったという。ともかく会えたので、縁起でもない途中駅、滞在無用と混み出した江ノ島線に乗せて藤沢に出た。夕食の買い物を済ませようとすると、疲れたから先に帰ると言い出した。買い物を諦めて帰宅し、改めて近くのスーパーたまやまで、買い物に出る始末だった。とにかく母とは定時に決められた場所で合流するのは不可能に近い。

昨年、母の友人と母が東京駅下り線ホームで合流する予定だった。ところが相手は千葉から来たため、地下の横須賀線ホームで待っており、東海道線ホームにいた母とは結局会えなかった。この方は茅ヶ崎に来るのに、戸塚まで横須賀線を使い、乗り換えて茅ヶ崎に来ていた。それが常識と思い込んでいた。私は悪くないと母は私に主張したが、東京駅の下り東海道線ホームが複数あることを母は知らなかった。とにかく、母の世代と約束事をしてはいけないのだ。

一日中つぶれてしまった徒労感がある。有料老人ホームの職員は、いつもこんなことをやっているのだろうなと思う。いっそのことと、夕食の炊事を終えたところで、仮眠を取ることにした。私の居間の向こうで母が楽しげに電話で報告をしていた。話はこれで終わらないのだ。年配者の疲労は、一日おいて二日目にやってくる。月曜日注意しないと、また束縛されると戦々恐々とした思いで毛布をかぶった。

気がつかなかったが、相模大野校から固定電話に連絡が入っていた。中央林間君のことだった。留守電を消して、対策を考えた。しかし録音時間が私が母を迎えに飛び出してすぐだったのだ。もう少し時間がずれていたら、中央林間君と母との間で私は板ばさみになるところだった。日曜日は中央林間に行かなくてはならなくなった。彼はどうしてこう巡り合わせが悪いのだろうと思う。朝のドッグランを作る会のイベントは不参加にし、本校に了解を得て、彼の自宅に直行することにした。

夜間傾聴:なし


(校正1回目済み)


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5/14 スペアちがさきの情報交換会に参加し/やっと眼鏡を新調できると…

2011-05-16 15:23:34 | 引きこもり
2011/05/14 記
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母の就寝を確認して朝食をテーブルに置いて家を出る。今日はネットカフェ巡回を予定していたが、震災関連を優先することにした。10時からスペア茅ヶ崎の情報交換会があった。しかし発達障がい関連で持ち込める話も、相変わらず湘南の地元では役にたたないことばかり。3月で相模大野校の巡回が定年になってしまった話などしてもしょうがない。そう思いつつも、会に参加してきた。

我が家はプリンターに呪いがかかっているのかCANONプリンターがまた壊れてしまったので、サポセン以外は、セブンイレブンの文書コピーに出力を頼らざるを得なかった。セブンイレブンは茅ヶ崎駅前店がないので、プリントアウトに一度近隣店に立ち寄らなければならなかった。今回は徳州会病院の隣。こんなことで、もたついていたので、女性センターの和室到着は1時間遅れになってしまった。午前中の企画は負担が大きい。

話はスペアの総会資料の検討に入っていた。情報交換は既に終わっていた。ここには、ゆめたい企画から私が引いたあと、そこに後から参加された方もいらして、その経過がつまらないことだったことが正確に伝わっていないため、警戒感が走っていた。ゆめたい企画では、フリースペースの活用法を汎用にするか否か、夜間傾聴の場に離れを使わせて欲しいと希望をだしていたのだが、そのいずれもすれ違って、その結果、居場所がないので身を引いただけなのだ。コミュニティカフェを描くか、コミュニティホールを描くかフリースペースのイメージが違っていた。それだけのことだ。

しかし、この場で災害ボランティア関連の活動を始めていることを話すことは、私にとってはエルファロ支援ではないが、社会的弱者支援の枠の中でつながっているのだが、説明すれば、飛躍があるので凍ってしまう。どうしたものかと思っているところに、地区社協の場で、避難家族の子どもを地域で支える活動をしているという++さんが私の後から登場し、さらりと語り、私の助け舟となった。

長期戦への支援構造提案や、ペットレスキューの中に私的な交流の窓を開く試みというような変化球の内容は唐突で、里親の件も首を傾げる状態。++さんと話をしたが、接点は見出せなかった。++さんは受け入れの子ども支援であり、私は現地支援の後方活動だったからだ。里親紹介をお願いして会から帰って来た。もうひとつの目的の**さんとは会えなかった。

その会で紹介された資料が有る。傷害共済保険の資料だ。精神障がいの手帳を取得すると生涯、保険に入れなくなる。その問題を解決するために、共済保険を組んでいるところがあるのだと資料を見せてくれたので、そのパンフを貰ってきた。ここのビル、偶然だが別件で知っている住所だったので、近くに行ったとき覘いてみる。もしかすると活動メンバーが重なっているかもしれないからだ。これはまあ、余談ではある。

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昼食を駅前で済ませて、間があるので県会議員の**さんの事務所を訪ねた。福島に茅ヶ崎の放置自転車を整備して届けた。そのとき、被災地情報を得て欲しいと頼んでおいた件の確認だった。

内容は公開してどうというものではない。出来るだけ地元中小企業団体や一企業で避難者支援に熱心に関わっているところの情報と連絡先をつかんできて欲しいというものだった。茅ヶ崎と交流を持っている南三陸町は、避難所が縮小し、様相が雇用確保と産業振興に移りつつあると聞いていることもあったから、福島情報を知りたかった。私の提案は生活支援、特に避難所と仮設住宅で当座をしのいでいる方への支援だからだ。サービス提供という事で、次の段階の就労支援と市場復興を内包していないからだ。

しかし自立支援に馴染まない方もいる。この次の段階の支援を立てていくには、被災当事者の地元意見が強く反映されなければ有効性を獲得できないだろう。その意味で、今、私の提案が意味を持つ地域は、避難所、仮設住宅、疎開など仮の生活をされている方とその地域と結ばなければならなかった。

秘書さんと話していると、国会議員の**さんの秘書さんが現れた。提案を書いたチラシを手渡し、少しの間、概要を説明する場を得たので、スライドをプリントアウトしたものを使って、ざっと説明させてもらった。いつもより耳傾けてもらったような気がするが、熱心な方の紹介はそこまで期待していなかった。関係者に私の提案を拡げて欲しいと思っていたのだ。

時間ちょうどに橋本着。今回は橋本3君ではないので、少々混んでいるが約束の店で、学習指導。教室通学も始まっているので、彼はまもなく巡回が終わる。彼は会う人を優しい気持にさせてくれる個性の持ち主。だからこそ標的になったのだと思う。まったく…どちらがカウンセラーかわからない。

橋本から海老名に時間を予定して移動した。丁度ぴたり、到着。眼鏡屋の営業所はビルの裏手にあるのだが、とにかく狭い。眼科の出先き機関のような感じだった。今回はフレームの調子と、アイ・ポイントの測定だけ。仕上がりは早くて来週、だいたい10日間かかると言われ、がっかりとした。

前日、藤沢のコインロッカーでは、危うく食材の出し忘れをするところだったので、今回は海老名の丸井の1Fで買い物をしてそのまま帰る予定にしていた。

売っている「白菜」は、ほとんどの産地が「茨城産」だ。 売れ行きは悪いと店員さん談。風評被害の状況を示している。(しかし「足柄茶」の汚染はびっくりした。より東の千葉や東京・埼玉の被害が出なかったのだろうか。飛び地のような汚染の話は合点がいかなかった。)妙に産地が気になるのは、店舗の青果の商品に産地表示がはっきりしているせいだろう。両手に食材を抱えて相模線に乗り込んだ。

明日は母が東京に出かける。相模大野で作業するための資料をまとめ。夜間傾聴に臨んだ。

夜間傾聴:中央林間君(仮名・相模大野校了解済み)
     大森君(仮名・久しぶり、傾聴にあらず)


(校正2回目済み)
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5/13 **高校の先生と会って/体調管理が基本というけれど

2011-05-16 08:32:29 | 引きこもり
2011/05/13 記
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連日の雨、ペットレスキューの件で、**高校の先生に会う。以前部活で義援金募金をやったことがあるという話を頼りに、ともかく会ってみた。スマトラ沖地震の義援金である。私は北村年子さんたちの「『ホームレス』と出会う子どもたち」の上映講演会のとき、初めてお目にかかった方で、貧困の課題に先入観がない語り口が印象に残っていた。

ペットレスキューの話は、自治体職員がやっている仕事と思っていたとのこと。たしかにそれ自身は、間違いではない。ただ被災地では自治体職員は忙殺されていて、被災地からは少し離れた地域の職員や県の職員が、持ち込みに対して受け入れてるが、避難所・被災地を巡回して積極的に一時預かりとして犬を抱えたり、飼い主(保護者と呼ぶべきとか)を探したりというようなきめの細かい仕事には民間ボランティアが当たっていると説明した。

遺留品ボランティアと同じく、避難者とひとくくりされてしまう現状の中で、ひとりひとりが名前を取り戻す活動、家族の証しを求める活動(生命に直結しないが不可欠な活動で、私はあえて『傍系支援』と呼んでいる)なのだと説明した。現地にはなかなか行って活動をということにはならないので、里親探しで地元協力するというスタイルになると話した。

生徒が犬を受け取るということになるのですかねと質問されて、ちょっと言葉に詰まった。この文脈では、先生の担当する部活が念頭にあって、彼らがどう地域の方にかかわるかというイメージ作りの質問だった。抽象的な「犬」をCMするのではなく、その犬を見せてCMするということになると、生徒達だけではきつく、地域のおとなの支援のバックアップがないと力量不足という意味があった。その「地域のおとなの支援」を作ろうとしている、だから言葉に詰まってしまったのだった。今後協力はしてくれることになったが、話はそのレベルで途切れてしまった。

茅ヶ崎と辻堂の図書館で書籍更新。藤沢に出る。トリマー関係のお店1軒。私の名刺は就労支援の「わーく」編集部のもの。先方が混乱し、就労支援とペット?ということがありあり。責任者がいないのでと断られたのだが、貼るも捨てるも自由の条件付きでチラシを受け取ってくれた。原付や自転車が欲しい。巡回数があがらない。

神戸屋でパンを買い、買い物をコインロッカーに詰め込んで相模大野へ。母に20時半ごろに帰れるので間食しないようにとメール。珍しくすぐに電話がかかってきた。ところが母は地元の内科医が休診日なのでと、**病院の外来にいた。嘔吐したが頭がぐらぐらするので、バスで病院に行ったというのだった。焦った。昨夜は土曜日の外出を楽しみにして上機嫌だった。状態が一転していたからだった。治まっているが薬が切れたので今回分だけ貰いたかったからだから、戻ってこなくても大丈夫だとのこと。私は母の急にしゃがみこむ症状が出ないか気になっているのだが、それなら必ず携帯に電話をと告げて、不安な気持で小田急線に乗り込んだ。

今回は教育相談2件。1件は高校の不一致のこと、もう一件は学習相談だが読み書き障がいのLDがらみのことだった。ともあれ一応話を済ませ報告を上げて、急いで家に戻った。しょうもない話だが、着替えたつもりで、タイをしたまま帰ってしまったのだった。慌てていた証拠だった。

母は少し気が引けたか、期限切れの豆腐の日付を見ないで味噌汁を作っていた。言えばまたごたつくので、そっと毒味。酸味もないし大丈夫だろうとやったのがいけなかった。母は平気なのだが私の腹に来てしまったのだった。キッチンの管理者は一応私だが、母は委譲をやたら口にしつつ、主導権は譲らなかった。

しかし飯を炊いて驚いた。自分の椀の飯のなかに、ふきんのほつれ糸が紛れ込んでいたのだ。いつもなら絶対にこういうことは起こらない。私が炊飯するとき、この糸が見えていなかったのだ。眼鏡交換を早くしたいと思う。部屋の明かりを消すと、闇が激しく渦巻いているのがわかった。

母は夜中、ずっとベッド上に座り込んでいた。ダンピングである。体力が消耗するから、間食せずに食事を摂ってほしいのだが。


<記事チェック>
●「震災から2カ月 県内避難所に629人/神奈川」
●「気仙沼の企業の7割近くが浸水 調査結果/宮城」
●「「まさかここさ波来るとは」津波の終着点は山間の集落/宮城」


夜間傾聴:中央林間君(仮名・本部了解済み)
     橋本3君(仮名)


(校正1回目済み)

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